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光とマウスで描き出された未来の風景──霧島でのYOSHIROTTENとの対話

鹿児島県霧島山の雄大な自然に囲まれた「鹿児島県霧島アートの森」で現在開催されているのが、アーティスト、YOSHIROTTEN(ヨシロットン)による初の美術館個展「FUTURE NATURE II In Kagoshima」(12/8まで)だ。霧島の光や樹木、石や地面をデータや画像として採取したものをベースに製作されたこの展覧会について、穏やかな光が満ちる展示空間で話を聞いた。

「FUTURE NATURE II In Kagoshima」の展示風景。Photo: Yasuyuki TAKAKI ©︎YAR

10月末、鹿児島県の霧島を訪れた。鹿児島空港に降り立ったらまずは腹ごしらえということで、みたらしの滝を眺めながら初めての「そうめん流し」に興じ、天照大神の孫で天孫降臨神話の主役である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を祀った霧島神宮に立ち寄り巨大な御神木を仰ぎ、神秘的な深い霧が立ち込める中、霧島山の火口湖付近を散策して豊かに湧き出る温泉水に手をひたした。ほんの数時間ではあるが、火山が生み出したこの地特有の雄大な自然に身を浸し、その濃密な空気をめいっぱい肌からも呼吸器からも体内に取り込んでから、今回の旅の最終目的地である鹿児島県霧島アートの森に向かった。

草間彌生のカラフルな野外彫刻《シャングリラの華》が訪問者を迎え入れるこの施設には、「アートの森」という名にふさわしく広大な敷地のそこここに野外彫刻が点在し(個人的に最も印象深かったのは、異世界へと誘うようなダニ・カラヴァンの《べレシート(はじめに)》だ)、アートと自然が互いに敬意を払いながら共存している。施設のメインといえる早川邦彦設計のアートホールは、森にふわり降り立った宇宙船といった趣(ありきたりな表現だが、まさにそんな雰囲気なのだ)。文化施設に時折覚える威圧感や権威性を極力排除した軽やかさをたたえたこの構造体で現在開催されているのが、ファッションや音楽、アートに関連するビジュアルや空間デザインを手掛ける鹿児島出身のアートディレクターで、近年はファインアーティストとしてもより精力的に活動するYOSHIROTTEN(ヨシロットン)による自身初の美術館個展「FUTURE NATURE Ⅱ In Kagoshima」だ。

「FUTURE NATURE Ⅱ In Kagoshima」はヨシロットンが2013年から東京、ベルリン、ロンドンでの個展を経て2018年に東京で発表した展示「FUTURE NATURE」の進化版であり、懐かしくも未だ見たことのない世界のプレゼンテーションだ。その制作にあたって彼は、想像の翼をときに宇宙空間にまで羽ばたかせながら、霧島各地で採取した光のデータや音、石や地面や樹々の表面を捉えた画像をアートワークに変換することでまだ見ぬ風景に思いを馳せた。

面白いのは、個々の作品はそれぞれ自律的な存在でありながらも、集合体として、建築空間そのもの、そして各作品から放たれる光や色とを共鳴させながら、独自のエコシステムを創出する装置として機能していることだ。だから、おそらくどれか一つでもこの環境から取り出されてしまったら、たちまち全ての均衡は崩れてしまう。そんな繊細なバランスの上に成り立つアンビエントそのものが、もしかしたら今回ヨシロットンが創出したかったものなのかもしれない。

ヨシロットンはキャリア初期からコンピュータグラフィックスを駆使して常に色の三原色「R.G.B.」と向き合ってきた、ある種「光に取り憑かれたアーティスト」だ。彼にとって光は絵具であり、マウスは筆。その時々の状況に呼応しながら永遠に移ろう穏やかな光に満ちた展示空間の中で、「言語化できないものに惹かれる」というアーティストと、この展示について対話した。

古代から人々に崇拝されてきた作品と同名の謎の巨石がモチーフの《メンヒル》。美術館のリアルタイム採光データに基づいて、その瞬間にしかない風景を映し出す。シラス(火山灰土)に埋まっている姿をイメージし、鹿児島で手に入れた2千年前の屋久杉や軽石と共に展示した。Photo: Yasuyuki TAKAKI ©︎YAR
霧島の「天孫降臨」神話に着想を得て制作された《KIRINOSHIMA》。霧島の伝記や資料から見つけた50年代の霧島連山の写真に、iPhoneで撮影した雲や地面から立ち上る噴煙の画像などを組み合わせた。Photo: Yasuyuki TAKAKI ©︎YAR.jpg
光の反射や屈折はヨシロットンが長年取り組んできたテーマの一つ。自身の好きな硫化鉱物の一種、パイライトにちなんで名付けられた《パイライト》(右)と、過去の「FUTURE NATURE」展から引き継いで展示された《読み込みの柱》(左)は、いずれも周辺の光や鑑賞者自身など、様々な存在を映しながら回り続ける。Photo: Yasuyuki TAKAKI ©︎YAR
立体作品《U.F.O. (Unearthed Found Objects) 》のトップに置かれたいけばなは、母親が選んだ造花をヨシロットンがいけたもの。Photo: Yasuyuki TAKAKI ©︎YAR

