潘逸舟 Ishu Han

  • 30 ARTISTS U35
  • 2022
  • 《戻る場所》(2011)©Ishu Han, Courtesy of Museum of Contemporary Art Tokyo  Photo: Kenji Morita
  • 《海で考える人》(2016)©︎Ishu Han, Courtesy of ANOMALY
  • 《あなたと私の間にある重さー故郷の大きな食卓》(2018)©Ishu Han, Courtesy of ANOMALY
  • 《戻る場所》(2011)©Ishu Han, Courtesy of Museum of Contemporary Art Tokyo
    Photo: Kenji Morita
  • 《海で考える人》(2016)©︎Ishu Han, Courtesy of ANOMALY
  • 《あなたと私の間にある重さー故郷の大きな食卓》(2018)©Ishu Han, Courtesy of ANOMALY

9歳で中国・上海から青森に移り住んだ潘逸舟は、多くの作品で人間と居場所の関係について言及している。映像、インスタレーション、写真、絵画まで、様々なメディアを用いる。時には自らのパフォーマンスも交え、当事者と他者の間にあるものを探っている。作品のモチーフとしてたびたび登場する海景は、絶えず変化し続ける豊穣(ほうじょう)の象徴であると同時に、政治的な境界をも示唆する。「日産アートアワード2020」では、消波ブロックの形をした立体が海面を漂う映像を中心に構成したインスタレーションを発表。極めて詩的な作品だが、立体を覆うアルミニウム製の防寒シートは、社会的弱者が直面する苦境を痛切に訴えている。それまで彼がテーマとしてきた、移動によって変化する社会と個の問題を、パンデミックがもたらした社会的距離と孤立という課題の中で昇華させたとして、高く評価された。

潘 逸舟
Ishu Han

1987年中国・上海市生まれ、東京都在住。2012年東京藝術大学美術研究科先端芸術表現大学院修了。近年の展覧会に、21年「MOTアニュアル2021 海、リビングルーム、頭蓋骨」(東京都現代美術館)、20年「Thank you Memoryー醸造から創造へ」(弘前れんが倉庫美術館)などがある。20年日産アートアワードグランプリ、14年ACCグランティ、13年何香凝美術館「在地未来」新鋭賞。コレクションに、タグチ・アートコレクション、愛知県美術館など。
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ひとり風景を眺める時間が、私自身を表現することに導いてくれた

幼い頃に上海から日本の青森へ移り住んだ潘逸舟は、自身のアイデンティティに関する問いを基点に、人間と居場所の関係について、映像、インスタレーション、写真、絵画など様々なメディアを用いた表現を試みている。これまで世界中で作品発表を行ってきたが、特にこの数年は、日本国内の美術館などを中心に、多数の場所で次々と作品を発表している。活躍目覚ましい作家に、制作の背景について話を聞いた。

自分がどこにいるかを考え、ここではない場所を想像する

──潘さんが表現活動を行うようになった動機を教えてください。作品制作の原動力になっているものはなんでしょうか。

「私は中国で生まれて、9歳の冬に上海から青森に移り住みました。異なる環境の中での生活の経験が、私の表現活動の根底にあると思っています。上海から青森への移動は、幼少期の私にとっては大きな出来事だったので、当時のことは割と鮮明に記憶に残っているんです。飛行機の機内でもらったピーナッツを大切に持ち帰ったりしたこととか(笑)。

青森に来たとき、私はまだ日本語がわからなかったのですが、いきなり地元の小学校に入学しました。『ハンイシュともうします』という台詞だけ頭に入れて、教壇の上で転校生として挨拶したのを今も覚えています。下校すると、両親が帰宅するまでこたつに入って、言葉は理解できないんですけれどテレビをつけてひとりで過ごしていました。

もう少し成長してからの移住であれば、言語でコミュニケーションが取れないことを苦痛に感じたり、もどかしく思ったのかも知れません。でも当時の私は、自分の置かれた状況について、言語も生活環境も一変して不思議ではあったけれど、これが自然なことなのだと受け止めていたように思います。

いま振り返れば、青森という土地だったからこそ、自分は美術の分野に進んでいったのではないかとも思うんです。青森は、自分がどこにいるかについて考えさせてくれる場所であったように思います。もし東京などの都市部に移り住んでいたら、自分と似た境遇の人に出会ったり、そういうコミュニティに所属することで、自分のアイデンティティについて深く考えることもなかったのではないか、と。

ひとりでぼーっと風景を眺める時間が、私自身を表現することに導いてくれたのかなと思います。もちろん当時の私は、哲学的に思考する言葉を持ち合わせていた訳ではないですが、自分は何者なのかということを、ずっと考えていたように思います」

国際芸術祭「あいち2022」展示風景 潘 逸舟(ハン・イシュ)《埃から生まれた糸の盆踊り》2022 ©︎ 国際芸術祭「あいち」組織委員会 撮影:ToLoLo studio

国際芸術センター青森で出会った表現、自分の居場所

──いつ頃から、美術や表現するということに興味を持ち出したのでしょうか。

「父が趣味で絵を描いていたので、絵を描くということは小さい頃から比較的生活の身近なところにありました。高校で美術コースを履修して、さらに美術部に所属していたので、石膏デッサンをやって油彩を描いて、毎日午後は絵を描いている状態でした。そんな中で2001年に国際芸術センター青森(ACAC)が開館して、その場所に出会ったことも大きかったです。

