アートと工芸は「山の登り方の違い」でしかない──秋元雄史が語る工芸シーンの現在地
近年、世界中で「工芸」への注目が高まっている。ロエベやシャネルといったラグジュアリーブランドが手仕事を重視し新たなアワードや施設をつくるとともに、既存の現代アートの文脈のなかで評価される工芸作家も少なくない。2012年に金沢21世紀美術館で「工芸未来派」展を企画し、現代アートと工芸のつながりを可視化したキュレーターの秋元雄史が、いま工芸シーンが盛り上がる理由を紐解いた。
「伝統」に縛られていない作家たちとの出会い
──秋元さんは、ベネッセアートサイト直島の企画・運営からキャリアをスタートされ、地中美術館の館長を務められるなど、現代美術の領域で多くの企画に携わられてきました。「工芸」について興味をもたれたきっかけは?
工芸的、あるいは日本的なものづくりに初めて興味をもったのは、直島にある古民家を改修して本来の姿に再生しながら、現代アートと一体化させる「家プロジェクト」に携わったときです。木工仕事や左官仕事、瓦の作り方や施工方法など、細かな仕事を職人さんたちにお願いしてやり取りを繰り返すうちに、日本の伝統的な技術に興味をもつようになりました。
本格的に工芸を意識するようになったのは、2007年に金沢21世紀美術館(以下、21美)の館長に就任してからです。21美ができた頃の金沢では、伝統工芸と現代アートが対立するものとしてとらえられることが多く、地元のマスコミを中心に街が二分されるようなイメージをもたれていました。私自身、最初は現代アートと相対する存在として工芸に出会ったこともあり、きちんと工芸について知る必要を感じたわけです。
──なるほど。金沢21世紀美術館の館長として、工芸をどう扱うか考えなければいけなかったわけですね。
金沢には工芸の力が強く根付いていて、文化的にも重要なので、21美とうまくつなげてほしいと当時の金沢市長から相談を受けていました。まったくのゼロからコラボレーションを生み出すことは難しいですが、調査を重ねていくうちに、工芸の世界でも若い世代が様々な表現を生みだしていることを知りました。こうした作品を集めていけば面白いことができるのではないかと考えたのです。
同時に、全国を調査するなかで、日本国内よりも海外で先に評価されていた作家の存在を知りました。例えば、現代アートの文脈で活躍している岐阜県多治見市の意匠研究所から輩出された作家たちや、漫画的な表現に有田焼の染付を通じて挑戦している葉山有樹などです。そういった作家たちを少しずつ調査していくうちに、伝統という言葉に縛られていない面白さをもつ作品があり、21美でも扱っていけるのではないかと考えるようになりました。
──そういった流れのなかで2012年に企画された「工芸未来派」展は一つの転換点のように思えます。この展示の反響はいかがでしたか。
第一回の「工芸未来派」展では、桑田卓郎や青木克世、葉山有樹をはじめとする11名の作家を取り上げています。この展示に参加してもらった作家には特に衝撃を受けましたね。これまでは直島で、ウォルター・デ・マリアやジェームズ・タレルといった現代アートの作家ばかりと仕事をしていましたから。
工芸に携わっている人たちにとっても、有意義な展示になったと思います。それまで作品を発表する場がなかった人たちにとっては、自分たちの作品を見てもらい作品が評価される機会をつくることができ、とても画期的な展覧会になりました。
アートと工芸にまたがる「日本的なものづくり」
──現代アートの作家と工芸家が作る作品には共通点、もしくは異なる点はあるのでしょうか?
