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19世紀の奴隷彫刻は何のために作られたのか。メトロポリタン美術館が問題提起する企画展

ごく最近まで、ジャン=バティスト・カルポーの大理石彫刻《Pourquoi Naitre Esclave!(なぜ奴隷として生まれたのか!)》(1868)は、ほぼ全てが失われたと考えられていた。縄で縛られた裸の黒人女性の胸像で、フランスの二度目の奴隷制廃止から約20年後に制作されている。奴隷となった人物を描いた19世紀の作品として、最も重要なものの一つだ。

メトロポリタン美術館(ニューヨーク)の企画展「Fictions of Emancipations: Carpeaux Recast(解放のフィクション:カルポーを問い直す)」展示風景(2022年) Photo Anna-Marie Kellen/Courtesy Metropolitan Museum of Art
メトロポリタン美術館(ニューヨーク)の企画展「Fictions of Emancipations: Carpeaux Recast(解放のフィクション:カルポーを問い直す)」展示風景(2022年) Photo Anna-Marie Kellen/Courtesy Metropolitan Museum of Art

2018年、この彫刻の一つが市場に出回り、最終的にパリのクリスティーズに渡った。クリスティーズはカルポーを「奴隷制反対を熱心に訴えた人物」と位置付け、この作品が 「見る者に奴隷制の現実を直視させる」と宣伝した。同作品は、あるアートディーラーが30万ドルを超える額で購入し、ニューヨークのメトロポリタン美術館に売却。2019年に同美術館の正式な所蔵作品となった。メトロポリタン美術館は、1997年に取得したテラコッタ版も所蔵している。

《Pourquoi Naitre Esclave!》についてのクリスティーズの説明は、150年以上前の制作時以来、多くの歴史家、美術館、批評家が唱えてきたのと同じ内容だ。しかし、この作品の制作の真相と、作品が生まれた背景は、実はもっと複雑だ。カルポーは制作当時、経済的に困窮していた。その後、1875年に48歳で亡くなるまで、アトリエで同じ彫刻を何体も制作している。カルポーにとっては、フランスで盛り上がっていた奴隷制反対の気運を利用して稼ぎを得る手段だったのだ。

この作品に見られるような緻密な心理描写と生命力あふれる肉体の巧みな表現で、カルポーは名声を得たと言えるかもしれない。しかし、作品のモデルが誰なのかは分かっていない。さらに、西洋で何世紀にもわたり人種差別の道具として使われた、民族学的な彫刻によく似ているという点も見逃せない。こうした彫刻は、植民地のさまざまな民族に対する白人の優位性を主張するのに用いられた。

大理石とテラコッタの《Pourquoi Naitre Esclave!》を中心に据えたのが、メトロポリタン美術館の企画展「Fictions of Emancipations: Carpeaux Recast(解放のフィクション:カルポーを問い直す)」だ。小規模ながらインパクトのある展示で、2023年3月5日まで開催される。この展覧会では、大西洋をまたいで行われた奴隷貿易、植民地主義、フランスと米国の奴隷廃止運動などを扱った19世紀の他の作品と照らし合わせながら、カルポーの作品を批判的に紹介している。

根底にあるテーマは、カルポーが生み出した匿名の黒人のイメージが何世紀にもわたってネガティブな影響を広げていったというもの。これを挑発的と受け止める人もいるはずだ。さらに、このような企画展をメトロポリタン美術館が開催すること自体、衝撃的だと感じる人も多いかもしれない。アートが構造的な人種差別を助長させるうえで果たしてきた役割について、同美術館がこれほど直接的に批判したことはほとんどなかったからだ。

ジャン=バティスト・カルポー《Pourquoi Naitre Esclave!(なぜ奴隷として生まれたのか!)》(1868/1873) Metropolitan Museum of Art
ジャン=バティスト・カルポー《Pourquoi Naitre Esclave!(なぜ奴隷として生まれたのか!)》(1868/1873) Metropolitan Museum of Art

企画を担当したのは、メトロポリタン美術館ヨーロッパ絵画・素描部門アシスタントキュレーターのエリス・ネルソンと、詩人でコロンビア大学ノンフィクション集中講座ディレクターであるウェンディ・S・ウォルターズ准教授。ネルソンは、次のように述べている。「多くのアート作品は、奴隷制反対のメッセージを掲げつつ、人種差別の意識を助長している。この矛盾は西洋美術に遍在しているもので、いまだに多くの混乱を生む問題だ。来場者が展覧会を見ることで、認識を新たにしてほしいと思っている」

この企画展は、ネルソンが2019年にメトロポリタン美術館に採用された直後に提案したもの。2020年2月、ニューヨークでコロナ禍が始まる少し前にゴーサインが出たが、同美術館はその後6カ月間にわたって休館することになった。そして2020年夏、ジョージ・フロイド事件をきっかけとした構造的人種差別に対する抗議が米国全体を揺るがすなか、コロンビア大学のウォルターズを展覧会の共同キュレーターに起用。ウォルターズは2019年に、美術館の公式サイト用にカルポー作品に関する執筆を依頼されていた。

この展覧会の先駆となる企画は過去にもあった。たとえば、メトロポリタン美術館はこれまで何度もテラコッタ版の《Pourquoi Naitre Esclave!》を展示してきただけではなく、2014年のカルポー回顧展では約150点の作品を展示し、カルポーを「フランスにおける第二帝政期の停滞感を表現した、並外れた才能と深い苦悩に満ちた彫刻家」として紹介している。ネルソンによれば、今回の展覧会ではこの見方を修正し、ウォルターズとともに「当時の展覧会では扱われなかった、この胸像が内包する帝国主義と植民地主義の問題に批判的に取り組む」という。

