中国経済低迷の中、アート・バーゼル香港が開催中。景気後退への懸念払拭に期待

トランプ政権の関税政策に世界のアート市場が戦々恐々とする中、3月26日にアジア地域最大のアートフェア、アート・バーゼル香港がVIPデーを迎えた。特に、米中貿易摩擦の激化による影響が懸念される香港で、アート関係者は現状をどう捉えているのか。香港のアートシーンを取材したリポートをお届けする。

周遊型パブリックアート「レッドボール・プロジェクト」の一環として香港のセントラルピア10に展示された巨大な赤い球(2024年12月6日撮影)。Photo: China News Service via Getty Ima
周遊型パブリックアート「レッドボール・プロジェクト」の一環として香港のセントラルピア10に展示された巨大な赤い球(2024年12月6日撮影)。Photo: China News Service via Getty Ima

コロナ禍による厳しい渡航制限が2022年末に解除されて以来、香港経済は持ち直してはいるものの、まだ完全回復したとは言えない。2024年のGDPの実質伸び率は速報値で2.5%にとどまり、今年も同程度の成長が見込まれているが、それがアート・バーゼル香港の売れ行きにどう影響するかは不透明だ。

2024年はアート・バーゼル香港の時期もその後も、不動産バブルの崩壊と経済成長の減速で、中国が水面化で深刻な景気後退に陥っているのではないかとの懸念が絶えなかった。実際、野村證券の調査によると、7月には中国の消費者信頼感指数が急落し、過去最低に近い水準にまで落ち込んでいる。アート市場では、複数の大手オークションハウスが売上げの減少を公表。6月にUS版ARTnewsが取材を行った際には、「すぐに作品が売れてウェイティングリストができるような時代は終わりつつある」と、複数のアートギャラリーが口々に答えていた。

中国政府は過去数カ月にわたって経済刺激策を打ち出し、3月初旬の全国人民代表大会では内需拡大や株式市場の安定をはじめとする経済計画を発表した。デフレ入りした中国では、大都市でも中規模都市でも住宅価格が下落。また、2024年12月の若年層都市部失業率(16~24歳)は15.7%と、前年同月の14.9%から悪化した。政府の施策は、こうした状況を踏まえてのものだと見られる。

香港は、失業率こそ3%前後という悪くない水準で推移しているが、経済上の外的ショックや世界的な逆風の影響を受けやすい。また、香港ドルはアメリカドルとのペッグ制(*1)を採用しているため、香港の銀行はアメリカのFRBと同様に金利水準が高く、投資家は慎重になっている。それに加え、アメリカによる中国製品への追加関税や、米中貿易摩擦の激化が香港経済に直接的な悪影響を与えている。

*1 特定の通貨との為替レートを一定に保つ制度。

さらに、かつては過熱抑制策が取られるほどだった香港の不動産価格は、過去3年間で27%もの下落を記録している。香港市民や中国本土の人々が香港の不動産市場にどれほど資金を投じていたかを考えると、富裕層が投資する他のセクターにも同様の下落傾向が現れる可能性は高い。それはすなわちアート市場で、経済の先行きに対する不安が、3月26日にVIP向けプレビューで開幕したアート・バーゼル香港にも影を落としている(一般公開は28日~30日)。参加ギャラリーが数億円レベルの作品販売を発表するような展開にならない限り、こうした不安は拭い切れないだろう。

不安定な世界情勢の中、アートハブとして存在感を高める香港

香港を拠点とするアートアドバイザーのアレクサンドル・エレーラは、US版ARTnewsの取材に、「一般的に言えば、カギとなるのは市場に自信が持てるかどうかです。今は非常に不安定ですが、アート市場はこれまで危機的状況に陥ったときも強い回復力があることを示してきたと思います」と回答。さらに、市場全体の変動が大きくなってはいるが、中国と香港のコレクターは「依然としてアート市場の主要な購買層」だと付け加えた。

4大メガギャラリーの一角、デイヴィッド・ツヴィルナーの香港拠点でシニア・ディレクターを務めるパトリシア・クロケットは、「世界的な景気減速と、世界中で見られる不透明な政治的変化」の影響は香港にも及んでいると指摘。その一方で、「香港の地元のコレクターはこの1年間、作品購入を増やし、香港のアートシーンを支えている」と述べている。

台湾生まれでアメリカを拠点に活動するアーティスト、リー・ミンウェイによる大規模なインスタレーション《砂のゲルニカ》(2006-現在)。ピカソの《ゲルニカ》を巨大な砂絵で再現したこの作品は、現在香港の現代美術館M+で展示中(7月13日まで)。Photo: VCG via Getty Images
台湾生まれでアメリカを拠点に活動するアーティスト、リー・ミンウェイによる大規模なインスタレーション《砂のゲルニカ》(2006-現在)。ピカソの《ゲルニカ》を巨大な砂絵で再現したこの作品は、現在香港の現代美術館M+で展示中(7月13日まで)。Photo: VCG via Getty Images

