韓国の現代アートはなぜいま世界で人気なのか? NYで開かれた3つの展覧会から、その理由に迫る

韓国政府は昨年、戦後の韓国美術に対する輸出規制を緩和し、同時期に導入された新しいアート振興法とともに、現代アーティストの海外進出と市場活性化を後押ししている。その背景にあるのは、韓国美術への世界的な関心の高まりだ。ブームを裏付ける3つのニューヨークでの展覧会をレビューし、人気の理由を考察する。

ニューヨークのティナ・キム・ギャラリーで開催された展覧会「The Making of Modern Korean Art: The Letters of Kim Tschang-Yeul, Kim Whanki, Lee Ufan, and Park Seo-Bo, 1961–1982」の展示品。Photo: Hyunjung Rhee/Courtesy Tina Kim Gallery
ニューヨークのティナ・キム・ギャラリーで開催された展覧会「The Making of Modern Korean Art: The Letters of Kim Tschang-Yeul, Kim Whanki, Lee Ufan, and Park Seo-Bo, 1961–1982」の展示品。Photo: Hyunjung Rhee/Courtesy Tina Kim Gallery

今、韓国の現代アートは、世界からかつてないほどの注目を浴びている。マサチューセッツ州のピーボディ・エセックス博物館で韓国美術の展示室が5月17日にリニューアルオープンし、韓国の大衆文化をテーマにした「Hallyu! The Korean Wave(韓流!)」展が、ロンドンヴィクトリア&アルバート博物館を皮切りにボストンサンフランシスコを巡回。高く評価されたこの展覧会は、現在チューリヒのリートベルグ美術館で開催中だ。

世界中の美術館で取り上げられ、大きな注目を浴びている韓国美術に勢いがあるのはニューヨークも例外ではなく、この5月以降、3つの展覧会が同時期に行われた。これらの展覧会は、それぞれの視点から韓国美術隆盛の源泉に光を当てている。それはすなわち、政治的混乱と異国での生活によって生み出された、20世紀韓国モダニズムの豊かな実験的創造の積み重ねにほかならない。

1950年代半ばから世界との交流を続けてきた韓国人アーティストたちは今、現代アートシーンの地図を書き換えている。キム・ダルジン(キム・ダルジン美術資料博物館の創設者で、韓国の現代アートシーンに関する著作がある)が指摘するように、韓国美術は50年代にはすでに海外進出を果たしていたが、国際的なアートシーンで確固たる存在感を獲得するまでには、それから数十年を要している。

徐々に増していた韓国美術の存在感は、20世紀後半に韓国で興った(単色画などの)芸術運動に対する市場の拡大と学術的な関心の高まりを背景に、フリーズソウルで初めてフェアを開催した2022年頃に一気に高まった。しかし、韓国美術史がアメリカの主要美術館で本格的に紹介されるようになったのは、ごく最近のことだ。たとえば、グッゲンハイム美術館は2023年に戦後韓国の前衛芸術を紹介する企画展、「Only the Young: Experimental Art in Korea, 1960s-1970s(オンリー・ザ・ヤング:1960年代から70年代の韓国の実験的アート)」を開催しているが、同館がこうしたテーマで展覧会を開くのはこれが初めてだった。

韓国美術への関心の高まりは、もちろんニューヨーク以外でも見られる。デンバー美術館ではこの春、ソウルの国立中央博物館から貸し出された宝物を含む白磁の満月壺の展覧会が開かれた。また、ピーボディ・エセックス美術館は韓国美術展示室を新設し、同館の重要な所蔵作品を展示している。さらに来年は、ニューヨーク州の現代美術館、ディア・ビーコンで最近コレクションに加えられた李禹煥の作品がお披露目される予定だ。

韓国美術の歴史は今後、どのように語られていくのだろうか? 以下で紹介するニューヨークの3つの展覧会が、そのヒントを与えてくれるかもしれない。

1.「チャン・ウクジン:永遠の家」/ニューヨーク韓国文化センター

チャン・ウクジン《A Family Portrait(家族の肖像)》(1972) Photo : ©2025 Chang Ucchin Foundation, All Rights Reserved
チャン・ウクジン《A Family Portrait(家族の肖像)》(1972) Photo : ©2025 Chang Ucchin Foundation, All Rights Reserved

大々的に宣伝されてはいないが「Chan Ucchin: The Eternal Home(チャン・ウクジン:永遠の家)」は画期的な展覧会だ(7月19日まで)。チャン・ウクジン(1917-90)は、韓国近代絵画における第一世代の主要アーティストの1人で、本展は彼のニューヨークでの初個展となる。キム・ファンギ、パク・スグン、イ・ジュンソプ、ユ・ヨングクと並び、長きにわたって称賛されてきたチャン・ウクジンの作品は、サイズは控えめだが強く心に訴えかけてくる。

