皆藤齋 Itsuki Kaito

《PETS (Hierarchie and lesser panda)》(2021)《PETS (Hierarchie and lesser panda)》(2021)

皆藤齋が描くのは、鮮烈な色づかいの中に常に不穏な空気が漂う油彩画だ。作品には、顔のない男性裸像や、体幹から切り離された手足、拘束具や刃物といったモチーフが登場する。性的あるいは非道徳的なイメージは、インターネット上にあるアンダーグラウンドのコンテンツの影響が色濃く、他人からは理解されがたいアンチモラルかつ個人的な享楽と、それに伴うナルシシズムと悲しみが描かれている。しかし一方で、一見すると非生産的な行為そのものがヒトを人間たらしめていると作家は言う。また、博物館や美術館の謎めいた収蔵品や、各国の神話などからも着想を得ている。個人的な快楽に供する時間と、共存・生産のために社会の中で生きる人間の葛藤や、個々のアイデンティティの発展を、自作の神話になぞらえて絵画上で解釈し、広く国内外で作品発表を続けている。

皆藤齋 Itsuki Kaito

1993年北海道生まれ、東京都在住。2019年京都市立芸術大学大学院美術研究科修士課程絵画専攻修了。主な展示に、21年個展「現れるのに勝手はない」(LEESAYA)、アートフェア「Kiaf SEOUL」(Gallery MEME)、19年個展「たりない循獣」(銀座蔦屋書店)。2018-19年第1・2期クマ財団奨学生。コレクションに、和美術館、X美術館、東北芸術工科大学。 Photo: 中野泰輔
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「ナルシシズムを否定することなく、屈折した部分も含めて受け止めていこうというスタンス」

他人からは理解され難い価値観や評価を得られない行為も、本人にとってはアイデンティティを形成する不可欠なものとなり得る。皆藤齋は独特のメタファーを用い、社会に受容されない悲しみを包括した人間のナルシシズムを表現する。刃物や拘束具に、顔のない裸体の男性。これらの暴力的、背徳的なモチーフに加え、近作には縫いぐるみや顔のあるポットといったファンタジックなモチーフも登場する。拡張し続ける作品世界について、作家に話を聞いた。

デジタルメディアを通じて広がった世界と連想ゲーム

──皆藤さんはいつ頃から画家を志すようになったのでしょうか。

「幼い頃から絵を描くことが好きでした。会社勤めに対して抵抗感のある子どもで、早くから画家を夢見ていました。ただ私の生まれ育った札幌は美術に触れる機会も少なく、どちらかと言うとサブカルチャーに強い街だったので、10代の私が描いていたのは主に漫画絵でした。

現代アートに興味を持つようになったのは、私が高校生のときに登場したTumblr(メディアミックスブログ)からの情報に拠るところが大きいと思います。Tumblrを通じて、自分の意志にかかわらず、それまで自分が触れたことのない世界の画像や音楽が一気に流れ込んできました。エログロも含めた玉石混淆の情報です。

Tumblr上では、その中から気に入ったものをセレクトして自分の世界観を表現したり、無関係のもの同士をつなげて新しいストーリーを見せたりします。そこで行なっていた一種の連想ゲームは、現在の私の作品制作にもつながっているように思います」

──絵を描く手段として油彩を選択されているのはなぜでしょうか。

「私は9歳でインターネットに触れて、10歳の時には自分のウェブサイトを立ち上げました。お絵かき掲示板やpixivといったSNSを利用して早い時期からデジタルの描画を行なってきた反動か、大学ではデータではなく物としての存在感を持った作品を作りたい、という思いが強くなりました。

油彩はキャンバスの上にワンストローク引くだけでも、そこに絵の具の微妙な色味や厚みといった多くの情報が生まれます。解像度が無限にあるって、本当にすごいことではないでしょうか。ただ、絵を描きたいという想いは強くあったものの、自分が何を描きたいのか、何を表現すれば良いのかは大学3年生くらいまでよく分からなかったんです」

《Inside of armer》(2022)

