ジョアン・ミロは100年前、なぜ母親の肖像を塗りつぶしたのか。最新研究が明かす階級社会への批判
東京都美術館でジョアン・ミロ(1893-1983)の画業を回顧する展覧会「ミロ展」が開催中だ(7月6日まで)。そんな中、ミロの地元であるスペインで、彼が30代初めに制作した油彩《ピントゥーラ(スペイン語で絵画の意味)》の下に自身の母親の肖像画が描かれていたことが明らかになった。

ジョアン・ミロ財団は、ジョアン・ミロが1925年から27年の間に制作した油彩《ピントゥーラ(スペイン語で絵画の意味)》をX線で調査したところ、下からミロの母親の肖像が現れたことを発表した。ガーディアンが伝えた。
同作は、ミロの親友で芸術プロモーターのジョアン・プラッツに贈られた。ミロは当時30代はじめで、パリでフォーヴィズム、ポスト表現主義、キュビスムの影響を受けつつ自らの作風を確立し、画家として生きると決めた時期だった。この覚悟は、いつかは会計事務員という安定した職に就いてくれるかもしれないという両親の期待を完全に打ち砕くものでもあった。
ジョアン・ミロ財団の館長であるマルコ・ダニエルは、《ピントゥーラ》というタイトルについて、「絵画、絵画空間、絵画のあり方に関する既成概念を打ち破る」という決意を表していると説明する。
もともと《ピントゥーラ》は、数十年も前のX線写真から、絵の具の下に何か別のものがあることが示唆されていた。また、縁の部分の絵の具の層から暗い色が下に塗られていたことも分かっていた。これらを再び詳しく調べようと、同財団の予防保全・修復部門の責任者であるエリザベス・セラット率いる専門家チームが立ち上がった。
セラットのチームは、カタルーニャ家具修復センター、セビリアのパブロ・デ・オラビデ大学などの研究者の力を借りて、X線、紫外線、赤外線、ハイパースペクトラル画像、可視光線、透過光を用いて調査を行った。すると《ピントゥーラ》の下から全く異なるスタイルで描かれた中年の女性の肖像画が現れたのだ。
彼らはすぐに、《ピントゥーラ》の表面に浮かび上がっている3点の盛り上がりと、女性のイヤリングと首元のブローチ部分の絵の具の盛り上がりが一致していることにも気づいた。
セラットはこの発見について、「(浮かび上がった女性の肖像画は)鮮明で、まるで写真のようでした。しかし、それが誰の肖像画なのかはわかりませんでした」と振り返る。
一体、肖像画の女性は誰なのか。セラットはタラゴナのマス・ミロ財団を訪れたが、ミロが描いたどの肖像画とも一致せず、ミロが暮らしていたバレアレス諸島のソン・ボテール・スタジオに足を運んだ。すると、クリストフォル・モンセラ・ジョルバという画家が1907年に制作した肖像画と、X線で現れた女性の顔が一致していることを発見。絵画のタイトルは、ミロの母の名であるドロレス・フェラ・イ・オロミと付けられていた。
こうしてモデルの正体は明らかになったが、なぜミロは母の姿を描いて塗りつぶしたのか。画家が画材の節約のために上書きすることはよくある話だが、ダニエルは、当時のミロは画材を潤沢に使えたという理由で否定した。そしてセラットとダニエルは、母の顔の部分は意図的に残しており、このミロの行為は1950年代に彼が自身の初期の作品に上書きを施すようになったことの前兆だと考えている。ミロは晩年、安物の芸術と見なしたものの上に上書きすることに取り組んでいた。その上で、ダニエルは次のように説明した。
「ミロがこれを描いたのは32歳の時でしたから、両親に対する反抗というわけではありません。両親が象徴する世界、つまり、中流階級が、実際よりも少しだけ上流階級であるかのように見せようとする姿に対する反抗的な行為なのです」
塗りつぶす対象を自身の母親を選んだ理由について、セラットは、「彼は別の肖像画を選んでもよかったのです。しかし、彼は母の絵を選び、その姿を完全に残したのですから、そこには母への敬意が感じられます」と説明した。また、セラットは、簡単に削り取ることができたにもかかわらず、絵の具のかたまり3つをわざと残したことも指摘している。
ミロの謎めいた絵画が制作されてほぼ1世紀が経ち、ダニエルはようやく世界がミロの作品の意図を理解し始めたと感じている。そして彼はこう語った。
「ある意味、ミロは私たちに本当に素晴らしい手がかりを残してくれました。特にブローチ部分の絵の具の盛り上がりはとても立体的で、絵の上に光を当てると影が見えるぐらいです。ミロは私たちにこうした手がかりを残してくれたのですから、きっとこう思っているでしょう。『いったいなぜ、これを見つけるのにこんなに時間がかかったんだ? 100年経って、ようやく私のしたことがわかったのか!』と」
この調査の様子は、同財団で開催中の展覧会「Under the Layers of Miró: A Scientific Investigation」(6月29日まで)で紹介されている。