聴覚と視覚を操るブライアン・イーノ──アンビエントからジェネラティブ・ミュージックへ【サウンド・アート最前線】

2010年にサウンド・アーティストのスーザン・フィリップスがターナー賞を受賞し、その3年後には、ニューヨーク近代美術館(MoMA)でこのジャンルに特化した初の企画展が開催されるなど、近年、世界の主要美術館や芸術祭でも触れる機会が増えた「サウンド・アート」。この新連載では、サウンド・アートという用語が使われ始めた1980年ごろから現在までの作家たちを紹介しながら、このジャンルの進化の軌跡をたどっていく。第1回を飾るのは、昨年京都での展示も記憶に新しいブライアン・イーノ

2023年にヴェネチア・ビエンナーレ音楽部門で「生涯功績への金獅子賞」に輝いたブライアン・イーノ。Photo: Luca Carlino/NurPhoto via Getty Images

サウンド・アートというテーマを考えた際に、最初に思い浮かぶ名前の一つがブライアン・イーノだろう。彼が作る音楽の発想は、非常に美術(アート)的である。というよりむしろ、それは従来的な音楽という枠組みを逸脱するために生まれたものだと言える。 

「アンビエント・ミュージック」の創始者

ブライアン・イーノのもっとも著名な仕事のひとつは、「アンビエント・ミュージック」を創始・提唱したことだろう。アンビエント・ミュージックとは厳密には一体どんな音楽を指すのだろうか? その名の通り、「アンビエント=環境の」音楽といった、雰囲気が重視された明確なメロディやリズムを持たない音楽の総称として扱われるのが一般的であるが、実は、彼が定義し、そして実践するアンビエント・ミュージックは、もう少し深い意味合いが込められている。さらにそれは、彼が2022年に京都で行なった展覧会「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」で展示したような、サウンドとビジュアルが密接に関わる作品へと通じる思想でもある。 

イーノが提唱したアンビエント・ミュージックの定義は、彼が1978年に制作し、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港に設置されたサウンド・インスタレーション「Ambient 1: Music for Airports」を収録したCDのライナーノートにある。そこには「穏やかで落ち着いて思考できる空間を誘起する、興味を惹くが無視することもできる音楽」と書かれているが、これは、エリック・サティ(*1)が「家具の音楽」で提示した「家具のように日常生活を妨げず、意識的に聴かれることのない音楽」の思想を引き継ぐものでもあるだろう。


*1 19世紀末から20世紀初頭に活躍したフランスの作曲家。ジャン・コクトーパブロ・ピカソ等とも交流があった。

展覧会「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」公式インスタグラム

イーノはこの着想を、入院中の病室で遭遇したある聴体験から得たのだという。交通事故に遭い思うように体が動かせない状態にあった入院中のイーノに、友人がレコードプレーヤーと簡単なステレオ装置を持ってきた。友人がそれらをセットして音楽を再生してくれたのだが、友人が帰った後、それらのセットが不完全であったために、ほとんど耳に聴き取れない音量で再生されてしまっていたのだという。しかしながら、イーノは体が動かせないため、ステレオ装置のそばに行って適切な音量で聴けるようにすることができない。その時に再生されていたのはハープか何かによる中世の音楽だったようだが、はじめのうちは違和感を覚えていたその状況に、次第に、そのほとんど聞き取れない状態の音が、イーノ自身が置かれている状況の一部へと自然に溶け込んでいるように感じられた。「光の色と雨の音がその雰囲気の一部であるのと同じように、環境の雰囲気の一部として、私にとって音楽の新しい聞き方を示した」のである。 

その後イーノは「環境の雰囲気の一部」として音楽を成立させるアプローチを完成させる。それが先述の「Ambient 1: Music for Airports」だが、この作品は、その音楽構造にも特徴があった。あらかじめ用意された、ループ化されたテープが、それぞれ異なるタイミングで再生を繰り返すことによって、自ずと音楽構造を紡ぎ出していくという作曲手法で作られたのである。つまり、テープそれぞれは予め作曲されているが、それらが重なるタイミングは偶然のみぞ知り、いわば自動生成的に音楽が発生させられるのである。そしてそれらは、終始穏やかで、大きな起伏や展開を持たないばかりか、始まりや終わりも明確ではない。 

アンビエント・ミュージックは、しばし環境音楽とも訳されるが、1960~1970年代に起きた環境主義の影響から発生したサウンドスケープ(音の風景)的な発想、つまりこれまで音楽とは明確に区別されていた、「音楽が演奏及び再生される環境自体」をも音楽の一部として取り込む考え方など、音楽聴取の態度や捉え方自体が見直されつつある状況と同時期にあったこと、そして、スティーブ・ライヒ(*2)やテリー・ライリー(*3)らが実践していた、テープをループさせてミニマル・ミュージックを生み出す手法など、その時代の思想やテクノロジーというバックボーンがあってこそ生まれ出て来た産物だといえる。


*2 アメリカの現代音楽家。アフリカ音楽やガムランに影響を受ける。
*3 アメリカの現代音楽家。ラ・モンテ・ヤングとともにインド音楽に影響を受ける。

ライナーノーツにはもう一つ、重要な声明を表している。それは、ミューザック社(*4)が展開していたBGMとしての音楽とは相反するものであるということだ。公共空間などで流されている、いわゆるBGMは、その音楽を流すことで、その場所本来の雰囲気を覆い隠すために用いられる。例えば、スーパーマケットなどでアップテンポな曲を流して購買意欲を高めたり、工場での作業効率を高めるように。イーノはそれに対して、自身のアンビエント・ミュージックは、その場が持つ魅力や特性をより浮き立てたり、その場に身を置く人の思考を深める雰囲気を作り上げる音楽だと提唱している。確かに「Ambient 1: Music for Airports」を聴くと、その音楽が持つ独特の世界観を感じはするものの、音楽が流れている場所をその音楽世界で染め上げるのでもなく、さらに、特定の情感を想起させるものでもない。むしろ、自分自身の思考により集中させてくれるような効用を持っていると感じる。まさにこれこそが、イーノが本来考える「アンビエント・ミュージック」の特長的な姿であるといえる。 


*4 小売店やその他の公共施設で再生されるBGMを提供していたアメリカのブランド。

アンビエント・ミュージックからジェネラティブ・ミュージックへ

その後のイーノは、自身がジェネラティブ・ミュージックと呼ぶ音楽、つまりは先程の自動作曲的な手法を更に深めていく。2017年に発表された『REFLECTION』は一般的なCDやレコードという形態でリリースされた作品だが、その音楽をリアルタイムに生み出す同名のアプリもリリースされるという、ユニークな形態を持つ。また、音だけにとどまらず、画面をタッチすることで、その位置をもとに予め用意された音階で音楽が構成されていくような、視覚要素と音楽とが直接リンクするような作品「BLOOM」(2008)も制作している。このようなものは、今でこそアプリやゲームで簡単に実現されているが、イーノは、パーソナルなコンピューターがようやくサウンドとグラフィックを十分に扱えるようになった、いわゆる「マルチメディア」という言葉が流行った90年代あたりから既に試行していた。(なお、その立役者とも言える、かの「Microsoft Windows95」のOS起動音も、彼の仕事である。)

それらのアプローチや作品において、もっとも彼が偉大なのは、決して難解にならない明快さを備えていることだ。実に親しみやすくすんなりと受け手に届いてくるところこそが、彼の偉大なところであるのではないだろうか。少なくとも、それが、彼が世界中の人々に多大な影響力を持つ由縁の一つであるといえるだろう。 

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