アートウォッシングか、アートを通じた社会変革か。ポンピドゥー・センターのサウジアラビア進出の意味

今年3月、フランスポンピドゥー・センターがアルウラの美術館建設に協力すると発表するなど、サウジアラビアはフランス政府の力を借りながら、世界的なアート大国への変貌を遂げようと必死だ。しかし、それを実現するには、サウジアラビア社会に残る問題を解消する必要がある。

世界最大の鏡張り建築、マラヤ・コンサートホールの外観。サウジアラビア北西部、ユネスコの世界遺産に登録されているアルウラ遺跡にある。Photo: Fayez Nureldine for Agence France-Presse via Getty Images

観光業の発展を目指す「サウジ・ビジョン2030」

2017年、サウジアラビアの皇太子に就いて間もないムハンマド・ビン・サルマン・ビン・アブドルアジーズ・アール・サウード(当時31歳)は、宮殿内からリラックスした様子でテレビの国際放送に出演し、経済を多様化して石油への依存を減らすための野心的な計画を説明した。「サウジ・ビジョン2030」と名づけられたこの計画の中心は、同じ湾岸諸国のアラブ首長国連邦同様、観光業を発展させることにある。

「特に観光分野など、まだ開発されていない分野には非常に大きな資産価値が見込めます。その規模は1兆リヤル(現在の為替レートで約37兆円)に達するでしょう」と皇太子は語った。

サウジアラビアの実質的な支配者であるムハンマド皇太子の観光振興計画は、同国の砂漠地帯にあるアルウラを中心とするものだ。アルウラには、7000年前のものを含む約3万もの史跡が点在するため、野外博物館と呼ばれることもある。最も重要なヘグラ遺跡は国内唯一のユネスコ世界遺産で、砂岩の崖にナバテア人が刻んだ100あまりの墓が残っている。US版ARTnewsの姉妹メディアであるArt in Americaの取材を受けた関係者によると、サウジアラビアは今後7年間で350億ドル(現在の為替レートで約4兆8000億円)以上の予算を投じ、かつてシルクロードの重要な交易拠点であったヘグラと周辺地域を新たな国際的要衝に変えようとしているという。

サウジアラビアでは、数年前まで商用やメッカ巡礼といった目的での入国しか認められていなかった。それを考えると、この地域だけで年間200万人を超える観光客を呼び込もうというのは、かなり意欲的な計画と言えるだろう。

当初からこのプロジェクトの中心的存在として関わってきたフランスは、2018年から10年間、年間3000万ユーロ(約44億7000万円)の契約を結び、高級ホテルやレストラン、馬関連のスポーツ、芸術・文化展示、アーティスト・レジデンスなどの開発における「専門知識」を提供。国際空港や全長19キロの緑道とトラム、多数のホテル、アラブ歴史博物館の開発が始まっており、中にはすでにオープンしたものもある。

特にアルウラの古代遺跡や砂漠の渓谷に囲まれた現代アート作品は、サウジアラビアの自由化とアート市場の活性化を象徴する存在として脚光を浴びている。

アート関連の開発事業が動き始める中、今年3月中旬にポンピドゥー・センターがアルウラの美術館建設に協力することを発表し、プロジェクトは新たな段階へと歩を進めた。しかし、アルウラの開発に深く関わるフランスを含め、開発事業への関与には慎重さが求められるようだ。サウジアラビアは抑圧的な王国で、長い間限られた外国人しか受け入れてこなかった。それが少しずつ世界に開かれていることが、政治環境をデリケートなものにしている。

2017年に開館した、アラブ首長国連邦にあるルーブル・アブダビの外観。Photo: ©Louvre Abu Dhabi, Photography: Mohamed Somji

ルーブル・アブダビという先例

石油資源の豊富なペルシャ湾岸の国が、フランスの援助で東洋と西洋を融合させた豪華な新美術館をオープンし、観光セクターを活性化させる──どこかで似た話を聞いたことがあると思う読者は少なくないだろう。ポンピドゥー美術館のプロジェクトは、ルーブル・アブダビ設立の経緯を連想せずにはいられない。

