「オルフィスム」とは何か。知られざる短命の前衛芸術運動の革新性と成果に迫る
20世紀初頭、それまで写実主義が常識とされていた美術界に、キュビスムやフォービスムが大きな革命をもたらした。その影に隠れ、これまであまり取り上げられることのなかった前衛芸術運動がオルフィスムだ。現在、ニューヨークのグッゲンハイム美術館で開かれているオルフィスム展をレビューし、その特徴と代表的作家を紹介する。
20世紀初頭に花開き、美術史に名を刻んだ数々の前衛芸術運動の中でも、オルフィスムはどこか異質な存在だ。少なくとも、イタリア未来派やヴォーティシズム(*1)、キュビスムなどに比べると研究対象になることが少なく、誤解されがちだと言えるだろう。現在グッゲンハイム美術館で大規模なオルフィスム展が開かれているが(2025年3月9日まで)、それもどこかしら焦点がぼやけている感は否めない。
*1 イタリア未来派の刺激を受け、1910年代のイギリスで興った芸術運動。渦巻派とも言われ、機械の美しさやダイナミズムを称賛した。
遠近法に縛られず、幾何学的な図像を万華鏡のように展開したキュビスムに触発され、具象を手離し、形と色で構成された「純粋絵画」を目指すようになった画家たちの仕事がオルフィスムと呼ばれた。だが、オルフィスムという言葉が古典的要素を思わせることが、この芸術運動の意味するところを分かりにくくしている。
オルフィスムとは、フランスの詩人で評論家のギヨーム・アポリネールが1912年に使い始めた言葉で、ギリシャ神話の預言者・音楽家のオルフェウスに由来する。アポリネールは、最も純粋な状態まで濾過(ろか)され、物語的な説明にとらわれない近代的で新しい絵画のモデルを、音楽に託して比喩的に示そうとしていたのだ。
オルフィスムの活動の大部分はパリで展開されたが、そこにはさまざまな出身地や国籍のアーティストが参加していた。そして、「純粋な」形態と色彩を追求したオルフィスムの画家たちの目指すところは、ドイツやイタリア、アメリカなどで発展していた他の非具象的な絵画運動と共鳴するものでもあった。
「オルフィスム」が包含する音楽的比喩と運動の不定形さ
現在グッゲンハイム美術館で開催中の「Harmony and Dissonance: Orphism in Paris, 1910-1930(調和と不協和音:パリのオルフィスム1910-1930)」は、世界各地のそうした芸術運動とオルフィスムの類似点や接点を取り上げ、文脈化することに力を注いでいる。さまざまな展示施設から貸与された作品で豪華な布陣となったこの展覧会は、オルフィスムの成果を明瞭に提示したと言えるだろう。ただ、その一方で、この運動の不定形さを浮き彫りにもしている。
展覧会に掲示された解説文にあるように、オルフィスムの中核的存在とされる画家たち(ロベール・ドローネーとソニア・ドローネー、フランシス・ピカビア、フランティセック・クプカ)は、アポリネールが生み出した呼称を、自分たちを表すものとして使うことはなく、ドローネー夫妻は自分たちのスタイルをシミュルタネイスム(*2)という言葉で表現していた。また、彼らがオルフィスムの名の下に宣言文や文書を発表したこともない。
*2 同時主義。時間と空間が相互に連関しながら絶え間なく変化していくさまを、同じ画面で同時に表現しようとした手法。
だが、たとえほんの短い間だったとしても、それぞれ異なる背景を持ち、その後まったく違う道を辿ったアーティストたちが、形式や光学的な効果を追求するために結束したことは間違いない。
グッゲンハイム美術館のオルフィスム展では、らせん状スロープの一段目にある展示スペースに、4人の中心的なアーティストたちの最も「オルフィスム的」な大型絵画が1点ずつ並べられ、相互に関連する彼らの仕事が明示されている。
ロベール・ドローネーによる《Simultaneous Contrasts: Sun and Moon(同時的コントラスト:太陽と月)》(1913)の光り輝く天体や、クプカの《Localization of Graphic Motifs(図版的モチーフの局在)》(1912-13)の中心から放出される波紋のように、具象の残滓が認められる作品もあるが、これらのイメージの主軸はリズムとテクスチャーにある。幻覚的な色彩の渦や形体の回旋は、経験された現実をもとに描いたというよりも、天から降りてきたインスピレーション、あるいは内的な幻視からくるもののように感じられる。
