500年前の絵画が語る地中海の生態系──静物画から読み解く16世紀イタリアの食文化

500年前、イタリアの画家たちは静物画を通じて日々の食卓を描いた。そのキャンバスには、当時の地中海沿岸で豊富に漁獲されていた魚介類や、地域ごとの食文化が描かれており、最新の研究によって16〜18世紀の漁業技術や人々の嗜好まで明らかになった。

ジュゼッペ・レッコ《Still life with fish》制作年不詳。Photo: Heritage Art/Heritage Images via Getty Images
ジュゼッペ・レッコ《Still life with fish》制作年不詳。Photo: Heritage Art/Heritage Images via Getty Images

15〜16世紀にベルギーやオランダ南部を中心に発展した初期フランドル派の作品は、人物の顔や衣装の細部までを精緻に描き出し、その背後に遠近法を用いた写実的な風景を組み合わせる点に特徴がある。その後、バロック絵画やイタリアルネサンス絵画へと影響を与えたことでも知られているが、これ以外にも「コーゼ・ナトゥラーリ」と呼ばれるイタリアで発展した静物画のジャンルにも大きな影響を与えた。日本語では「自然物」を意味するこの芸術様式は、キッチンや食卓、魚市場などの食材を題材に、博物学的な正確さで描いた静物画を指す。これらの絵画は現在、単なる芸術作品だけでなく、地中海の生態系を物語る科学的記録として再評価されている。

フランスとイタリアの国際研究チームが発表した論文によれば、16〜18世紀に制作された384点の静物画を分析した結果、現在では絶滅危惧種に指定されている多くの海洋生物が当時は豊富に漁獲され、食卓を彩っていたことが判明した。研究者たちは、ジュゼッペ・レッコやジョヴァンニ・バッティスタ・レッコといった、ナポリ派の画家が描いた魚介類を一匹ずつ特定。その結果、92種類の地中海固有種が作中に登場していたことが明らかになり、時代や地域によって食卓に並んでいた魚介類や、漁業技術の変化が解き明かされたという。

このような研究結果が現代の保護活動にどう応用されるかはまだ明らかになっていないものの、水生生物の個体数の変化や、人々の習慣の変化に関する興味深い事実を明らかにしている。例えば、イタリアの内陸部で制作された絵画は、コイやカワマスなどの淡水魚が多く描かれ、沿岸部ではさまざまな海洋生物が描かれていたように、制作された場所によって異なる食文化があったことが示されている。だが、1650年代を境に登場する魚介類の種類は大きく変化していく。

研究結果によれば、それまで画面を賑わせていた淡水の生き物たちは1500〜1800年にかけて描かれる頻度は減少し、17世紀半ばには急激に落ち込んだという。代わって台頭したのは多様な海洋生物だった。イカやタコ、コウイカといった頭足類が描かれる割合が大幅に増え、デンキエイやウツボなど一部の生物は初めて絵画に登場するようになった。

バルトロメオ・パッサロッティ《The fishmarket》 制作年不詳。Photo: DeAgostini/Getty Images
ジュゼッペ・レッコ《Still Life with Fish and Turtle》(1680) Photo: Luciano Pedicini/Electa/Mondadori Portfolio via Getty Images
ジョヴァンニ・バッティスタ・レッコによる同様の静物画。17世紀半ばに制作された本作には、色鮮やかな鮮魚の他にも、画面奥にはカキといった高級魚が並んでいる。Photo: Sepia Times/Universal Images Group via Getty Images

この現象に対して研究者たちはふたつの説を挙げており、ひとつは淡水魚のすみかである湿地や沼地が農業開発による影響が及んだと推測している。これらの水辺は淡水魚や水鳥の生息地だったが、排水工事によって農地に転換され、生息環境が失われた。第二に、延縄や底引網といった高度な海洋漁業技術が発展したことで、深海生物やサメが引き上げられるようになったという。漁業技術の発展により、ウミガメや二枚貝、チョウザメなどは、1500〜1800年にかけておよそ60%減少したと研究者たちは発表した。

これ以外にも、人々の嗜好も作品に影響したと考えられる。作品を依頼するのは富裕層が多かったため、画家たちはマイワシやアンチョビ、ウナギなど庶民的な魚介類を避け、より珍しく高価な海洋生物を描く傾向が強まった。代わりに、ヒメジやタツノオトシゴといった色鮮やかな海洋生物が描かれるようになったほか、キリストの血を象徴する赤いサンゴなど、宗教的な意味が含まれるものが取り上げられるようになった。

美術史的観点からも、この研究は新たな視座を提供している。従来、静物画の魚介類は、これまで宗教的な象徴や装飾的な美しさという側面で注目されてきたが、今回の研究によってそれらが当時の漁業技術、流通システム、社会階層を忠実に反映していたことが科学的に実証された。特に地中海固有種ではDNA解析による再分類が進んでおり、この知見が今回実施された絵画分析にも応用された。

この学際的アプローチは、芸術作品がもつ科学的記録としての価値を改めて際立たせた。写真が普及する以前の時代において、博物学的な正確性を追い求めた画家たちの作品は、現代の研究者にとって過去の生態系を復元する唯一無二の手がかりとなっている。特に、科学的調査記録が断片的にしか残されていない地中海地域において、400年前の生きた記録として絵画が果たす役割は計り知れない。

あわせて読みたい