読書も好きで、地元の図書館に入り浸って、『美術』の棚の本は技法書から美術史の本まで軒並み読みました。ですが、図書館にはフランシス・ベーコン(1909-92)やアンゼルム・キーファー(1945-)に関する本はあったものの、現代アートについてもっと知るには、バスに乗って青森のACACに行くしかなかった。私が住んでいた弘前からACACまではそこそこ距離がありましたが、休みの日はよく出かけました。

でも、そういう距離感が良かったんだと思います。そこに何があるかはわからないけれど、何かを知るため、何かに出会うために移動をする。そして、それにかかる時間やお金、あるいは身体的な負荷を、自分の持てるものの中でやりくりする。これって実は大事なことなんじゃないかなって、最近思うんです。

当時影響を受けたアーティストは、ACACで講演をされたパフォーマンス・アーティストのマリーナ・アブラモビッチ。あと当時の館長だった浜田剛爾さんからも大いに影響を受けましたし、ACACにいる大人たちとの交流がとても刺激になりましたね。空間実験室というオルタナティブスペースもあって、そこで自分も高校3年間の間に3回、パフォーマンスを発表しました」

──早熟な高校生ですね。潘さんはパフォーマンス、映像、インスタレーションと様々な表現手段を取られていますが、それは高校生の頃からだったのでしょうか?

「映像に関しては、私がパフォーミングアートに出会った時期に、父親が趣味でビデオカメラを買ったんです。早速それを借りて、三脚を立てて自分のパフォーマンスを撮影してみました。はじめは日記を書くような感覚に近かったと思います。カメラを持ってどこかに出かけ、自分の身体を記録する。それを繰り返しているうちに、次第に風景の中に存在している自分の身体について考えるようになりました。

インスタレーションと呼べるものとしては、トイレットペーパー1ロールの端を持ち、芯側を校舎の2階の窓から思いっきり投げたのが初めでしょうか。トイレットペーパーが自力で転がってどこまで行けるのかを見てみたかったんです。そうして行けるところまで行き着いたトイレットペーパーの芯を回収しに私が走る、という。後で先生にずいぶん叱られましたけれど(笑)。

表現するという行為には、誰かに見せるという前提があると思いますが、あの時の私は、誰が見てくれたか、どう見られるかは二の次だったというか。自分が美術と向き合っている時間が、私にとっては一つの居場所でした」

国際芸術祭「あいち2022」展示風景 潘 逸舟(ハン・イシュ)《埃から生まれた糸の盆踊り》2022 ©︎ 国際芸術祭「あいち」組織委員会 撮影:ToLoLo studio

自分が考えてきたものが、違う場所にも存在している

──今回あいち2022に出品されている最新作《埃から生まれた糸の盆踊り》の制作背景をうかがえますか。古い工場の中を小さな糸くずが浮遊する映像を中心にしたインスタレーションですね。

「今回、あいち2022で発表した新作では、事前のリサーチとして愛知県に関する本などを読んで、綿の伝来に興味を持ちました。日本で初めて綿が渡来した場所と言われている愛知県の西尾市に足を運び、綿を使って帯芯を製造している工場を見学しました。創業100年以上の工場で、初めて見るたくさんの機械が作動する中で、天井のあちこちに綿埃が積もっていました。それがすごくきれいだと思ったんです。雪のように見えましたし、皮膜のようだとも思いました。

これまでに私は雪を題材にした作品を何点か作ってきました。雪は冬の季節のあいだ風景を支配するものですが、春になればその支配はとかれます。そして、訪れた帯芯工場に少しずつ降り積もった綿埃たちは溶けない雪のように見え、何十年という時間の蓄積がそこに存在していることを感じました。そこで私は、帯芯になることなく工場内に降り積もった綿埃が、糸になって再びその場所で彷徨いながら生き続けていることを作品にしようと思ったのです。

工場の方々は最初『埃を作品にするんですか』と驚かれてましたけれど(笑)、工場の社長のお嬢さんを中心に撮影を手伝ってくださって、撮影のあいだ、いろんな昔の話をしてくださいました。綿埃の糸が空間で彷徨うフィクショナルな映像作品は、今の工場の姿や、その歴史と記憶のドキュメントだとも思っています。浮遊している糸くずを撮影するのが難しく、3ヶ月の間に工場に何度も通いながら、ひたすら修行のように撮り続けました。

今回の制作においては、この空間に蓄積された記憶や身体の存在を、ここに生きる人々とのコミュニケーションの中から、どのように映像という記録メディアを通して工場の中で表現できるのかを考えました。それは今まで私自身が取り組んできたテーマの1つでもあります。異なる場所で自分が経験してきたことがどのようにつながっているのか。そして、この場所と私がお互いにリフレクションし合うことで生まれてくる表現について、取り組んだ作品でもあるのかもしれません。」

──今回の作品を経て、潘さんの活動の幅がさらに広がりそうですね。今後の活躍に期待します。最後に、制作を続けていく上で大事にしていることを教えてください。

「初めて訪れる場所で、自分が何を考え想像したのか、そこにいる人々と何を会話したのか、ということは制作において、とても重要なことのように思います。また小さな気づきや自分の中の違和感がどこからやって来たのかを、絶えず考え続けることはとても大事なことだと思います」

<共通質問>
好きな食べ物は?
「食べ物? うーん……もう、美術、ですね(笑)」

影響を受けた本は?
「パール・バックの『大地』」

行ってみたい国は?
「特にここということはなく、できるだけたくさん、いろんなところに行ってみたいです」

好きな色は?
「色にならない色」

座右の銘は?
「特になし」

(聞き手・文:松崎未来)

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