熊谷亜莉沙 Arisa Kumagai
熊谷亜莉沙は、不穏な雰囲気を漂わせる写実的な絵画作品をつくる。モチーフはジュエリーを身につけた素肌や、ベルサーチの服をまとった男性、つややかな豹(ヒョウ)のオブジェや献花など。絵の中でスポットライトを当てられ、真っ黒い背景から浮かび上がってくるようだ。モチーフは作家や家族の背景に関連している。家業は、大阪の遊郭街で営む高級ブランド専門のブティックだった。「華やかであることが世界の中心であること」とたたき込まれた一方で、バブル崩壊後の空虚さも体感しながら育った。装飾的な服はそうした消費社会が増幅させる人間の欲望を、献花は孤独死した父と母の関係を、豹のオブジェは夫への歪(いびつ)な憧れとその背後にある支配―従属関係を、暗示しているという。私的な主題と見えながら、彼女が関心を向けるのは、非合理的で矛盾に満ちた人間や世界のありようだ。富裕と貧困、生と死、愛と憎しみが、実は表裏一体であるという現実の一面をあぶり出す。
私の物語が誰かの物語になる──その可能性と暴力性に向き合いたい
真っ黒い背景に浮かび上がる、あるいは沈み込んでいくモチーフ──家族、生まれ育った土地の象徴的なもの、母が父に手向けた花や自身がプロポーズでもらった花など、熊谷亜莉沙の絵画作品に描かれるモチーフは、熊谷の人生の物語と大いに関係があるものだ。そこに矛盾する人間や社会といった普遍的なテーマを見出す熊谷の創作の根底にあるもの、そして近作について、話を聞いた。
非合理で矛盾に満ちた人間のありようを絵で表現する
──熊谷さんの作品制作は、ご自身のバックグラウンドが出発点になっています。まず、この点について具体的に教えていただけますか。
「私の実家は、大阪のとある遊郭街の一角で、祖父の代からイタリア系のハイファッションなどを取り扱うブティックを経営していました。その土地柄もあって、お店には、アンダーグラウンドな方や遊郭のやり手婆と呼ばれる方、その地で働く女性や男性、多種多様な人たちがよく訪れました。私の作品は、私小説的と評されますが、そういった場所で育ちながら意識するようになった、表裏一体になった愛や憎しみ、富や貧困などのかたち、自己顕示欲、非合理で矛盾に満ちた人間のありようを大きなテーマとして描いています。学生の頃から描いている『Leisure Class(レジャークラス)』シリーズは、家族やその土地柄を象徴するファッション(ギラギラとしたイタリア系ファッションやイミテーションジュエリー)などをモチーフにしたもの。この『Leisure Class』は、社会学者ソースティン・ヴェブレンが提唱した『有閑階級』についての言葉を借用していて、きわめて高価な商品を、社会的威厳を示すために消費する人々を指します。
また、こうしたテーマに向き合うなかで、転機になったのが、父の孤独死でした。父は精神的に不安定な人で、家で暴力を振るったり、自傷行為をしたり。私が小学生のときに父と母は離婚しましたが、その後も、複雑な関係にありました。ただ、父が亡くなったことで、その存在を客観的に見られるようになった気がします。母いわく、父は結婚する前からいろいろと問題のある人だったそうです。なぜそんな男性と結婚したのかと思いますよね? ただ、母からその話を聞いた時、『でも、どうしようもないくらい好きだったのなら、もう仕方ないね』という気持ちにもなれたんです。もちろん、母の中には、好きという言葉だけでは簡単に片付けられない複雑な感情があったはず。矛盾しているけれども、どうしようもないことってあるんだなというか、そういった人間や社会のありようを、もう少し俯瞰できるようになったというか。また、その矛盾したどうしようもないことは、人間の愚かさといったネガティブな意味だけでなく、愛おしさのようなものでもあるのだな、と思った出来事です。一方で、ただ『どうしようもない』で思考を停止させるのではなく、そこにある様々な問題とも向き合っていかなければならないとも思っています」
《Single bed》(2018)oil on panel ©︎ Arisa Kumagai / Courtesy of Gallery Koyanagi
──お父さまの孤独死は、2019年の《Single bed》という作品を描くきっかけになっていますね。細長いパネルの作品で、そこには人の姿はなく、お母さまがお父さまに手向けた花束だけが描かれています。
「《Single bed》は、ちょうどシングルベットサイズの絵です。父は死後、数カ月経って発見され、父だと明らかになるまでにさらに数カ月かかりました。だから父の死を知った時、姿かたちはなく、そのショックから、数週間、ベッドから起き上がれない状態になりました。そこで自分のシングルベットで寝ながら、いろんなことを考えたんです。『父もこういう感じでずっと寝ていたのかな?』とか。『ひとりで死ぬとはどういうことなのか?』とか。私の中で、《Single bed》は、この経験を作品にしないと前に進めないと思って描いた絵。また、この時、日本では高齢者だけでなく若者の孤独死がとても増えていることも知りました。自分のバックグラウンドだけでなく、社会というものを広く考えるきっかけにもなった作品です」
絵画性と物語性を
