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ギザの大エジプト博物館をプレビュー! 最先端テクノロジーを駆使した文化財保存ラボの役割も

実に20年越しのプロジェクトとなった大エジプト博物館が、昨年10月ついに試験公開を開始した。本格オープンに向けて最終調整に入っている同館の特徴と、文脈を重視する展示の持つ意味を紹介する。

大エジプト博物館の巨大なアトリウム。Photo: Courtesy of the Grand Egyptian Museum

現在、試験公開中の大エジプト博物館(The Grand Egyptian Museum、以下GEM)は、昨年10月16日に12の主要展示室をプレオープンした。エジプト・ギザに建設された同館には、毎日約4000人の来館者が訪れ、本格的な開館に向けた最終調整が行われている。展示室は時代ごと、さらにテーマ別に分かれ、現時点では収蔵品から厳選された約1万5000点の品々が並ぶ。

エジプトの古代と現代を融合した斬新な博物館

2002年に建設計画が発表されたGEMは、エジプトの未来を象徴するものとして世界から注目されてきた。現在はエジプトのエルシーシ大統領が主導する「エジプト・ビジョン2030」プロジェクトの一部に位置づけられ、GEMや大ピラミッドのあるギザ台地では大規模な再開発が進められている。GEMの設計を担当したダブリンを拠点とする建築事務所、ヘネガン・ペン・アーキテクツには、世界の観光客を惹きつける古代エジプト文明の革新的な創造の歴史を尊重しつつ、現代のエジプトにもスポットライトを当てることが求められた。

この新旧のバランスは、博物館の入り口からすでに感じられる。来館者を出迎えるのは、エジプト第19王朝の伝説的な支配者であるラムセス2世の巨大な立像だ。3000年前、花崗岩を彫って作られたこの像は大きく割れた状態で見つかり、何度も失敗を重ねたのちに修復されてカイロのバブ・アル・ハディド広場(のちにラムセス広場に改名)に設置された。その後、大気汚染や車の往来による振動にさらされて保存状態が悪化していたが、慎重な修復を経て、他の保護対象の文化財とともにGEMに展示されることになった。

古代の彫像と対照的なのが、広々としてスタイリッシュなアトリウムだ。このモダンなアトリウムは、コミュニティスペースに多くのスペースを割き、ショップやカフェなどで来館者がゆっくり過ごせるよう配慮されている。ショップコーナーには、100年の歴史を持つ家族経営の織物会社カハル・ルームスや、女性で初めて市場のジュエリー街で修行をした宝飾デザイナー、アッザ・ファハミの店舗が並ぶ。こうしたローカルブランドはどれも、エジプトの歴史と現在、それぞれの良さを巧みに活かしている。

昨年12月にはエジプト政府とGEMの間で覚書が交わされ、地元の職人たちに必要なリソースと専門知識を提供するとともに、館内のギフトショップに作品を展示する場を設けることが定められた。アトリウムはまた、さまざまなイベントの会場としても使用され、これまでに第1回カイロ・フード・ウィーク、英国ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団によるエジプト初公演の歓迎イベント、中東地域を代表するテクノロジーとスタートアップのカンファレンス、ライズアップ・サミットなどが行われている。

大エジプト博物館の主要展示室の1つ。Photo: Courtesy of the Grand Egyptian Museum

エジプト学をエジプト人の手に取り戻す

GEMで最も注目すべき点は、古代エジプト文明を支えた「保存」「遺産」「記録」を踏襲していることだ。古代エジプトでは、生活を記録しようとする人間らしい欲求がとりわけ強かった。それは、イースターエッグの祖とされる古代エジプトのエッグアートを後世に残すためだったかもしれないし、自分たちの存在の痕跡を残したいという深い願望からくるものだったかもしれない。いずれにせよ、テクノロジーを駆使した最先端の文化財保存ラボを備えるGEMは、10万点を超える出土品を保護し、未来に確実に受け継ぐという責務を果たそうとしている。そのため、特に温度・湿度調整と紫外線対策が徹底されている。

