ナイル・ケティング Nile Koetting
パフォーマンスやサウンド、映像など様々なメディアを通じ、パフォーマティブなシナリオと空間を生み出すアーティスト、ナイル・ケティング。彼の五感に共鳴する環境を生み出す作品の数々は観客と作品空間をへだてることなく、既存の枠組みにとらわれない新たな作品体験を生み出しつづけている。近年のプロジェクト「Remain Calm」では、空間に呼応するように展示が都度サイトスペシフィックに変容し、センター・ポンピドゥー上海×ウエストバンド美術館や、パレ・ド・トーキョー、シャルジャ・アート・ファウンデーション等にて招聘され、国際的に高い評価を得た。またタイランド・ビエンナーレ2021にて発表された最新のインスタレーション作品《Reset Moments》(2021)は、キャンセルされ続けるフライトを待つ空港ラウンジが作品のインスピレーションとなった。パフォーマンスを含め、変容をし続けるインスタレーションは他に類を見ないアンビエンスを作り出し、高い注目を集めている。
「作品の生命感の洪水の中に溺れ、ギリギリでレスキューされるというやりとり」
サウンド、パフォーマンス、映像など様々な媒体を駆使し、空間全体を1つの作品に創り上げるナイル・ケティング。2016年に銀座メゾンエルメスフォーラムで展示された《Sustainable Hours》ではAmazonからおすすめされる商品のみで作品を構成し、タイランド・ビエンナーレ2021で発表した《Reset Moments》は、空港のラウンジでキャンセルされ続けるフライトを眠りながら待つ人々を空間とパフォーマンスで表現した。そのユニークな創作の原点や、作品に込められた思いを伺った。
プロトコル(儀礼)からの揺らぎにアートの可能性がある
──アーティストの道へ進まれたきっかけは?
「小学生の時に行った横浜トリエンナーレが印象に残っています。どの作品が良かったというわけではなく、芸術という枠組みそのものが、学校で基準とされていた評価や価値が中心ではない自由なものに感じ、当時の私にはすごく安全な場所のように思えました。
その影響もあって都内の美術大学に進学しました。しかし、大学の枠組みでの評価や成績などのヒエラルキーが自分に合わなかったこともあり、面白く感じなかったのが正直な感想です。周りの勧めもあり、さらなるセーフゾーンを求めてフィンランドのアールト大学に留学しました。
アールト大学は自由にやって良いというスタンスだったので、評価を気にせず、様々なことを吸収しました。シベリウス音楽院でサウンドアートも学びました。計画的に一つひとつ身につけていこうという意思は無くて、自然と色々なものに出会って、今の表現につながっていったという感じです」
──ナイルさんのインスタレーションはパフォーマンスを組み合わせるの が特徴ですね。
「身体を主体として 表現するパフォーマンスにはリアリティが感じられないんです。私が考えるパフォーマンスは、存在する事でどのように空間や状況、価値観を変えていくかというもので、オブジェやスカルプチュアに近いものと捉えています。
クリエイターは、規範や、既存の考えからいかに逸脱するかが表現だと思われがちですが、私はプロトコル(儀礼)を大事にしています。例えば茶道を例に挙げますと、もてなす側と客 それぞれの立場のプロトコルがあってはじめて茶席が成立しますよね。
アクター(演者)はプロトコルを繰り返しているうちに、無意識のうちにプログラムから逸脱する部分や揺らぎが出てきます。そのような、形にならない所作のグレーゾーンや、感覚が研ぎ澄まされる部分にこそアートの可能性があると考えています」
アーティスト至上主義の幻想
──2019年よりパリのパレ・ド・トーキョーや、上海のポンピドゥーセンターウエストバンドミュージアムなど様々な場所にて発表を続けているシリーズ「Remain Calm」は、インスタレーションとパフォーマンスで災害とアートインスティチュートの関係性を表現していました。どのようなきっかけで制作されたのですか?
