中国で2000年前の墓75基を発掘。ヒスイや漆塗りの遺物など300以上の副葬品が出土

中国・安徽省潜山市で、約2000年前にさかのぼる75基の墓が見つかった。中心は戦国時代と漢時代のもので、300以上の遺物も出土している。潜山市ではこれまでも長年にわたり、数百もの戦国時代・漢時代の墓が発掘されてきた。

中国東部の安徽省で2024年に発掘された75基の墓。Photo: Courtesy of the Anhui Provincial Institute of Cultural Relics and Archaeology, Qianshan Cultural Relics Protection Center and the Qianshan Museum

マイアミ・ヘラルド紙が伝えたところによると、中国の安徽省文物考古研究所の考古学調査チームは6月6日付のニュースリリースで、潜山市文物保護センターと潜山市博物館の協力の下、2024年4月から12月にかけて合計75の墓と4つの窯跡を発掘したと発表した。

発掘が行われたのは中国東部の安徽省安慶市潜山市梅城鎮の遺跡で、ニュースリリースによると「主に戦国時代や漢王朝時代の墓で、六朝から北宋時代のものも数は少ないが含まれている」という。人骨はほとんど見つかっておらず、墓は盗掘でかなり荒らされていたが、青銅器や鉄器、ヒスイ、漆器、陶器など300以上の遺物が出土した。

発掘調査の報告書によると、戦国時代の37基の墓は長方形で通路がなく、うち7基から「比較的保存状態の良い棺」と、ヒスイや陶器、漆器、銅製の壺、甕、盤など、数多くの副葬品が見つかっている。

墓の大部分は民間人や下級貴族のものと見られるが、規模が大きく「精巧な埋葬品」が発掘されたものは、裕福な地主の墓ではないかと推測されている。出土品の中には、扉付きの棺や漆を塗った木製の平たい容器など、この地域での過去の発掘には見られない遺物もあり、ニュースリリースでは「安徽省南西部における葬儀の風習・文化の長期にわたる変遷、社会の変化や発展の研究に資する新たな物的資料が加わった」とされている。

一方、安慶市の公式な調査では初めての発掘となる4つの窯跡は南宋時代のものと見られ、ニュースリリースには「この地域の窯作りの技術の変遷や安慶における都市建設の歴史、南宋の官制を研究する上で大きな価値がある」と記されている。(翻訳:石井佳子)

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