──3年生の時に、何か転機があったのでしょうか。

「中学生くらいから、私はだんだんと人と話すことができなくなっていて、大学に入った頃には学校でほぼ誰とも話さなくなっていました。自ら近寄り難い雰囲気を作っていた部分もあったと思います。それが3年生の春休みのある日、これは今でも天啓としか言いようがないのですが──人間は恐るるに足りない、ということに突然気付いたんです。

その瞬間を境に、それまで抱えていたアイデンティティの問題や対人関係におけるジレンマを、自分の中で冷静にクリアに分析できるようになりました。春休みの間に私が急に友好的な性格に転じたので、当時の同級生たちは怖がってすらいました(笑)。制作のテーマとして、人間の自意識やアイデンティティの形成を扱うようになったのも、これ以降です」

他者から理解され得ない悲しみを受け容れる

──皆藤さんの制作のテーマについてもう少し詳しく教えてください。転機を迎えて、どのような作品を制作するようになったのでしょうか。

「東北芸術工科大学の卒業時に制作した作品はコラージュの形式を取り入れた油彩画でした。『PLAYBOY』誌に掲載されていた日本人モデルの写真を部分的に誇張し画面上に構成し直して描いたんです。

私はこの女性モデルの写真を見た時、メイクや演出に投影されている『西洋人が考えるアジア人の美』に違和感を覚えました。私たち日本人の美意識とは乖離していると思ったんです。実際、この写真はインターネット上で多くの日本人から酷評されていました。自分と他者の価値観の違いやずれ、それによって生じる不快感や疎外感。そうした点への関心は、この頃から現在まで一貫しています。

たとえば日本のプリクラは、機械で被写体の目を大きくしたり、足を長く見せたりします。こうした加工を誰もが本当に『かわいい』と思ってやっているかというと、そうではないと思います。過剰な演出によって歪められた自分の身体を、自虐的に面白がっている部分もあるように思うんです。

社会が生み出したある種の理想に向かって、本来の姿からかけ離れたものになっていく悲しさ。そしてその滑稽さ。逆に、世間からはまったく評価されず理解され得ない行為を、ただ自分のためだけに密かに遂行する美意識。私の作品はそれらのナルシシズムを否定することなく、屈折した部分も含めて受け止めていこうというスタンスを取ります」

──皆藤さんの作品の中にはSMプレイに使用される拘束具のようなものも見られます。いま説明いただいたナルシシズムのひとつの象徴かと思いますが、最近の作品に登場したファンシーなティーポットは、どのような意味を持ちますか?

「あのティーポットは、悲しみを入れるとけじめが出てくるティーポットです。他者から理解され得ない悲しみを受け容れ、それをけじめに置換する装置なんです。

壁のしみが人の顔に見えてきたり、夜空の星の並びに動物の姿を見いだしたり、といった個人的な解釈や私的な意味は、他者の理解や共感を得難いものです。しかしその認識には個人の深層心理が投影されていて、そこに反射された自分の存在を確かめる術にもなると思っています。

《Tragedy of K-Pot》 

私にとっては、作品制作が自分自身の存在を確かめる行為の一つです。私の作品もまた、周囲からは理解され難い独自のセオリーで構築されています。コラージュの手法を好んで用いるのは、物と物との組み合わせ次第で新しい意味や解釈が生まれることに関心があるからです。個々のパーツの意味を解説していくと、私の作品はかえって分かりづらくなるのかも知れません。

私はどちらかと言うと、シリーズごとに作品の手法や様式を変えていくというより、シリーズを追うごとにどんどん手持ちのカードを増やしていくタイプの作家です。人間の自意識やアイデンティティという大きなテーマの枠組みは変わっていませんが、扱うメタファーが増えてきたことで、以前よりも作品上で言及するディテールの幅は広がってきたと思います」

──皆藤さんが作品の中で扱われる個々のモチーフは、一般的には暴力的、あるいは不気味なイメージを持つものが多いですが、作品画面には奇妙な明るさがあります。既成概念を覆そうとするエネルギーがベースにあると言えば良いのでしょうか、ご自身が大きく変わることができたご経験も活きているように思います。

