アーティストは芸術祭への参加から何を得るのか。「SENSE ISLAND/LAND」トークレポート
2024年10月26日から12月15日まで、横須賀市街地と夜の猿島を舞台に、ユニークな芸術祭「SENSE ISLAND/LAND|感覚の島と感覚の地 2024」が開催された。その関連イベントとして12月8日にARTnews JAPANとの共催で行われた「芸術祭の参加意義とは? アーティスト4人の公開インタビュー」の様子をレポートする。
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アートを通じた社会実験
横須賀市の無人島・猿島を「暗闇の美術島」に見立てて2019年から開催されていた「Sense Island」が、2023年のリサーチイヤーを経て2024年、「SENSE ISLAND/LAND|感覚の島と感覚の地 2024」として進化を遂げた(2024年10月26日から12月15日まで開催)。本芸術祭プロデューサーでパノラマティクス主宰の齋藤精一が「猿島を語る上で欠くことのできない横須賀という土地が地政学的に果たした役割や歴史についても十分に言及するためには、市街地にも染み出す必要があると考えました」と語る通り、19組の参加作家たちが横須賀や猿島の歴史や地政学を学ぶ過程で得た気づきやインスピレーションをもとに制作した作品は島だけでなく陸側にも展開され、アートを通じた社会実験としての側面がより強化されていた。
メディアパートナーを務めたARTnews JAPANは、猿島及び横須賀の市街地の真夏の事前視察から、暑さがようやく和らいだ10月のプレビュー、そして冬が本格化した会期後半の参加アーティストとの街歩きイベント「アーティストの眼から見る《横須賀》」と、終了後にARTnews JAPANとの共催という形で行われたアーティストトーク「芸術祭の参加意義とは? アーティスト4人の公開インタビュー」まで、3つの季節をまたいで幾度となく横須賀と猿島を訪れ、起伏に富むその地形を身体に刷り込んだ。そして毎回、老若男女、地元の人々で大いに賑わう若松町の居酒屋で食事をしてから、戦後のヤミ市から横須賀きっての歓楽街へと発展した「若松マーケット」で名物「横須賀ブラジャー(セクシスト的なネーミングはいかがなものかと思うが、ブランデーとジンジャエールを割ったカクテルで、アルコールの割合に応じてA、B、Cカップ…というようにオーダーする)」に酔うという、まさに「横須賀の王道的楽しみ方」に身を任せた。視察やイベントだけでなく、居酒屋やスナックで出会った街の人々は皆、話好きでウェルカミング。かつて「日本の玄関口」と呼ばれたこの港町の内外を繋ぐという役割は、いまも市民のソウルに息づいていると感じた。
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こうした横須賀訪問の中でもっとも強い印象を残したのは、市に点在する山あいの「谷戸」地域の一つに2018年10月に開設されたアーティスト村「HIRAKU」だ。市営温泉谷戸住宅跡地を改修したこのアーティスト・イン・レジデンスは、地域交流に積極的なアーティストを招聘し、アートを通じた地域交流を促す狙いでスタートした。それから約6年の間に、アーティストと地域コミュニティがともに作り上げた田浦和泉窯(穴窯)や畑(もとは染色用の藍畑の目的でつくられた)が追加され、建物の一部屋はギャラリーや教室に姿を変え、周囲に暮らす住民たちとアーティストがともに支え合う本物の交流の場として地域に根づいていったのだ。「SENSE ISLAND/LAND」キュレーターの青木彬も、アーティストのパートナーとともにここで3年暮らした経験があり、今回の参加作家19組のうち、土器作家の薬王寺太一、状態の記録や保存をテーマにインスタレーションやドローイング作品を制作する水戸部春菜、染色技術を用いて土着性や記憶の在り処を主題とした創作活動を行う山本愛子の3名は、HIRAKUに居住中あるいは居住経験がある。