2007年、アラブ首長国連邦はフランスに10億ユーロ(約1490億円)を支払って30年間の契約を結んだ。それによって新美術館にルーブルというブランド価値の高い名を冠する権利を得たのに加え、展示や作品購入に関する専門知識や指導、さらに最も重要な点として、膨大な数の美術品を貸し出す約束を取り付けた。実際、2017年のルーブル・アブダビ開館時には、フランスの17の美術館がゴッホマネダ・ヴィンチの作品を含む300点の美術品をアブダビに送っている。

ルーブル・アブダビには、フランスのブランドをアラブ首長国連邦に下げ渡したという批判や、建設に関わる労働者虐待疑惑もあったが、プロジェクトは成功を収めたというのが両国政府の自己評価だ。しかし、美術館の設立にあたっては、不正取引で取得された古美術品の購入が疑われ、フランス政府関係者が国際捜査の対象になっている。それでも、契約は2021年にさらに10年間延長され、1億6500万ユーロ(約246億円)の予算が追加された。

フランスの芸術・外交関係者の間には、ルーブル・アブダビが成功したことでムハンマド皇太子がフランスの専門知識を求めるようになったという見方がある。サウジアラビアとアラブ首長国連邦は、湾岸地域でライバル関係にあるからだ。しかし、欧米のメディアや美術関係者の間でささやかれているこの噂を、フランス政府アルウラ開発庁(AFALULA)の責任者たちは否定する。その主張によれば、ポンピドゥー・センターによるアルウラへの関与は、より小規模なものにとどまるという(ポンピドゥー・センターはコメントの要請に応じなかった)。

AFALULAの文化遺産プログラム担当科学ディレクター、ソフィー・マカリウは、「私たちはサウジアラビアとともに、そしてサウジアラビアのために、共同事業として美術館設立のプロジェクトに関わっています。アルウラに(フランスの)旗を立てたり、ブランドを持ち込んだりすることが目的ではありません」と述べている。

今年3月中旬に発表された契約内容では、新しい美術館にはポンピドゥー・センターというブランド価値のある名前は与えられない。美術館のコンセプトは当初「パースペクティブズ・ギャラリーズ(複数の視点の美術館)」とされ、管轄機関のアルウラ王立委員会(RCU)によると、美術館の名称はまだ検討中だという。仏ルモンド紙の報道では、年間予算は210万ドル(約2億9000万円)と、確かに規模は小さい。AFALULAが発表したリリースでは、ポンピドゥー・センターは美術品の保存、教育プログラム、展覧会企画に関する専門知識、トレーニング、指導を提供する。美術品の貸し出しも契約内容に含まれるとされているが、その規模は明らかではない。

スペイン南部アンダルシアにあるマラガ・ポンピドゥー・センター。特徴的なガラスキューブの構造物は、フランス人アーティスト、ダニエル・ビュラン(1938年生まれ)の設計。Photo: Ken Welsh/Education Images/Universal Images Group via Getty Images

サウジアラビアのポンピドゥー・センターが目指す姿

ポンピドゥー・センターは、独自の戦略で国際的なネットワークを拡大してきた。2015年にマラガ、2019年には上海にポンピドゥーの名を冠したサテライトをオープン。今後もブリュッセルソウルアメリカ・ニュージャージー州のジャージーシティに分館を設立する計画があり、それに加えてルーブル・アブダビの開発にも関与する。しかし、AFALULAによると、ポンピドゥー・センターとサウジアラビアの契約は、既存のどのプロジェクトとも異なる形態だという。「(RCUは)他のどこかで行われたプロジェクトの模倣は望まない」とマカリウは強調した。

アルウラの美術館構想が他のポンピドゥー・センターのプロジェクトと最も違う点は、数多くのステークホルダーがいることだ。RCUはArt in Americaの取材に、ポンピドゥー・センターの代表は美術館の専門家パネルの一員であると述べ、RCUがさまざまな国際的、地域的パートナーとの共同でプロジェクトを進めていることを明らかにした。

RCUのアート&クリエイティブ・プランニング・ディレクター、ノラ・アルダバルは、「世界中から人が集まるアートの中心地という新たなステータスをアルウラにもたらすこと」を目標にしているとし、「パートナーがこの地の歴史を理解して、その過去と現在のコミュニティの双方に語りかけるようなプロジェクトに取り組む。これが、私たちにとって重要なことです」と説明した。