「私は基本的に全てを肯定し受容するスタンスを取っているので、制作の動機は常にポジティブです。自身や他者の様々な自己の形成について分析することで、人はどう変われるのか、ひいては社会をどう変えていけるのかを考え続けています。

様々な人が分析の対象ですが、1つ気をつけているのは、特定の個人の物語を作品に描かないこと。私が作品上に描きたいのは分析のプロセスです。私の作品の中にたびたび登場する男性像が後ろ向きで人種なども曖昧なのは、そのためです」

アーティストは自分たちの時代をつくっていかなければならない

──皆藤さんは近年海外での作品発表が続いています。海外での活動のきっかけは何だったのでしょうか。

「京都市立芸術大学の大学院に進学したものの、自分の制作の手応えと周囲の評価のギャップに、私はまた何を描いて良いか分からなくなってしまいました。その状況をどうにか打開しようと『エンド・オブ・サマー』という海外のアートプログラムの募集に応募したところ、選考を通過したんです。

まったく英語もできない中で、世代の違う作家さんたちと1ヶ月間アメリカのポートランドに滞在して制作を行いました。このときの体験が、私にはとても楽しく勉強になったんです。以来、英語を勉強して積極的に海外に出るようになりました。京都市の『東アジア文化都市』という国際交流プログラムで中国の長沙や韓国の大邱に行ったり、ニューヨーク在住の知人を訪ねたり」

《Scheme (Emotion gauges) 》

──最近はアジアでも活躍されていますね。どうやって海外のコマーシャルギャラリーにアプローチしているのですか。

「自分からプロモーションはしておらず、いずれも先方から声をかけていただいているんです。いま北京にいる中華圏のマネージャーとは、札幌のnaebonoというアートスタジオに中国人のアーティストが滞在していたとき、そこで開かれたパーティーに行ってたまたま知り合いました。彼と出会ってから、次々に仕事の話をいただくようになりました。

ただ活動の場が広がった途端のコロナ禍で、この2年近く私自身は海外の現場に赴くことができていません。韓国のギャラリーの方とは、まだ直接お会いしたことがないまま仕事をしています。展覧会や作品の販売の報告をもらっても実感がわかず、なんだか自分が作品製造機のような感覚です。これ以上この状況が続いたら頭がおかしくなりそうです。

今年は3つの展示を控えていますが、できれば現地に行きたいと思っています。5月14日から北京のHIVE CENTER FOR CONTEMPORARY ARTで個展が始まります(~7月3日まで)。後は8月にバンコク、秋にロンドンでも個展を予定しています」

──1年に個展を3回開催するとは精力的です。最後に皆藤さんが作家活動を続けていく上で大事にしていることを教えてください。

「友達をたくさんつくること。それに尽きると思います。アーティストは、自分たちで時代をつくっていかなければならない、と私は思っています。そうした時に一番大切なのは同世代のつながりです。アーティスト同士のつながりは、国や人種を越えてどんどん拡げることができます。お互いに支え合い高め合っていくことが、大切だと思います」

<共通質問>
好きな食べ物は?
「レバーパテ」

影響を受けた本は?
「ヤン・シュヴァンクマイエルの『不思議の国のアリス』です。中学1年生くらいのときに地元の書店で手に取って衝撃を受けました。小さい頃からカルト系の映画なども見ていたのですが、異質なものを切り貼りして構成された不気味な世界観に惹きつけられました」

行ってみたい国は?
「ジョージア。地理的に色んな文化の影響を受けている国だから。ファッションデザイナーを多く輩出しているのも興味深いです」

好きな色は?
「オレンジ。ほぼ全ての作品で、下地にオレンジを塗っているんです。3年くらい前でしょうか、下地にオレンジを塗ると、画面全体が不思議な明るさを持つことに気づきました」

座右の銘は?
「よく締切に追われている友人の造語なんですが『ピンスはチャンチ』。『ピンチはチャンス』をもじっていて、口で言うほどピンチな局面に立たされていない、ちょっとまだ余裕が見えているところが良いなって思っています」

(聞き手・文:松崎未来)