ウォーホルとバスキアが対決? 舞台劇「ザ・コラボレーション」が描く、鬼才二人の可笑しくも悲しい相克
「世界最高の現役画家」の称号をめぐるアンディ・ウォーホルとジャン=ミシェル・バスキアの相克を描いたブロードウェイの舞台「The Collaboration」。アートの役割やアート市場の移ろいやすさ、そして迫りくる死──本作が伝えるアート業界の厳しさ、そして名声をめぐるアーティストの葛藤とは?
もし「世界最高の現役画家」の称号があったとしたら?──こんな前提のもとにストーリーが展開するのが、現在ブロードウェイで上演中(2月5日まで)の才気みなぎる舞台劇「The Collaboration」だ。20世紀屈指の有名アーティスト2人が、共同作業の中でアート界のトップの座をめぐり火花を散らすという作品だ。
2022年12月20日にニューヨークのサミュエル・J・フリードマン劇場で開演した「The Collaboration」は、すでに全盛期を過ぎ、キャリアの晩年にさしかかっていたアンディ・ウォーホルと、アート界に颯爽と現れた新星、ジャン=ミシェル・バスキアが、2人展を計画するところから始まる。当時のバスキアは半抽象画で絵画に新たな息吹を吹き込み、その作品は高値で飛ぶように売れていた。ヘビー級アーティスト2人の対決と銘打たれたこの展覧会の宣伝のため、2人はボクシンググローブをつけた姿でカメラに収まる──ベテランと新人の激突、という構図だ。
クワミ・ケイ・アルマー(BBCの医療ドラマ「カジュアルティ」の医師役で知られる)が監督を務めるこの舞台で、ポール・ベタニー(「ワンダヴィジョン」で主人公ワンダの夫、ヴィジョンを演じた)が冷笑的なウォーホルをカメレオンのように捉えどころなく、ジェレミー・ポープ(舞台劇「クワイア・ボーイ」や映画「The Inspection(原題)」に出演)が、激情型のバスキアをリアルに演じる。主役の2人は、ケイ・アルマーが芸術監督を務めるロンドンのヤング・ヴィク劇場で、この戯曲が2022年2月に初めて上演された際と同じ顔ぶれだ。
フリードマン劇場でのブロードウェイ版の上映では、会場にミラーボールが据えられ、80年代のクラブミュージックが流れるなど、音楽面でも時代感が反映された。背景には、ジ・オデオンや若き日のジュリアン・シュナーベル、バスキアが近くにスタジオをかまえていたバワリーとグレート・ジョーンズ・ストリートの交差点を示す標識など、かつてのニューヨークの風景を伝えるノスタルジックな映像が流れ、傑作が数多く生まれた実り多い時代の雰囲気を醸し出す。さらにアンナ・フレイシュルの手によるダイナミックなセットデザインでは、プロジェクションが多用され、バスキア作品が白い壁に投影される。
アンソニー・マッカーテン(2019年の映画『2人のローマ教皇』や2018年の『ボヘミアン・ラプソディ』の脚本でも知られる)による脚本は、芸術の役割やアートマーケットのうつろいやすさといったテーマを巧みに盛り込んでいるが、そこには死の影がちらついている。それはこの共同制作からまもなくして2人に訪れる、人生の終わりを予感させるものだ。
舞台は、ウォーホルがあごに手を当て、当時ウォーホルとバスキアの代理人を務めていたスイス人アートディーラー、ブルーノ・ビショッフバーガー(テレビドラマ「フォー・ライフ」などで知られる俳優エリック・ジェンセンが演じる)のギャラリーに展示されたバスキアの作品をじっと眺めている場面から始まる。そしてビショッフバーガーは、ウォーホルにバスキアとのコラボレーションを提案する(実際にはこれ以前に、フランチェスコ・クレメンテを加えた3人のアーティストによる共同制作の話があったのだが、劇中ではこの件に関する言及はない。マッカーテンは時系列や劇中で描かれる出来事の事実関係に関しては、創作上の自由をある程度優先させている)。
超えられない壁と共通点
このとき50代になっていたウォーホルは、華やかな社交生活で知られる“スーパースター”で、セレブや社交界の名士、依頼を受けたクライアントなどのポートレートをシルクスクリーンで量産していた。バスキアとのコラボレーションは、くすぶっていた自身の創造力に再び火をつけてくれるかもしれない──新進気鋭のアーティストであるバスキアを撮影していいのなら、という条件で、ウォーホルはこの話を受け入れるのだ。
80年代に入ったころからテレビ番組で実験的な試みを行っていたことからも推察できるが、ウォーホルは、かねてから映画に関心を抱いていた。劇中、ベタニーは冷笑的な態度の裏に悲しみを抱えたウォーホルを見事に演じているが、このときもウォーホルは、1968年にヴァレリー・ソラナスに胸を撃たれたことにより負った身体的、精神的な傷にさいなまれていた(この銃撃事件のち、彼は生涯にわたり、医療用コルセットの着用を余儀なくされた)。
若さにあふれたバスキアは、その後すぐに舞台に登場する。ビショッフバーガーはバスキアに、ウォーホルが絶賛していたことを大げさに伝え、2人はすぐに共同制作を始める。コラボの場として選ばれたのは、ユニオン・スクエアにあったウォーホルの著名なスタジオ、ザ・ファクトリーだ。2人は、1985年秋にトニー・シャフラジ・ギャラリーで開催予定の2人展に向けて、手探りで制作を始める。
