なぜ? 近世の女性オールドマスター市場が急拡大、その背景をオークションや美術館の実績から考察
中世後期から18世紀のヨーロッパで活躍したオールドマスターによる絵画の人気が再燃する中、同じ時代の女性作家を再発見する動きが広がっている。オークションでの価格上昇や美術館での展覧会増加、出版物の拡大など、女性オールドマスターの評価の高まりについて、近年の市場状況やその背景をまとめた。

この10年、15世紀から18世紀にかけて活躍した近代初期の女性作家を見直す動きが活発化している。現代の女性アーティストの多くが世に認められる糸口をなかなか掴めず、成功したとしても散発的なものに終わりがちなのとは異なり、近世の女性作家の中には、生前に確固たる地位や名声を獲得した人々もいる。しかし問題は、死後にその功績が忘れ去られてしまったことだ。
特に人気のあったのは静物画家のラッヘル・ライス(1664-1750)で、彼女の作品の中には、存命中のレンブラントの作品よりも高値をつけたものが複数あった。のちに評判が衰えてしまったものの、近年になって再発見され、オランダ黄金時代を代表する作家として評価されている。
それを裏付けるように、昨年企画されたライス初の大規模個展が、ミュンヘンのアルテ・ピナコテークからアメリカ・オハイオ州トレド美術館への巡回を経て、現在ボストン美術館で開催されている(12月7日まで)。また、過去の女性アーティストの業績を研究者の解説と豊富な図版で紹介するシリーズ「Illuminating Women Artists(女性作家に光を当てる)」(ゲティ・パブリケーションズとランド・ハンフリーズ社の共同出版)の1冊として、作品集の発行が予定されている。
ライスに注目が集まるきっかけになったのは、2013年にサザビーズで彼女の静物画が165万ポンド(最近の為替レートで約3億3000万円、以下同)で落札されたことだった。サザビーズ・ロンドンの近世絵画部門ディレクター、エリザベス・ロブコヴィチの言葉を借りれば、この記録的な金額は「女性オールドマスターの作品に対する需要が高まりつつあることの兆し」だった。
忘却の彼方にあった近世の女性作家を研究者が掘り起こす動きは、1970年代、フェミニズム運動と時を同じくして始まった。一方、オークションハウスが市場の急拡大を認識したのは2010年代頃だとロブコウィッツは言う。
「作品の希少性が需要につながっています。新たなアーティストが再発見されるたびに学術研究が深まり、それによってさらに評価が高まるのです」
オークションで落札額新記録が連発

オークションハウスにとっての問題は、女性オールドマスターによる作品数が限られているため、出品作の供給が追いつかないことだ。そのため、最近では誤った帰属のまま市場に出る作品も増えている。
たとえば、2021年にイギリスのオークションハウス、リーマン・ダンシーで競売にかけられた少年の肖像画は「18世紀イタリア派」とされ、当初400から600ポンド(約8万〜12万円)の予想落札額が付けられていた。しかし、17世紀のイギリスの画家、メアリー・ビール(1633-1699)の作品との類似に気付いたディーラーやコレクターがいたことから、最終的にこの絵の落札額は10万ポンド(約2000万円)に達し、ビールの最高記録を更新した。肖像画家として成功した彼女は、自らの子どもを描いたことでも知られている。
また、サザビーズが2019年に実施したマスターペインティング・イブニングセールでは、「The Female Triumphant(女性の勝利)」と名づけられたセクションに、14人の女性作家による16~19世紀の作品21点が出品された。その2年後には、クリスティーズがオールドマスターを含む女性作家だけを集めた初のオークションを開催している。
女性に特化した企画以外でも、近代初期の女性アーティストの作品がオークションに登場する機会が増えている。今年7月にサザビーズが開催したオールドマスター・イブニング・オークションの目玉は、イタリア人画家アルテミジア・ジェンティレスキ(1593-1653)の《David with the Head of Goliath(ゴリアテの首を持つダヴィデ)》(1620-30年代)で、落札額は190万ポンド(約3億8000万円)だった。
オークションにおける女性オールドマスターの落札額最高記録は、フランス人画家エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(1755-1842)による《Portrait of Muhammad Dervish Khan(ムハンマド・ダヴィシュ・カーンの肖像)》(1788)の700万ドル強(約10億4000万円強)だ。男性作家の絵画はこれをはるかに上回る高値で取引されているものの、クリスティーズ・ロンドンでオールドマスター作品の責任者を務めるマヤ・マルコヴィッチは、女性作家の価格が「上昇しているのは明らか」だと語る。
「女性オールドマスターの傑作は、もはや例外扱いではなく、この分野の中心的存在になっています。その落札額はアート作品としての質の高さと、歴史的重要性への認識の高まりを反映するものです」
美術館による作品取得が活発化

