富田正宣 Masanori Tomita

《Nib》(2020)

油彩による抽象絵画を中心に制作している富田正宣。油彩を選択する理由について、素材としての表現の幅の広さと自由度の高さを挙げる。とりわけ近年の作品は、そうした油彩の特質をとらえた、表情豊かな絵肌で見る者を引き付ける。しかし作家本人によれば、油彩は自身には不向きな画材であり、その扱いづらさゆえ魅力を感じているという。ものごとは多くの場合、整然を装いながらも、本来はさまざまな要素が交錯した複雑なものだ。そこに見つけたほころびのようなものが、制作の動機になっているのではないかと富田は語っている。また、作家の「名付け」という行為への関心をうかがうことができる作品タイトルにも注目したい。2022年は東京とパリで個展を予定している。

富田正宣 Masanori Tomita

1989年熊本県生まれ、埼玉県在住。2013年東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。近年の展示に、21年「LA CONSTITUANTE」(Parliament、パリ)、18年個展「なぞるノロマ」(KAYOKOYUKI)、「Studio Exhibition」(大野智史スタジオ)、「Hikarie Contemporary Art Eye vol.9 小山登美夫監修〈through the glasses〉」(渋谷ヒカリエ)など。 Photo: Kei Okano

「油彩の扱いづらさが面白い」

富田正宣は、油彩による抽象絵画を中心に制作している。とりわけ近年の作品は、油彩の表情豊かな絵肌が見る者を引き付け、2021年には、香港とパリで作品が紹介された。静かに、しかし着実に国内外で評価を得ている富田に、制作活動について聞いた。

複雑さのほころび

──制作の動機を教えてもらえますか? どのようなものから影響を受けましたか?

「物事って、いろんな要素が複雑に交錯しているのに、表面上は整然と見せていることが少なくありません。僕の場合、そこに見つけたほころびのようなものが、制作の動機になっている気がします」

「意識する、しないにかかわらず、自分は日々いろんなものから何らかの影響を受けていると思います。僕の作品もそうです。挙げだしたら切りがありませんが、強いて言えば、友人や先輩・後輩といった身近な人とのコミュニケーションから、一番大きな影響を受けていると思います」

「様々なタイプの人との接点を持てる学生時代は、とても濃密で刺激的でした。自分一人が持てるソースにはどうしても限界がありますが、周囲の人々の視点を取り込むことで、より広い視野を獲得できます。友人に勧められた展覧会や作品集から影響を受けることも多かったです」

──富田さんの話し方からは、物事の因果関係を短絡的に結びつけることを避けようとする姿勢が伝わってきます。が、もう少し具体的に、たとえばこれまでに読んだ本などで、影響を受けたものをうかがえますか。

「10代の頃、ライトノベルの『ブギーポップは笑わない』から大きな影響を受けました。様々な登場人物の物語が絡み合う群像劇というスタイルが、その頃の自分に刺さったのだと思います。一つの物語の中に複数の視座があるということが新鮮でした」

対象をなぞる時間

──いつ頃から、絵画という表現手法に向き合うようになったのでしょう。制作の原点を教えてもらえますか。

「物心ついた頃から絵は描いていましたが、作家として作品を制作する、ということをきちんと意識して描くようになったのは、東京に来てからです。これは、人に話すほどの特別な経験ではないんですけれど、小さい頃から漫画が大好きで、家で読んだ雑誌の内容を、近くの公園に行って反芻(はんすう)する時間が好きだったんです。必ずしも、読んだストーリーを時系列に脳内再生しているわけではなく、自分で勝手に編集している部分もありました」

「あの時間が何だったのかというと、うまく説明できないし、そういう遊びだったとしか言えないのですが、今考えると、そうやって対象をなぞる行為というのが、今の自分の制作の根底にあるのではないかと思います」

自分が得た情報や経験を、なぞる。物事の複雑さをそのまま受け止めようとする富田にとって、見聞きしたものを消化するのには一定の咀嚼(そしゃく)の時間が必要ということだろう。

