経営難のソーホーハウスに買収提案。550億円超のアートコレクションはDICと同じ運命を辿るのか?
昨年12月、クリエイターが集う会員制クラブ「ソーホーハウス(Soho House)」に買収提案が持ちかけられた。創設から約30年、2021年にはニューヨーク証券取引所に上場し、トップアーティストの作品を含む一大コレクションを擁する同クラブだが、経営的には厳しい状況にあると見られている。同クラブの成り立ちと現状をまとめた。
ソーホーハウスがアート・バーゼル・マイアミ・ビーチの期間中に話題になるのは、マイアミビーチの拠点で豪華なパーティーが開かれるときが多い。しかし昨年の12月はいつもと違い、同クラブの膨大なアートコレクションの話題が相次いでメディアに取り上げられた。
12月5日にアートネット・ニュースは、ソーホーハウスのチーフアートディレクター、ケイト・ブライアンのインタビュー記事を掲載した。その中でブライアンは、作品を譲ってくれたアーティストに会員権を与える同クラブの仕組みのおかげで、世界各地にある45の拠点は常にアーティストたちで賑わっていると語っている。その1週間後にはArtsyが記事を公開。アート・バーゼル・マイアミ・ビーチの期間中にプールサイドで行われたブライアンや関係者へのインタビューを通じて、同クラブが所有するアートコレクションの歴史を紹介した。
「トップクリエイターが対象」を謳うクラブの内実は?
ソーホーハウスを持ち上げるこれらの記事は、同クラブが大きな転換期を迎えていなければ特に目を引くことはなかったかもしれない。しかし12月19日、1995年に創業した同クラブは、17億5000万ドル(直近の為替レートで約2730億円、以下同)の買収提案を受け取ったと発表。ソーホーハウスは4年前に株式上場したものの、その1年後には調査会社のグラスハウスが同クラブをシェアオフィスのWeWorkになぞらえ、「ビジネスモデルが破綻」しており、「経営状態はお粗末」だとする辛辣な報告書を発表している。ソーホーハウス側は、この調査結果に「事実誤認や分析ミスだけでなく、根拠のない、誤解を招く記述がある」と真っ向から反論している。
昨年5月には米フォーチュン誌が、アンドリュー・カーニーCEOに対して黒字化を求める投資家の圧力が増していると報じた。12月の買収提案発表でソーホーハウスの株価は50%以上も急騰したが、それでも時価総額は上場時の28億ドル(約4370億円)に遠く及ばない。
気になるのは、上記の記事でソーホーハウスのアートコレクションに焦点が当てられていた理由だ。これは同クラブの財務状況から目を逸らさせ、必要とあらば売却できる貴重な資産があると市場にシグナルを送るためだろうか? それとも、中堅の金融マンや起業家志望の若者などのビジネス層ではなく、トップクリエイターたちの居場所というクラブの評判を強化するためだろうか?
可能性が高いのは後者だろう。ソーホーハウスは2021年の上場以来、解決できそうもない矛盾を抱えている。上場したからには必然的に事業の継続的な成長を求められるが、そうするためには同クラブが誇る「カルチャー分野で活躍する選りすぐりの会員」の数を飛躍的に増やす必要がある。2021年から24年の間に同クラブの拠点は30カ所から50カ所に増加し(会員専用のコワーキングスペースやホテル、ビーチクラブなどを含む)、会員数は11万9000人から27万人近くにまで膨らんだ。
しかし、ウォール・ストリート・ジャーナル紙によると、この3年間、会員たちは施設の過密状態やサービス低下に不満を漏らしているという。また、1990年代後半から2000年代前半にかけてクラブの名声に寄与したクールでクリエイティブな顧客層とは対照的な、上昇志向のビジネスマンの社交場になりつつあると不満を漏らす人もいる。昨年の2月にニューヨーク・ポスト紙がクラブの悲惨な財務状況を報じたとき、記事には「ファッション業界で働くニューヨーカー」のこんな発言が引用されていた。
「いつも混雑していてクリエイティブな雰囲気とは程遠い。むしろ真逆だと言えます」
ソーホーハウスが、クールさを失う問題に直面したのはこれが初めてではない。2010年に同クラブは、ホイットニー美術館のあるマンハッタンのミートパッキング地区の拠点で数百人の会員権の更新を停止した。その理由について当時CEOだったニック・ジョーンズは、「設立当初のようなクリエイティブな雰囲気を取り戻す」ためだとしていた(その1年前には、クラブ内でのスーツとネクタイの着用を禁止している)。
今回は、ここ数年の急拡大にブレーキをかけるという方法でこの問題に対処しているようで、昨年12月にブルームバーグのコラムニストであるクリス・ブライアントは、ソーホーハウスが年間に新設する拠点の数を10カ所から3カ所に減らし、会員の量より質を追求するようになったと書いている。ブライアントはさらに、ロンドンにオープンした最新拠点、ソーホー・ミューズ・ハウスについてこう評した。