ロンドンのホワイトチャペル・ギャラリーで20年間ディレクターを務めたイウォナ・ブラズウィックは、アルウラに現代美術館を設立するプロジェクトの共同責任者として、RCUのアドバイザーを務めている。ブラズウィックは、この地域の建築物や環境に学んだ「カーボンニュートラルなモデル」を実現し、アルウラ周辺を含め、従来あまり取り上げられてこなかった地域の美術品に光を当てる予定だと語った。

「中東やグローバルサウスには、とても積極的で活発な美術館が次々と誕生しています。このプロジェクトは新しいネットワークを構築し、交流を図るすばらしい機会です。何十年も孤立していたサウジアラビアが、外の世界との架け橋を作ろうという幅広い構想の一翼を担うのが新しい美術館なのです」

アルウラ地区にあるイスラム教以前の遺跡、マダイン・サーレハ。古代にはギリシャ語やラテン語で、アル=ヒジュルやヘグラと呼ばれた。Photo: Saudi Government/Pictures From History/Universal Images Group via Getty Images

フランスの「ソフトパワー」を用いた外交戦略

このプロジェクトは、ルーブル・アブダビと同様、言語、経済、教育、文化などさまざまな面でフランスのソフトパワーを発揮しようという戦略の一部だ。

2021年末、フランスのジャン=イヴ・ル・ドリアン外務大臣(当時)は、「世界中で競争が激化し、軍事力・経済力といった伝統的なハードパワーとソフトパワーとの境界線があいまいになりつつある今、文化外交とソフトパワーの意義、目的、そして手段を見直すことが急務だ」と発言した。その頃フランスは、このテーマに関して初の「総合的ドクトリン」を発表。表紙にはルーブル・アブダビの写真を使い、アブダビとアルウラの美術館設立プロジェクトを「文化遺産や博物館など、カルチャー分野でフランスが卓越した専門知識を発揮した」成功例として挙げ、戦略上優先するべき事項に位置づけていた。

こうした目的を掲げてはいるが、フランス政府関係者は一方で、文化的排外主義と解釈されかねないものには敏感なようだ。2002年以来、フランスはアルウラで十数回の共同考古学ミッションに参加しているが、フランスの専門知識を求めたのはサウジアラビア側であると、公文書の中で繰り返し強調している。

フランス外務省の文化・ソフトパワー外交責任者のマチュー・ペイローは、「サウジアラビアに影響を与えたいわけではない」と言い、「(サウジアラビアと各国との)二国間関係の中で、フランスに優先的な位置づけが与えられるようにする」ことが目的で、「一般的な競争」の文脈に沿ったものだと述べた。

フランスとサウジアラビアの外交関係には、微妙な駆け引きがある。フランスは、アルウラの現代美術館以外にも現地で数多くのプロジェクトを展開している。また、AFALULAはフランス系企業と独占的に契約しているわけではないが、すでにフランス系企業約250社が参加。今年2月には、フランス政府機関とRCUが、文化センター設立の長期計画に関する追加詳細を発表した。センターは、「アーティストとクリエイターを育成する機関であり、複数の補完的な文化スペースを中心に構成される」もので、具体的にはアーティスト・レジデンス、工芸品のワークショップ、展覧会、上級者向け教育、毎年のアートフェスティバルなどが計画されている。また、同センターに隣接する建物には、フランス有数の料理・ホスピタリティ教育機関であるフェランディの運営するカレッジができる予定だ。

当初、RCUはフランス街区を作ることを提案したが、AFALULAのジェラール・メストラーレ会長はこれを丁重に断わったとして、「何かを押し付けるのが目的なのではない」と語った。「ベレー帽やバゲットが突然出てくるような、世界万博のようなひけらかしはしたくなかった(略)私たちのこだわりは世界共通の文化を提示することにある」

AFALULAとRCUは、長年フランス政府が運営してきた文化施設ネットワークの一部としてこのセンターを構想し、ヴィラ・ヘグラと呼ぶことにした。フランスの文化ヴィラには、1666年に設立されたローマのヴィラ・メディチや、1992年に設立された京都ヴィラ九条山がある。サウジアラビアのヴィラでは、「フランスとサウジアラビア、そしてより広くヨーロッパとアラブ文化の間の芸術的な交流に取り組む」と、AFALULAは述べている。なお、ヴィラの設計は、2021年にプリツカー賞を受賞したラカトン&ヴァッサルが担当する。