「パリのレジデンス滞在中に制作しました。度々氾濫するセーヌ河沿いにある美術館などを訪れる中で、幼少期に日本で体験した避難訓練を思い出し、災害に備えることと、ある意味での生命のプロトコルとの関係性を強く感じリサーチを始めました。
パリのセーヌ河沿いの美術館は、どのように作品を避難させ、保全するかそれぞれにマニュアルがあります。収蔵庫には作品の重要性が高い順に番号が振ってあって、浸水の高さと連動して順番に作品を避難させるんです。水位が最上位になると人命が最優先。人間と物体が生存競争するというエピソードが興味深くて、それを制作のベースにしました。
作品は20分おきに豪雨、地震、火災などの災害がシミュレートされ、フォグやライトで観客も作品の一部になっていく構造です。パフォーマーは絶え間ない避難訓練を通じ、演者の身体も作品として定義しつつ、同時に自身の身体を守らなくてはならないというパラドックスも表現しています」
──2016年に開催された「曖昧な関係」展(銀座メゾンエルメスフォーラム)の《Sustainable Hours》 は、Amazonのおすすめで表示された商品をひたすら購入したもので構成されたインスタレーション。発想がユニークでした。
「マルセル・デュシャン(1887-1968)の唱えた『レディメイド』に対して、今、作家が『選ぶ』という行為はオリジナルなものになるのだろうかという疑問がありました。SNSの流行に影響されたり、通販サイトに表示される関連商品を購入したりしていることは、選ぶ側の自律的なエージェントだけではなく、様々なファクターによってそれを選ぶことへと導かれているのではないかと思うのです。
その一方で、アーティストは人間の振る舞いが自律的であるべきという権威的な幻想を共同体として持ち続け、今ある状況とリアリティが乖離している状態においては、ピュアな感情の動きや未来を見出しにくいと感じています。
アーティストは、どのように次のリアリティを見つけるか常に考えなければなりません。鑑賞者とのダイアローグ(対話)のなかで絶え間なく作品の生命感の洪水の中に溺れ、ギリギリでレスキューされる役者だと思います。同時に息絶えてしまいそうな表現の延命方法を考えなければいけません」
──タイランド・ビエンナーレ2021で発表された《Reset Moments》は、タイの大学構内を空港のラウンジを思い起こさせる空間に仕立て、欠航が相次ぐ空港のラウンジで眠る人々をイメージした作品ですね。
「新型コロナウィルスが流行し始めた頃、スターバックスで流れているような軽いジャズを聴きながら家にこもっている時期があり、作られた居心地の良い空間と外の危機的な状況との間のずれを感じ取っていました。
ニュースでは、コロナの影響で多くのフライトがキャンセルされていると報道されていました。空港のベンチは人間が寝にくいデザインになっているのですが、人々はそれに順応しようと不自然な姿で寝ている。当時の自分の状況とも重なり、居心地の良さを、居心地の悪い空間に持ち込む という行為が儚く生命感にあふれたもののように見えました。
パフォーマンスは、現地の古典舞踊のダンサーの方達とともに作り上げました。展示空間には展示室の大気から1日40リットルもの飲料水を精製する装置を設置し、演者や観客、そして展示室に生けた花々が水分補給できる状況を作り出しました。タイでは、飲料水は買わなければなりません。資本的な価値のある物質であり、生命をつなぐものとしての水は大きな意味を持ちます」
「夢」を「正夢」にする作業の繰り返し
──作品の題材は社会的なものが多いように思いますが、意識しているのですか?
「社会情勢については深く考えますが、それらを意識し直接作品にすると、評価やイデオロギーといったバイナリーモデルの対象に置き換えてしまう事になります。私が考えているのは、そういった情報を心の中でアップロードして、その夜眠った時にどういう夢を見るのかという作業に似ています。あくまでひらめきから始まって、こういうビジョンや空間があって、動きや感情はこうでと考えていくうちに、結果として社会性や共同性が立ち上がってくるんです。
制作で大事にしているのは、適当であることと自由さ。このプロジェクトはこうあるべきと決めてしまうと、その中に入らないものは排除しなければなりません。ある日こんなことを夢見た。ではそのストーリーがどのような関わりを持つのかを模索する。そういったやりとりの中で作品が育っていくように感じます。作品が形になると、「ああ、これは正夢だった」という感覚です。達成感はありません。また次の無意識のものを形にしなきゃ、という繰り返しです」
──今後の予定を教えてください。
「金沢21世紀美術館で開催される「甲冑の解剖術 ―意匠とエンジニアリングの美学」 (5月3日~7月10日)で16世紀の日本の甲冑(かっちゅう)展示のセノグラフィーを発表します。今後は地方などの自然の中にあって、インティメイトな展示ができる場で何かプロジェクトができたら良いなと考えています」
〈共通質問〉
好きな食べ物は?
「毎日変わります」
影響を受けた本は?
「ミヒャエル・エンデの『モモ』。大人の心にも届く深さを持っています」
行ってみたい国は?
「トロピカルな国。だらだらしたり、気ままにお散歩したりしたいです」
好きな色は?
「パステルカラーです。何色でもない感じが良いですね」
座右の銘は?
「無いです。もしもあったら、今のような作品を作っていないのではないでしょうか」