「このチェーンがかつての輝きを失い、格好ばかりのZ世代だらけになってしまったという批判への対抗策だと感じられる。会員になれるのは推薦を受けたうえで審査に通った人だけで、ノートパソコンの使用は禁止されている」
買収提案で注目されるソーホーハウス所蔵作品のゆくえ
このような点を考え合わせると、冒頭で紹介したPR的な記事でクラブのコレクションが前面に押し出されていた理由が見えてくる。アーティストたち(実際にクリエイティブな人々)が自作との交換で会員権を得た事実を宣伝すること以上に、会員のクリエイティビティを強くアピールする方法があるだろうか? 2009年に始まった同クラブのコレクションは、現在1万点という驚異的な数にまで拡大している。そこには、ダミアン・ハーストやラシード・ジョンソン、リネット・ヤドム=ボアキエなど、300万から1480万ドル(約4億7000万〜23億円)のオークション記録を誇るスターアーティストの作品や、数え切れないほどの新進・中堅アーティストの作品が含まれている。
クラブ内にはあちこちにアート作品が飾られているが、そのほぼ全てがバーター取引で入手されたものだ。これは、アーティストを会員として取り込むための計算高い、効果的な仕組みだが、具体的にはどう運用されているのか。US版ARTnewsの問いにブライアンはこう答えた。
「たとえばあるアーティストの作品に6000ポンド(約116万円)の価値があるとします。ソーホーハウスのグローバル会員の年会費は、27歳以上なら3450ポンド(約66万円)で、これを作品価値から引いた残りの2550ポンド(約50万円)は、(ハウスでの支払いに使える)クレジットとしてアーティストに与えられます。とてもシンプルなシステムです」
ソーホーハウスのアートコレクションは、稀に見るウィンウィンの関係で築かれたように見える。クラブ側は、評判を保つのに欠かせないクールでクリエイティブな会員を獲得し、ビジネス色を薄めることができる。一方、アーティスト側は、通常なら手が届かないかもしれない価格帯のサービスを利用できる。ある意味、排他的な会員制クラブの民主化ともいうべき、矛盾を孕んだシステムだ。ブライアンはこのシステムについて、アートネット・ニュースの記事でこう語っている。
「駆け出しの頃に会員になったアーティストがその後、美術館で展覧会を開くほど有名になることもありますし、ときどき驚くようなことも起きます。たとえば、重要アーティストから『グッゲンハイムで展覧会が決まったのですが、スタジオを見にきませんか』というメッセージをもらうことがありますが、これはつまり『あなたのクラブで使えるクレジットがもう少し欲しい』ということです。ソーホーハウスは彼らにとって重要なインフラになっているのです」
しかし、ソーホーハウスの深刻な財務状況、そして買収を申し出た第三者(具体的情報はまだ明かされていない)についてもう少し深く考えていくと、このコレクションの未来はかなり危ういと思える。現在同クラブは、5億ドル(約780億円)以上の負債を抱えており、株価は長い間低迷している。フォーチュン誌が明らかにしたように、投資家たちは金に変えらる鉱脈を探しているのだ。プライベート・エクイティ・ファンドが同クラブを買収し、その未実現利益の確定に動くだろうことは想像に難くない。
当然ながら、ソーホーハウスはアートコレクションの金銭的価値については一切話そうとしない。唯一、保険のためにオークションハウスのボナムズの鑑定を定期的に受けていることを公にしている程度だ。ブライアンはこう言う。
「率直に言って、値段の話をするのはいささか野暮だと思います。私たちは金銭的な価値を優先していません。それに、譲り受けた作品に値段を付けているとアーティストたちに思われたくありません。そもそも、そういう取り決めではないのです。アーティストたちをハウスに招き入れ、クリエイティブなコミュニティであることを示すために作品を壁に飾りたいというのが私たちの考えです」
そう言いつつも、アートネット・ニュースのインタビューでブライアンは、ヒラリー・ペシスの初個展で彼女がハウスのために購入した作品が大幅に値上がりしたかもしれないと話している。
「新聞で『ロサンゼルスの若手画家、ヒラリー・ペシスの作品が35万ドル(約5500万円)で落札』と報じられたのを覚えています。私が彼女の作品を購入した2年後のことで、同じ展覧会に出品されていた作品でした」
ちなみに、ペシスの現在のオークション記録は、昨年11月にクリスティーズで樹立された120万ドル(約1億8700万円)だ。
1万点におよぶコレクションの価値はどの程度なのか?
