流行は追わない──「収益の多角化」で実験精神を支える、NY中堅ギャラリーの生存戦略

今夏、ギャラリー閉鎖のニュースが相次いだニューヨークで、新しい拠点に移転オープンしたクリスティン・ティアニー。中堅ギャラリーの空洞化が進む中、ティアニーはどのように事業を継続させようとしているのか。その戦略を取材した。

トライベッカに移転したクリスティン・ティアニー・ギャラリーのグループ展「Fifteen」のオープニングレセプションで賑わう会場。Photo: Bob Krasner

最近のアート市場に関する暗い論調の記事のほとんどが、ある事実をきちんと伝えていない。それは、経験豊富なアートディーラーの多くはパニックに陥ることなく、腰を据えて事業継続の方法を模索中ということだ。

ギャラリー閉鎖の話題が見出しを独占してはいるものの、中には戦略的な移転などで生き残ろうとする動きもある。その一例が、規模は小さいながらも業界で確固たる地位を築いてきたクリスティン・ティアニーで、9月初旬、今ニューヨークで最も勢いのあるアート地区のトライベッカに新ギャラリーをオープンさせている。彼女が移転という賭けに出たのは、自身のギャラリーの存続を図るだけでなく、中堅どころの独立系ギャラリーが、今後も存在意義を持ち続けられることを証明したいと考えたからだった。

夏の終わりのある午後、ティアニーの新しい拠点を訪れると、彼女は入り口に立てかけられた梯子にもたれていた。周りでは改装工事が続いているが、シンプルな黒いコットンのワンピースと履き心地のよさそうなグレーのスニーカーには埃一つ付いていない。ギャラリーを運営してきた15年間で4度目の工事を進めていた彼女は、これまで6年にわたりバワリー地区に拠点を構えてきた。ちなみに、トライベッカとバワリーは、どちらもダウンタウンの一角にあるが、ニューヨークでは全く別のエリアと見なされる程度には距離がある。

移転後に彼女は、以前のスペースになかったものを手に入れた。それはアート好きが行き交う通りに面した地上階の窓だ。ここでクリスティン・ティアニー・ギャラリーは、創立15周年を記念する大規模なグループ展「Fifteen(フィフティーン)」を開催した。

セカンダリー市場での収益で尖ったギャラリーを運営

ティアニーは知的でコンセプチュアルな展示企画で名を上げたギャラリストで、トライベッカへの移転後初となるこの展覧会も、これまでの評判を裏付ける内容だった。会場に並んでいたのは、同ギャラリーのアイデンティティを形成してきた30人を超えるアーティストたちの作品だ。

そこには、アメリカのほとんどが隠れている世界地図をシルクスクリーンで描いた《Imagine a World Without America(アメリカのない世界を想像せよ)》(2007)の作者であるドレッド・スコット、ビデオアートの先駆者メアリー・ルシエとピーター・キャンパス、彫刻やインスタレーションを中心に活動するジュディ・ファフ、そして人種や男性性、権力をテーマにしたパフォーマンスで知られるショーン・レオナルドなどが含まれていた。

オープニングイベントとブランチレセプションでは、MKグースによるパフォーマンスが行われた。《Reading Aloud(朗読)》というその作品では、招待客に紛れたパフォーマーたちが1人また1人とトライベッカに関する文章を暗唱し始め、やがて会場全体がいくつもの物語が重なり合う空間へと変貌する。

また、(著名作家の小説をゆかりの地で1枚の紙にタイプしていくパフォーマンスで知られる)ティム・ユードは、会期中の数週間をかけてジェイ・マキナニーの小説『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』をタイプライターで打ち込んでいく。マキナニーのミューズとなっていたこの街でユードがひたすらキーを叩くうちに、文字が重なり合った紙は真っ黒になり、やがて判読不可能なものになっていくのだ。

つまりこの展覧会は、インスタ映えする画像の拡散や初日の完売を狙ったものではない。

トライベッカ地区のウォーカー・ストリート49番地に移転した、クリスティン・ティアニー・ギャラリーの室内。Photo: John Muggenborg ©2024
トライベッカ地区のウォーカー・ストリート49番地に移転した、クリスティン・ティアニー・ギャラリーの室内。Photo: John Muggenborg ©2024

こうした企画を支えているのは、ティアニーがセカンダリー市場で上げている利益だ。この手法は「キャステリ以来の伝統」で、実験的で手がかかる作品、あるいはまだ市場が確立されていない作品を生み出すアーティストを積極的に支援し、セカンダリー市場での売上でギャラリーの運転資金を賄っていた故レオ・キャステリ(*1)に倣ったものだという。2016年にアートネット・ニュースに掲載された「ミドルマーケットの縮小」という記事の中で彼女は、「バックルームがフロントルームを支える」と表現している。

*1 戦後のアメリカ美術、現代アートの発展に大きく貢献したギャラリスト。抽象表現主義ポップ・アートミニマリズムコンセプチュアル・アートの作家を世に出した。

彼女がセカンダリー市場で評価されるきっかけになったのは、ワシントンD.C.の有力コレクターだったアニタ・ライナーの遺産整理だ。2014年にクリスティーズで約3500万ドル(当時のレートで約35億7000万円)で落札されたバスキアの作品も、ライナーのコレクションに含まれていた。

クリスティーズはこのオークションの後、ティアニーをライナーの遺産管理団体に紹介している。以来、彼女はアドバイザーとして、残りの数百点の作品管理について同団体をサポートしてきた。作品は、ハーシュホーン博物館と彫刻の庭、ナショナル・ギャラリー、フィリップス・コレクションといったワシントンD.C.の展示施設に収蔵されたほか、エル・アナツイマルレーネ・デュマススターリング・ルビー、ショーン・スカリーなど、プライベートセールで売却された作品もある。