その近くに展示されているヴァシリー・カンディンスキーの《Improvisation 28(即興28)》(1912)は、当時、音楽が実験的な絵画に与えた影響を思い起こさせる。それと同時にこの絵は、カンディンスキーを中心に結成されたミュンヘンの芸術家サークル「青騎士」が、ロベール・ドローネーの作品を受け入れていたことを示している。
音楽における同時性は、直線的な連続の代わりに複数のパートからなるポリフォニー(*3)を生じさせるが、その効果はここに並ぶ多くの作品の中に見ることができる。美術史家のネル・アンドリューが展覧会図録に書いているように、音楽とダンスの不可分な結合は、オルフィスムの(図像と地の部分の区別がないといったような)絵画的な傾向に影響を与えている。
*3 複数のメロディを同時に演奏する形態の多声(複数のパートに分かれている)音楽。
近代化で生まれた大都市の生活を色鮮やかに描く
オルフィスムの画家たちが何よりも優先していたのは、知的なものというよりは、光学的な面での探求だった。たとえばドローネー夫妻は、ジョルジュ・スーラやポール・シニャックなどのポスト印象派による革新や、フランスの化学者ミシェル・ウジェーヌ・シュヴルールの色彩理論に大きな関心を寄せていた。
だが彼らがイメージを構築するために用いた「コントラスト」は、単に視覚的なものや色彩的なものにとどまらず、大都会での近代的生活を反映するものでもあった。オルフィスム的なイメージは、都市の風景や音がますます映画的で商業的なものとなり、機械化されていった時代を情緒的に捉えているのだ。
当時はまだ新しい技術だった電気にちなむタイトルがつけられたソニア・ドローネーの《Electric Prisms(電気のプリズム)》(1913)でも、オルフィスム絵画に見られるこうした都会的な傾向が強調されている。アポリネールや未来派の詩人たちも、同じ現象をテーマに文章を書いただけでなく、実験的なタイポグラフィを使ってそれを表現した。
ソニア・ドローネーは、アポリネールに影響を与えたとされる詩人、ブレーズ・サンドラール(当時パリに住んでいた)とコラボレーションを行い、イメージとテキストを融合させた《シベリア横断鉄道とフランスの小さなジャンヌのための散文詩》(*4)を制作している。グッゲンハイムの小ぶりな展示室に掛けられているこの縦長の作品(折りたたみ式のアーティストブックを展開したもの)では、図案化されたエッフェル塔を一番下に配置したソニアの輝くような水彩画が、サンドラールの詩の横に(溶け合うようにして)並んでいる。
*4 1905年に起きたロシア第一革命の時期にシベリア鉄道で大陸を横断する旅を題材とした作品。
エッフェル塔は、ロベール・ドローネーの絵画にも都市生活の象徴として繰り返し登場し、後に描かれた作品になるほどその物質性が希薄になっていく。しかし、どんなに抽象的な絵であっても、彼のイメージは頑なに具象の名残りを手離そうとしない。
グッゲンハイムの展覧会では、彼の作品と同時代の作家の作品との関連性が強調されている。たとえば、ドローネーの《Red Eiffel Tower(赤いエッフェル塔)》(1911-12)に描かれた大きな雲は、吹き抜けの向こうに展示されているフェルナン・レジェの絵の中の形とそっくりだ。レジェはドローネーと同じ時期に、この絵でパリの街並みを描いている。
また、マルク・シャガールの《Homage to Apollinaire(アポリネールへのオマージュ)》(1911-12)で人物を囲むようにして描かれている色鮮やかで巨大な時計のような形と、同時代にドローネーが描いた円形との間にも、韻を踏むような類似性があるのは明らかだ。さらに、シャガールが描いたエッフェル塔やパリの窓の絵にも、ロベール・ドローネーが同じモチーフを描いたシリーズと響き合うものがある。
作家たちの交流は可視化されたが、運動の輪郭は曖昧に
