サウジアラビア・アート界の牽引者が語る「市場拡大」と「シーン活性化」戦略に私たちは何を学ぶのか

「この国はルネサンスの真っ只中にある」とサザビーズに言わしめたサウジアラビア。現在、政府の掲げる「ビジョン2030」のもと、観光開発や文化振興が急ピッチで進んでいる。その中で、同国の現代アートシーンはどのような発展を遂げているのか。サウジアラビアのアート界を動かしてきた気鋭のギャラリー経営者に、US版ARTnews編集長のサラ・ダグラスが話を聞いた。

アスル・ギャラリーの共同設立者、モハメド・ハフィズ Photo: Courtesy of Athr
アスル・ギャラリーの共同設立者、モハメド・ハフィズ Photo: Courtesy of Athr

サウジアラビアの現代アートシーンを語る上で、アスル・ギャラリーを欠くことはできない。2009年にモハメド・ハフィズとハムサ・セラフィがジッダに設立したアスル・ギャラリーは、現在複数の拠点を構えるほか、同名の財団を通じて助成金やアーティスト・イン・レジデンスを運営。さらには、「ヤング・サウジアラビア・アーティスト(YSA)」展など、意欲的なイベントを主催している。

ハフィズとセラフィは、パトロンやコレクターによる草の根的な活動と協働しながら同国のアートシーンの基礎を築いた。そして現在、2018年に設立されたサウジアラビア文化省とともに、次のステップへと踏み出している。

US版ARTnewsはこの4月、ハフィズに話を聞くためリヤドにあるアスル財団の拠点を訪ねた。実はこの時期、周辺地域では大型アートイベントが目白押し。サウジアラビア文化省の主催で開催された第1回アートウィーク・リヤドに参加したアスル・ギャラリーは、アートウィーク閉幕の数日後に始まる湾岸地域最大のアートフェア、アート・ドバイにも出展を予定していた。ハフィズはドバイに向かうスケジュールの合間を縫って、サウジアラビアのアートシーンのこれまでの歩みと、さらなる飛躍が予想される未来について語ってくれた。

サウジアラビアには豊かなアートの伝統やコレクションの歴史がある

──2009年にアスル・ギャラリーを設立したとき、サウジアラビアのアートシーンはどのようなものでしたか?

同じ質問をよく受けるのですが、2009年に全てが始まったという前提でそう聞かれるのには抵抗があります。この種の問いに答えるときは、サウジアラビアに来たことがない人が関心を持てるようにしながら、事実を正確に説明したいと思っています。

──私がサウジアラビアに来たのは2023年が初めてですが、アラブ首長国連邦(UAE)には何度も行きました。初訪問の2008年に、建設計画が進められていたサディヤット島(*1)の美術館の模型を見て、その翌年にはUAE政府が運営を引き継いだアブダビ・アートフェアを見学したのですが、そこにはPaceガゴシアンなど数多くの大手ギャラリーが初出展していました。当時この地域に対する関心が一気に高まったのを覚えています。

*1 文化地区やレジャー施設などがあるアブダビの島。文化地区には2017年にルーブル・アブダビ(ジャン・ヌーベル設計)が開館。グッゲンハイム・アブダビ(フランク・ゲーリー設計)とザイード国立博物館(フォスター・アンド・パートナーズ設計)が2025年に開館予定。

以前、アート市場についてのパネルディスカッションに参加したときのことです。私の隣にいたパネリストは、かつてオークションハウスに勤務していたギャラリストでした。そのオークションハウスは、彼が働き始めた2008年か2009年頃に初めてドバイに進出しています。彼は当時を振り返り、「ドバイで現地の人たちと話してみると、『オークションとは?』というリアクションでした。私たちが拠点を構えたことで、彼らは美術品を買うとはどういうことなのか、オークションハウスとは何なのかを知ることになったのです」と話していました。

それを聞きながら私は、小学生の頃にオークションのカタログが家に届いていたのを思い出していました。両親はソファに並んで座り、カタログに掲載された時計やペンや骨董品を吟味して、気に入ったものがあれば入札していたものです。