「私は単純な人間です」

彼はよくそう言っていたが、この言葉は生涯にわたりフォルムを通じて純粋さを追求した彼の生き方を表すものだ。太陽や木、家、鳥などのモチーフは、ごくシンプルな形にまで要素を削ぎ落とされ、記憶、遠い場所や人々への思い、そして形而上学的な静けさの象徴となっている。

たとえば、《The Persimmon Tree(柿の木)》(1987)の主役は真っ白な木で、淡い色合いの山々を背景に生き生きと枝を揺らす木の両脇には赤い太陽と青い三日月がある。そこでは、四元素からなる宇宙が子どものような明快さと精神的な重みを持って描かれている。

韓国北部の楊州市にあるチャン・ウクジン美術館と共同開催されているこの展覧会では、これまで滅多に見ることのできなかった絵画やドローイング、版画など40点以上が展示されている。その中心となる《A Family Portrait(家族の肖像)》(1972)は、扉の向こうからこちらを見ている家族を描いた小さな作品だ。黒い枠の中に嵌め込まれているこの作品自体もまた、その奥から観客をそっと覗き見ているように思えるのは、建築的な造形が作る空間的な入れ子構造が、作品の内省的な性質を反映しているからだろう。

朝鮮戦争中、チャンが家族と離れて暮らした経験を示唆するこの絵は、彼が初めて買い手を見つけることができた作品への記念碑でもある。1955年に売れたその作品もまた家族の肖像で、チャンはその代金で娘のためにバイオリンを買ったという。小ぶりだが作家の記憶を宿したこの絵は、見る者の心に強く訴えかけてくる。

展示室の中央にはニューヨークの出版社、リミテッド・エディションズ・クラブが発行した限定版アートブック「Golden Ark(黄金の方舟)」(1992)が置いてあり、観客は自由にページをめくって見ることができる。会員向けに質の高い限定本を発行するこの出版社が、韓国人アーティストの画集を手がけた唯一の例であるこの本には、チャンが730点を超える自身の油彩画の中から厳選した12点の絵が掲載されている。原画のサイズと色味が忠実に再現されたこの本からは、彼の繊細で精緻なビジョンが伝わってくる。

この展覧会は、チャンが自身の内面に向けた視線へと通じる窓のようだ。そこでは、モダニズム絵画が静けさと孤独、そして家をめぐる消えることのない詩情の器となっている。

2.「韓国モダンアートの形成:キム・チャンヨル、キム・ファンギ、李禹煥、パク・ソボの書簡、1961–1982」」/ティナ・キム・ギャラリー

ニューヨークのティナ・キム・ギャラリーで開催された展覧会「The Making of Modern Korean Art: The Letters of Kim Tschang-Yeul, Kim Whanki, Lee Ufan, and Park Seo-Bo, 1961–1982」の展示風景。Photo : Hyunjung Rhee/Courtesy Tina Kim Gallery
ニューヨークのティナ・キム・ギャラリーで開催された展覧会「The Making of Modern Korean Art: The Letters of Kim Tschang-Yeul, Kim Whanki, Lee Ufan, and Park Seo-Bo, 1961–1982」の展示風景。Photo : Hyunjung Rhee/Courtesy Tina Kim Gallery

ティナ・キム・ギャラリーで6月21日まで開催された「The Making of Modern Korean Art: The Letters of Kim Tschang-Yeul, Kim Whanki, Lee Ufan, and Park Seo-Bo, 1961–1982(韓国モダンアートの形成:キム・チャンヨル、キム・ファンギ、李禹煥、パク・ソボの書簡、1961–1982)」は、特定の時代のアートに焦点を当てた展覧会の枠組みを超え、モダニズムが単なる美的探求ではなく、アーティスト同士が書簡などの交流を通じて共に作り上げた生活様式であることを示すものだった。

アーカイブ資料を主体としたこの学究的な展覧会は、同名の画期的な英語版書籍の発行と同時期に開催されたもので、戦後韓国美術を代表するキム・ファンギ、キム・チャンヨル、李禹煥パク・ソボという4人のアーティストによる未発表の書簡に焦点を当てている。20年以上にわたる彼らのやり取りを通じて辿ることができるのは、韓国のモダンアートを形成した知的、感情的、地政学的な潮流だ。

パク・ソボの《Ecriture No. 65-75(エクリチュール No. 65-75)》(1975)、キム・チャンヨルの《Waterdrops(水滴)》(1975)、李禹煥の《From Line(線から)》(1977)、キム・ファンギがニューヨーク滞在中の1971年に制作した大型点描画など、彼らの初期の代表作とともに展示された書簡は、文脈の理解を助けるための資料としてではなく、作品と同列のものとして示された。