ソーホーハウスは嫌がるかもしれないが、コレクションのおおよその価値を計算してみよう。年会費が3450ポンド(約66万円)であることを考えると、1万点のコレクションの総額は、最低でもおよそ3450万ポンド(約66億円、ドル換算で4200万ドル)だと推測できる。アートネット・ニュースの記事でブライアンは、コレクションの99%はバーター取引で入手したと話しているからだ。
上場企業は米国証券取引委員会(SEC)に年次報告書の提出が義務付けられている。そこでUS版ARTnewsはソーホーハウスの広報担当者に対し、資産の一部であるアートコレクションをどの勘定科目に分類しているのかを尋ね、「什器備品」だとの回答を得た。その上で、同クラブの2023年度の年次報告書を見ると、この科目(ソーホーハウスの世界各地の拠点に設置されている電化製品や家具、その他装飾品も含まれる)の価値は3億5500万ドル強(約553億8000万円)とされている。この額をコレクションの金銭的価値の上限だと考えることもできるだろう。
比較のために、他の企業の年次報告書も調べてみた。たとえば、US版ARTnewsのトップ200コレクターに選ばれているスティーブ・ウィンとエレイン・ウィン(元夫妻)が設立した豪華カジノホテルチェーン、ウィン・リゾーツの2023年度の「什器備品」の資産価値は33億ドル(約5150億円)で、同チェーンが運営する4つのカジノリゾートと2つのタワーホテルには、アンディ・ウォーホルやジェフ・クーンズの作品を含む高額作品が数多く飾られている。一方、9000件以上のホテルを運営する大手ホテルチェーン、マリオットの「什器備品」の総額は6億2200万ドル(約970億円)と、規模の割には多くない。
ソーホーハウスは、アートコレクションの金銭的価値について話すことを拒んでいる。しかし、その価値が4200万ドルから3億5500万ドル(約66億〜553億8000万円)の間と推定されるコレクションは、赤字続きの企業にとってはかなり重要な資産だ。財務状況の悪化で同クラブが資産の清算を余儀なくされた場合、債権者はすぐ、コレクションをオークションハウスに持ち込むだろう。
2000年代末に始まった世界金融危機では、投資銀行のリーマン・ブラザーズとカメラメーカーのポラロイドが、2010年に債権者への支払いのため大規模なコレクションを売却している。さらに最近では、深刻な負債を抱える日本のDIC株式会社が、DIC川村記念美術館の貴重なコレクションを現在の4分の1まで減らし、少なくとも100億円程度の現金収入を目指す方針を昨年末に発表した。
もしソーホーハウスがこれらの企業と同じ運命をたどることになれば、コレクションの競売を受託したオークションハウスが作品を換金することになるが、作品が全部高く売れるわけではない。サザビーズに所属する専門家の話によると、大規模コレクションがオークションにかけられた場合、出品作の2割が売上の約8割を生み出すのが一般的だという。
同クラブが今後コレクションの全部、または一部を売却する可能性について尋ねたところ、ソーホーハウスの広報担当者はメールで次のように回答した。
「16年以上かけて築かれてきたこのコレクションの作品は、これまで一度も売却されたことはありません。1万点を超える所蔵品は恒久的な展示を目的として収集されました。それを入手したのはアーティストを支援し、会員に楽しんでもらうためで、商業的な動機はありません」
とはいえ、この世の中に「絶対」はない。
(翻訳:野澤朋代)
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