──「FUTURE NATURE」を直訳すると「未来の自然」となりますが、環境問題が深刻化するいま、「未来の自然」と聞いて希望を覚える人は私を含めて多くないように思います。だからこそ、今回の展示が自然破壊が進んだディストピアとは真逆の、希望に満ちたピースフルな瞑想空間のようなものであったことに、むしろ驚きを覚えました。

ぼくは鹿児島の豊かな自然に囲まれて育ちました。と同時に、人生の大半を過ごしてきた東京をはじめ、都市の光にも多くの刺激を受けました。「FUTURE NATURE」というタイトルは2018年の展示から引き継がれたものですが、発想の起点には、森などの大自然と人工物とが共存している世界の風景があります。自然の中に置かれた人工物は、世界をどんなふうに反射するのか。それを想像するとぼく自身、すごくワクワクするんです。

──ヨシロットンさんの制作という行為はどこから始まり、どんなふうに発展していくのでしょうか。今回は、鹿児島でのフィールドワークから集められた光やテクスチャー、音が素材になっていると聞きました。

この展示のための制作では、霧島で採取した自然の素材をコンピュータの画面上で色々とこねまわすところから始まりました。なんというか、それこそ蕎麦を打つような感覚です。コンピュータの前に座り、霧島で採取した光のデータや音、自然のスキャン画像や撮った写真をデスクトップに置いて、マウスを握った手を動かしながらこねていくんです。


霧島の各地を訪れ、ハンドスキャナーでスキャンしたで撮影した石や地面、樹皮などの画像を用いて制作された100点のイメージを組み合わせたトリプティックの映像作品《宙の窓 - 霧島百景 -》。Photo: Yasuyuki TAKAKI ©︎YAR.jpg

──実体のある蕎麦とは違って、画面上にある素材の「手触り」を感じることはできません。でもヨシロットンさんは、そうした素材を「触っている」感覚なのでしょうか。

20年以上、コンピュータで作品を作ってきた僕にとって、画面上の素材にも「手触り」があると思っています。実は僕はタッチペンなどの最新ツールは使っていなくて、20年前から同じ小さいバッファロー社製のマウスを使って制作を行っているんです。一号機はさすがに壊れてしまったのでオフィスの神棚に置いています。イラストレーターやフォトショップのエフェクトもほとんど使いませんし、AIも使いません。使うツールもソフトの機能も、本当にシンプルなものばかり。ある意味、すごくアナログです。

──意外です。ヨシロットンさんにとってマウスはもはや「筆」であり、画面上で起こっていることというのは、画家が巨大なキャンバスに向かうような、身体感覚を伴う「描く」という行為に近いんですね。

確かにそうかもしれません。床に置いたキャンバスに直接触れることなく、絵具を直接缶から滴らせるドリップ・ペイントを発明したジャクソン・ポロックや、書というジャンルを超えて水墨の抽象画という独自の表現を確立した篠田桃紅の精神に多くを学びました。彼らが古典的な画材を用いながらも全く新しい表現を目指して伝統の破壊を試みたように、僕はマウスを手で動かしながら、まだ見たことのない世界をどうすれば描き出せるのかを試行錯誤しているんだと思います。

絵づくりの作業は一人にならないとできないのですが、感覚だけの状態になれると、どんどん手が動いていって、あるタイミングで「あ、できた」と確信してイメージが完成します。自分でも不思議なのですが、その時は宇宙と繋がってるような、無重力のような感覚になるんです。一方、そうしてできたイメージを発展させてどういう作品や展示にするのかを考えるのは、より論理的に思考を凝らす作業になります。

──現在、多くのメディアアーティストが実践しているような生成AIを用いた「シミュレーションの世界」ではなく、あくまで生身の人間が制作プロセス全てに関与しているわけですね。