──当時と違うのは、カタログが紙からオンラインに移行したことくらいですね。

実家には、オークションのカタログがたくさん積まれた場所がありました。ともかく私は、このパネリストの話を聞いて「何を言っているんだ」と思ったのです。確かに、世界にはサザビーズクリスティーズが知られていない地域があるかもしれませんが、ここはそうではありません。私自身、初めてアート作品を買ったのは高校生のときで、それがアートとの出会いでした。ジッダのギャラリーで見た作品に惹かれて、店員——当時はそう呼ばれていました——に話しかけたところ、ギャラリーのオーナーを紹介されました。

──それは現代の作品ですか、それとも歴史的な作品ですか?

今も存命中のアーティストの新しい作品で、1年間の分割払いで購入しました。私はその作品をとても誇りに思っていて、今も手元にあります。それを買った1990年代から、ここにはアートギャラリーがありましたし、アートは常にさまざまな形で存在していました。今でいう工芸品、職人の仕事もアートの一形態です。たとえば、アル=カット・アル=アシリという女性の手による壁画があります。一家の主婦が家の中の壁にカラフルな幾何学的模様を描くのです。これは古くからあるもので、今ではユネスコの無形文化遺産に登録されています。芸術も創造性も、ここには常に存在していたのです。

──ちょうど今朝、イスラム教が広まる以前に書かれたアラビア語の詩集、ムアッラカートについての本を読んでいたところでした。

私とハムサはアートビジネスに関心を持ち、2009年にギャラリーを立ち上げました。当時この地域一帯で徐々にアート市場が形成され、組織化されつつあると感じたからです。その頃、ドーハでは新しい美術館が開館し、アブダビのサディヤット島の開発計画も話題になっていました。そしてアート・ドバイを訪れた2008年、潜在的なビジネスチャンスがあると気づいたのです。サウジアラビアにはギャラリーもあるしアーティストもいるのに、誰もこのフェアに出展していないのはなぜだろうと疑問に思いました。 ビジネスモデルが欠けているのかもしれないし、組織や戦略、先見性が足りないのかもしれない。

そこで、キュレーターや美術館、コレクター、パトロン、非営利団体など、点と点がつながってできる仕組みについてあれこれ考えたのです。そして、それぞれの点の役割と存在意義について理解していくと、市場を作り、アーティストを育てる方法が見えてきました。市場が発展していくためにはどのような段階を踏んでいくべきなのか? そんなことをあれこれ考えながら戻って来て、ギャラリーを開こうと決めたのです。

アスル・ギャラリーで開催されたナセル・アル・サレムの個展「The Edge of Language」の展示風景。Photo: Scott Morrish/Courtesy of Athr
アスル・ギャラリーで開催されたナセル・アル・サレムの個展「The Edge of Language」の展示風景。Photo: Scott Morrish/Courtesy of Athr

ロンドンでの成功体験をきっかけに試行錯誤と進化を続ける

──立ち上げ時はどんな調子でしたか?

簡単ではありませんでした。当初からアドバイザー的な立場で、ごく少人数のアーティストと密に関わりながら彼らを育てていこうと決めていたからです。最初はサウジアラビア国内の作家がほとんどでしたが、その後、周辺地域や海外のアーティストの作品も展示するようになり、その後また、国内のアーティストを中心に扱うようになりました。今は、取扱作家の幅を拡大しています。

私たちは仕事を通じていろんなことを学んでいきました。地元にはお手本にできるところがなかったので、参考にしたのはヨーロッパのギャラリーです。彼らと関係を築き、交流する中で、あらゆることを柔軟かつ機敏に試してみようと決めたのです。理想的な運営方法や、自分たちが何を見たいのか、どう見られたいのかが分かってくるまで試行錯誤しようと考え、それ以来いくつもの段階を経てきました。少人数のアーティストに焦点を当て、彼らのキャリアを大きく前進させることから、ワークショップやトークイベント、大学教授の講演会など教育的なプログラムまでさまざまなことに取り組み、アーティスト・イン・レジデンスなど、アートNPOのような活動も手がけています。なぜ、アスル・ギャラリーがこうして幅広く活動してきたのかというと、埋めなければならない大きな隙間があったからです。