また、コロンビア大学のウォラック・アート・ギャラリーで2018年に開かれた画期的な展覧会、「Posing Modernity(近代のポーズをとる)」もある。この展覧会は、19世紀後半のフランス美術、特にエドゥアール・マネの絵画において黒人モデルが果たした役割を考察したものだ。ちなみに、担当キュレーターのデニース・マレルは、その後メトロポリタン美術館に採用されている。

一方、カルポーの彫刻のモデルはほとんど注目されたことがないが、今回、メトロポリタン美術館の企画展担当キュレーターたちは、その身元を確認する有力な手がかりを見つけたという。自由な身でバージニア州からフランスに渡った女性、ルイーズ・クーリングだった可能性があるというのだ。しかし、クーリングがカルポーの描いた人物であるという証拠は見つかっていない。「彼女がモデルに違いないと述べたり、そのような推定をしたりするなら、作品に関する憶測に加担することになってしまう。この展覧会の意図は、まさにそうした推測に反論することだ」とウォルターズは言う。

さらに複雑な背景として、《Pourquoi Naitre Esclave!》は「誰かの肖像ではない」とネルソンは説明する。

フレデリック=オーギュスト・バルトルディ《Allegory of Africa(アフリカの寓話)》(1863–64頃) National Gallery of Art, Washington, D.C.
フレデリック=オーギュスト・バルトルディ《Allegory of Africa(アフリカの寓話)》(1863–64頃) National Gallery of Art, Washington, D.C.

この作品はむしろ一種の寓話であり、全体(この場合は人種全体)を効果的に代弁する人物を表現したものだ。メトロポリタン美術館で開催中の企画展で指摘されているように、こうした彫刻の技法は当時広く用いられ、後に自由の女神像を手がけた彫刻家、フレデリック=オーギュスト・バルトルディなどは、黒人の男女の像を擬人化されたアフリカとして制作している。これらの作品には、当時の民族学者が黒人に特徴的なものとした顔や体型が見られる。その背景にあるのは、ヨーロッパ人とアフリカ系人種の違いを証明しようとした一種の偽科学だ。美術史家のジェームズ・スモールズが展覧会の図録に書いているように、こうした民族学的彫刻は「実際の身体に対する架空の代用品」なのだ。

カルポーの彫刻も同じように、寓話的な役割を担っている。胸をあらわにした奴隷の女性を通して奴隷制反対を訴えたこの作品に、「ブルジョワや第二帝政期の顧客は、さまざまな面で魅了された」とネルソンは言う。「奴隷制という題材が、縛られた女性の裸体を描く口実として使われた。展覧会のねらいは、この作品が奴隷制反対のメッセージを掲げていながら、平等を象徴するどころか、むしろ服従を表す作品になっているという皮肉な現実を指摘することだ」

さらに、カルポーがこの作品を制作する20年ほど前、1848年にフランスが二度目の奴隷制違法化を行ったことを考えると、当時の人にとって、この作品を所有することは「美徳のしるし」になっただろうと説明する。

カラ・ウォーカー《Negress(ネグレス)》(2017) Photo Jason Wyche/©Kara Walker/Courtesy Sikkema Jenkins & Co., New York
カラ・ウォーカー《Negress(ネグレス)》(2017) Photo Jason Wyche/©Kara Walker/Courtesy Sikkema Jenkins & Co., New York

ネルソンが言わんとしていることは、エドモニア・ルイスの作品と照らし合わせると、より明確になる。ルイスはアフリカ系アメリカ人とネイティブアメリカンの血を引くアーティストで、南北戦争の頃に名が知られるようになった。展覧会場の中央、カルポーの彫刻の近くに置かれた《Forever Free(永遠に自由)》(1867)は、ルイスがローマに暮らしていた時代に制作した彫刻で、左腕を上げながら立ち上がる黒人奴隷が描かれている。手首には切れた鎖が巻きつき、足元では若い女性が彼を見上げている。ウォルターズは、「カルポーとちょうど同じ時期に、奴隷解放に関して別の見方があったことに留意したいと考えた」と語る。

企画展の大部分は、100年以上前の過去のことのように見えるが、ウォルターズはカルポーの作品が現在にも影響力を持つことを強調する。「現代の見方としては、実在の人物か想像上の人物かは関係なく、黒人女性をリアルに、自然体で描いているという理由でこの作品を求める人たちもいます」。カルポー作品の複製は、ジャネット・ジャクソンが自宅に置いているのをアーキテクチュラル・ダイジェスト誌が撮影している。また、2020年にはビヨンセのアイビーパークの広告キャンペーンにも登場した。

こうした問題意識をさらに強調するため、カラ・ウォーカーとケヒンデ・ワイリーが過去数年間に制作した二点の現代アート作品も展示されている。ウォーカーの《Negress(ニグレス)》(2017)は、カルポー作品に直接対峙するものとして制作された。カルポーの胸像を石膏で再構成し、放置されたように展示室の隅の床に置かれている。《Negress》というタイトルは、長年、研究者たちがカルポーの作品をそう呼んできたことからきている。ウォルターズによれば、この作品は「表現は誰のものなのか、そして表現を提示する権限は誰にあるのか」という問いかけなのだ。

その問いへの一つの答えは、ウォルターズが2019年にメトロポリタン美術館に寄せて書いた詩「In the Gallery(展示室で)」から得られるかもしれない。カルポー作品の女性奴隷が自らのことを語る冒頭部分で、ウォルターズは次のように書いている。

「私の名前は、今のところ、私の体だ/肉は柔らかだったが、石になって多くを語っている/長い沈黙の中で私は道を見つける/敵に囲まれた人生の後に」(翻訳:清水玲奈)

※本記事は、米国版ARTnewsに2022年3月10日に掲載されました。元記事はこちら

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