金沢に拠点を移した頃、工芸家や工芸評論家と初めて話したときは作品の見方がまったく違ったので衝撃を覚えました。でも、次第にそれは「登山口」の違いでしかないと気づいたんです。あくまでも登っている山は同じものなのだ、と。
現代アートの作家は、作品をつくる前にどんな文脈を用いて、社会のどの部分を切り取るのか、コンセプトを決めてから制作を始めます。一方、工芸作家はどんな素材や技法を使うかを先に決めるものです。これだけ聞くと、工芸は技術を重視しているように思うかもしれません。でも、それは工芸界の語り口なだけであって、作家たちはそれぞれの世界観やテーマをもって制作しています。作品をつくったり見たりするときに何を重視するかは異なるかもしれませんが、いずれもやっていることは同じだと感じました。
──確かに工芸家もアーティストも、新たな表現に取り組もうとしていることに変わりはありませんよね。
もちろん、現代アートのなかでも力点の置き方はそれぞれ異なると思います。村上隆や杉本博司などは、使う素材や制作プロセスにも強いこだわりを見せています。なので、ある意味で職人的というか、表現が正しいかはわかりませんが、工芸的だと言えるのかもしれません。
一方で、コンセプトに重きを置いて、作品を落とし込む媒体にはこだわりをさほど示さないアーティストもいますし、技術を過度に追求しない人もきっといると思います。そういった人々から見ると、工芸家は別世界に住む人のように見えるのかもしれません。現代アートの作家たちも、使う技法や作品を世に出す方法など、こだわりの度合いやポイントが異なる人はもちろんいます。
ただ、日本の現代アートの作家の多くは、技術面やアウトプットする方法にもかなりこだわる人が多いはず。そういう意味では、工芸作家とそれほど変わらないのではないでしょうか。むしろ、それは日本的なものづくりの特性と解釈できるかもしれませんね。
──アートと工芸には明確な線引きがあるわけではなく、作家たちはそれぞれの領域を流動的に行き来しているように感じました。とはいえ、すべての工芸家をアーティストと呼ぶことはできないし、逆もまた同様のように思えてしまいます。
作家たちに「あなたは現代アートの作家ですか? それとも工芸家ですか?」「アートと工芸に境界線はあるのでしょうか」といった質問を投げかけても、「わからない」という答えがおそらく返ってくると思いますし、彼/彼女らもあまり意識していないでしょう。自分がやりたいことに取り組んでいるだけだと思います。
そうは言っても、歴史的な変遷が工芸にもあるので、現代アートを追ってきた人からしてみると、今の工芸作品が現代アートだと一概に言えないのも事実です。明治時代に西洋美術が輸入された際に、日本における芸術は絵画や彫刻などに分類されて、それらに当てはまらないはみ出ものが工芸として扱われるようになったという歴史があります。でも、こうした背景があるからこそ、芸術と工芸にまたがるハイブリッドな作品が現代に入ってから出てきているという解釈もできると思います。
今はまさに、工芸と現代アートが交差している時代だと感じていますし、両方ともそれぞれの世界を拡張させているのではないでしょうか。現代アートもアウトサイダー・アートやアール・ブリュットといった新たな流れを見つけながら世界を広げています。そういったなかで、改めて手業のような工芸的な手法も同時に見直されているのです。
文脈と美意識の多様化
──手業や工芸的な手法はアートのみならず、ファッションの領域でも見直されているようですね。
ファッションブランドとアートによるコラボレーションは、長いこと行われてきましたが、この10年くらいで工芸とコラボするブランドも増えてきました。その好例が、ロエベ財団が創設した「Loewe Craft Prize」です。アート化している世界中の工芸を取り上げているこのアワードは、工芸を一種のアート作品として捉えるだけでなく、ブランドのデザインに生かして取り込んだり、コラボ商品を発表したりしているので、世界における工芸作家の立ち位置も変わりつつあると言えるでしょう。
ほかにも、シャネルがパリの19区に新しいギャラリースペースと職人の工房、そしてレストランが一体化した施設「le 19M(ル・ディズヌフ・エム)」を2023年に建設しました。ここは、消えゆく職人技術をブランドの傘下に収めていき、職人工房を全部まとめていて、現代アートの作家や新しい表現をやってる工芸作家を招いて盛んに展覧会を開いています。そこで発表される作品はものすごくハイブリッドなものが多く、ファッションやアートであると解釈することもできるし、ファンクショナルな道具として捉えることもできます。ひとくちに「工芸」といっても、その扱われ方はかなり多様化していると言えるでしょうね。
──具体的にはどういった文脈があるのでしょうか?