──時と共に進化してきたということですね。

サウジアラビアのアートシーンの進化には、転換点となる重要な瞬間がいくつかあったと思います。「Edge of Arabia(エッジ・オブ・アラビア)」(アラブ世界の現代アートを世界に紹介する独立系のアートイニシアチブ)や、私が副会長を務めていたサウジ・アート・カウンシルの主催する「21,39 Jeddah Arts(21,39 ジッダ・アーツ)」(サウジアラビアのアーティストを紹介する年1回の展覧会)などの活動もそうですし、2018年の文化省創設も極めて重要な転換点です。そして、それぞれの節目ごとに、サウジアラビアのアートに対する国内外の関心のありようが移り変わっていきました。

──かつてジッダでは、サウジ・アート・カウンシルの活動から生まれたシャラ・アートフェアが開かれていました。このフェアについて教えてください。

シャラ・アートフェアは、アート界や市場のニーズに応えて2015年に始まりました。特にアート界で顕著ですが、同じ出来事を経験しても人によって受け止め方や理解の仕方が異なるので、ここで答えるのは、このフェアが生まれた経緯に関する私の見解だと思ってください。

2008年、私とハムサは「エッジ・オブ・アラビア」のメンバー(スティーブン・ステイプルトンとアーメド・メーテル)から、「ロンドンのブルネイ・ギャラリー(ロンドン大学東洋アフリカ研究学院内)で、サウジアラビアの現代アートを紹介する初の展覧会を開きたいのでスポンサーを探している」とアプローチされました。その展覧会のスポンサーになった私たちは、オープニングイベントで大きな気づきを得ました。それは、これまでアート界で得てきた学びの中でも特に大きなものです。オープニングイベントは大盛況で、何千人もの人が来ていました。ロンドンでですよ! 広告宣伝費がそこそこあったので、地下鉄にも広告を出していました。1万5000ドル(最近の為替レートで約216万円、以下同)のスポンサー料を払っただけなのに、イギリスの新聞がこぞって取り上げてくれ、「画期的」だと話題にしてくれたのです。

──投資額に対して大きなリターンが得られた。

本当に信じられないくらい! そのとき気づいたのです。アートをうまく位置付けて提示すれば、大きな反響が得られると。人々は常に新鮮なものを求めているので、何か新しいものを持っていればメディアで大きな露出を獲得できるのです。私たちはこのオープニングの翌日か翌々日には、何としてもギャラリーをオープンしなければならないと決意していました。

サウジアラビアの作家を紹介する展覧会からアートフェア開催へ

──その後エッジ・オブ・アラビアの展覧会は各地を巡回しています。

ベルリン、イスタンブール、ヴェネチア、ドバイを巡回しました。そして2012年には、私が共同キュレーターを務めた「Edge of Arabia Jedda: We Need to Talk(エッジ・オブ・アラビア・ジッダ:話し合いが必要だ)」をサウジアラビアのジッダで開いています。

──サウジアラビアでの反響はどうでしたか?

とても大きな反響がありました。世界中から友人やキュレーター、ディレクター、ジャーナリストを招待し、クリスティーズがスポンサーに付きました。街は活気に満ち、人々の間に高揚感が漂っているのを見て、これは毎年やるべきだと感じました。地元や海外から人を呼んで、「21,39 ジッダ・アーツ」(ジッダの緯度と経度にちなんだ名前)という展覧会を年に一度開催したらどうかと。こうした経緯でサウジ・アート・カウンシルは、「エッジ・オブ・アラビア」のような展覧会を毎年行うことになったのです。カウンシルのメンバー同士は皆とても仲が良かったですし、ジッダのアートを支える有力なパトロンであるジャワヘル王女(Jawaher bint Majid Al Saud)に話をしてみると、彼女はそのアイデアを気に入り、ぜひやりましょうと言ってくれました。

展覧会に使えそうな場所を探していた私たちは、テナント探しに苦労していたショッピングモールに目をつけ、スペースを貸してくれればほかのビジネスも誘致しやすくなるはずだとオーナーに話すと、イエスと言ってくれました。次はスポンサー探しですが、これには苦戦しました。展覧会に出資してどれほどの宣伝効果があるのか、当時は誰も見当がつかなかったのです。そこで私たちはこう言って売り込みました。「あなた方の顧客もたくさん見に来ますし、宣伝効果は抜群です。重要人物が大勢集まるガラディナーも開催します。商品やサービスを売り込むには絶好の場です」と。

──それでもスポンサーはつかなかったのですか?