さて、ここからは、「アーティストの眼から見る《横須賀》」のガイド役を務めた文化人類学者の中村寛、前述の薬王寺太一と水戸部春菜、そして、第1回「SENSE ISLAND」にも参加したアーティストで、現代社会における環境・状況のコンテクスト化をテーマにコミュニティ・エンゲージメントに焦点を当てたプロジェクトを多数展開する菊池宏子の4名を迎えて、若松町のハワイアン カフェ&バー「マハロハ」で開催された「芸術祭の参加意義とは? アーティスト4人の公開インタビュー」の様子をレポートする。
アーティストの社会的責任
──まずは皆さん、自己紹介と作品の説明をお願いします。
菊池宏子(以下、菊池):私は初回(2019年)の「SENSE ISLAND」にも作家として参加しました。限られた制作期間の中で、それまで全く知らなかった猿島のコンテクストになるような作品を制作してほしいという依頼でとても大変でしたが、結果的には、とても満足のいく作品が完成したと自負しています。その経緯があって、今回は島ではなく陸側のヴェルニー公園の逸見波止場衛門を舞台に、社会や街の文脈を編むような作品をつくりたいと考えました。リサーチの中で出会った海上自衛隊の手旗信号に着想を得て、デジタル時代で失われつつある人間らしい対話と相互理解の可能性を探求する糸電話の参加型作品《人の綾 / ヒトノアヤ》を制作しました。とはいえ、私が興味を掻き立てられたのは「手旗信号」そのものではなく、それを振る「人」であり、他者にどうにかして「伝えたい」という人間の本質的な行為です。それを起点に、横須賀を知っている人もそうでない人にも、少しでもこの街を新しい視点で見るきっかけを提供したいと考えました。
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──水戸部さんは、猿島、そして島と陸を結ぶ三笠ターミナルで作品を発表されました。とくに、島に暮らした、あるいは訪れた人々やその自然が刻んだ年代も様々な痕跡を一つのドローイング作品に見立て、蓄光塗料を用いて描いた《痕を起こす》は、とても印象的な作品でした。
水戸部春菜(以下、水戸部):2024年1月から3月にかけて開催されたHIRAKUのアーティストによるグループ展「特集:YOKOSUKA ART VALLEY HIRAKU 往古来今/見えない泉をさまよいさがす」に参加し、《重たい山》(2023年)と題した作品を発表しました。この作品は、自然豊かな横須賀・田浦をリサーチする中で覚えた違和感がベースになっているのですが、それは主に、戦中の鉄や銅などを用いた重工業のイメージに由来しています。
一方、「SENSE ISLAND/LAND」では、戦時下の要塞としての猿島に注目するのではなく、違う視点から捉えてみようと考えました。現在は猿島は文化財として守られていますが、日中、猿島を歩いていると、岩肌や弾薬庫の中まで、島の至るところに街で見かけるのと同じような落書きがあることに気づきます。加えて、猿島特有の、人間が書いた文字以外の痕跡、例えば戦時下での訓練の時に残ったと思われる弾痕だったり、木々の根っこの痕などが共存しているんです。人間と自然、そして武器の痕跡が混ざり合っている姿は、1人の人間だけでは作り上げることのできない絵画だと感じました。でも夜になると、それらの痕跡は不可視な存在になってしまう。それをどうにか可視化したいと考え、蓄光塗料を用いて、洞窟壁画を描くような気持ちで完成させました。
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──薬王寺さんは猿島で作品発表されました。土器というプリミティブなメディウムを扱っていらっしゃいますが、海に向かって設置された棚に大量の土器球が吊るされている様子は、どこか時空を超え、未来に向けた祈りのような印象を受けました。
薬王寺太一(以下、薬王寺):私はHIRAKUの第一期メンバーで、近隣コミュニティと一緒に作った穴窯で、HIRAKUのある田浦の土を用いた土器・陶器作品を制作しています。今回のインスタレーション作品《Active matter》は、以前、水戸部さんと同じ横須賀美術館でのグループ展でも発表したもので、750点もの土器球が用いられています。今回はそれを、猿島の日蓮洞窟の手前に位置し、東京湾が最もよく望める砲台跡で展開しました。
