中国で36年ぶり。型破りな「ウェルネス」探求者、マリーナ・アブラモヴィッチの展覧会をレビュー
パフォーマンスアートの第一人者として、常に驚きと刺激を与えてくれるマリーナ・アブラモヴィッチの最新展覧会が上海で行われた。その中心的なテーマは「ウェルネス」。自らも健康維持に熱心で、ウェルネス向上の有料ワークショップや長寿リキッドの販売も手がける彼女は、アートとウェルネスをどう合体させたのだろうか。

マリーナ・アブラモヴィッチこそ、私たちが必要としていたウェルネスの師ではないだろうか? 一時期はグウィネス・パルトロウが、膣に入れる卵型のヒスイやボーンブロス(骨を煮込んで作るスープ)、マウンテンバレーの水を推奨し、待ち望まれた預言者のように持てはやされた。しかしその後、パルトロウの会社「グープ(Goop)」は、10万円を超すジャージードレスやチタン製調理器具などのショップへと変化してしまった。いずれにしても、グープはここ数カ月で何度もレイオフを繰り返し、経営危機がささやかれている。
グープが好みに合わず、もっと型破りなアプローチを求めているなら、かつてニューヨーク・タイムズ紙に「私はベビーフードが好き」と言ったアブラモヴィッチをお手本にしてはどうだろう。彼女のような生き方を学びたいという人たちのために、マリーナ・アブラモヴィッチ・インスティテュートでは、ブラジルやタイなどで「クリーニング・ザ・ハウス(Cleaning the House)」ワークショップを実施している。5日間で2450ユーロ(約39万円)のワークショップでは、必要な訓練を受けた講師(アブラモヴィッチ自身ではない)が、参加者に「個人の意識、持久力、集中力を高めるための長時間のエクササイズ」を指導する。携帯電話、ノートパソコン、時計その他の電子機器の持ち込みは禁止で、「ワークショップ中は、(ハーブティーと蜂蜜以外の)飲食や会話、読書は控えること」とされている。
ウェルネスを高める方法をもっと手軽に試したいという向きには、99ポンド(約1万9000円)のリキッド(免疫用、アレルギー用、エネルギー用)もある。スイスの医師と共同で販売しているこのリキッドには、クランベリージュースやグレープシード粉などが配合され、内側から美しさを引き出す効果があるという。健康食品店にある滋養ドリンクと違い、美しいパッケージに入っている。
こうしたアブラモヴィッチのウェルネスに対する熱心さは、提供する製品や体験だけでなく、アート作品にも表れている。彼女はきっと、それらは全部同じことなのだと言うに違いない。

「万里の長城を歩く」パフォーマンスで見出した鉱物パワー
その好例を、昨秋から2月末まで上海の藝倉美術館(MAM上海)で開催された展覧会、「Marina Abramović: Transforming Energy(マリーナ・アブラモヴィッチ:トランスフォーミングエナジー)」に見ることができる。3フロアにわたって150点もの作品を展示したこの大規模展では、東洋医学への関心を窺わせるクリスタルを用いた作品も多く、中には家具との組み合わせが何とも不気味なものもある。たとえば、ヘッドボードから頭に向けて尖ったクリスタルが突き出ている木のベッド、蛇口があるべき場所にクリスタルが取り付けられた銅の浴槽、メトロノームと向き合うデッキチェア、左右と上部から無数のクリスタルが突き出た玄関などだ。
ウェルネスというテーマは常に彼女の作品に内在していたが、今はそれがより明確になっている。この展覧会は、長期間におよぶパフォーマンスでも特に有名な《The Great Wall Walk(万里の長城を歩く)》(1988)から着想を得ている。あるいは、その補遺と言ってもいいかもしれない。万里の長城のパフォーマンスは、かつてパートナーだったウーレイとのコラボレーションで、2人がそれぞれ長城の両端から中央に向かって出発し、次第に近づいていくというものだ。アブラモヴィッチは展覧会の準備で上海に滞在していた昨年10月、Zoomの取材で当時の意図をこう語った。「私の出発点は黄海。そこは女性のエネルギーの源である水です。彼は砂漠から歩き始めます。そこは男性の要素である火を表します。私たちは真ん中で出会い、結婚するのです」
間もなく78歳になるとは思えないほど、アブラモヴィッチは若々しく見える。肌はきめ細かく艶があり、髪はふさふさだ。そして見るからに、尽きることのないエネルギーに満ちている。上海の展覧会のキュレーター、シャイ・バイテルも、「マリーナが世代を超越した存在であるだけでなく、彼女は年齢も超越しています」と感嘆する。ともかくアブラモヴィッチのやることは全てうまくいっている。長寿リキッドでも、ワークショップでも、彼女がやることなら試してみるべきかもしれない。
話を1988年の万里の長城に戻そう。アブラモヴィッチとウーライは、作品のコンセプトを気に入っていたものの、計画を進めるのに必要な交渉ごとや組織づくりが性に合わなかったため、実現まで約8年かかった。その間に「私たちの関係は完全に崩壊しました」と彼女は笑った。結局2人は結婚しなかったが、アブラモヴィッチは万里の長城に象徴性と精神性を見出したという。
「万里の長城は、要塞として敵の侵入を防ぐだけのものではなかったと知ったのです。それはいわば形而上学的な構造であり、天の川のレプリカのようにも見えました」