そうです。そこで初年度は、1組につき1万2000ドル(約174万円)を出資してくれるサポーターを募るプログラムを設けました。12、13人いたアート・カウンシルのメンバー各自が、友人や知人にサポーターになってくれるよう頼んで回ったのです。

──サポーターは地元の人たちですか?

はい。コレクターや後援者、同情してくれる友人など、地元の人たちばかりで40組ほどの出資者を集めることができました。そして、ラニーム・ファルシとアヤ・アリレザのキュレーションによる初の「21,39 ジェッダ・アーツ」展が実現し、素晴らしいオープニングイベントと晩餐会を開催しました。その後、UBSがスポンサーとして参加するようになり、次にヴァン クリーフ&アーペルも加わりました。実はアート・カウンシルのメンバーの半数以上がUBSと取引があるため、初回のオープニングにはUBSの中東地区のディレクターが来ていたのです。

──「21,39 ジェッダ・アーツ」はそのようにスタートしたのですね。シャラ・アートフェアはそこから生まれたのですか?

そうです。私たちがショッピングモールの一角に借りていたスペースは照明も整っているいい場所でしたが、「21,39 ジェッダ・アーツ」展の4カ月以外はずっと空きスペースになっていました。そこでカウンシルのメンバーで話し合い、ギャラリーにスペースを提供することにしました。小額の賃料を徴収して私たちが払う家賃の足しにし、年間スケジュールに新たなアートイベントを加えるというわけです。フェアのターゲットは100%地元の人たちで、海外のキュレーターや美術館の館長、ジャーナリストなどは呼びませんでした。7つのギャラリーがそこで10日間、自分たちの売りたいものを展示したのです。

──その後、国際的なギャラリーも参加するようになりましたね。

最終回(2021年)には、国際的なギャラリーも2、3参加していました。このフェアで特に重要だったのが、サイレントオークション(入札形式のオークション)です。フェアに協賛したアルマンスリア財団は、この国のアートシーンの中心的存在で、設立者のジャワヘル王女は真摯なアートパトロンとして幅広い知見を持っている方です。彼女は、毎年資金集めに苦労するよりも、この機会を捉えて資金調達の仕組みを構築するべきだと提案してくれました。万が一UBSがスポンサーを降りても慌てないようにと。

財団はサイレントオークションへの作品提供をアーティストたちに依頼し、販売価格の何割を財団に寄付するかはアーティスト次第だと呼びかけました。王女はそれまでも数多くの作品を購入してアーティストのキャリア形成に貢献してきましたから、作家たちは特に美しく価値の高い作品をオークションのために提供してくれたのです。そして入札者は、気に入った作品を競り落とすために毎日フェアに足を運ぶ必要がありました。

──今はもう、シャラ・アートフェアは開催されていませんね。

アラビア語には「何事にも時期がある」ということわざがあります。つまり、時代とシンクロする時期があっても、それはいつか終わるのです。「エッジ・オブ・アラビア」は一時期多くの人に求められ、素晴らしい展覧会をいくつも開催しましたが、もうその役目を終えました。関わっていた人たちも、皆それぞれ別のことに移っていきました。私もそうです。

リヤド北西部のJAX地区にあるディルイーヤ現代美術ビエンナーレで作品を鑑賞する女性(2021年12月11日撮影)。Photo: Xinhua News Agency via Getty Images
リヤド北西部のJAX地区にあるディルイーヤ現代美術ビエンナーレで作品を鑑賞する女性(2021年12月11日撮影)。Photo: Xinhua News Agency via Getty Images

中東地域では「アートワールド」が形成されつつある

──今のサウジアラビアに話題を移しましょう。今月はアートウィークがあり、リヤドは活気にあふれています。2年ごとに開催されるディルイーヤ現代美術ビエンナーレもあります。そしてアスル・ギャラリーはリヤドに常設のスペースをオープンする予定です。私たちが今いるのも、あなたの財団の建物ですね。素朴な比較だと思われるかもしれませんが、ジッダはドバイに、リヤドはアブダビに似ていると思うのですが、どうですか?