2018年10月25日、トルコ・イスタンブールにあるサウジアラビア領事館の外で行われた、ジャーナリストのジャマル・カショギを追悼するキャンドルナイト。米国在住でサウジ政権を批判していたジャマル・カショギは、同年10月2日に同領事館で殺害された。Photo: Chris McGrath/Getty Images

文化による社会改革か、「アートウォッシング」か

ムハンマド皇太子の「サウジ・ビジョン2030」には、国際貿易の拡大、インフラ整備、特定産業の育成、女性の権利を中心とした社会改革の実施など、多岐にわたる提案が盛り込まれている。中でも文化や芸術は、抑圧的と見なされてきたサウジアラビアの政権が、国際社会での評価を改善しようという試みの中心となるものだ。

アルウラのプロジェクトに加え、サウジアラビアは首都リヤドと商業の中心都市ジッダで、それぞれ何百もの博物館・美術館やアートイベントの拡張と建設に資金を注ぎ込んできた。同国では2018年に長年にわたる禁止令が解除されたことから、数十年ぶりに新しい映画館が開館。また、プロレス団体ワールド・レスリング・エンタテインメント(WWE)のペイ・パー・ビュー・イベント、F1グランプリレース、毎年の紅海国際映画祭や光の祭典ヌール・リヤドなどを始めている。

サウジアラビアの社会・公共政策の専門家、ヤスミン・ファルークは、「ビジョン2030について言えば、文化はツールであり、目的でもあります」と言う。芸術分野の発展は、「規範や価値観を変えることでサウジアラビアの社会を変革し、同時に雇用を生み出すと考えられています」

確かに、芸術分野の発展や社会改革は、政府の権威を支えてきた「社会政治的規範」を劇的に変化させるわけではないが、サウジアラビアのイメージ一新に寄与するだろう。しかし、サウジアラビアが文化を利用して、複雑な現実を「アートウォッシング(*1)している」と懸念する人たちも少なくない。非営利団体リプリーヴで中東・北アフリカの死刑制度を調査しているジード・バシューニもその1人だ。


*1 アートやアーティストを利用して政府や社会の不正から注意をそらそうとすること。

バシューニはメール取材にこう答えた。「サウジアラビアが世界にアピールしているイメージと、抑圧的で暴力的な国家という現実との間には、恐ろしいギャップがあります。サウジアラビアで展覧会を開いたり、サウジアラビアの後援を受けたりするアーティストは、この政権の真相を知るべきです。この政権は、子どもの被告人や、私たちにとっては当然のことである民主主義の権利を求めるデモに参加しただけで有罪とされた人たちを、次々と処刑しているのです」

リプリーヴは今年1月、欧州サウジアラビア人権機構と共同で報告書を発表し、ムハンマド皇太子の就任とほぼ同時期の2015年以降、死刑執行が82%増加していることを明らかにした。2018年には、米ワシントン・ポスト紙のコラムニストでサウジアラビアの反体制派だったジャマル・カショギが殺害されている。CIAの報告によれば、手を下したのはムハンマド皇太子に直接命令を受けたサウジアラビアのエージェントだという。その直後には、数多くの企業が取引を中止したり、サウジアラビアからの資金を返還したりする動きがあったが、4年後の今、経済情勢の厳しさが増す中でサウジマネーは再び魅力的なものになっている。実際、サウジアラビアは2021年後半に、新しいゴルフリーグのLIVやビデオゲームメーカー、そしてハリウッドに数百億ドル規模の投資を行った。

アルウラ遺跡にあるマラヤ・コンサートホールで開かれたアンディ・ウォーホルの展覧会を鑑賞するサウジアラビアの男性(2023年2月19日撮影)。Photo: Fayez Nureldine/AFP via Getty Images

アーティストや美術館関係者が感じる不安

しかし、ファインアートの世界では、批判が沈静化する気配はない。今年2月、アルウラでは第2回アートフェスティバルが開催され、ピッツバーグのアンディ・ウォーホル美術館館長、パトリック・ムーアのキュレーションで大規模なウォーホル展「FAME」(名声)が行われた。