例えば欧米では、ジェンダーや人種など多様な美意識が含まれているオブジェクトとして工芸は見られています。欧米は、その民族や地域にある特有の美をすごく重視していていますが、オリエンタリズムなのではないかと批判する人も存在します。一方で、工芸はもはやグローバルな課題で、民族といったものを超えて共有できる媒体だと主張する人もいますし、欧米の保守的な人たちは「考えすぎなのではないか」と主張する人も存在しています。
現代アート黎明期との共通点
──現代アートの世界に比べて工芸の世界では、エコシステムが形成されていない印象を受けました。つまり作家を支えるギャラリーがあり、コレクターがいて、アートフェアがあるというような明確な構造が見えづらい。工芸界に属している作家の活動形態は、どのようになっているのでしょうか。
現代アートは、市場としては完全に成熟しきってる状態です。マーケットとしても産業としての成熟度をさらに増していて、GAFAが支配する経済界のように、メガギャラリーは圧倒的な資金力でマーケットを押さえています。それによって、中規模のギャラリーが存続できなくなってしまう、というシステムがかなり明確化されているのです。
でも、現代アートも最初からこうした帝国主義的な形をとっていたわけではなく、1970〜1980年代、もしくは1990年代に市場が発展を遂げていきました。小さなギャラリーがアーティストたちと作品をいちから作っている時期もしばらくありました。今の工芸界も、ちょうどその時期にあると言えます。
なので、即座にマーケットに乗っていくような仕組みが加速度的に構築されているわけではありません。とはいえ、新興のギャラリーに所属している目端の利くギャラリストが向いてる方向は、30年くらい経つと今の現代アートと同じような状態になると思います。なので、コレクターには工芸品を買うなら今ですよ、と勧めています。10年くらい経てば、工芸作品の価値は10〜20倍に上がってしまうと思います。
──市場やエコシステムが成長していく過程をリアルタイムで見られるのは確かに面白いですね。現代美術のマーケットは完全にグローバル化されていて、統一されたルールの上で取り引きされる側面がある一方、工芸の話になると歴史や民族の観点が強まるなど、固有の文脈が強い意味をもつようになっていきますね。
工芸は混沌としていて面白い。リアルな社会や生活と結びついているので、どこからともなく生まれた新しい表現を知れる面白さがありますし。工芸に触れるようになった当初は、今日の文化として成熟せずに死滅するかもしれないと思っていましたが、今となっては同時多発的に様々な動きが世界中で起きているので新しさを感じます。
そのなかでも、人の手で作られたものをライフスタイルに組み込むことの面白さを届ける戦略として、ロエベが工芸を取り入れたことは非常に面白いですし、民族的な文脈が含まれるローカルな工芸をグローバルにする戦略には先見性を感じます。
──最後の質問になりますが、工芸というジャンル、あるいはそれを作る作家に対して期待していることがあれば教えてください。
日本の工芸がもっている世界観を文脈としてまとめて、一つの形にして外に出すことができればいいなと考えています。
海外に進出している作家はたくさんいますし、アーティスト・イン・レジデンスとして作品を制作する人もいます。例えば、桑田卓郎も、ロンドンのヘイワード・ギャラリーが開催したグループ展に2022年に出展していました。彼をはじめとする工芸作家は、一国の工芸家としてではなく、セラミックの新しい表現者として世界規模で評価されていて、そういうアーティストが少しずつ出始めています。
接頭辞に「日本の」とついてしまうと、他国の人たちは「私たちにはわからない美意識だけれども、何かエキゾチックで美しいもの」として捉えてしまいます。それでもいいのですが、それとは別個に交換可能な価値観として楽しんでもらえるように取り組んでいくことが、私のなかのテーマです。
秋元 雄史(あきもと ゆうじ)
東京藝術大学名誉教授、金沢21世紀美術館特任館長、国立台南芸術大学栄誉教授。東京藝術大学美術学部を卒業したのちに、1991年からベネッセアートサイト直島の企画・運営に携わる。「金沢・世界工芸トリエンナーレⅠ、Ⅱ、Ⅲ」(金沢、台湾)、「工芸未来派」(金沢、ニューヨーク)、「ジャポニズム2018『井上有一』展」(パリ、アルビ・フランス)といった展覧会を手がけるほか、2021年から「北陸工芸の祭典 GO FOR KOGEI」のディレクションを務める。著書には『工芸未来派』(六曜社)や『アート思考』(プレジデント社)など。
Photos: Shintaro Yoshimatsu Text: Naoya Raita Edit: Shunta Ishigami