確かにジッダはドバイ、あるいはケープタウンと似ているかもしれません。首都ではなく、もう少しコスモポリタンな観光都市です。年間で数千万人もいる巡礼者の80%が通過するジッダでは、宗教的な観光業が盛んです。都市の規模としてはジッダよりもリヤドの方が大きく、住民の可処分所得が多いのも後者です。今も、そしてこれからも、より多くのコレクターが集まるのはリヤドでしょう。

──コレクターでパトロンのバスマ・アル・スレイマンから昨日聞いたのですが、サウジアラビアの人口の70%が35歳以下だということですね。

彼女もカウンシルのメンバーでした。アート界の仕組みは興味深いと思います。アート市場を成り立たせるために必要なコレクターの数は、たとえばZARAが必要としている顧客の数よりはるかに少ないですが、少人数でも熱心なコレクターがいれば多くのアーティストのキャリアに大きなインパクトを与えられます。しかし、もっと幅広い人々に関心を持ってもらい、アートを買う人の裾野を広げていく必要もあります。そこで問題になってくるのは、コレクターと呼べるのは誰か、ということです。私は時々、買い手からこんな質問を受けます。敢えて「コレクター」とは呼びません。「これは良い投資になりますか」という質問です。マーク・ロスコではなく、30代半ばの画家が手がけた作品が値上がりする確率は限りなく低いのに。

──はっきりそう言うべきですね。

私はそうするようにしています。「あなたが乗っているメルセデス・ベンツは、おそらく20万ドル(約2800万円)くらいしたと思いますが、値上がりすると思って買ったわけではありませんよね。1万5000ドル(216万円)の作品を買うのに、投資対象としてのパフォーマンスを気にするのですか」と。

──サウジアラビアに限らず、よくあることですね。

2008年のアート・ドバイで世界的大手ギャラリーのディーラーと一緒に会場を回っていたら、著名な現代アーティストの作品を指差して、いくらならこれを買うかと聞くのです。私が15万ドル(約2100万円)くらいと答えると彼女はちょっと笑って、130万ポンド(約2億5000万円)の値がついていると言いました。アートの価値がどう作られるのかを考える上で、とても興味深い出来事でした。

アル・ファイサリア・タワーのテラスから見たリヤド中心部 Photo: DPA/Picture Alliance via Getty Images
アル・ファイサリア・タワーのテラスから見たリヤド中心部 Photo: DPA/Picture Alliance via Getty Images

──アートウィーク・リヤドの記者会見で、トークプログラムについての話がありましたが、そのタイトル「How to Art World: Lessons in Value(アートワールドのハウツー:価値についてのレッスン)」を聞いたとき、私の頭に浮かんだのは1964年に評論家のアーサー・ダントーが発表した論考「アートワールド」でした。彼は、「アートワールド」というフレーズを使って当時は新しかった概念について説明しています。ブリロ(洗剤付きスチールたわし)の箱とそっくりなウォーホルの立体作品《ブリロ・ボックス》を例に挙げ、それがアート作品として成立するためには、それをアートだと認定する権威を持った芸術機関と専門家たち、つまり「アートワールド」が存在しなければならないとダントーは書いています。ある意味、今のアート界は1964年にニューヨークで誕生したと言えるでしょう。そしてトークプログラムのタイトルは、「全てのアートシーンが、グローバルなアートシーンに合わせる必要はあるのだろうか?」と問いかけているように思えます。ダントーがアメリカで発明し、アートフェアやビエンナーレの形で強化されている概念、アメリカで生まれ、その後ヨーロッパでも同じような形で浸透しているこの概念に、ほかの地域のアート界が合わせる必要があると思いますか?