同性愛を禁じているサウジアラビアで開かれた同展は、作家の性的指向についての言及がないということで、開幕直後から批判の声が上がった。同性愛者であるムーアは、Art in Americaのインタビューで、ウォーホルのセクシュアリティを取り上げなかったのは正しい判断だったと主張。この展覧会はタイトル通り名声をテーマにしていて、現在のサウジアラビア文化の潮流に合っていると説明した。さらに、展覧会の準備中に検閲を受けたり、サウジアラビア滞在中に自分の性的指向を隠したりすることはなかったと話している。

ムーアはまた、3月上旬に「私が後悔していない理由」と題した論説をアートネットに寄稿している。その理由について「どんな批判にも、私はそれほど悩まされませんでした。むしろエキサイティングな体験でしたから」と語った。

一方、まだ実績の少ないアーティストや美術関係者はArt in America誌の取材に対し、サウジアラビアのプロジェクトに協力することで「キャンセル」されたり、同業者がすでに断った仕事を引き受ける羽目になったりするかもしれないという懸念を示した。アルウラの共同事業への協力をフランスの文化施設に働きかける活動の内部事情を知るある人物は、ポンピドゥー・センターの内部では、組合員のスタッフから、シャリア法(イスラム教の法制度)の下で働くことを懸念し、このプロジェクトへの参加をためらう声が聞かれたと証言している。

AFALULAとフランスのアートコンサルティング会社マニフェストが主催したアルウラのアーティスト・レジデンスに参加したあるアーティストは、欧米のアート関係者からはとても驚かれたと話す。地域住民の暮らしや歴史、風土に関係したワークショップなどを行う12週間のレジデンスで、アーティストに与えられる報酬は約8000ドル(約110万円)だった。

批判を恐れて匿名で取材に応じたこの女性アーティストは、同じレジデンスに参加したアーティストから、プログラムへの参加を知ったコレクターが、突然作品の購入を拒否してきたという話を聞いたという。彼女は、「後からボイコットされるかもしれないので、本当に怖いです」と不安げに話していた。

こうした懸念をよそに、アルウラの大規模な文化開発事業は着々と進行しているようだ。砂漠にサイトスペシフィックな作品を展示するカリフォルニアのランドアート展、「Desert X」のアルウラ版がこれまで2回開催され、広く知られるようになった。また、「ワディ・アル・ファン」(「芸術の谷」の意)のために一連の大規模なランドアートが委託制作されている。このプロジェクトには、ジェームズ・タレルマイケル・ハイザーといったアメリカの大物アーティストに加え、サウジアラビア人アーティストも参加している。サウジアラビアにおける女性の人権問題を批判する作品で知られるマナル・アル・ドワヤンや、政治的に危険なアートを展示することもあるサウジアラビア独自の現代アート運動「Edge of Arabia」を始めたアーメド・マーテルらだ。

ワディ・アル・ファンのプロジェクトを監督しているRCUのアドバイザー、イウォナ・ブラズウィックはこう語る。「自分には合わないと感じる人の気持ちは全面的に尊重します。自由化が進み、さまざまな形のアートが受け入れられるようになるにつれ、状況が変わっていくことを期待しています。ゆっくりではあるけれど、変化は確実に起きています。そして、もし私がそれに貢献できるのであれば、フェミニストとして非常にポジティブなことができたと思えるでしょう」

サウジアラビアのリヤドで開催されたストリート・アートフェスティバル「Shift22」でペイントされた建物。Photo: Getty Images

サウジアラビア社会の現実と起きつつある変化

それでも、もやもやした疑問は残る。サウジアラビア社会の進歩はどれほど現実的なのか? アルウラのようなプロジェクトは「アートウォッシング」なのか? それともサウジアラビアの自由化に貢献しているのか? 元駐イエメンアメリカ大使で中東研究所のシニアフェローであるジェラルド・ファイアスタインは、その問いに対する答えは複雑だと語る。

「改革は現実に起きていて、今後も逆行することはないでしょう。ムハンマド皇太子は、サウジアラビアの若者たちが望む方向を目指して前進しています」

同時に、ムハンマド皇太子は過去の政権よりもさらに権力の集中を図っているとファイアスタインは言う。どうやら、政治的には抑圧的だが、社会・経済は開放的という中国のような国家を目指しているようだ。「ツイッターやフェイスブックで発言したり、嘆願書に署名したり、民主主義的な発言をすれば刑務所に入れられる可能性があります」。それでも、サウジアラビアの変化は「偽物のディズニーランドではない」と、ファイアスタインは説明する。

