アートはただの商品ではなく、社会を変える力──市場の弱体化を食い止める「責任ある購入」とは
ベビーブーマー世代からその子や孫世代への富の大移動が起きつつある。それがアート市場に与える負のインパクトとは何か、そしてコレクターはアート界のエコシステム維持にどんな貢献ができるのか。アートエコノミストで、自らもコレクターのマグナス・レッシュが考察する。

昨年12月のアート・バーゼル・マイアミ・ビーチは、いつもと変わらず富と創造性を称えるきらびやかな祝祭の場だった。会場ではあちこちでシャンパンが注がれ、裕福な人々が社交をし、数千万円の作品が売れたというニュースが話題に上る。しかし、華やかさの裏には、ある明白な事実が見え隠れしていた。それは、アート市場が不況の只中にあるということだが、市場関係者はそれを自覚していない。あるいは、認めようとしない。
アート界は脆弱なエコシステムで成り立っている
コレクターとして、イェール大学の教員として、そして著述家として長年アートの世界にどっぷりと浸かっている私は、この事実を示すデータを目の当たりにしてきた。2018年に共同執筆した論文がサイエンス誌に掲載されたが、そこに示された事実は驚きを持って受け止められた。50万人のアーティストによる作品の販売記録を数百万件調査した結果、アート界における経済的成功は、ごく少数のアーティストに限られていることが明らかになったからだ。
実のところ、ジェフ・クーンズやアンディ・ウォーホル、ダミアン・ハーストなど、わずか20人のアーティストの作品が、現代アートのオークション売上額の半分以上を占めている(アート界の商習慣は非常に不透明なため、プライベート・セールについての情報収集は不可能に近い。そのため、私のような研究者が最高価格帯、いわゆるハイエンド市場の動向を分析するには、オークション結果が最も明確な指標となる)。そして、残り半分の99.9%は、ほとんど金銭的リターンを得られていない。毎年アート・バーゼル・マイアミ・ビーチを訪れる約8万人のアートファンの中で、作品の購入に至るのは3パーセント以下であることを考えてみてほしい。その華やかさとは裏腹に、アート界のエコシステムは不安定なこと極まりないのだ。
これまで長い間、アート市場でトップレベルの作品を支えてきたのは、徐々に減少している一握りの買い手たちだった。そして、かつてない規模で起こりつつある世代間の富の移動が、問題をさらに深刻化させている。今後25年間で推定73兆ドル(約1京1300兆円)もの資産が、ベビーブーマー世代からX世代、ミレニアル世代、そしてZ世代へと承継されることになる。資産の一部は貴重なアートコレクションとして受け継がれるが、それらに対する思い入れや、価値を認めようとする姿勢のない相続人は少なくない。そのため、相続されたコレクションのおよそ半分が売却されている。
こうして大量の美術品が市場に流入することに加え、嗜好の変化もあり、トップクラス以外の作品はさらに苦戦を強いられるようになっている。たとえば最近、ルネ・マグリットの「光の帝国」シリーズの作品には約1億2120万ドル(オークション時の為替レートで約188億円)の値が付いたが、ほとんどのシュルレアリスム作品はその100分の1以下の値段でもなかなか売れない。
これに似た現象は過去にも例がある。1930年代には18世紀のフランス家具が何よりも珍重された一方で、ピカソの静物画はオークションで買い手が付かなかった。今ではそれが逆転し、ベビーブーマー世代が好んだ多くのアーティストの作品が、かつてのアンティーク家具と同じ運命を辿る可能性が高い。こうして後継世代の嗜好に合わない作品が溢れ、ますます市場が低調になる中、コレクターの減少という肝心な問題は放置されたままだ。
課題はコレクターの数にとどまらない。彼らの収集の傾向や動機についても考える必要がある。現在、有名アーティストの作品は世界中のアートフェアで引く手あまただが、中堅や若手アーティストの大多数はコレクターの関心を引くことができないでいる。しかし、金銭的なリターンを度外視したコレクターの支援を最も必要としているのは彼らなのだ。この中間層を支えなければ、市場全体が弱体化してしまうだろう。
アートコレクターが果たすべき責任とは?