ウォーホルはこのコラボにおいて、絵筆を持たないという25年来の「禁」を解き、投影されたゼネラル・エレクトリック社のロゴをトレースする。バスキアはそこに、王冠やマスク、恐竜といったシンボルを描き足していく。これらはバスキアの絵画に頻繁に登場するモチーフで、スピリチュアルな祈りが込められたものだ。
だが、ウォーホルのテーマとなるのはロゴや日用品、消費文化といったもの。企業のロゴを再現するにあたり、ウォーホルは、自身の目標は「中立的に」コメントを加えることだと言明する。これはバスキアが自身の方針として掲げる「安住しているものをかき乱し、かき乱されているものに安らぎを与える」やり方とは相容れない。さらにウォーホルは、あの有名な「キャンベルのスープ缶」シリーズは、母親からインスピレーションを得たのだとバスキアに明かす。60年代初頭に、母から「アンディ、あなたは誰もがみてわかるものの絵を描くべき」と言われたのがそのきっかけだったというのだ。
一方のバスキアも、母の影響でアートに興味を持った。幼いバスキアが交通事故で病院に運ばれた際、母は彼に解剖学の医学書「グレイの解剖学」を手渡すが、その後、驚くほどのスピードで回復を遂げるまでの間に、バスキアは内臓や骨格の絵を描き始め、さらに父方のルーツであるハイチのヴードゥー教の信仰にも触れたという。
バスキアに恋する「マヤ」の役割
本作は、2人の会話をもとに両者の内面を掘り下げていくというもの。お互いに問いを投げかける中で、有名なものも、それほど知られていないものも含め、これまで報じられてきた2人にまつわるエピソードが浮き彫りになり、著名アーティストたちの生涯が明らかになる。ウォーホルが肌の色素を失ってしまった経緯や、バスキアが名乗っていた「セイモ(SAMO)」という名前の由来などがその好例だろう。2人は相手のイデオロギーにジャブやパンチを浴びせるが、第2幕が始まると、事態は切迫感を増し、ピークに達した感情の波が、怒涛のように押し寄せる。
この劇の4人目の登場人物、マヤ(Netflixドラマ「HALSTON/ホルストン」などに出演したクリスタ・ロドリゲスが演じる)はバスキアに恋しているが、彼にはほかにも複数のガールフレンドがいること、さらには薬物依存症であることも知っている。バスキアに金を貸していたマヤは、彼の居所を突き止められず、切羽詰った様子でペンキが飛び散るバスキアのスタジオにウォーホルを尋ねる。裕福だが金にうるさいポップの帝王ことウォーホルは、値切りに値切ったあげく、バスキアのドローイングが描かれた冷蔵庫をマヤから5000ドルで買い取る。ロドリゲスはイーストヴィレッジに住む、創作に情熱を燃やすが未熟な若者、マヤを迫真の演技で活写する。
さらにウォーホルが、気鋭の黒人アーティスト、マイケル・スチュワートが、地下鉄にスプレーでグラフィティを描いたことで、ニューヨーク市警の警官から暴行を受け、重傷を負ったことを告げる(バスキアの実生活でのガールフレンド、スザンヌ・マルークも、友人だったスチュワートが警官からの暴行が原因で殺されたことに関して、正当な法の裁きを求める運動に関わっている。劇中に登場するマヤは、このマルークをもとにした役柄だろう)。
再び舞台に登場したバスキアは、勾留中に殴打され意識不明に陥ったスチュワートの病状について病院からの連絡を待つ間、《Vandalize(破壊)》という名の絵画を描く。さらにバスキアは、「正しい色と正しいシンボル、イメージ、正しい魔法の力」をもってすれば、超自然的な力でスチュワートの命を救えるのではないかとの思いを吐露する。一方、ウォーホルはビデオカメラを手に取ってこの模様を撮影し、カメラが捉えた生の映像らしきものが、スタジオの壁に映し出される。
バスキアはカメラを止めるよう求めるが、撮影はひそかに続けられる。彼はウォーホルに、自身の作品の目的は「死者を蘇らせることだ」と打ち明ける(《Vandalize》はおそらく、実在の作品《Defacement (The Death of Michael Stewart)(落書き(マイケル・スチュワートの死))》に代わるものとして用いられたのだろう。2019年には、《Defacement》を主題とした展覧会が、グッゲンハイム美術館でシャデリア・ラブヴィエのキュレーションによって開催されている)。
スチュワートが死んだという悲報が届くと、興奮したバスキアは怒りを爆発させ、自身が絵画を描く様子を撮影したことで、絵の魂を盗み、スチュワートの回復を妨害したと言ってウォーホルを責め立てる。
悲痛なフィナーレで、バスキアは注射器を手に持ち「俺はジャンキーじゃない」と叫び、ドラッグから足を洗うとウォーホルに誓う。ウォーホルは共同制作のパートナーであるバスキアの神秘主義的な信条を肯定し、「君はすでに僕をよみがえらせてくれている」と語りかける。2人は見つめ合うが、その姿はこの先に待ち受けている悲劇を予感させる──舞台は一転し、1985年にシャフラジ・ギャラリーで開催された2人展の画像が一瞬映し出され、「入札価格は5700万ドルから」というオークション業者の声が舞台裏から響く。
出演者の好演が光るこの舞台劇からは、刹那や悲しみ、両方の余韻が伝わってくる。この後、ウォーホルは1987年に胆嚢手術を受けたのちに様態が急変し、58歳で突然の死を遂げる。バスキアも翌1988年、ヘロインの過剰摂取により27歳の若さで命を落とすのだ。(翻訳:長沢智子)
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