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近代天文学の父コペルニクスのコンパスか? アマチュア考古学グループが大発見

地動説を唱え、近代天文学への道を最初にひらいたルネサンス期の天文学者、ニコラウス・コペルニクス(1473-1547)。ポーランドのアマチュア考古学団体が、このほど彼のものと思われるコンパスを発見した。

ポーランド・ワルシャワにあるニコラウス・コペルニクスの記念碑。Photo: Getty Images

ニコラウス・コペルニクスが使っていたと思われるコンパスを発見したのは、ポーランドのアマチュア考古学団体であるWarminska Grupa Eksploracyjna(ワルミアン探検グループ)のメンバーだ。アートネットの報道によると、彼らはポーランド北部にあるフロムボルク城の敷地内で地中レーダーを使って調査したところ、大聖堂の庭園の地下で500年前のものと思われる銅合金製のコンパスを見つけた。

同グループはこの発見に大喜びし、フェイスブックで「この信じられないような発見は、コペルニクスが画期的な発見をした時代にタイムスリップさせてくれるだけでなく、彼の作業方法を理解するための新たな可能性を開いてくれます」と報告した。

Warminska Grupa Eksploracyjnaが発見したコペルニクスのものと思われるコンパス。Photo: Warmińska Grupa Eksploracyjna/Facebook

このコンパスがコペルニクスが実際に使用したものであるとは言い切れないが、発見された場所から、彼のものであった可能性がある。というのも、コペルニクスはフロムボルク城の大聖堂の近くに住んでいただけでなく、そこで仕事もしていたからだ。15世紀末、イタリアのボローニャ大学で天文学を学び始めたコペルニクスは、母方の叔父であり庇護者のヴァルミア司教ルーカス・ワツェンローデによってフロムボルク大聖堂の司教座聖堂参事会員(カノン)の職を得た。この地位による潤沢な収入で、コペルニクスは研究資金を調達することができ、1543年に、当時主流だった地球中心説(天動説)を覆す太陽中心説(地動説)を唱えた『天球の回転について(De revolutionibus orbium coelestium)』を出版するに至った。その後1616年にカトリック教会が教義に反するとしてこの本は発禁処分にされた。

ヤン・マテイコ《天文学者コペルニクス、あるいは神との対話》(1871)Photo Fine Art Images/Heritage Images via Getty Images

もう1つの証拠として、今回発見されたコンパスは、1871年にポーランドの画家ヤン・マテイコが描いた《天文学者コペルニクス、あるいは神との対話》でコペルニクスが持っているものとよく似ている。さらなる裏付けは、コペルニクスは私邸から秘密のトンネルを使って大聖堂に通ったという言い伝えだ。考古学者たちがコンパスを発見したのは、まさにその場所だった。

大聖堂近くにあるニコラウス・コペルニクス博物館のゾルヤナ・ポレニクは、「コンパスはニコラウス・コペルニクス自身のものかもしれない」と地元メディアに語っている。

ポーランドでコペルニクスの計測器具が発見されたのは3例目で、フロムボルク城の敷地内で見つかったのは2回目となる。このコンパスは、ポーランド記念物管理局で検査と保存作業が行われ、その後、ニコラウス・コペルニクス博物館に送られる予定だ。

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