「“こうあるべき”より美しさやかっこよさを大切にしたい」──井上雅子【KUTANIを未来に繋ぐ女性たち】

いま、九谷焼の中でも特に女性の若手作家の活躍が目覚ましい。そんな状況を代表する4人の作家たちに光を当てる、大丸松坂屋百貨店との連携企画「KUTANIを未来に繋ぐ女性たち」。ここでは、「広告系の印刷会社に勤務していた時、日々消費されていく自分の仕事に虚しさを感じたことが工芸への一歩目」と語る井上雅子の仕事を紹介していく。

──まずは、どんなふうに制作されているのか工程を教えてください。

私の場合は、まず、粘土に対するアイデア出しから始まります。そこから実際に成形していきます。プレート状にした粘土を積み上げていく手捻りが多いのですが、左右対称の整った壺型を目指していたけど、粘土の渇き具合によってそうならないことも多く、でも、面白いからこれでいいかというふうに形を作っていきます。そうして形ができたら素焼きし、施釉、本焼きを経て、図柄のアイデア出しをします。とはいえ、実は最終的な完成イメージはほとんどの場合ないんです。だから上絵付けの際には、デザインに厳密にやっていくというより、まずは自分が描きたいメインのモチーフがここにあったらかっこいいだろうな、というようにかなり感覚的に描いていきます。それを起点に、じゃあ隣にこの植物を置こう、この動物を加えようというふうに空間を埋めていきます。そして上絵窯焼成を最低3回は繰り返します。

粘土を手捻りで整形していく。「思い通りにならなくても、面白ければそれでよしとしています」

──その中で、井上さんが最も大切にされている工程はなんでしょうか? 

アイデア出しと上絵付けですね。とにかく絵が上手くなりたいのに、自分の頭の中に思い描いている像をそのまま手で出力することができないのがもどかしくて、2017年から毎日1枚スケッチすることを日課にしています。2018年からは同じスケッチブックに描いていて、昼食の休憩時にテレビを見ながら描くこともあれば、忙しいときは寝る前になることも。ときには、ただの落書きのようなクオリティになることもありますが、続けることが大切だと思っています。

──作品を拝見すると、これも九谷焼なのかと驚かされます。こうした独自性を確立される過程において、最も苦労されたこと、乗り越えなければならなかったことを教えてください。

皆をびっくりさせたいと思っているわけではないんですが、かっこいいものや美しいもの、自分が気持ちいいと感じるものを追求した結果できた私の作品は、確かに皆が想像する九谷焼にカテゴライズされにくいかもしれません。情報過多の社会に生きていると、知らず知らずのうちに、そうした「らしさ」に振り回されることってあると思いますが、私はなるべくそこから離れていたい。「らしくない」ことに対する反発や否定があったとしても、揺るがないように気をつけています。「らしさ」よりも「かっこいいでしょ?」というものを大切にしたいんです。

そもそも九谷焼は昔から、伊万里焼を学んだり京都の作家を招いたりと、外部からの影響に柔軟な産地でした。そうやって新しいものを取り入れながら、ずっと進化し続けているんです。だから技法も多岐にわたります。私もいつか、九谷焼の大河の一滴となれればと思ってやっています。

「(金とプラチナを除いて)使う色は黒と赤の2色まで。制限があった方が表現の幅が広がる気がします」
2017年から毎日欠かさず続けているというスケッチ。2018年からは、同じサイズのスケッチブックを使っている。

──新しい表現や革新性といったことは意識されますか?

派手なアピールのあるものばかりが革新ではないと思うんです。だから私は新しさにこだわるというより、伝統的な技法を体得した上で、それを従来とは異なる使い方をしてみたり、「こうあるべき」を鵜呑みにするのではなく自分に合う部分だけ採用して、そうじゃない部分は使わないというように選択するようにしています。そうするうちに自分なりの制約が生まれることもあり、例えば色を多用しないこともその一つです。九谷焼は五彩手で知られていますが、私がやると凡庸になってしまう気がして、私は黒と赤の2色までと決めています(金とプラチナは色にはカウントしません)。こうした縛りがある方が、限られた色数で自分が面白いと感じたモチーフをいかに表現するかという挑戦が生まれますし、そこから表現の幅が広がる気がしています。

例えば複雑な鱗を表現したいと思っても、今の自分の技術力だとその面白さを伝えることはできない。だから、自分が面白いと感じたものをいかに表現していくか、その方法を常に探しているし、試行錯誤している感じです。

棚にずらりと並ぶ動物の写真資料。とくに猛禽類に惹かれるという。「地球ドラマチック」や「ダーウィンが来た」などの番組もお気に入り。
工房2階の踊り場には友人から借り受けたという剥製が。「羽の複雑さを本物のように表現したくて」

──先ほど、 一連の工程の中でも特に絵を描くことが好きだとおっしゃっていました。画家を目指さなかったのはなぜでしょう?

生成AIが絵を描いてくれるような時代に、あえて自分の手で器物という立体に描いていくことの意味ってなんだろうと考えると、私はおそらく、自分の作品は人が生きている空間の中で使われるものとして存在していてほしいという思いが強いからだと思います。もちろん自分の作風はどんな生活にも馴染むものではないかもしれない。でも、例えば無印良品の無駄を削ぎ落としたシンプルなものと一緒に私の作品が置かれているような状況も悪くないと思うんです。

──生活空間の中で実際に触れることのできる作品であることと、ご自身の表現を追求することを両立させるために大切にしていることはありますか?

自分のつくるものに思想や感情を載せないということをいつも気にして制作しています。なぜなら、私は美術作品ではなく生活の道具を作っているから。自分の作品が、使う人にとって重たい存在になってほしくないんです。だから自分の主義主張というよりは、美しく見えるか、かっこいいかということを大切にしたいと考えています。

化粧土の一部を削り落として模様を描く技法「掻き落とし」を用いて、非常に細かい鳥の羽や動物のウロコなども描いていく。
井上の作品に登場する動物の目は、まるで本当に生きているかのようで惹きつけられる。

──九谷焼の世界では、多くの女性の作家が活躍されていますが、その状況が井上さんに何らかの影響を与えていますか?

私が工芸家として作品を制作することにおいて、自分の性別に煩わされることはありませんが、それは女流作家の先人達が切り開いてきた道があるからです。そのことを考えると本当に頭が下がりますし、胸が熱くなります。感謝と尊敬の念を抱かずにはいられません。過去から現在において、工芸だけでなく社会のあらゆる場所で、女性であることの恩恵であれ弊害であれ、何かしらの影響を受けた/受けている人はいると思います。それについて想うことは多々ありますが、工芸家の私に出来ることは、自分が作るもののクオリティを上げていくこと。それはほかの誰でもなく私だけに出来ることです。そうやってコツコツとやっていくことが、何かしら次へ繋がるならいいなぁと思って仕事をしています。

Photos: Kaori Nishida Text & Edit: Maya Nago

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