ポンペイの犠牲者は、なぜ真夏に毛織物を着ていたのか──「死の文化」研究チームの最新調査が示す謎
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西暦79年8月25日に起きたとされるヴェスヴィオ山の噴火。スペインの研究チームによる最新調査で、ポンペイの犠牲者たちは、真夏には不釣り合いとも思える毛織物を身にまとっていた事実が浮かび上がった。

西暦79年8月25日に起きたヴェスヴィオ山の噴火について、犠牲者たちが夏場には不向きと考えられる毛織物を身に着けていたことが、スペインの研究チームによる最新調査で示された。アートネットが伝えている。
調査を行ったのは、スペイン・バレンシア大学で「死の文化」を研究する学際的調査グループ「ÁTROPOS」。同グループには、古代史、美術史、文化遺産、考古学、生物人類学、化学、ローマ法など、複数分野の専門家が参加している。
研究チームは、過去約250年にわたり1000体以上が発見されてきたポンペイの犠牲者の石膏型のうち、主要道路に面した巨大な門「ポルタ・ノーラ」周辺の屋内外で見つかった14体を対象に分析を行った。
ヴェスヴィオ山の噴火によって人々は火山灰と軽石に埋もれ、遺体そのものは腐敗・消失したが、その結果として人体の形状を写し取った空洞が残された。19世紀以降、これらの空洞に石膏を流し込むことで作られた石膏型は、当時の人々の状況や服装を知る重要な手がかりとなっている。
ÁTROPOSの研究チームは、石膏型の表面に残された布地の織り目を詳細に分析。その結果、調査対象となった14人の大半が、死亡時に毛織物のチュニックとマントを重ね着していたことが判明した。さらに、そのうち4人は、極めて厚手の毛編み製品を着用していたという。
噴火が従来の通説どおり8月25日に起きたとすれば、真夏に毛織物を着るのは不自然にも思える。この点について、研究を率いたバレンシア大学の考古学者リョレンス・アラポントは、12月3日に発表した声明で次のように説明している。
「調査した人々は、屋内外を問わず同じ衣服を着ていました。これは単に気温が通常より低かった可能性だけでなく、噴火によって生じた有害な環境から身を守る必要があったことを示唆しています」
実際、噴火時に発生した高温、火山ガス、飛散物から身を守るために厚着をしていたと考えることは十分に可能だ。また、アメリカ・インディアナ州のデポー大学に所属する歴史学者・考古学者のペダー・フォスは、Live Scienceの取材に対し、「羊毛は丈夫で、濡れても保温性があり、比較的安価だったため、当時の衣服の約90%は羊毛製だった」と指摘する。亜麻から作られるリネンは存在していたものの破れやすく、絹や綿は高価で、主に上流階級の衣服だったという。
一方で声明では、噴火が8月ではなく10月に起きたのではないかという別の仮説にも言及している。
その根拠として挙げられているのが、ポンペイ遺跡から発見された秋に収穫される果物や、家屋内に残されていた火の入った火鉢、そしてドリア(アンフォラに似た大型の土製容器)で発酵していたワインの存在だ。これらは、噴火が夏の終わり以降に起きた可能性を示す状況証拠とされている。ただし、この点については慎重な見方もある。
フォスは今回の研究について、「ポンペイの人々が死亡時にどのような服装をしていたのかを具体的に示した点で重要だ」と評価する一方で、噴火の時期を8月とする説、10月とする説のいずれかを決定づける証拠にはならないとの見解を示している。ÁTROPOSの研究チームは今後も、ヴェスヴィオ山噴火の実態を明らかにするため、さらなる調査を進めていく予定だ。

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「ヘレとフリクソスの家」の食堂。Photo: Facebook/Pompeii Archaeological Park

「ヘレとフリクソスの家」の食堂。Photo: Facebook/Pompeii Archaeological Park

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Photo: Facebook/Pompeii - Parco Archeologico

Photo: Facebook/Pompeii - Parco Archeologico
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