過去の女性作家に注目が集まるようになった重要な要因となっているのが、美術館が所蔵品の偏りを是正しようとする動きだ。クリスティーズのマルコヴィッチは、「美術館が積極的に女性の作品を取得するようになったため、質の高い作品をめぐる争奪戦が激化しています。帰属が確かな美術館レベルの逸品が市場に出現することは稀で、そうした機会は非常に貴重です」と説明する。
ロンドンのナショナル・ギャラリーが、再発見されたジェンティレスキの《Self Portrait as Saint Catherine of Alexandria(アレクサンドリアの聖カタリナとしての自画像)》(1615-17年頃)を、2018年に360万ポンド(約7億2000万円)で取得したのは、「画期的な出来事だった」とマルコヴィッチは振り返る。当時、同館の永久所蔵品は2300点を超えていたが、女性作家の作品はこの絵で21点目だった。
翌2019年には、ジェンティレスキの《Lucretia(ルクレティア)》(1657年頃)が、パリのオークションハウス、アールキュリアルで480万ユーロ(約8億3000万円)という高値で落札され、2021年からロサンゼルスのJ・ポール・ゲティ美術館の所蔵となっている。さらに同年、ゲティ美術館はクリスティーズの女性作家セールで、フランス人画家アデライド・ラビーユ=ギアール(1749-1803)のパステル画《Portrait of Madame Charles Mitoire with Her Children(シャルル・ミトワール夫人と子どもたちの肖像)》(1783)を落札。金額は、ラビーユ=ギアールの新記録となる76万4000ドル(約1億1300万円、予想最低落札額の6倍)だった。
やはりフランス人画家のルイーズ・モワヨン(1610-1696)による《Still Life of a Bowl of Strawberries, Basket of Cherries, and Branch of Gooseberries(イチゴの入ったボウル、サクランボのかご、グーズベリーの枝のある静物)》(1631)は、2022年にパリのオークションハウス、アギュットで166万2400ユーロ(約2億9000万円)で落札され、モワヨンのオークション記録を更新した。その後この作品は、テキサス州フォートワースにあるキンベル美術館の所蔵品になっている。
同じ年、オランダ人画家ユディト・レイステル(1609-1660)が手がけたと見られる帽子にブドウを載せた少年を描いた絵画(1630年頃)が、ブリュッセルのオークションハウス、ヴァンダーキンデレで23万ユーロ(約4000万円、予想最高落札価格の125倍超)で落札された。取得したのは、ニューハンプシャー州マンチェスターのクーリエ美術館だ。
2023年にはワシントンD.C.のナショナル・ギャラリーが、パリのクリスティーズで行われたオークションで、フランスの静物画家アンヌ・ヴァライエ=コステル(1744-1818)の《Still Life with Flowers in an Alabaster Vase(アラバスターの壺に生けられた花の静物画)》(1783)を、彼女の最高額となる258万1000ユーロ(約4億5000万円)で落札した。さらに今年4月、イタリア人画家ヴィルジニア・ヴェッツィ(1601-1638)の《Self-Portrait as Saint Catherine of Alexandria(アレクサンドリアの聖カタリナとしての自画像)》(1624-26年頃)が、ロサンゼルス・カウンティ美術館に収蔵されている。
一方、美術館で展覧会が開かれることによって市場価値が急騰するケースも出ている。ベルギー人画家ミカエリナ・ワウティエ(1604-1689)は、2018年にアントワープの美術館、ミュージアム・アーン・デ・ストルーム(MAS)で行われた回顧展を契機に再評価の気運が高まり、それとともに価格が上昇。クリスティーズでは、2019年にワウティエの肖像画が、予想最高落札額を大きく上回る75万9000ドル(約1億1200万円)で落札された。2021年には小ぶりな作品《Head of a Boy(少年の頭部)》(1650年代半ば)が、40万ポンド(約8000万円、予想最高落札額の5倍)で決着している。
また、イタリア人画家ラヴィニア・フォンターナ(1552-1614)の作品は、2019年にマドリードのプラド美術館でやはりイタリア人画家のソフォニスバ・アンギッソラ(1532-1625)との2人展が開催された後に価格が上がり、2021年のクリスティーズ女性作家オークションではフォンターナのデッサンが16万2500ユーロで落札されている(約2800万円、予想最低落札価格の2倍以上)。
世界の有名美術館で続々開催される企画展