猿島からは縄文土器の破片や石器が発見されていて、8000年前から人々が暮らしていたと言われているんです。それらは誰がなんのために作ったのかということを考えながら、自分はどうなのかと自問してみると、一つには、やはりいつも制作を手伝ってくれるコミュニティの人たちが、「あのとき一緒に作ったものがこんな作品になったんだ」と楽しんでくれる姿に励まされるという、ごく私的な喜びが原動力になっているのかもしれません。自分の生活に関わっている人たちに何か還元したいというのが、最短距離で得られる喜びだと思うんです。
とくに私の場合、窯からすごい量の煙が出るので、法的に許可されていたとしても、周辺の住民の方の理解なしには作品を作り続けることができないんです。コミュニティの皆さんを巻き込んで一緒に作り上げていくことで、ようやく自分の作家活動が維持できる。
一方で、自分の作品は物理的な性質上、その人たちがいなくなった世界でもずっと残ってしまう。土器というのは、一度化学変化を起こすと半永久的に変わらない、それこそ1万年経っても変わらないもの。さらに、その素材となる粘土は、出来上がるまでには500万年という気の遠くなるほどの長い時間をかけて出来上がっていくんです。土器が粘土に戻ることもなければ、粘土がそれ以前の状態に還ることもない。その意味で、自分の作品にはそれほど長い時間残ってしまうという責任を感じることがあります。作品をつくる意味と責任については、これからも考えていきたいと思っています。
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──薬王寺さんと水戸部さんは横須賀にゆかりのある作家ですが、参加作家の大半はそうではありませんね。それでも、SENSE ISLAND/LANDのようなプロジェクトでは、個人的なアタッチメントの全くない横須賀や猿島の歴史や地政学的な特徴を学び、それを自分の視点に落とし込んで作品制作することが求められます。これは結構大変な作業だろうなと想像するのですが、中村さん、文化人類学の研究においては、主観と客観はどのような関係性にあるのでしょうか?
中村寛(以下、中村):文化人類学は哲学で言うと現象学に近くて、その土地や人々、文化の中に自分の主観を徹底的に入れられるかが重要なんです。内側に徹底的に入っていくことで、客観性を担保する。そのときに重要になるのが、抽象的な思考と極めて具体的な事実に降り立つという行為で、主観によって客観に達するということが起こるんです。そこがアートにも近いのかなと感じています。
──なるほど。自分とは直接的には関係のない地域のために作品を制作するという行為にも、取り入れられそうなアプローチですね。
中村:人類学はもともと、100人とか1000人とかの集落に実際に身を置き、その親族体系や信仰などを調べることで、例えば西洋で普遍的と考えられたきた「家族」の形態を反証していくような学問でした。しかし近現代になると人口の流動性が高まり、横須賀がまさにそうですが、国内外から転入・転出する人々がでてきて、マルチサイト化していくんです。地球を一つの社会と捉えるプラネタリー・ソサエティ(cf. アルベルト・メルッチ)と呼ばれる概念があるんですが、それに照らせば、ある社会についてのフィールドワークを、地球上の複数のスポットで行うことができるようになるんです。私はこの10年ほど、アメリカとメキシコの国境地帯をフィールドワークで回っているのですが、そこと全く関係がないように思われる横須賀や佐渡島、旭川などが突然紐づいて見えてくるということが起きる。ただ、一人の研究者の人生だけでは調査しきれないので、次に繋いでいく必要がある。だから、基本的に私のプロジェクトは二人以上で行います。前回の横須賀も、大阪を拠点にしているデザイナーの原田祐馬さんに同行してもらい、写真を撮ってもらいました。
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「コミュニティ」とのつながりが作品に与える影響
──アーティストの皆さんは、いろいろな芸術祭に参加される機会もあると思いますが、いかがですか?