──黒い背景にモチーフが浮かび上がる、あるいは沈み込んでいくような表現が印象的です。こうした作風に至ったきっかけ、影響を受けたものがあれば教えてください。また、背景の黒は、実は黒い絵の具を使わず表現されているとも聞きました。
「私が作品づくりで大切にしているのは『物語性』と『絵画性』。それを追求して今のようなスタイルの絵を描いています。ひとつ影響を受けたものは、カラヴァッジョやベラスケスが描いた宗教絵画。聖書のワンシーンなどをモチーフに独自の解釈を加えた彼らの作品は、ものすごくドラマティック。特にカラヴァッジョの作品は、実物を見たとき、数時間、動けなくなってしまったほどです。その体験は、絵画をやりたい、絵画でやりたいという私の衝動の原点になっているものです。
《You or I》(2022)oil on panel / letterpress printing on paper 作品に添えられたテキスト:「大勢の神様の顔横並べ一つ選んであなたがいい」 ©︎ Arisa Kumagai / Courtesy of Gallery Koyanagi
背景については、黒の絵の具を使わずに描いています。私はグレーズという油彩の古典的な技法で制作をしていて、描いてはその上から薄い絵の具の層をかけることを何度も繰り返し、絵を生み出していく。層を重ねていくことで、背景の黒が生まれるわけです」
──構図も印象的です。昔、漫画家志望だったそうですが、漫画のコマ割りからの影響はありますか? 画面構成に関して意識されていることがあれば教えてください。
「画面構成は、正直、かなり感覚的です。ただその感覚には、たしかに漫画の影響もあるかもしれません。高校生くらいまで漫画を描いていました。漫画の特に好きなところはコマ割り。ものすごく自由で、トリミングの妙義みたいなものがたくさん溢れていると思います」
──モチーフへの光の当て方もドラマティックで、見る者の心を揺さぶります。
「光は、やはり『絵画性』や『物語性』につながる要素なので、実際にスタジオでモチーフに照明を当て、いろんな角度から写真に収めて、絵のための資料として使うこともあります。ひとつ、光に関して少し前に気づいたのは、私の作品には青っぽい光が多いこと。なぜ青を選んでしまうかと考えた時、思い出したのは、子どもの頃、父親が暴れだした時に避難した部屋でした。真っ暗な部屋だったのですが、ある日、そこで見た月明かりがすごくきれいで。その美しかった青白い月明かりが、私の美しさの原体験として絵に表れているのかなと思ったことはあります」
人生は続く。物語は広がる。
──ギャラリー小柳での「私はお前に生まれたかった」展(2022年)では、絵画作品にテキストを添えていました。「物語性」に関わることだと思いますが、意図したことを教えてください。
「絵画とセットにしたテキストは、詩です。絵だけでなく詩も好きで、昔から詩を書くこともしてきました。過去の個展でも、作品を展示した壁に私小説的なテキストを貼っていたのですが、それを見てくださった方の多くが、作品の感想と一緒に、それぞれのプライベートな体験を語ってくれました。当たり前のことですが、その時、全ての人が、それぞれ固有のバックグラウンドを持って生きていることを改めて実感させられたんです。また鑑賞者が私の私小説的な作品から自分自身を見出してくれたことがすごく嬉しかった。私の物語が誰かの物語になる、時に誰かの物語が私の物語になる──その可能性を広げる試みとして、『私はお前に生まれたかった』展では、私的なテキストではなく、普遍性のある詩を使ってみようと考えました。ある意味、自分の作品を通して鑑賞者が導いてくれた試みです」
《she》(2022)oil on panel / letterpress printing on paper ©︎ Arisa Kumagai / Courtesy of Gallery Koyanagi
──最近の作品からは、題材の発展性が感じられます。例えば、《Single bed》(2019年)はお父さまへの献花がモチーフになっていますが、「私はお前に生まれたかった」展で発表された同名の《Single bed》(2022年)では、ご自身がプロポーズのときにもらった花が描かれています。また、実家に飾られていた家族の歴史を象徴する豹のオブジェを描いた《Fragile Leopard》(2020年)ですが、2022年に制作された《You or I》では、そのオブジェを自身で破壊した痕跡を描いています。絵を描き続ける中で、熊谷さんの「私の物語」が先に進んでいるところも興味深いと思いました。
「それは、人生は続いていくものなんだということかもしれません。私自身、刹那的に生きていたところがありました。強い言葉を使うと、ある種、生や死を軽くみていたのかもしれません。しかし、年を重ね、制作を続けてきて、そのことに改めて気づきました。私の人生はこれからも続いていく。死ぬことはすごく大変なことなんだと」
──11月20日から、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で始まる『第1回 MIMOCA EYE/ミモカアイ』展に出展されます。どういった作品になりますか?