コロナ禍でスタジオを閉鎖せざるを得なくなったとき、「SUN」というプロジェクトを立ち上げました。毎日1枚、365日にわたって地球の中心にある内核を第二の太陽と捉え、異なる色を用いながらそのイメージを描いていったんです。それは僕なりの太陽に近づく行為だったのですが、今回発表した新作「TRANTHROW」シリーズでは、それをさらに発展させて太陽と一緒に作品を制作しようと考え、特殊なセンサーを使って霧島の各所で光を採取し、可視光線と赤外線、紫外線のデータをグラフ化しました。それらグラフをデータとしてではなくイメージとして捉えると、この部分は山みたい、これはオーロラっぽい、風にかたちがあったらこういう感じなんだろうな、というように自然を彷彿させるディテールが見えてくるんです。そうしたディテールを拡大したり融合させたりして、光の姿を描いていきました。最終的には、そうした光の姿を人工衛星の躯体にも使われるアルミハニカムにプリントしました。いずれにしても、そこにアルゴリズムの介在はなく、純粋に、僕の人間としての経験や感覚に基づく抽象画になったと思います。

太陽とのコラボレーション作品と作家が呼ぶ、「TRANTHROW」シリーズ。Photo: Kazuki Miyamae ©︎YAR

──自然科学が伝える自然の数理的構造や、実在する自然のありようを、その法則性からあえて離れてより感覚的に異なるイメージへと可視化しているということですね。

自然をただ「見る」という行為からだけでは知り得ない美しさや驚きを、より多くの人たちと共有したいという気持ちがあります。例えば息を飲むほど美しい空があったとします。どうすればそのオリジナルの美しさを損なうことなく、けれど全く異なる視覚言語に置き換えて限られたスペースの中で表現できるか。知っているようでまだ出会ったことのない自然の姿を見るために、僕自身、制作しているんだと思います。

たとえば会場の入り口に《シルバーの石》という立体作品を展示しているのですが、僕は昔から、石は地球の記憶装置だと思っていて、買ったり拾ったりしていろんな石を集めているんです。そうやって長い月をかけて数ある石の中から自分好みのものを取捨選択する行為を繰り返しているうちに、理想の石の形みたいなものが見えてきて、それを具現化したのがこの作品です。シルバーの石は、今回の他の展示作品の中にも登場しています。

重力から解放されたような佇まいで来館者を迎える《シルバーの石》。Photo: Kazuki Miyamae ©︎YAR

──現時点で、天然の石の中に「理想の石」は見つからなかった、と。

制作中、霧島で見つけた石をデスクに置いていましたが、あくまで参考です。光を受けてどう反射するか、他の作品が放つ光や色とどう相互に作用し合うか、ということが僕にとっては最も重要なので、コンピュータと3Dプリンタを用いてそれを計算しながら、この造形に行き着きました。

──独立したオブジェとしての完璧さよりも、周囲をどう照らすかの方が重要なんですね。

そうですね。会場の奥には《グリーンスキャナーとシルバーの岩》という作品も設置したのですが、彩光センサーを組み込んだ常時上下運動するグリーンスキャナーの光を、巨大なシルバーの岩はどう反射するのか。さらには天井から柔らかに注ぐオレンジの光や、隣にある「霧島百景」シリーズの作品の光をどう映すのか。そんなことを考えながら、岩のサイズや造形を決定していきました。

「FUTURE NATURE II In Kagoshima」の展示風景より、《グリーンスキャナーとシルバーの岩》。Photo: Kazuki Miyamae ©︎YAR
《グリーンスキャナーとシルバーの岩》(部分)Photo: Yasuyuki TAKAKI ©︎YAR

──今日、霧島アートの森にたどり着くまでに様々な自然に触れました。目に見たり体で感じたりする自然は、もう非の打ち所がないほど完璧で圧倒されました。と同時に、どんなに自然科学が発達しようとも自然は依然、謎だらけ。その謎に触れてみたいという執念はどこから生まれるのでしょう?

どうなんでしょう。でも、とにかく見てみたいという想いに突き動かされて今までやってきたんだと思います。みんな見たいと思っているのにまだ見えていない世界があるなら、ぼくが可視化してみようという純粋な想いです。それをAIにやってもらうことも可能かもしれませんし、試みたこともありますが、十分ではなかった。ぼくはやはり、あくまで人間の感覚を信じているんだと思います。

YOSHIROTTEN(ヨシロットン)は1983年、鹿児島県鹿屋市生まれ。ファインアートと商業美術の間を自由に行き来しながら制作を行う。主な個展に「FUTURE NATURE」(TOLOT heuristic SHINONOME 2018年)、「SUN」(国立競技場・大型車駐車場 2023年)、「Radial Graphics Bio / 拡張するグラフィック」(ギンザ・グラフィック・ギャラリー 2024年)ほか。

Text & Edit: Maya Nago

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