サウジアラビアとその周辺地域のアートワールドは、現段階ではまだ形成されつつある途中だと思います。文化省ができ、作品の収集が行われ、美術館が建設されています。また、ディナ・アミン(ビジュアル・アーツ・コミッションの代表)や私、アスル・ギャラリーの共同設立者などのアート関係者もいます。ディーラーやキュレーター、展示施設など必要な構成要素が揃い、何がアート作品であるかを定義し、その価値を決める環境が整えば、人々はアート作品を買ったり、取引したり、収蔵することができるようになります。しかし、まだそこには至っていません。

──今はどの段階にいるのでしょうか?

私は正式な教育や知識がないまま、2008年に初めてアート界と関わりを持ちました。今でも常に感じているのは、アートに対する私の認識は不完全だということです。私には知らないことがたくさんあります。しかし、知るべきことを全部知っていたら、常識に従わざるを得なくなるでしょう。知識の中に空白があるからこそ実験する余地があるし、独自の方法を確立できます。私たちのギャラリーや財団、そして私たちが手がける全てのプロジェクトは、知識の欠如を受け入れた上で、さまざまな方法で試行錯誤しているのです。

ギャラリー経営と財団運営それぞれでさらなる成長・拡大に挑戦

──アスル財団について聞きたいのですが、設立はいつですか?

ギャラリーを始めたとき、私たちはできる限り理想とするアート界に近づこうと、やれることは何でもしていました。ギャラリーを持ち、レクチャーを行い、サウジアラビア・アート・カウンシルを運営し、その活動の一環として「21,39 ジッダ・アーツ」を開催しました。「エッジ・オブ・アラビア」のスポンサーになり、アーティスト・イン・レジデンスを実施し、さらにはYBAs(ヤング・ブリティッシュ・アーティスツ)をもじった「ヤング・サウジ・アーティスツ(YSA)」という展覧会を開催して、将来性のあるアーティストを数多く発掘しています。ただ、こうした取り組みのほとんどは赤字でした。そこで私たちは、お金にならないプロジェクトを続けるために財団を作ってはどうかと考えたのです。3年ほど前アスル財団を設立し、以来文化省と緊密に連携して、さまざまなことにスピーディに対処しています。

今、サウジアラビアのアート界は組織化が進み、活性化していて、たくさんのチャンスが生まれています。それを捉えるため、ギャラリーはギャラリーの仕事に専念すべきだと考えたのも財団を作った理由の1つです。私たちは世界でトップクラスのギャラリーになりたいと思っています。現在4つの展示スペースがありますが、優秀なスタッフの力を借りて、今後は地元の作家と海外の作家の両方で取り扱うアーティストをさらに増やしていくつもりです。しかし、このエコシステムをさらに成長させ、成熟させていくにはまだ必要なものがあります。その1つが輸送と保管のインフラです。そこで私たちは物流会社と提携して、これらのサービスを提供しようと考えました。現在ハセンカンプというドイツの企業と提携し、サウジアラビアで美術品専門の輸送・保管サービスを提供しています。これ以外にも新たに事業を展開できないか模索しています。

──それは営利目的のサービスということですね。

はい、非営利団体であるアスル財団とは独立したものです。財団については、今後どう進化させていくかべきかを検討しています。現在財団が取り組んでいる主なプロジェクトは、ジッダでのアーティスト・イン・レジデンスや財団のビルの運営、エディション作品を販売するための助成金プログラム、ヤング・サウジ・アーティストの展覧会などです。将来的には、アワードの設立なども考えています。

──資金調達は誰がやっているのですか?

今のところ私です。ほかの人に任せられるようになるには、さらに成長する必要がありますが、簡単にはいきません。適切な仕組みを構築するまで時間がかかるでしょう。「21,39 ジッダ・アーツ」展のときも、最初はファミリーサポーターを募って資金を集め、その後UBSとヴァン クリーフがスポンサーにつき、さらに文化省が支援をしてくれるようになりました。次のステージに進むためにどうすれば弾みをつけられるのか、どうすれば人々に関心を持ってもらえるのか、いろいろと試しているところです。