「今回の作品は、ある宗教施設の彫刻の一部をクローズアップして描いた絵と、また別の場所にあった献花の絵を2点1組にしたものです。『私はお前に生まれたかった』で発表した作品のなかに、ニューヨークのセント・パトリック大聖堂にある天使像の手をクローズアップして描いた絵があるのですが、その新しい展開と呼べる作品かもしれません。この聖堂には以前、行ったことがあるのですが、カトリックのさまざまな宗派──たとえば移民の人たちの宗派に対応できるように、ひとつの空間のなかに20近くの祭壇があります。それらの宗派ごとに異なる祭壇の前でそれぞれの人たちが同時に祈っている光景がすごく印象的でした。そこで考えた『祈り』をテーマにしています。
タイトルは《あなたは誰だと思う?》という問いかけの形にしています。『絵画に描かれているのは誰だと思う?』あるいは『あなたはあなたのことを誰だと思っている?』 『本当にあなたはあなたのことがわかっている?』といった自己同一性についての問いかけに対する鑑賞者たちの答えを、私に教えてほしいと思って付けました。先ほど言ったような、私の物語が誰かの物語になって、誰かの物語が私の物語になる──その可能性を探る意図もありますが、と同時に、それは暴力的なことだとも自覚しています」
──暴力的というと?
誰かに自分のことを開示してほしいと願うのは、暴力的ですよね? 過去に発表した実家の豹のオブジェを破壊して描いた《You or I》は、私の中にある暴力性、加害性と向き合うべきだと思って制作したものでした。たしかに自分の中には暴力性、加害性がある。と同時に、でも誰かに優しくしたい、誰かを愛したい、愛されたいという気持ちもある。そういった自分と向き合い、人間や社会の矛盾したありようをきちんと見つめていくこと。そうやって絵を書き続けていくことが、やはり私の創作の中心にあることなのだと思います」
<共通質問>
好きな食べ物は?
「スパイスカレー。もったりしたカレーではなく香辛料が効いたスパイスカレーを食べ、体が熱くなるのが好きです」
影響を受けた本は?
「いま頭に浮かんだものを3つ挙げれば、ひとつはシェイクスピアの『アセンズ(アテネ)のタイモン』(中央公論社)。物語の背景には階級や富をとりまく人間の問題があり、私の作品における関心とフィットするところがあります。最近、読んだものだとルシア・ベルリンの『掃除婦のための手引き書』(講談社)。この本に描かれている、炎のような人に私は惹かれます。漫画は鈴木志保の『船を建てる』(秋田書店)。コマ割りと詩的な物語が大好きです。登場人物はほぼ全員アシカなのですが、全ての物語が切なくも可愛らしく愛おしい。パレードは続くのです」
行ってみたい国は?
「バチカン市国」
好きな色は?
「フタロシアニンブルー。元々青が好きで、青の中でもちょっと毒性を感じるフタロシアニンブルーが好きです」
座右の銘は?
「私自身、信じている言葉というのは流動的で変わるのですが、今はジャン・コクトーの詩の一文『沈黙のうしろに僕を聴いてくれ』(ジャン・コクトー全集 第一巻 詩』堀口大學・佐藤朔(監修)(東京創元社)。私の作品に対する思想につながりを感じる言葉です」
活動を続けていく上で一番大事にしていることは?
「結果がどうであれ、その時々の恐ろしさと向き合うこと。生きていくことは恐ろしい。そもそも、私にとって作品を誰かに見せることも恐ろしいこと。その恐ろしさと向き合った結果、人とのつながりや愛のようなものが見出され、大事にできることがどんどん増えていくのだと思います。もちろん、何も生まれなかったり、悪い状況に陥ったりすることもありますが、まず、向き合うことが大事だと思っています」
(聞き手・文:松本雅延)