ギャラリーの運営方針について尋ねると、ティアニーは、「私たちは常に『個別の作品』よりも『作家のキャリア』を重視してきました」と語り、アートフェアの隆盛によって市場に対するコレクターの認識が変わってしまったと嘆いた。

「フェアは単発的な販売を目的としています。しかしギャラリーは、アーティストのキャリアを継続的に支える存在でなければなりません」

彼女は、より小規模で焦点を絞ったフェアを重視している。たとえば、9月24日から27日まで開催されたブース数31軒の「Independent 20th Century」では、10月に自身のギャラリーで開催予定のジュディ・ファフの個展に先駆け、1980~90年代に制作されたファフのソロブースを出展した。

2024年にバワリー地区のクリスティン・ティアニー・ギャラリーで開催された展覧会「Mary Lucier, Leaving Earth」の展示風景。Photo: Adam Reich
2024年にバワリー地区のクリスティン・ティアニー・ギャラリーで開催された展覧会「Mary Lucier, Leaving Earth」の展示風景。Photo: Adam Reich

中堅ギャラリーに厳しいアート市場を生き抜く戦略

ティアニーがアートの世界で初めて就いた職は、クリスティーズの教育部門でコレクターにアートの見方を教える仕事だった。彼女のもとに学びに来ていたのは、作品購入を検討している弁護士や銀行家、医師などで、中にはジョン・フォーゲルシュタインと妻のバーバラ、デイヴィッド・ムグラビなど、後に有名コレクターとなった面々もいた。

そのうち彼女は、自分が携わっている美術教育は、一種の顧客開拓であることに気づく。「作品を見る目を養うことを通じて、コレクターに収集の方向付けをすることができる」というわけだ。その後、独立してアドバイザリー事業を始めた彼女は、プライベートセミナーを開催したり、作品の購入について顧客に助言を与えたりするようになる。

そして2010年、ティアニーは自らのギャラリーを、当時ニューヨークのアートシーンの中心だったチェルシー地区に開設した。初展覧会で彼女は、ピーター・キャンパスの印象深い映像作品やアロイス・クロンシュレーガーによる野心的なインスタレーションを展示。山がくり抜かれたような形のクロンシュレーガーの作品は、20メートル以上もある巨大な構造物だった。ティアニーは、「最小限の要素で最大限の効果を得ることができると考えていました」と初期の展覧会を振り返る。

ティアニーによると、当時のチェルシーでは近隣のアート関係者の間に強い仲間意識があったという。土曜日には互いのオープニングイベントを行き来し、噂話をしたり議論を交わしたりしながら、かけがえのない人間関係を築いていた。しかしそうした文化は当時すでに薄れつつあり、フェアやオンライン販売に淡々と向き合うビジネスライクな日々のペースに侵食されていった。今回ティアニーがトライベッカに移転したのは、かつて体験したコミュニティの感覚を取り戻すためでもある。

ニューヨークで中堅ギャラリーが生き残っていくのには常に困難が伴うが、この15年は特に過酷な時代だったとティアニーは話す。アート市場は時折活況を呈することもあったが、賃料が上昇し、メガギャラリーがますます巨大化する中で起きたのが、中堅ギャラリーの空洞化現象だ。

ティム・ブラムが自身のギャラリー、ブラム最近閉じたのも、彼女には理解できることだった。この件は多くのアートディーラーにとって周知の事実、すなわち、現行のシステムは両極端に有利に働き、中間層には非常に厳しいことを裏付けるものだ。相次ぐギャラリーの閉鎖は、失敗というより疲弊の表れだと彼女は見ている。毎年いくつものアートフェアをこなし、「成長か、さもなくば死か」というプレッシャーに耐え、ますます縮小するアートメディアで取り上げられるために同業者と争い続ける──こうした環境が成功したディーラーさえも燃え尽きさせたのだ。

2025年の「Independent 20th Century」に出展したクリスティン・ティアニー・ギャラリー。ジュディ・ファフの作品を設営する様子。Photo: Courtesy Cristin Tierney Gallery

彼女は浮き沈みの激しい市場でリスクを分散させるため、経営学専攻の学生なら「収益源の多様化」と言うであろう手法を取ってきた。アドバイザリーの仕事やセカンダリー市場での販売、鑑定などで事業を支えている彼女は、単一の収入源ではギャラリーは生き残れないと吐露する。

そんな中で実行したウォーカー・ストリートへの移転で、ティアニーのギャラリーはボルトラミやPPOW、カナダなど、トライベッカをニューヨークで最も活気あるアートスポットへと変貌させた独立系ギャラリーと共存することになる。そして、向こう1年のプログラムに関して、ティアニーは新しく入居した物件を隅から隅まで試すべく、個展や2人展、グループ展を計画。当面の目玉は10月に開かれるファフの個展だが、長期的にはビデオ・アートパフォーマンス、そして枠にはまらない大規模作品を発表できる空間を作ることを目標にしている。

「Fifteen」展は序章に過ぎず、幕は上がったばかりだ。ティアニーは、今後どんな展開になろうとも、セカンダリー市場で手堅く稼ぎつつ、ギャラリーを挑戦の場として維持し、流行に飛びつくことはしないと語る。

「アートディーラーとはセールスパーソンであると同時に、人々を改宗させようとする布教者でもあります。作品が売れていれば、アーティストに持てる力を発揮させるのは難しくありません」

「Independent 20th Century」に出品したファフの80~90年代の作品はこの作家の代表作で、確実に売れるものだった。一方、間もなく開かれる個展に向け、ティアニーはファフに「何でも自由にやってください」と伝えてある。(翻訳:野澤朋代)

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