井田幸昌 Yukimasa Ida
井田幸昌は、すでに国際的に高い評価を集めている画家だ。サザビース香港が2021年に、台湾の歌手でアートコレクターのジェイ・チョウと共催したオークション「JAY CHOU x SOTHEBY'S」には、目玉の一つとして作品が出品された。最高予想価格を大きく超えて落札され、話題になった。一貫したテーマは「一期一会」。代表作は、家族や友人またバスキアやアンディ・ウォーホルら著名人をモチーフに描いた「Portrait」シリーズ、自身の心象風景や身近な無名の人々を出会ったその日に描く「End of today」シリーズなど。あくまで「中心は画家である自分」としつつも、近年は画家ならではの発想を生かして、ブロンズ像などの立体作品や版画も制作している。2021年は、ディオールとコラボレーションしたことや、前澤友作が国際宇宙ステーション(ISS)に井田の作品を持ち込んだことがニュースになり、様々なシーンから注目を集めた。
1990年鳥取県生まれ。横浜市在住。2019年東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。主な受賞歴に16年CAF賞(審査員特別賞)。主な展覧会に、21年「Here and Now」(Mariane Ibrahim Gallery)、20年「King of limbs」(Kaikai Kiki Gallery)、19年「Rhapsody」(Mayfair Salon)。作品集に『YUKIMASA IDA:Crystallization』(美術出版社)。
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「なりたいのは、『表現者』」
20代でまたたく間に国際的な人気画家となった井田幸昌。2022年も世界各地で開催される展覧会の準備のために休む暇もない日々を送っているが、最近、アートに対して自然体で接するようになってきたという。現在の活動や創作に対する思いなどについて聞いた。
画家になって、親愛なる人に会いたい。ニューヨークで迎えた転機。
──井田さんの個展のリリースに、お母様から子供の頃にかけられた「あなたがなろうと思えば、あなたは何にでもなれる」という言葉が紹介されていました。お父様は彫刻家の井田勝己さん。素敵なご家族を想像するのですが。
「父は制作で海外に行って不在が多く、母は唯一味方でいてくれたんです。あの言葉は中学時代、将来やりたいことは沢山あるのに自信もなく、しょんぼりしていたときにかけてもらいました。その後一念発起して、やりたかった仕事をするようになった今でも忘れられません」
──東京藝術大学へは一度就職を経験しながらも4回目の受験で合格。苦労の末の入学でした。途中で休学してニューヨークに行っていますね。
「大学を目指す中、父の友人で、僕がメンターと慕う彫刻家のロバート・シンドロフが亡くなったと知らせが入りました。ロバートは小さい頃からの僕をずっと知っていて、僕が藝大で絵を描き始めたと父が伝えたらとても喜んで『画家になったらニューヨークで会おう』と言ってくれていたんです。約束は叶うことはありませんでしたが、大学に進んで、しっかり勉強して一人前になって彼のお墓参りに行こうと思っていました。
やっと入った大学でした。すぐにニューヨークに行きたかったのですが、僕の中で一人前の画家になってからという前提がありましたから、資金を親に出してもらう訳にはいきません。ちゃんと自分の作品を売ったお金で渡航したいと考えていました。幸い、ある方に作品を買ってもらえて資金ができ、ニューヨークへ渡ります。それが、大学院に進んですぐの出来事でした。
《End of today -L’Atelier du peintre-》(2019)油彩、キャンバス、33.3×24,2cm
ニューヨーク滞在は3カ月でしたが、日本のアートシーンしか知らなかった僕にとってはカルチャーショックの連続でした。それまでは、画家というのは売れなくてあたりまえで、亡くなって評価されることもあるような世界と思っていましたが、米国では様々なアーティストがそれぞれ稼いで、その分制作も真剣に取り組んでいました。アートの市場が圧倒的に大きく、力強いと感じました。
それらのアーティストの中には、より良い条件で仕事をするために、自分の会社を設立している人もいました。当時の僕には会社経営なんてできるかどうかわかりませんでしたが、制作環境を少しでも健全なものにしたいという思いで、2017年にIDA Studioを設立しました」
ピカソのような「表現者」になりたい
── 現在スペインのピカソ生誕地ミュージアム(Museo Casa Natal Picasso)で個展「Yukimasa Ida visits Pablo Picasso」を開催中です(~10月2日)。美術館では初の個展となりますね。
「ピカソといえば誰もが知る世界的なアーティストですから、その名を冠した美術館から声をかけていただけたのは光栄だと思いました。と同時に、僕の美術館での個展デビューは日本でなくて良いのかなと複雑な気持ちにもなりました。これも一生に一度のチャンスですので受けることにしたのですが、作品の輸送や美術館とのコミュニケーション、スケジューリングなど、作品制作以外の作業が予想以上に多くてIDA Studioのメンバーがいなかったら実現できませんでした。あらためて会社があって、会社のメンバーがいてくれて、本当によかったと思いました。
作品は約45点展示したのですが、その多くはピカソをトリビュートした描き下ろしです。僕自身、ピカソには、作品というよりは生き方にすごく影響を受けています。彼は若くして人気画家になりましたが、常にチャレンジングでした。絵画の作風はめまぐるしく変化し、彫刻作品や陶芸、舞台演出など、ジャンルを問わず仕事をしていました。それらはピカソの実験の集積の結果だと思っています。僕自身、今は画家としてやっていますが、将来的になりたいのは『表現者』です。
《Untitled》(2020-22)油彩、キャンバス、33.3×24,2cm
スペインで、僕の作品は理解してもらえるだろうかと正直不安な部分もありました。しかし現地の人たちの反応はすごく良かったです。あのピカソに挑んだ、勇気のある日本人ということで興味を持ち、『よく頑張ったね』と温かい言葉をかけてくれました。本当に嬉しかったです。
現地の人たちの作品鑑賞のリテラシーが高いことにも驚きました。話をしても、ちゃんとアートの知識を身につけているのが分かります。Instagramに僕の作品の画像をあげてくれるのですが、僕の作品だけを撮った写真が多くて。ああ、ちゃんと作品を見てくれているんだなとありがたい気持ちになりました」
アートという戦場で、共闘するパートナーとの出会い
──これまで個人(IDA Studio)でやってこられた井田さんですが、2021年にマリアン・イブラヒム・ギャラリー(Mariane Ibrahim Gallery)とパートナーシップを組まれました。どういった心境の変化だったのですか?