万里の長城を歩いていたとき、アブラモヴィッチは毎晩別の村に泊まり、そこに暮らす長老から癒しのテクニックや回復の方法、神話について話を聞こうとした。長老たちは、緑の龍、白い龍、赤い龍など、龍について話すことが多く、長城そのものも龍であると教えられた。龍の頭は黄海に埋葬された死者たちとともにあり、尾はゴビ砂漠に、胴体は山々とともにある──アブラモヴィッチは話を聞く中で、龍が自分の歩いている大地と関係していることに思い至った。「そこには水や鉄、銅などがあることに気づき、自分の心の状態が変化していくのが分かりました」と当時を振り返る。
長城の旅を終えた後、アブラモヴィッチはブラジルを訪れたが、そこでも鉱物への関心は続いた。1990年代には「トランジトリー・オブジェクト(一時的な物)」と呼ぶ作品、すなわち「鉱物を体験し、それらが持つ感情を誘発するきっかけとなる」作品を数多く制作している。2010年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で回顧展が開催された際には、展覧会タイトルにもなったパフォーマンス、《The Artist Is Present(作家は在廊中)》を実施。3月14日から5月31日まで、736時間にわたってピクリとも動かず椅子に座り続け、アブラモヴィッチと向かい合う椅子には来館者が入れ替わり立ち替わり座って彼女と対峙した。
重要なのは物体ではなく作品の持つエネルギー
今では世界で最も有名な存命アーティストと言われるまでになったアブラモヴィッチが、中国で作品を披露するのは36年ぶりになる。展覧会には、石英、アメジスト、トルマリン、銅、鉄、木などで作られ、観客がインタラクティブに鑑賞できる作品が並ぶが、彼女はそれらのオブジェを彫刻だとは考えていない。なぜなら、重要なのは物体ではなく、それらの持つエネルギーだからだ。たとえば、壁に凹状の石が縦に3つ取り付けられた作品があり、来場者はそこに頭、心臓、お腹を押し当てるよう促される。「すると、押し当てようとする人が壁に近づくので、作品自体は見えなくなります」とアブラモヴィッチは説明する。誰もが家の中に「トランジトリー・オブジェクト」を置くのが理想だと考える彼女はこう言った。
「エスプレッソコーヒーを入れる前、パソコンを開く前、スマホでメールを見る前に、これをやってください。本当にすごいですよ」

展覧会のタイトルにある「Transforming Energy(変容するエネルギー)」は、物体が私たちのエネルギーを変容できるという意味であると同時に、そのエネルギーが絶えず変化していることを意味している。キュレーターのバイテルは、「マリーナの哲学について考えてみてください。いったい何が重要なのでしょうか?」と問いかける。その答えは「集中すること、周囲からの干渉や雑音を遮断すること、規律を守ること、携帯電話やソーシャルメディアから離れること、自分自身に集中すること、今この瞬間にいること」だという。
「アブラモヴィッチの『トランジトリー・オブジェクト』を使って私たちが提示しているのはそういうことです。つまり、私はエネルギーをキュレーションし、形而上学をキュレーションしたのです。これはまったく新しいコンセプトです。展覧会がエネルギーをキュレーションするのは初めてのことでしょう」

では、アブラモヴィッチ自身は健康維持のために何をしているのだろうか? それは水泳で、毎朝少なくとも1時間は泳ぐという。「これは必須です」とアブラモヴィッチは言った。そして、上海にいる間は、朝は粥を食べ、1988年の中国滞在中に大好物になった豆腐をたくさん食べる。また、気功の師匠から腹部を中心とした訓練を受け、自分でも補完的なエクササイズを頻繁に実行している。
「私はいつも、こうしたトレーニング全体のバランスをどうやって取ろうかと考えています」と、アブラモヴィッチは腕を振りながら話を続けた。「シャワーを長めに浴びるのも重要です。水泳はエネルギーが必要なので、エネルギーを取り返さなくてはなりません。そして睡眠です。1日8時間眠る必要があります」。ただし時差ぼけは、年齢を重ねるごとに適応が難しくなっているようだ。私たちがZoomで話したのは、彼女が中国入りしてから2週間経った頃だったが、まだ時差ぼけを感じていると言っていた。
しかし、アブラモヴィッチの生活やルーティンの中で誰もが共感できそうなのは、さほど難しい行動ではない。特異で奇抜な世界を創り出す彼女からでも、誰もが学べることがある。それは、うわさのベビーフードダイエットやクリスタルヒーリングでもなければ、長寿の妙薬でもない(それらについて尋ねても無駄だ。アブラモヴィッチが話すときは、さまざまな考えが奔流のように流れ出すので、聞き手はそこに身をゆだねるしかない)。それよりもアブラモヴィッチが望んでいるのは、ただ家でリラックスすることなのだ。
今、アブラモヴィッチが楽しみにしているのは、膝を人工関節にする手術だという。それについて彼女はこう語った。「ちょっと悪くなってるんです。血小板注射も試したし、ありとあらゆることを試しました。医者に診てもらったら、どんな麻薬性鎮痛薬を使っているのかと聞かれたのですが、私が何も使っていないと答えると、医者は、え? それで歩けるんですか?と驚いていました」
昨年の秋に手術の予約を入れたというアブラモヴィッチは、「リハビリはしっかりやるつもりです。だから、3カ月は旅に出ません」と言って微笑んだ。(翻訳:清水玲奈)
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