音は「抵抗」の最も直接的な方法──ユーモアを原動力に複雑な政治的テーマに挑むビント・ムバレ【New Talent 2025】
US版ARTnewsの姉妹メディア、Art in America誌の「New Talent(新しい才能)」は、アメリカの新進作家を紹介する人気企画。2025年版で選ばれた20人のアーティストから、水と人々の声を用いてパレスチナの抵抗を表現するサウンドアーティスト、ビント・ムバレを紹介する。

「変化を起こすにはメタファーが必要」と言うビント・ムバレが制作しているのは、波をメタファーとした作品で、特に水の波と音の波の物理的類似性が発想源になっている。そして、イスラエル占領下のヨルダン川西岸地区にあるラマラで育った彼女のサウンドアートやインスタレーションには、水という物質の持つ重層的な意味が織り込まれている。パレスチナ人にとって水は、不足すれば暴力性を持つものになり、不足するからこそ神聖なものでもある(*1)。
*1 イスラエル占領下にあるヨルダン川西岸地区やガザ地区では、イスラエルによる水資源の支配により公平な水利を得られていない。
ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジに在学中、ビント・ムバレ(本名ではなく、サウンドアートに取り組み始めた2019年頃から使っているステージネーム)は、パレスチナに伝わる雨乞いの歌を研究していた。彼女はそれまで、そうした歌を知らなかったという。それは、伝承されてきた地域が限られているのと、多くのパレスチナ人と同様、父方、母方双方の家族が元いた土地を離れなければならなかったからだ。彼女はこう説明する。
「つまり、祖母と一緒に歌って覚えるというような、普通のやり方で音楽を受け継ぐことができなかったのです」
ビント・ムバレは一人でそれらの歌を覚え、伝統的な歌い方とは異なる方法でパフォーマンスを行っている。《Time Flows in All Directions: Water Flows Through Me(時はあらゆる方向に流れる:水は私の中を流れる)》(2020年初演)などの作品では、ライブで歌いながらデジタル技術を使い、自分の声とさまざまな楽器の音をループさせ、重ね合わせ、リミックスすることで、楽曲を歪ませ、不安定な調子にする。その不安定さが聴く人から心地良さを奪い、パレスチナの混乱を思い起こさせる。
ロンドンを拠点に活動するビント・ムバレは、コンセプチュアルな意味を込めて「クワイヤー(合唱隊)」と呼ぶグループをメディウムとして制作を始めた。そこに集まったのは、2023年10月7日(*2)以来の悲しみを声で表すアーティスト仲間やコラボレーター、友人たちだ。ビント・ムバレは、「これは文字通り、私たちの身体の境界を超えたところにあるメディウムなのです」と語る。
*2 ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスが、突如イスラエルへの大規模な越境攻撃を行った日。パレスチナとイスラエルの戦争の発端となった。
昨夏、ミュージシャンのムスタファ・ザ・ポエットがロンドンで開催したイベント「アーティスツ・フォー・エイド(Artists for Aid)」のチャリティコンサートでは、ビント・ムバレとクワイヤーのメンバーが、クレイロ、FKAツイッグス、ブラッド・オレンジらと共演。また、その秋にテート・モダンで開催されたカンファレンス「Waterways: Arteries, rhythms and kinship(水路:幹線、リズム、親しみ)」では、クワイヤーによる発声をベースとしたインタラクティブなパフォーマンスを披露した。

10月7日以来、ビント・ムバレの作品はパフォーマンスの領域を超え、より物理的な形を取るようになった。2024年にロイヤル・カレッジ・オブ・アートで展示された《Bodies of Knowledge(知識体系)》や、2025年のシャルジャ・ビエンナーレに出展された《What's Left?(残されたものは?)》などのインスタレーション作品には、音だけでなく、音によって振動する水槽の水が組み込まれている。《What's Left?》ではまた、小さなおもちゃの車とビー玉が水槽に入っていることで、子どもの頃の奇妙な感覚が呼び起こされる。
重いテーマを扱っているにもかかわらず、ビント・ムバレの作品の多くには、場違いにも思えるユーモアや軽妙さがある。それについて彼女は、「政治的な作品を制作できるのはとても幸運だと感じていますし、揶揄すべきネタには事欠きません」と話す。また、「bint mbareh」という名前については、「義理のお母さんが言いがちな言葉」なのだと笑いながら教えてくれた。
「まるで昨日生まれたばかりみたいに間抜けだ、というような意味なんです」
ユーモアを片手に、生き残るという大きな賭けをもう片方の手にしたビント・ムバレは、軽やかさと深みを複雑に混ぜ合わせた作品を生み出さす。そうした中で、ムバレの言う「音が抵抗のすべとなる最も直接的な方法」を探求しているのだ。(翻訳:清水玲奈)
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