「キャリアを積んでいく中で、自力だけで進めようと思うと難しい状況が増えてきて、そんな折にマリアン・イブラヒムにお声がけいただきました。マリアンと話をすると、情熱を持って仕事をしているのが伝わってきますし、信頼できると思いました。一番の魅力は人間性かな。頭は良いけれどチャーミング。そしてパワフルな人です。
僕にとって今回の契約は、より海外の文化を知るきっかけになっています。マリアンとは『共闘』するイメージです。アートって戦場なんですよ。どれだけ人を感動させるパフォーマンスをできたか、毎回シビアにジャッジされる戦場。厳しい世界で頼もしいパートナーを得られて良かったと思っています。彼女にとっても僕がそうなれるよう努力しなければなりません」
《Untitled statue》(2020-22)油彩、キャンバス、259×162cm
──海外にも拠点を作られるそうですね。
「英国か米国のどちらかに作る予定で、かなり具体的に進めようとしています。僕自身、世界を旅するのが好きですし、挑戦したいです。日本の拠点は残しつつ、海外での軸を作って、才能のある人たちとどんどん出会っていきたいと考えています。パンデミックがなければ2年前には既に海外スタジオをつくっている予定でしたが、今では逆に2年間力を貯める期間ができてプラスに働いたと前向きに捉えています」
── 今後の活動予定は?
「香港のVILLEPINでグループ展『THE LOSS OF HUMAN FACE?』を開催中です(11月まで)。フランシス・ベーコンやエイドリアン・ゲニーなどすごい作家と一緒に展示させてもらっているのですが、ギャラリーに所属していなかったら出来なかったことだと思っています。このほかにもドバイでグループ展に参加していますし(10月まで)、10月にはマリアン・イブラヒム・ギャラリーで個展、12月は都内でグループ展を予定しています。その後の活動予定や作品の構想もあります。乞うご期待ください」
── これからも忙しい日々が続きそうですね。
「先ほどアートの世界は戦場だと言いましたが、これまでずっと気を張って生きてきて、最近、何が自然体なのか忘れてしまっていることに気が付きました。つまらない人生だなあと思って。そこから変わってきています。好きな絵を見ると感動するようになったんですよ。今まではプレーヤーとして、どういう手法で作品の構造はどうなっているかなど、斜めから見ていました。作品を真っすぐ見てみると、作家が何を考えて描いているかが伝わってくるんです。『なるほどね、分かるわ、この気持ち』みたいに作家と会話しているようで楽しいです」
〈共通質問〉
好きな食べ物は?
「かた焼きそば。母の得意料理なのですが、今は妻に作ってもらっています」
影響を受けた本は?
「小川三夫(塩野米松聞き書き)の『不揃いの木を組む』(文春文庫)。宮大工の小川さんのエッセイです。それぞれ反りがある木材を組んでぴたっと合わせていくのが宮大工の仕事。人間も木と一緒で、違う人生や価値観の人間が上手く組み合わさったときにすごい力を発揮するのだとこの本から読み取りました」
行ってみたい国は?
「エジプトです。エジプト美術は3000年形を変えずに残り続けているんですよ。日本では2000年でこんなにも変化しているのに、ありえないですよね。それとアフリカ。僕好みの美しいものがいっぱいあるので」
好きな色は?
「嫌いだった色なら、黄色や赤。僕は嫌いな色をあえて使うチャレンジをして、そのうち好きな色になっていくんです。今は蛍光色。昔は邪道だと思っていたんですけどね」
座右の銘は?
「『ならぬ堪忍するが堪忍』です。どうしても我慢できないことをこらえるのが本当の忍耐という意味ですが、自分が忍耐した分、人には優しくしようと思っています。でも、最近普通に頑張っているから、もう少し自分にも優しくしてもいいかなと思っているところです(笑)」
(聞き手・文:編集部)