グッゲンハイム美術館の「Harmony and Dissonance」は、作家同士の私的なつながりや仕事上の協力関係に光を当てることで、見るものに学びを与えてくれる。たとえば、ポルトガルの画家エドゥアルド・ヴィアナとアマデオ・デ・ソウザ=カルドーゾがドローネー夫妻から影響を受け、夫妻も自分たちの絵の中でポルトガルの「地方色」を取り入れたことなどは非常に興味深い。
しかし、先に進むにつれ、こうした作家同士の関連付けには説得力に欠けるものも出てくる。それは、オルフィスムの意義と影響に関する、より大きな論点についても言えることだ。心に強く訴えかける作品群の中に、関連性に乏しい作品が混じることで印象が薄められている箇所もいくつかあった。
たとえば、マルセル・デュシャンの初期のキュビスム作品が展示されているのは、彼がピカビアの盟友だったこと考えれば納得がいく。しかし、ジャン・メッツァンジェやマースデン・ハートリー、デイヴィッド・ボンバーグ、ナタリア・ゴンチャロワの絵画や、アレクサンダー・アーキペンコの彫刻は、見る者を混乱させる。未来派のジャコモ・バッラとジーノ・セヴェリーニによる作品も同様だ。
ヴォーティシズム、レイヨニスム(*5)、キュビスム、未来派の絵画はどれも、オルフィスムの抽象絵画と何らかの共通点があると感じさせる。しかし多種多様な芸術運動の作品が並んでいることで、背景知識のない観客は、オルフィスムの正確な内容や、その輪郭と成果を把握できなくなりそうだ。
*5 光線主義:1912-14年のモスクワでゴンチャロワとミハイル・ラリオーノフが展開した前衛絵画様式。空間を様々な事物から発する反射光の交錯として捉えるもの。
アポリネールはアーキペンコの作品について、「何よりも純粋なフォルム」を追求し、単なる旋律ではなく「調和」を獲得したと評している。同じことは、この展覧会の全てのアーティストに言えるだろう。しかし、オルフィスムについて説明するために、いくつもの芸術様式を関連付けることで、かえってそれそのものの輪郭線が曖昧になってしまった。
そこには、オルフィスムという呼称が持つ柔軟性を反映させようという狙いがあったのかもしれない。しかしそのために、オルフィスムがこうしたスタイルの寄せ集めで、それゆえに独自性に乏しいと受け止められてしまう危険性が出てくる。
この展覧会がオルフィスムを1930年代まで拡大して捉えていることも、やはり焦点をぼやかしているように感じる。2つの世界大戦の間にドローネーとクプカが何点かの作品を描き直しているのを除けば、オルフィスムは1914年までに実質的に終了している。その革新性が他の実験的な作品に影響を与えていたとしても、運動自体は終わっていたのだ。
色彩を探求するシンクロミズムという様式を打ち出した2人のアメリカ人画家、スタントン・マクドナルド=ライトとモーガン・ラッセルが1913年から17年にかけて制作した絵画が紹介されているのは頷ける。また、アメリカの地方の情景や労働者などを描いた壁画で知られるトーマス・ハート・ベントンの《Bubbles(泡)》(1914-17)からは、彼のような画家でさえ、1910年代半ばには非具象絵画に惹かれていたことが分かる。
さらに、アイルランドの画家、メイニー・ジェレットが1938年に手がけた絵の目が覚めるような鮮やかなブルーは、キュビスムの画家アルベール・グレーズが1942年に描いた《Painting for Contemplation(思索のための絵画)》と確かに呼応している。しかし、純粋に形式的な共通点を通して10年以上も後の作品への影響を指摘したところで、ただでさえゆるやかで曖昧な運動の輪郭がさらにぼやけるだけだ。
それでも、印象的な作品を幅広く集めることで、第1次世界大戦前夜のパリで非具象絵画に取り組んでいた芸術家たちの交わりが鮮やかによみがえった。関連付けに無理があるように思えるところでさえ、個々の絵画は展示全体の生き生きとしたポリフォニーの中で、新たな光と色彩を獲得して輝いている。(翻訳:野澤朋代)
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