さまざまな時代のファラオや神々の像が展示されている大階段。Photo: Courtesy of the Grand Egyptian Museum

さらに、エジプト学をエジプト人の手に取り戻すというコンセプトには、より深いメッセージが込められている。エジプト学はもともと遺跡の発掘調査から始まったが、その現代的な枠組みは、組織的な資金援助と研究者たちの関与によって形作られ、19世紀から20世紀にかけて西欧諸国で目覚ましい発展を遂げた。発端となったのは18世紀末のナポレオンによるエジプト遠征で、その後イギリスとドイツによる発掘調査と研究が行われたことで、西洋の視点によるエジプト学へのアプローチが次々と生まれた。その結果として、古代遺物が不正に取引されたり、文化的アイデンティティが西欧的な観点で捉えられたりといった問題も生じた。エジプトは今も、こうした問題の解決に努めている。

その中で2010年にGEMが開始した独自の保存活動は、瞬く間に地域最大規模へと成長。これは、自国の文化遺産保護への積極的な取り組みを促進させるとともに、GEMが敬意と責任と革新性を持ってエジプトの歴史をエジプトのやり方で共有していく姿勢を明確にするものだった。

こうしたビジョンは、紀元前70万年の先史時代から始まる展示室にもはっきり表れている。たとえば、埋葬された人物が生前所有していた石器からは、古代エジプト人の死生観を垣間見ることができる。また、ラムセス2世をはじめとする王族の像や、メルエンプタハ王の勝利の柱などの記念碑的彫刻は、古代エジプトの社会構造を明らかにするものだ。そこには、支配者とその功績を克明に記録した古代エジプト人の情熱と、自らの痕跡を確実に残そうとする支配者自身の願望が反映されている。

後世に残す記録の中心となったのが、エジプト美術だった。紀元前3500年頃、メソポタミア南部に絵文字が登場すると、エジプトでは象形文字が発達。パピルス、石、棺に象形文字が刻まれ、死後の世界への信仰や日常生活(漁業や農作物の収穫など)の様子が記録されるようになった。また、墓に置かれた像は、故人が重要な知識を保持するためのものとされる。そのデザインにも象徴的な意味が込められ、微笑む像は繁栄の時代を、厳しい表情の像は混乱の時代を表しているという。

GEMでは、多くの出土品が見学者に見える形で保管展示されている。スペースを最大限に活用しながら、より幅広い品々を展示できる利点のある方法だ。さらに独自のキュレーションは、出土品をそれぞれ独立した展示物としてではなく、エジプトの文化的ナラティブを形成する重要な要素として扱い、相互の関連性を明示することを重視している。

大エジプト博物館の正面外観。Photo: Zyad Sirry/Courtesy of the Grand Egyptian Museum

古代遺物は単なる美術品でなく歴史の文脈を示す遺産

GEMが従来の展示と一線を画すのは、古代の遺物を人間の営みと結びつけている点、そして、歴史、文化、社会に根ざした地域的視野を示している点だ。中でも、古代エジプト文明のさまざまな社会階層の生活に観客を引き込むストーリーテリングと文脈化に重点が置かれている。ニューヨークメトロポリタン美術館のような欧米の博物館で、古代遺物がその背景と切り離され、美術品として美的価値が強調されているのとは対照的だと言える。

同じ棺でも、その文脈を知って鑑賞するのと、エジプト国外の博物館で見るのとでは、理解が異なるだろう。近年、略奪文化財の本国返還が進んではいるものの、古代エジプトに関する一般的な知識は、依然として西洋の視点に基づく論説に影響されている。そして、こうした相違は、エジプト人のみならず他国の人々にも影響を与えてきた。自国の遺物が海外に持ち去られたり、エキゾチックなものという角度で見られたりすることで、エジプト人は遺産の真の姿に触れる機会を奪われてきたのだ。

大きな期待が集まるツタンカーメンの展示室はまだ公開されていないが、GEMは2011年のエジプト革命、コロナ禍、近隣地域における紛争・危機を乗り越え、完成に向けて歩みを続けている。昨年12月には学生や社会人を対象に、考古学、教育、ホスピタリティ、カスタマーサービスなどの分野におけるボランティアプログラムを開始。地域社会との結びつきをさらに強めている。

50万平方メートル近い敷地面積を誇るGEMは、エジプトの歴史への理解と展示方法に大きな変革をもたらそうとしている。そして完成が近づくにつれ、文化財を所蔵する施設にとどまらないその性格が明らかになってきた。GEMは世界的な文化拠点として、またエジプト学の研究センターとしての役割を担うだけでなく、エジプト人自身の言葉でエジプトの歴史を語り直すための舞台なのだ。(翻訳:清水玲奈)

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