AFALULA会長のメストラーレも同じように考えている。「偽物のイメージを提示すればプロパガンダになってしまうが、(サウジアラビアは)実態のないことを伝えているわけではない」

文化振興資金の流入以外にはっきり目に見える変化は、アートシーンが明らかに開放されたことだ。あるサウジアラビアのアーティストは、発言の反響を恐れて匿名で取材に応じ、欧米との交流が深まったことで作品展示の機会が格段に増えたと語る。「アーティストとしてキャリアを積むことができるようになり、サウジアラビアにもアーティストがいるということが世界に知られるようになりました」

サウジアラビア東部のアルハッサに住む30歳のサウジアラビア人アーティスト、ムハンマド・アルファラージは、アルウラで最近開かれたアーティスト・レジデンスに参加し、地元の若者と密に協力しながら、砂を素材とした感動的な映画を制作した。

サウジアラビアの現代アートギャラリーAthrに所属するアルファラージは、「サウジアラビアには、新しい形で自国を表現する権利があります。これまで、MENA地域(中東・北アフリカ)の中で最も長い間そうすることができませんでした。その方法がなかったのです。でも今では、その理由が何であれ、サウジアラビア政府は文化の担い手を支援するようになりました。少なくとも今の私たちにはスペースがあり、その中で動き回ることができるようになったのです」

サラ・ファヴリオ《splintering》(2022年) Photo: Courtesy of the Artist

政治的不確実性を孕みつつ前進する文化的開放

しかし、アルウラのレジデンシスに参加している海外のアーティストが、大きなカルチャーショックを受けることもある。フランス人アーティストのサラ・ファヴリオは、サウジアラビアの文化を理解するためにはレジデンシスへの参加が重要だと感じたものの、地元の人々の苦難や恐怖も伝わってくるという。

「(サウジアラビアでは)何かを発言することには難しさがあります。口にしたことが危険を招く可能性があるので」と語る彼女は、レジデンス期間中、公の場での発言に気を配りながらも、女性の権利や移民労働者といったデリケートなテーマをアートで表現した。アルウラで制作した《splintering》では、地元の若い男女7人の有償ボランティアが、放棄されていた泥地の農場で地面にかがみこみ、2時間にわたって岩を砕いて赤や黄土の鉱物片を作り出す。この映像作品は、そう急進的には見えないかもしれないが、顔を覆わずに男女が一緒に働く場面は数年前までは考えられなかった。このことは、撮影に参加したボランティアにとっても、それを見るサウジアラビア人にとっても、「政治的にとても大きな意味があった」とファヴリオは言う。

ファヴリオのこのアプローチと同様、サウジアラビア人の作家たちは、社会や政治の問題をさりげないやり方で表現する傾向がある。たとえば、公共の場で音楽を聴くことや、イスラム教以前の歴史に言及することなど、以前は禁止されていたことを取り上げたり、カリグラフィーや抽象的な形の中にそれとなく暗号的なものを埋め込んだりする。アートの世界の常として、文脈が全てなのだ。

欧米の人間は、「FAME」展がウォーホルのセクシュアリティに言及しなかったことを批判したが、前出のアーティスト、アルファラージなどサウジアラビアの人々にとっては、さまざまな点で画期的な展覧会だった。有名なゲイのアーティストの作品であり、サウジアラビアではまだほとんど見ることのできない具象作品が展示され、しかもその中にはナタリー・ウッドの裸の背中もあったのだ。

今のところ、ポンピドゥー・センターが主導する現代美術館設立計画など、アルウラのプロジェクトに関わるアーティスト、文化関連の業界人、政府関係者は、「アートウォッシング」をめぐる不快な問題が解決されないまま、サウジアラビアの文化的開放を進めるための仕事を、不確実な状況の中で模索しながら続けている。

「この地の政治に賛成するにせよ反対するにせよ、重要なのはどれだけポジティブな貢献ができるかということです」と、アルファラージは強調する。「サウジアラビアに来た人たちを見れば、純粋に興味を持ってくれて、ここに何かをもたらしたい、人々と交流したいと考えていることがわかります」(翻訳:清水玲奈)

from ARTnews

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