富田は、ふだんから分厚い手帳を持ち歩いている。 富田にとって手帳は、スケジュールを整理するものではなく、その時々の気持ちやアイデアを書き留めるためのものらしい。日付を区切る線はほぼ意味をなしていない。小さなスケッチや言葉の断片が散らばったページもあれば、ボールペンで黒く塗り潰されたページもあった。日々何かしら書き込んでいるらしく、手帳はやや型崩れを起こしていた。

──手帳に書かれた文字やスケッチは、一見なんの脈絡もないように見えます。これらをどのように作品制作に生かしているのでしょうか。

「こうした文字やスケッチなどを通じて、自分が姿形として惹(ひ)かれたものを収集しているんです。過去に自分の意識が向いたものが、時間を置くことで、また異なった立ち方、あらわれ方をしてくることもあります。なので、整理や分類はせずに書きためておき、時折それらを見返して、少し動かしたりします。たとえば2020年の《Nib》(ペン先の意)というタイトルの作品は、こうした素材の集積から生まれました」

「自分の意思」の曖昧さ

──お話をうかがっていると、富田さんは常にどこか受動的な態度をとっている印象があります。我が強い芸術家のステレオタイプではないですね。こだわりや譲れないものはあるのでしょうか?

「僕自身としては、むしろ意地っ張りでしかないと思っています。僕たちは通常、様々な事情や条件の下で、意思決定を迫られることが多いのではないでしょうか。自分というものがすごく曖昧(あいまい)なのに、何に意地を張っているのかわからなくなる時があります」

「発生と選択、内と外、そういうことに自分は興味があって、その時々の状況を受け入れているのだと思います」

──つまり、主体性そのものへの懐疑から、時に成り行きに身を任せることで、新しい経験をする機会を得ているということですね。では、表現手段として油彩を選択しているのはなぜでしょう?

「油彩は、非常に表現の幅が広い優秀な画材です。筆圧のわずかな差異や非常に細かな筆先のタッチまで忠実に作品の上に反映できます。と同時に、コントロールも難しい。少なくとも自分にとっては、不向きな画材だと思っています。その扱いづらさが、自分のやりたいことに合致した瞬間が面白くて、今は油彩で描くことを続けています。効率が悪いですが、そういう泥くさいことをしたいのだと思います」

「ただ、これまでにも動機によって素材や手法は変えていて、今後も油彩以外の作品も発表していくと思います。だから日ごろから画材店にはよく足を運んでいます」

ピントとバランス

──不得手な画材での制作に挑戦するなど、あらゆる可能性を受け入れようという富田さんの態度が感じられます。制作活動を続けていく上で、どんなことを大切にしていますか?

「常に様々な対象との間にある、距離や隔たりを注視したいと思っています。自分の中のピントは放っておくとすぐにさび付いてしまうので、ふだんから外からの刺激を取り入れるよう心がけているつもりです。柔軟でありたいのですが、偏りはあります。時々すごく些末(さまつ)な点が気になってしまって、器用に立ち回れない自分がいます。だからこそ、作家としては、意識してバランスを取りたいと思っています」

──最後に、今後の予定を教えてください。

「2022年は年始からKAYOKOYUKI(東京・駒込)で個展を控えています。油彩以外の作品の発表も考えています。ほかに、時期は未定ですが、フランスでの制作も予定しています」

今後、富田の作品はどう変わるだろう。富田が会話の合間にふとつぶやいた言葉が、最後まで耳に残った。「絵って、じっとしていないじゃないですか」。2022年の成長と変化が、最も楽しみな作家の一人だ。

<共通質問>
好きな食べ物は?
「鍋物」

影響を受けた本は?
「上遠野浩平『ブギーポップは笑わない』。最近読んだ本は、劉慈欣(りゅう・じきん)の長編SF小説『三体』」

行ってみたい国は?
「ロシア。寒い地域に行ってみたいです」

好きな色は?
「その時々でこの質問への返答は変わると思いますが、いまの答えはボールペンの色」

座右の銘は?
「特になし」

 (聞き手・文:松崎未来)