菊池:私は自己表現というよりも、アートの持つ役割を作品制作という実践を通じて浮き彫りにしていくタイプのアーティストだと自認しています。加えて、もっと多くの人にアートの面白さを知ってもらい、身近なものだと感じてほしいという思いが制作の動機として常にあります。だから今回も、そういったことを想像しながら作品を制作していきました。
私はコミュニティ・エンゲージメントに関するプロジェクトを多数手がけてきましたが、コミュニティをリサーチするときはいつも、自分がアーティストだということからはじめずに、ただ一人の人間として地域に入っていくようにしています。その土地に関する文献などを調べるのも大好きですが、やっぱりそこに暮らす人々の話を聞いて初めて触れられる街の姿や歴史ってあると思いますし、私が最も興味があるのは人なんです。居酒屋で知らない人と話しかけたりしているうちに、「この人いろんなところに出没してるな」と、私の存在が伝わっていく。すると急にみんな興味を持ってくれるんです。そうやって仲良くなって、自分の仕事の話とかになると、職業や立場や背景は違っても、「アートはよくわからないけど、実は私たちの生活の話をしている」と共感してもらえたりする。出自は違っても、コミュニティの人たちと根源的な地域性を共有できる瞬間が、私にとってはすごく嬉しいし、それ自体がある意味私の作品なのかもしれないとも思います。
薬王寺:私は芸術祭への参加経験は多くありませんが、あまりその土地性のようなものを強く意識して制作することはないかもしれません。ただやはり今回でいうと、自分が拠点としている横須賀の芸術祭ですし、素材に横須賀・田浦の土を使い、三浦半島の間伐材を使って焼成し、先ほどもお話したように地域のみんなの協力を得て作品を制作しているので、コミュニティへの還元という点での意義は感じています。その意味でも、この機会に限ったことではありませんが、横須賀が近代日本の黎明期に果たした役割を考え、鉄鋼業という要素を、廃材のボルトなどを土器の文様に取り入れることで作品の残したり。あまりわざとらしくやるのは自分らしくないと思いますが、その地域の断片みたいなものは作品にも要素として盛り込みたいですし、その土地のものを使うということは、やはり自分にとってすごく重要だと思いますね。
水戸部:私も同感です。個人の制作と、芸術祭などその地域のための制作とでは進め方やアプローチは変わってきますが、場所や環境はとても大事な要素です。大学卒業後、静岡の掛川の奥地でのレジデンスに参加する機会があり、今にも崩れそうな空き家に3〜4カ月滞在して制作しました。その後も3年連続で参加することになるのですが、最初から地域の方々は私が作家であることは一切気にせず、「若い子がやって来た」という感じで。普通の生活者として皆さんと接しているうちに、本当に地域の一部になれた感覚を得ました。
何より嬉しかったのは、その後、掛川に遊びに行ったときに「おかえり」って言ってもらったこと。その場所や人々に本当の意味でコミットして作品を制作をすれば喜んでもらえるし、「おかえり」って言ってもらえるんだと感動しました。
そうした経験から感じたことは、人と人との本質的な関係を築くことができたならば、現代美術のようなよくわからないものに対する壁をも壊すことができるんだ、ということです。その壁のようなものが剥がれ落ちていく瞬間に立ち会えると、私自身、作家として本当にやってよかったと思いますし、励まされます。
──最後に中村さんは、地域とアートが交わることの意義についてどう思われますか?
中村:日本には今、本当に多数の芸術祭がありますが、地域性を活かした芸術祭にとって重要なのは、アーティストの皆さんがおっしゃっていた通り、そのコミュニティに根ざしたものであるかどうか。芸術祭と土着の仕組みをきちんと接合できるか否かにかかっているのではないでしょうか。私は、芸術文化のようなものはいろんな地域にそれぞれのバリエーションで入っていくといいなと思っているんです。だから、一つの成功例を異なる地域で複製して展開していくのではなく、各地域に合ったやり方であることが重要だと思います。
日本では、政治があり、経済があり、ちゃんと生活が成り立ってから、文化や芸術の議論になることがいまだに多いと感じますが、人類史的に言うと、全く逆なんです。文化が最初に人の集まりや連なりの中心にあって、それを制度化していったり効率化しようとなったときに、経済や政治という発想がでてくる。
なぜなら、文化というものは本来、生存と直結するものだからです。自分たちの生存確保だけを考えれば、今そこにあるものを工夫もせずに食べさえすればいいわけですが、種が次の何世代にもわたって続いていくためには、もう少しベターな生活が必要になってくる。より栄養価の高いおいしい食事や天候から身を守る美しい衣服、つまりは文化を生み出すことで、種の生存は実現されてきたんです。
そんなふうに考えると、生きていくということのエッセンスが文化や芸術といった表現には詰まっていることがわかります。優先事項の配置替えをすることで、もしかするとより豊かな社会をつくることができるのかもしれないと、私は思います。
Text & Edit: Maya Nago