世界的な政治的緊張やマクロ経済の懸念はさておき、近年を振り返ると香港は大きく変化している。新たに開発された文化地区に、現代美術館M+(2021年開館)や大館(タイクン)現代アートコンプレックス(2018年開館)などの施設が誕生し、香港はアートハブとしての存在感を高めてきた。そして先月、M+ニューヨーク近代美術館(MoMA)との包括的協力関係を正式に締結。今後は展覧会や各種プログラム、研究、寄付者育成のためのリソース共有などが可能となる。

クロケットは、「香港の美術館が、洗練され、かつ意欲的な展覧会を開催しているのはすばらしいことです」と評価。その例として、M+が次回の展覧会に予定している「Picasso for Asia—A Conversation(アジアのためのピカソ-会話)」や、香港芸術館で開催中の「Cézanne and Renoir Looking at the World — Masterpieces from the Musée de l’Orangerie and the Musée d’Orsay(世界を見つめるセザンヌとルノワール−オランジュリー美術館とオルセー美術館の傑作から)」を挙げた。

また、コロナ禍で地元の文化に目が向けられて以来、香港ローカルのギャラリーやアートNPOが相次いで設立され、世界の3大オークションハウスはいずれも香港に新しいアジア本社を開設。欧米の主要ギャラリーも香港のスタイリッシュな新スペースに進出し、2024年にはハウザー・アンド・ワースが、セルドルフ・アーキテクツの設計による約930平方メートルの路面店をオープンしている。

さらにホワイトキューブ香港のディレクター、フェイナ・ダーマンは、東南アジアのコレクターの増加がアジアのアート市場を活気づけていると言い、この地域で美術館の数が増加していることを指摘した(*2)。デイヴィッド・ツヴィルナーのクロケットも同様に、2024年にはシンガポール、インドネシア、タイからのコレクターが増えたと明かし、「3月(のアート・バーゼル香港)には、東南アジアの顧客が数多くやってくるでしょう」と述べている。

*2 タイの実業家でUS版ARTnewsのTOP 200 COLLECTORSでもあった故ペッチ・オーサターヌクロのコレクションを収蔵する待望の現代アート美術館、DIBバンコクが2025年12月の開館を3月初めに発表した。

コレクターは投機的な購買から慎重に作品を見極める姿勢へシフト

しかし香港も、コレクターが以前より購買に慎重になる状況と無縁ではないようだ。ホワイトキューブ香港のダーマンは、「この1年、この地域のコレクターも作品を厳選するようになっています。特に高価格帯では、一流の作品や再販価値が確実な作品に人気が集中する傾向にあります」と説明する。

3月29日に香港のサザビーズで開催される近現代アートオークションに出品予定の草間彌生の彫刻《Pumpkin(カボチャ)》。Photo: China News Service via Getty Images
3月29日に香港のサザビーズで開催される近現代アートオークションに出品予定の草間彌生の彫刻《Pumpkin(カボチャ)》。Photo: China News Service via Getty Images

これは、他の地域のアート市場における傾向と一致している。アジアのコレクターの慎重な姿勢は、主にウルトラコンテンポラリー分野の「若い西洋人アーティスト」に対するものだと、前出のアートアドバイザー、アレクサンドル・エレーラは分析する。「新しいコレクターも市場に参入していますが、全体的に見ると、投機的な傾向からより確かな価値のある作品へと興味の対象が移っていることがうかがえます」。

クリスティーズのアジア太平洋地域プレジデント、フランシス・ベリンは、香港でのオークションでも、その他の都市のオークションでも、2024年を通してアジアのコレクターが活発な購買行動を見せたと話す。「特に昨年後半、アジアの勢いが強まりました。アジアのコレクターがクリスティーズのオークション全体に占める割合は30%と、これまでの水準を上回る結果となっています」。

クリスティーズは昨年9月、ザハ・ハディド・アーキテクツの設計による地域本社を香港のヘンダーソンビルに開設した。これは、年間2回の競売シーズンを設けていた従来の方法を改め、年間を通じて販売を行うスケジュールへの移行に向けた第一歩だ。さらに、新社屋への移転でより充実する展示会やイベントを通じて香港との関係を深め、アートのエコシステムをいっそう発展させたいと考えている。ベリンは、「私たちは今、香港やこの地域のアート市場を牽引し続けるための最良のポジションにいます」と抱負を語った。

アート・バーゼル香港および同時開催の香港アートウィークが、この地域やアート市場にとって重要であり続けるのは間違いない。しかし今後のアジアでは、年間を通して従来よりもはるかに活発なアートイベントが続く。そのため、アート・バーゼル香港や香港アートウィークも、こうした年間スケジュールの一部という位置付けになるだろう。

フィリップス、クリスティーズ、サザビーズが通年でセールやイベントを行うようになるのに加え、芸術祭の開催数が増加し、ソウル、東京、シンガポール、台北などでメジャーなアートフェアが開催され、アジア各国の主要都市で活気あるギャラリーシーンが展開されている。そうした環境下で香港のアートシーンは、景気後退の兆しをはらみつつも楽観的な見通しが大勢を占めている。(翻訳:清水玲奈)

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