「死」を描く画家が見出した「再生」──「諏訪敦|きみはうつくしい」【EDITOR’S NOTES】

現代日本におけるリアリズム絵画の第一人者、諏訪敦による約3年ぶりの大規模個展「諏訪敦|きみはうつくしい」が、3月1日まで開催中だ。初公開作39点を含む82点の作品を通して、死と再生などを巡る諏訪の思索の軌跡が立ち現れる。

WHAT MUSEUM 展示風景 「諏訪敦|きみはうつくしい」 Photo by Keizo KIOKU

写実絵画には、不思議な引力がある。実物そのままに描かれているようでいて、近づいてよく見ると、モデルの肌色や背景の色調に作家の個性がひそんでいる。その奥深い世界で独自の地平を切り拓いてきた画家の一人が、諏訪敦だ。活動初期から徹底したリサーチに基づく制作スタイルを貫く諏訪の作品からは、人々が紡いできた歴史や「想い」がにじみ出る。

WHAT MUSEUMで開催中の展覧会「諏訪敦|きみはうつくしい」は、諏訪が画業を通して向き合い続けてきた「死」がテーマの1つとなっている。1階SPACE2で焦点を当てるのは「他者の死」だ。諏訪は2008年、海外で事故死した女性の親から肖像画制作の依頼を受け、《恵里子》(2011)を手がけた。そこから「絵画を通して死後の人に出会う」という制作スタイルが確立されていく。この部屋には、この世に残された者の「死者に会いたい」という痛切な願いから生み出された作品が並ぶ。

今回初公開となる《正しいものは美しい》(2017-2018)は、夭折した青年の親が依頼した作品だ。白いシャツをまとった青年は明るい光の中に立ち、柔らかな表情でこちらに目を向けている。そのまなざしは穏やかだが、どこか時間が静止しているかのようだ。

同作の制作にあたり、「遺影を模写しても依頼の切実さには届かない。彼が再び家族のもとに帰ってきた、あるいは絵画を媒介して『出会い直す』ような、そんな肖像画にしたい」と考えた諏訪は、青年に似た体形の人物の身体を実際に石膏で型取りし、その立体をもとに本作を描き起こした。

WHAT MUSEUM 展示風景 「諏訪敦|きみはうつくしい」 Photo by Keizo KIOKU

このように真摯に死と向き合うことができるのは、諏訪自身が肉親の死を見つめてきたからだろう。1996年、脳腫瘍の手術を受けた父の姿を描いた《father》(1996)や、99年に父が死去したのち、母が父の手を組ませる様子を描き留めた《father/父の手を組ませる母の手》(1999)、さらにその後、母が病に倒れ、2024年に死去した際に制作した《mother/23 DEC 2024 死者はいつも似ている》(2024)など、両親の最期を詳細に画布におさめてきた。2階の展示室に並ぶそれら一連の作品は、諏訪が死と対峙してきた時間の堆積を可視化しているかのようでもある。

《mother / 16 DEC 2024》Photo by Keizo KIOKU
《山本美香》(2014) Photo by 南高正
《東と西》 (2015)

母の介護や死、そして同時期に訪れたコロナ禍を経て、「人間を描きたいという気持ちを徐々に失っていった」という諏訪は、本展を契機に、いわば「リハビリ」として新たな試みを行った。骨格標本をもとに、ウレタンなどで身体を構築したブリコラージュ《汀にて(Bricolage)》(2025)を制作し、それをモチーフに絵画を描くという方法だ。そこから生まれた7点の作品が、一つの部屋にまとめて展示されている。

WHAT MUSEUM 展示風景 「諏訪敦|きみはうつくしい」 Photo by Keizo KIOKU

これまで諏訪が描いてきた死者たちは、固有名を持つ「個」としてそこに存在していた。だがここで向き合ったのは、人物でも静物でもないブリコラージュという「人型(ひとがた)」だ。諏訪は、依頼者の記憶や祈りを受け止めながらも、死者をただ一人の存在としてキャンバスの上に浮かび上がらせる。個人の物語をいったん剥ぎ取り、匿名の身体へと還元する。それは死からの回避ではなく、人間という存在そのものへ立ち戻ろうとする、再出発の儀式のようにも感じられた。

同展では、初期の「どうせなにもみえない」シリーズのほか、高橋由一《豆腐》にオマージュを捧げた《不在》(2015)、《東と西》(2015)などの名作や、近作の静物画群も見ることができる。諏訪の創作について概観したいという方にもおすすめだ。

諏訪敦|きみはうつくしい
会期:2025年9月11日(木)〜2026年3月1日(日)
場所:WHAT MUSEUM(東京都品川区東品川2-6-10 寺田倉庫G号)
時間:11:00〜18:00(入場は1時間前まで)※2月27日~3月1日は10:30~19:00(入場は30分前まで)

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