親密さと豊かな思想に溢れるそれらの書簡には、しばしば書き手の内面が赤裸々に綴られている。そこで彼らは、実務的な事柄と哲学的な思索の間を行ったり来たりしながら、互いに共有していた切実な思いを明かしている。それは、西洋のパラダイムとは一線を画し、また、規範と伝統からなる文化的権威からも独立した、韓国独自のモダンアートを確立しなければならないという思いだった。

特筆すべきは、1973年にキム・ファンギがキム・チャンヨルに宛てた手紙だ。そこには、「水滴」シリーズについての詩的な感想が記されている。

「それは水ではなく、汗のしずくのように見えます。あなたがどれだけ懸命に取り組んできたことか……それは広大な砂漠や大平原のように良いものになるでしょう。インスピレーションが熱烈であればあるほど、真摯に感じられます」

この手紙は、同世代のアーティストたちが互いの制作活動を丁寧に観察し、深く心を動かされていたことを示している。ここでモダニズムは、仲間同士の気遣いや批評、深い思い入れによって形作られた親密な対話として立ち現れる。

こうした共同体の精神は、去る5月にアジア・ソサエティで開催されたパネルディスカッションでも感じられた。そこでは展覧会と同時期に発行された書籍の編集に携わった共同編集者のヨン・シムチョンとドリュン・チョン、寄稿者のキョン・アン、そして李禹煥が、長い時間をかけて実現されたこのプロジェクトを振り返り、李は西洋中心のアートの文脈に吸収されないよう抵抗すべきだと率直な意見を述べていた。

この展覧会が示したように、4人のアーティストにとっての手紙のやり取りは、相互に認め合い、忍耐の中で創作を続けるための命綱だったと言えるだろう。

3.ヘリョン・キム:皇南大塚とその他の絵画/ヴィエンヴェヌ・スタインバーグ&C

ニューヨークのヴィエンヴェヌ・スタインバーグ&Cで開催された「Heryun Kim: The Great Tomb of Hwangnam and Other Paintings」展の展示風景。Photo: Inna Svyatsky/@installshots.art
ニューヨークのヴィエンヴェヌ・スタインバーグ&Cで開催された「Heryun Kim: The Great Tomb of Hwangnam and Other Paintings」展の展示風景。Photo: Inna Svyatsky/@installshots.art

ヴィエンヴェヌ・スタインバーグ&Cで6月14日まで開かれたヘリョン・キム(1964-)の展覧会は、アメリカで初となる個展だった。その軸となっていたのは、164点の墨絵で構成された巨大なインスタレーションだ。この作品は、皇南大塚という三国時代の新羅の古墳で出土した、細密な装飾のある金属製の鞍から着想を得たもので、それぞれの絵は彩色された背景に迷路のような模様が黒く太い線で描かれている。

書、あるいは何かの回路を連想させるこの模様は、一見すると規則的に配置されているように見える。しかし、キムが「ルールはありません。描くたびに線は少しずつ変化しています」と説明するように、鑑賞者の目の前には差異が織りなすリズムが浮かび上がる。それは時間、労働、先祖代々のリズムを体現する視覚的なコードなのだ。

キムはドイツ文学を学ぶうち、「イメージは言語よりも原初的で力強い」という結論に至り、絵画に転向した。彼女の創作活動は素材との対峙に深く根ざしたもので、墨や油絵の具、紙など、素材によって異なる反応について思いを巡らし、それぞれの特性が筆致や筆運びのタイミング、そして表現にどう影響するかを考察する。

カラヴァッジョのキアロスクーロ(明暗法:大胆な明暗のコントラストを活かした表現)に影響を受けたキムは、韓国の墨を単なる色ではなく、力として捉えている。粘り気があって生き生きとした墨は、感覚に強く訴えるからだ。作品の中には目を閉じて描かれ、視覚ではなく感覚に導かれるようにして制作されたものもある。

キムの抽象画の土台は韓国の歴史にあり、そこには高句麗の墳墓の屋根瓦、新石器時代の陶器、支石墓、口承文芸のリズムなどが影響を与えている。「他者の文化を理解するためには、まず自らの文化の根源を真に理解する必要があります」とキムは言う。そして、こうした考えのもと、数十年にわたってドローイングを制作したり、調査研究のため博物館や史跡を訪れたりしながら韓国の歴史と関わってきた。

櫛目や建築物の輪郭、古代文字を引用した彼女の絵の中の筆致には、個人的な情熱と文化的重みが込められている。彼女が観客のために創造する空間は、先祖たちの世界やそれを体現する形、未だ解読されていないものと向き合える場所なのだ。(翻訳:野澤朋代)

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