そもそも、アートを買う理由とは何だろう? アートの収集は単なる投資ではないし、そうあるべきでもない。アートは、金銭的価値よりもずっと深い何かを与えてくれる。コレクターはアート作品を購入することで、創造性を支え、文化的レガシーを築き、志を同じくするパトロンのコミュニティに関わる機会を得る。私はこのような取引を慈善的行為と解釈し、「責任ある購入」と呼んでいる。作品を購入するとき、私は将来それがいくらで売れるだろうかとは考えない。むしろ、アーティストが創作活動を続けられるよう支援しているのだと考える。
作品が売れれば、文化の重要な担い手であるギャラリーやさまざまなアートコミュニティも存続していくことができる。それに、アート作品を収集することで社会に貢献できるだけでなく、確固たる見返りも手に入れられる。それは、心から愛せる作品であり、それに関して語り尽くせぬ話であり、個人を超えたより大きな物語とのつながりでもある。
今、最も尊敬できるコレクターの中にも、私と同じ考えの人たちがいる。たとえば、黒人の現代アーティストの支援に力を入れているスウィズ・ビーツ(音楽プロデューサー)とアリシア・キーズ(シンガーソングライター)は、コレクションをするだけではなく、これまで見過ごされてきた表現者たちのためのプラットフォームを構築している。
また、ドイツとオーストリアのアートを中心としたコレクションを持つロナルド・ローダー(エスティ・ローダー社創立者の息子)は、この地域の文化的遺産の保存に取り組みながら、ノイエ・ギャラリーを通じて若手の育成にも貢献している。さらに、刑事司法改革を呼びかけているフィランソロピストのアグネス・ガンドは、「正義のためのアート財団(Art for Justice Fund)」の設立資金を得るためにロイ・リキテンスタインの絵画を売却した。
こうしたコレクターたちは、単にモノを手に入れるだけでなく、自らの物語を生み出している。彼らは、アートをただの商品ではなく、社会を変える力だと考えているのだ。
本腰を入れてこのミッションに取り組める資力のある人々には、さらに大きなインパクトをもたらせる方法があるので、ぜひ検討してほしい。たとえば、アーティストに直接作品制作を依頼したり、レジデンシープログラムに資金を提供したりするほか、新しい収蔵品を購入できるよう美術館を援助することも考えられる。また、新進アーティストを売り出している若手のギャラリーを応援することもできるだろう。
幅広い人々や団体とのつながりからコレクターが得られるものは、作品だけではない。急速に変化するこの世界において、アートが人々の心に訴えかける魅力と活力を維持するのを手助けすることができる。最も重要なことは、情熱と信念を持って購入することだろう。作品を買うことによって、それを制作したアーティストだけでなく、アートコミュニティ全体を支えられると考えるのだ。
最初はささやかだった私自身のコレクションは、今では80点以上にまで拡大した。私はその1点1点を、こうした考えに基づいて収集している。初めて購入した作品を壁に掛けたときのことは、それがもたらした喜びと、それがきっかけで始まった対話の記憶とともに今でも鮮明に覚えている。こうした感覚は何物にも代えがたい。最新の著作『How to Collect Art(アートを収集する方法)』は、ほかの人たちにも同じような体験をしてもらいたいと考えて書いている。
コレクションという行為の核心にあるのは、アート作品やアーティスト、そしてより広い文化への思いとのつながりだ。ピカソであろうと、若い新進アーティストの版画であろうと、手に入れる作品すべてに物語がある。それは過去と現在、コレクターとクリエイターとの間の対話なのだ。私たちコレクターは、その対話を継続させていく責任がある。それは金銭目的の投資ではなく、人間性への投資だからだ。それこそがアートの真の価値だし、お金をかけるのに値するものだ。(翻訳:野澤朋代)
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