私的な記憶を内包しながら、ひそやかに掲げられた旗──森栄喜「Moonbow Flags」【EDITOR’S NOTES】
ARTnews JAPANエディターが送る展覧会レビューシリーズ「EDITOR’S NOTES」。第2回は、新宿のKEN NAKAHASHIで開催中の写真家・森栄喜の個展「Moonbow Flags」を紹介する。約8年ぶりとなる写真表現のみによって構成された本展では、日常の記憶と社会的な象徴を重ね合わせた新シリーズが発表されている。

展示室の壁面、目線の位置にリズミカルに配置された19点の作品。裸の男性を捉えたポートレートや、何気ない街角の風景写真の上に、星やひし形、直線といった白い図形が重ねられている。写真家・森栄喜による新作写真シリーズ「Moonbow Flags」だ。
1976年、石川県生まれの森は、高校卒業後にパーソンズ・スクール・オブ・デザイン写真学科を修了し、写真家の道へと進んだ。セクシュアルマイノリティとしての視点から「親密さ」を主題に据えた作品を発表し、2013年には写真集『intimacy』で第39回木村伊兵衛賞を受賞している。2023年の個展「ネズミたちの寝言|We Squeak」(KEN NAKAHASHI)では写真表現から一度距離を置き、映像やサウンドインスタレーションを用いて、社会的・政治的な問題に対する「ひとりで行う静かなデモ」を提示した。本シリーズは、その精神的な延長線上にありながら、再び写真表現へと立ち返るものだ。

シリーズの着想の一つとなったのは、1968年5月にフランスで起きた五月革命のスローガン「敷石の下はビーチ!」という言葉だ。パリの学生たちは舗道の敷石を剥がしてバリケードを作り、機動隊に投石した。抑圧の下に広がる自由の可能性を示唆するこの言葉を起点に、森は国家や権力の象徴としての「旗」と、日常の中で目にするキッチンのタイルや壁紙に見られる幾何学模様とを結びつけ、固定化されたシンボルの意味を再解釈しようと試みている。
タイトルにおいて「旗」と並列で語られる「Moonbow(月虹)」は、月光によって生じる虹を意味する。通常の虹とは異なり、注意深く目を凝らさなければ見えないほど微かな存在だ。このモチーフは「ネズミたちの寝言」から引き継がれたもので、激動する世界の中で、部屋の中から小さく声を上げる「私的」で「詩的」な社会運動のあり方を象徴している。
森は本シリーズを、写真プリントや制作を手がける職人と共同で制作した。使用されたネガは、過去に撮影した写真の中から選ばれており、中には10年以上前のものも含まれている。長い時間を経たネガは、独特の温かみを作品にもたらしている。さらに現像工程では、19世紀に確立された写真技法であるフォトグラムの手法を応用し、白いひし形や円形などの図形を絵の具で手描きしたアクリル板を印画紙の上に重ねて感光させている。

21 × 32 cm
©Eiki Mori, Courtesy the artist, KEN NAKAHASHI
こうして生まれた作品からは、森の「私的」な記憶が見え隠れする。特に印象に残ったのは、森が故郷へ帰省した際、金沢駅まで迎えに来た母親の車に乗り、自宅へ向かう途中で撮影した1枚だ。信号待ちの横断歩道を自転車に乗った中高生ほどの少年たちが渡っている。
森はこの少年たちと同じ年頃だった当時、自身のセクシャリティについて言葉にはしなかったが、それに気づいていた母親は彼を否定することはなかった。運転席の母親と、隣に座る息子の間に、どのような会話が交わされていたのだろうか。この写真は、母と息子の間に流れる空気や、そこに内包された無条件の愛情を想像させる。

21 × 32 cm
©Eiki Mori, Courtesy the artist, KEN NAKAHASHI
もう一作は、室内で裸の男性とチューリップなどの花を捉えた写真だ。モデルとなった男性は森の友人で、写真を撮った時は偶然、長年勤めた会社を退職した翌日だったという。画面に写り込む花束は、その退職祝いとして贈られたものだ。新たな道へ進む決意の瞬間を捉えたこのポートレートには、応援旗のような白いひし形の図形が重ねられている。
森栄喜は「Moonbow Flags」で、個人的な記憶と社会的な象徴を重ね合わせながら、声高ではないが確かな意思を宿した抵抗のあり方を提示している。それは、見えにくく、しかし確かに存在する月虹のように、私たちの日常のすぐそばでひそやかに掲げられている。
森栄喜「Moonbow Flags」
会期:~2026年1月24日(土)
場所:KEN NAKAHASHI(東京都新宿区新宿3−1−32新宿ビル2号館5F)
時間:13:00~20:00
休館日:日・月