近年は、女性オールドマスターの美術館展を目にする機会も多くなった。「この10年間、美術館での展覧会がコレクターの関心を高め、そこで紹介されたアーティストが美術史における主要な人物だという認識を広めるうえで重要な役割を果たしてきました」と、サザビーズのロブコヴィチは語る。
冒頭で触れたライスの巡回展をはじめ、近年はさまざまな女性オールドマスターの展覧会が開かれている。たとえば、ニューヨークのメトロポリタン美術館では2016年にヴィジェ=ルブラン展が開催され、翌年にはフィレンツェのウフィツィ美術館が常設展示と特別展の双方で取り上げる女性アーティストの作品を増やす取り組みを発表した。
同じ年にウフィツィ美術館ではフィレンツェの画家プラウティッラ・ネッリ(1524-1588)の個展を開催し、その後イタリア・バロック期の画家エリザベッタ・シラーニ(1638-1665)とジョヴァンナ・ガルツォーニ(1600-1670)の展覧会も実施された。同じ頃、マドリードのプラド美術館も同様の取り組みを開始し、2016年から17年にかけ、フランドル人画家クララ・ペーテルス(1587-1636頃)の作品を展示。続いてフォンターナとアンギッソラの2人展を開いた。
また、ジェンティレスキの絵画を取得したロンドンのナショナル・ギャラリーは、2020年に彼女の大規模個展を開催し、同じくロンドンのロイヤル・アカデミーは、スイス人画家アンジェリカ・カウフマン(1741-1807)の個展を2024年に実施している。
グループ展も増加傾向にあり、2021年にはパリのリュクサンブール美術館の「Women Painters 1780–1830: The Birth of a Battle(1780〜1830年の女性画家たち:戦いの誕生)」展で、当時フランスの芸術サロンで活躍した女性画家の作品80点が紹介された。同年、ミラノのパラッツォ・レアーレは「The Ladies of Art: Stories of Women from the 16th and 17th Centuries(芸術の貴婦人:16~17世紀の女性たちの物語)」を開催し、34人の女性作家による130作品を展示している。
やはり2021年、コネチカット州ハートフォードのワズワース・アテネウム美術館は、「By Her Hand: Artemisia Gentileschi and Women Artists in Italy, 1500–1800(彼女の手によって:アルテミジア・ジェンティレスキと1500〜1800年のイタリアにおける女性作家たち)」と題したグループ展を開催。初公開を含む60点の作品が紹介された。
ワシントンD.C.の国立女性美術館では、この9月26日に「Women Artists from Antwerp to Amsterdam, 1600–1750(アントワープからアムステルダムまで:1600-1750年の女性作家たち)」が開幕している。北ヨーロッパの女性作家に焦点を当てたこの展覧会について、同館のシニアキュレーター、バージニア・トレナーは企画実施の苦労をこう語る。
「現在、近代初期の女性作家への関心が高まっているため、皮肉なことに展覧会の準備で直面した最大の課題は、貸し出し作品を確保することでした。既に他の企画に貸し出されているものも多く、数カ月間展示できなくなるのを嫌って、貸し出しを渋るところもありました。美術館のコレクションに女性作家の作品が不足しているという根本的な原因を解決するために、各美術館は真摯に議論すべきです」
一方で、外部からの提言を受け、長らく陽の目を浴びていなかった作品が再展示されたケースもある。イタリアでは、非営利団体「Advancing Women Artists(女性作家の発掘、AWA)」(2007年から2021年まで活動)が、美術館の収蔵庫に眠る女性オールドマスター作品の特定、保存、展示を支援した。AWAに関わったのち、同様の団体「アルテミジア・ゴールド」を共同設立したジェーン・アダムズは当時の状況をこう説明する。
「AWAが活動を開始した当初、美術館の館長(多くは女性)は私たちの考え方に疑問を呈し、より重要とされる男性アーティストの作品の展示が優先されることもありました。しかし、女性アーティストの絵画はイタリアの文化遺産において重要な役割を担っていること、彼女たちの物語が語られる必要があることを主張すると、状況は急速に変化したのです」
作品集などの新たな出版物も増加

美術館が女性オールドマスターの作品に注目するようになり、企画展が増えたことで、展覧会図録でも女性作家に関する学術研究の機会が広がっている。それと並行して、出版業界もこれまで取り上げられることが少なかった近世の女性作家を深く掘り下げた内容の書籍に取り組み始めた。
アムステルダム大学出版局とランド・ハンフリーズ社の編集者で、『Illuminating Women Artists』シリーズを発案したエリカ・ガフニーは、「単一の出版社、あるいは共同出版であっても、近世の女性作家を継続的に紹介する取り組みはこれまでありませんでした」と指摘している。このプロジェクトは、2021年にスペインのバロック彫刻家ルイサ・イグナシア・ロルダンを取り上げた第1巻を刊行して以来、近世の女性アーティストに関する11冊の書籍を刊行。2026年春にはさらに2冊の刊行が予定されているほか、ライスを含む3冊の出版契約が既に締結されている。
「このシリーズは、フェミニズムの流れに連なるプロジェクトです。専門家が平易な文章で執筆し、より幅広い読者層にそれぞれの視点を分かりやすく伝えることを目的としています」と、シリーズ中のルネサンスとバロック様式の時代を担当する編集者、アンドレア・ピアソンとマリリン・ダンは、US版ARTnewsのメール取材に答えた。さらにガフニーはこう付け加えている。
「シリーズの刊行が開始されて以来、『こうした女性作家のことを高校や大学で教えてほしかった』と直接言われることもありますし、ソーシャルメディアで同じような感想を目にすることも少なくありません」(翻訳:清水玲奈)
from ARTnews