──企画から資金調達まで、八面六臂の活躍ぶりですね。

知り合いにも同じような人がいますが、アート界での自分の役割を説明するのは難しいですね。果たして私はディーラーなのか? 慈善家なのか? コレクターなのか? パトロンなのか? 美術品輸送の専門家なのか? 物流業者なのか? 先ほど、この国のアートシーンの進化についての質問がありましたが、進化の途中では誰もがいくつもの役割を兼ねるものです。それに、自分の可能性を狭めたくないとも思っています。よく、「5年後はどうなっていると思いますか」と聞かれるのですが……。

──私も聞こうと思っていました。

そんなことは分かるはずありませんし、考えたくもありません。考えれば考えるほど、可能性を狭めることになるからです。私はアートシーンやアート市場において、「今、言ったことの全て」でありたいと思っています。いずれはアスル財団で、展覧会を企画・開催する小規模な美術館を作りたいとも考えています。コレクションはせず、企画展に特化した美術館で、そのための資金とスペースを確保できたら実行に移すつもりです。

──設立する場所はジッダとリヤド、どちらを考えていますか?

状況によりますね。私たちの財団は、ジッダではアーティスト・イン・レジデンスのプログラムを運営しています。リヤドにはこのビルがあります。また、JAX地区(リヤド郊外のディルイーヤにある元工業用地を利用したクリエイティブ・ハブ)では、いろんなことが起きています(アートウィーク・リヤドでは多くの展示やイベントがここで開催されていた)。

──今回のアートウィークでアスル・ギャラリーはJAX地区の仮設スペースで展示をしていますが、もうすぐ常設スペースがオープンするそうですね。また、JAXのすぐ近くには、私たちが今いるアスル財団の建物があります。ここを使うようになった経緯について教えてください。

ギャラリーはJAX内の恒久的なスペースに移ります。この建物に関して言うと、JAXの倉庫はうるさくて嫌だというアーティストもいるだろうと思ったのです。アーティストやクリエイターの中には、あの倉庫は賃料が高すぎて借りられないと思う人や、広すぎると感じる人もいます。また、スタジオとして使っている倉庫の近くに住みたいという人もいます。私たちはこのビルを10年の契約で借りていて、お金をかけてリノベーションしたスペースが全部で10戸あります。1つは財団がオフィスとして使っていて、残りの9区画はテナントが借りています。

アーティストのスタジオのほか、シルクスクリーン印刷のスタジオやグラフィックデザイナーのオフィスもありますし、2人のアーティストがここに住み、1つのユニットを居住スペースと仕事のスペースに分けて使っています。私のスタッフも何人かここに住んでいますが、この建物の家賃収入で財団職員2人分の給料に相当する収入を得ています。ディルイーヤ現代美術ビエンナーレの開催期間に合わせて、ヤング・サウジアラビア・アーティストの展覧会をここで開催したこともあります。当時は6つのユニットが空いていたので、JAXのすぐ近くにあることだし、せっかくだから展覧会をやろうと決めたのです。今回のアートウィークに合わせてここで何かやりたかったのですが、満室だったのでできませんでした。タイミングが合えば来年やるかもしれません。

──課題だと感じていることは?

私たちが直面している最大の課題の1つは、所属アーティストがより大きなギャラリーに移ってしまうことです。アーティストたちは進化し、成長したいと思っています。露出を増やし、より多くの人々にリーチしたいのです。私はそれに反対することはしません。

──国際的な展開を考えていますか?

前向きに考えています。

──周辺地域で拠点を増やすのですか? それともさらに広域の展開を考えているのでしょうか?

今のところはこの地域での展開を考えていて、最有力候補はアブダビです。最近アブダビで開かれたアートフェアには、地元の人々が大勢来場し、とても盛り上がっていたのが印象的でした。彼らは非常に強固な基盤を築いたと思います。

──今年はグッゲンハイム・アブダビもオープンしますね。

さらにザイード国立博物館やチームラボの展示施設もオープンします。今あの街では多くの動きがあります。まずはアブダビに進出し、それからヨーロッパのどこかに拠点を設けたいと考えています。具体的な場所はまだ決めていません。マドリード、あるいはパリかロンドンかもしれません。進出する時期や状況によって決まると思います。(翻訳:野澤朋代)

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