世界が注目! NYのアート&サイエンスの文化発信基地、パイオニア・ワークス
ブルックリンの北西部に位置するレッドフックに、ニューヨークのクリエイティブな才能が集まる場所がある。非営利の文化センター、パイオニア・ワークスだ。その特徴は、アートや音楽だけでなく、サイエンスやテクノロジーを文化として発信することにある。
サイエンスを文化の一部に
ブルックリンを拠点に活動する造形作家のダスティン・イェリンがパイオニア・ワークスを創立したのは10年前のこと。イェリンのスタジオ近くにある、1866年に建てられたレンガ造りの元鉄工所を利用し、複合的な文化拠点を立ち上げた。当初予算の20万ドルのほとんどは自己資金で、スタジオのスタッフとともに建物の改造を行ったという。
「窓は開かず、何の設備も階段もなく、鳩でいっぱいだった」とイェリンは振り返る。自らを独学のアーティストだという彼が構想したのは、アート、音楽、サイエンス、テクノロジーが一つ屋根の下で共存する巨大な空間だ。それは、ブラック・マウンテン・カレッジ(*1)や、MITメディアラボ(*2)、バウハウス(*3)など、伝説的な教育文化施設の精神を受け継いでいる。
*1 1933年から57年まで、ノース・カロライナ州のアッシュビルで進歩的な芸術教育を行った非営利機関。
*2 1985年にマサチューセッツ工科大学(MIT)に設立された研究所。主に表現とコミュニケーションに利用されるデジタル技術の教育、研究を行っている。
*3 1919年にドイツのワイマールに設立された美術学校。工芸・写真・デザインなどの総合的な教育を行った。
「サイエンスを文化の一部にすること」が、開設当初からイェリンが目指す重要なミッションだ。「この非営利団体は、草の根的かつ有機的なプロセスで育ってきたんです。まるで、飛行機を作りながら操縦するようでした」
今月11日に創立10周年を迎えたパイオニア・ワークスは、淘汰が繰り返されるニューヨークの文化施設の中にあって、独自性があり、かつ安定した組織として成長してきた。年間運営予算は850万ドルで、毎年2000件以上の応募から審査員が選出した約10人が、ガラス張りのスタジオで創作活動を行っている。これまでにビジュアルアーツ、音楽、テクノロジー部門のレジデンスを経験したアーティストは300人を超えた。
デリック・アダムス、アビゲイル・デビル、ジャコルビー・サッターホワイトといった気鋭のアーティストたちが、ここでその後のキャリアを決定づける初期の展覧会を開いている。また、「Scientific Controversies(科学論争)」シリーズは、リチャード・ドーキンス(英国の進化生物学者・動物行動学者)、ジョージ・チャーチ(米国の生化学者、分子工学者、遺伝学者)、シッダールタ・ムカジー(インド系アメリカ人の医師、血液学・腫瘍学分野のがん研究者)などを迎えて行われ、広々とした会場を埋めつくすほどの観客を集めている。コロナ禍前の年間来場者数は約15万人、現在は10万人ほどだという。
当初はイェリンのスタジオスタッフが運営に携わっていたが、現在、両方に関わるのはイェリンだけで、スタジオとパイオニア・ワークスは「完全に別物」だと語るのはマキシン・ペトリーだ。彼女は4年前からパイオニア・ワークスのエクゼクティブディレクターとして、45人のスタッフを抱えるまでになった組織の育成、指揮を行ってきた。
ぺトリーが加わった頃のイェリンは、それまでの6年間組織を支えてきた寄付者のことで頭がいっぱいだった。そこでペトリーは、財務、資金調達、運営、人事の各担当者を置き、現在は長期戦略の一環として、2018年に理事会とともに策定した3500万ドルの資金調達活動を展開している。この計画の最優先事項であった建物の購入によって、非営利団体であるパイオニア・ワークスは市と州から約500万ドルの助成金を受けられるようになった。現在までに2300万ドルが集まっている。
そんな中、パイオニア・ワークスは建築基準規定で必要とされるインフラ整備のために9カ月にわたる改修工事を経て、この9月にリニューアルオープンした。空調設備、屋上までのエレベーター、中2階が造設され、中2階からは、3階分の高さがある広大なメインホールでの展示やパフォーマンスを上演する様子が見渡せる。
創立時からアーティスティックディレクターを務めるガブリエル・フローレンツは、「ちょうど建物の一時使用許可証(TCO)が取得できたところなんです」と言い、こう続けた。「我われは親しみやすい文化施設だと自負していますが、以前は(エレベーターで)上階に行けず、夏に使えるエアコンもありませんでした」。彼によると、TCO取得以前には75人以上のイベントのたびに、特別な許可を取らなければならなかったという。
作家たちが先生に。独自の教育プログラム
改修工事の最終段階は24年に予定されている。庭園に車椅子用の通路を設け、エレベーターを増設し、約370平方メートルの屋上デッキを整備する。この屋上デッキは、無料で一般開放することを計画している。
施設のリニューアルで期待されるのは、パイオニア・ワークスが提供する教育プログラムの拡大だ。STEAM(サイエンス、テクノロジー、エンジニアリング、アート、ミュージックの略)と呼ばれる教育プログラムは、現在レジデンス制作を行っているアーティストや、過去にレジデンスを経験した作家たちが講師を務め、レッドフックの全ての公立学校やチャータースクール(公立学校を補完するための学校)で実施されている。
イェリンは今後10年間で、庭の周囲にパティオのようなスペースを作るほか、音楽部門、教室、レジデンシーを拡充するなど、敷地を最大限に利用したいと考えている。
アーティスティックディレクターのフローレンツは、パイオニア・ワークスの学際的で型にはまらない性質は、最大の資産であると同時に課題でもあると語る。「初期の頃は、自分たちがどんな団体かを伝えるのが難しくて、もどかしかった。簡単に説明する方法はないだろうかと考え続けていましたが、徐々に自分たちのあるがままの姿を損なわない形で組織ができあがっていきました」
エクゼクティブディレクターのペトリーは、アーティストが設立した精神を失うことなく、組織として責任ある成長を続けられるよう運営を行ってきた。「今の我われには、資金やスタッフだけでなく、役員の専門知識があり、アーティストや科学者とともにじっくり考えて決断し、協働できる場があります。以前は若い組織であるがゆえに、こうしたことが欠けていました」
イェリンは、何らかの目的でパイオニア・ワークスに来た人が「それ以外のことに好奇心を持ち、ほかにもいろいろな発見をしてくれると嬉しい」と話す。「私たちは美術館ではありません。学習センターなんです」
彼は、彫刻作品を作るのと同じように、社会的な実践としてこの事業に取り組み続けている。「私にとってのゴールは、パイオニア・ワークスが私なしでも完全に機能することです」と彼は言う。「もし私が明日、自動車事故で死んでしまっても、この文化拠点が成長し続けられることが重要です」(翻訳:平林まき)
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