「NCAR×AWARE 女性アーティストリサーチフェローシップ」第一回採択は、小田原のどかと山田裕理
1971年のリンダ・ノックリンの問いから半世紀。NCARとAWAREが立ち上げた新たなフェローシップは、その歴史的問いを引き受け、日本における女性アーティストの不可視化に再び切り込む。初回採択者には、小田原のどかと山田裕理が選ばれた。

日本の国立アートリサーチセンター(NCAR)とフランスのAWARE(Archives of Women Artists, Research and Exhibitions)が、日仏共同の研究支援制度「NCAR×AWARE 女性アーティストリサーチフェローシップ」を立ち上げた。2026年4月15日、東京日仏学院にて行われたプレスカンファレンスで、その記念すべき第1回(2026年度)の採択者に彫刻家・評論家の小田原のどかと東京都写真美術館学芸員の山田裕理が選出されたことが発表された。
ノックリンからAWAREへ──問いの継承
本フェローシップの成立を理解するには、その共同運営母体であるAWAREの歩みを振り返る必要があるが、その歩みは、55年前にUS版ARTnewsに掲載された一篇の論文へとさかのぼる。
アメリカの美術史家リンダ・ノックリンは、「女性解放」を特集したUS版ARTnewsの1971年1月号に「なぜ偉大な女性芸術家はいないのか(Why Have There Been No Great Women Artists?)」を発表した。フェミニスト美術史の嚆矢として位置づけられるこの論考は、問いを額面通りに受け取ることを拒否し、問い自体に埋め込まれた欺瞞を解剖してみせた。ノックリンが主張したのは、女性の不在は才能の欠如ではなく、アカデミーや教育機関への参入を阻んできた制度的・社会的障壁の帰結だということだ。この論文は批評の言語を根本から変え、「偉大な芸術家の不在」という神話を自明の真理から議論の出発点へと引き戻した。
半世紀後、その問いに応答するかたちで生まれたのがAWAREだ。キュレーター・美術史家のカミーユ・モリノーは、マサチューセッツのウィリアムズ・カレッジ留学中にノックリンの論文に出会い、フランスにおけるジェンダーと芸術の問題を改めて問い直すきっかけを得たと語っている。
「なぜかは、もう分かっている。では、どうやって女性アーティストたちを歴史へと戻すのか。AWAREはその問いへの答えとして生まれた」
モリノーは後に、AWARE創設の動機をそう述べている。モリノーがそれ以前に手がけ、250万人を動員したポンピドゥー・センターでの企画展示「elles@centrepompidou」(2009〜2011年)は、前例のない規模での女性アーティスト展として今なお参照され続けている。
設立以来、AWAREは16世紀から21世紀にかけて活動した女性・ノンバイナリーのアーティストに関する伝記テキストを1400本以上蓄積し、ウェブサイトではフランス語・英語・日本語の三言語で公開している。研究・アドボカシー活動の影響力を高めるため、2026年1月にはポンピドゥー・センター国立近代美術館との連携を強化し、賞受賞作品がミュージアムのコレクションへ収蔵される機会が開かれるという新たなフェーズに入った。
一方、NCARは「アートをつなげる、深める、拡げる」をミッションに掲げる独立行政法人国立美術館のシンクタンク部門だ。センター長の田中正之のもと、日本のアートに関する情報収集と発信、コレクション活用促進、人的ネットワークの構築などを担う。両機関が2025年12月に開始した本フェローシップは、日仏のフェミニスト美術史研究を接続する初の本格的な共同支援制度として位置づけられる。
制度の設計と選考の思想
フェローシップの対象は、日本国内に居住または滞在する研究者・キュレーター等で、視覚芸術分野において活躍し、日本に所縁を有する女性・ノンバイナリーのアーティストを研究する者。一年間の研究期間中、上限5000ユーロの研究費が支給される。
第1回の公募には19件の応募が集まった。絵画・彫刻・工芸・版画・写真といった伝統的なジャンルにとどまらず、メディアアートやパフォーミングアーツにわたる幅広い研究が寄せられ、複数の国籍の研究者が応募した。選考においては研究課題の重要性に加え、実績の蓄積と研究準備の整い具合が重視された。委員会は選考委員長の仲町啓子(実践女子大学名誉教授、秋田県立近代美術館特任館長)のもと、天田万里奈(AWARE日本代表、キュレーター)、大谷省吾(NCAR作品活用促進グループリーダー、東京国立近代美術館副館長)、小勝禮子(美術史・美術批評)、建畠晢(草間彌生美術館長)、水野僚子(日本女子大学准教授)で構成された。
仲町はプレスカンファレンスで、「最新の報告では、日本のジェンダーギャップ指数は148カ国中118位という、誠に嘆かわしい結果。日本に所縁を有する女性アーティストの研究が、たとえ間接的な形であっても、こうした不名誉な現状に一石を投じることに一役買うことができることを心から期待している」と述べた。
彫刻史における二重の周縁化
彫刻家・評論家・版元主宰として多角的に活動する小田原のどかは、近代日本の彫刻史を制度批判の観点から掘り起こしてきた。現在は横浜国立大学に籍を置きながら、自身が主宰する一人出版社・書肆九十九から研究者・批評家・アーティスト向けの専門書を発行する。
代表著作には、近代彫刻をモニュメントや帝国主義との関係から問い直した『近代を彫刻/超克する』(講談社、2021年)、および彫刻の思想的地平を拡張する『モニュメント原論:思想的課題としての彫刻』(青土社、2023年)がある。また山本浩貴との共編著『この国(近代日本)の芸術:〈日本美術史〉を脱帝国主義化する』(月曜社、2023年)では、美術史の語り直しを試みる多数の論者を束ねた。国際芸術センター青森、つなぎ美術館(熊本)、国立西洋美術館への参加など、作家としての活動も精力的に続け、2024年には令和6年宮城県芸術選奨新人賞を受賞している。
本フェローシップで小田原が取り組むのは、岡山出身の女性彫刻家・久原濤子(1906〜1994年)と太田嘉女野(1903〜1986年)の研究だ。その問いの構造は、ノックリンへの批判的応答として組み立てられている。小田原によれば、ノックリンの論文が俎上に載せたのはすべて女性の画家であり、その問いは実質的に「なぜ偉大な女性の画家は現れないのか」という問いであった。フェミニスト美術史がジェンダー論の展開を遂げたなかにあっても、彫刻家の女性たちは画家の女性たちよりさらに周縁化されてきた。小田原はそこから、もう一段深い問いを立てる。
「ジェンダー論が目覚ましい展開を迎えてなお、その内部からなぜ偉大な女性の彫刻家は現れないのかと問う必要があると、私は考えます」
その問いを裏打ちするのが、一次資料から浮かび上がる制度的排除の実態だ。小田原はプレスカンファレンスで、1920年に高村光太郎が『女性日本人』に寄せた「女流彫刻家」で、「彫刻は女性に適さないのかもしれません。とにかく仕事が石灰、木材、粘土というような腕力を要する仕事ですから」と書いたことを紹介。また、彫刻家・作田輝(木内輝)が師・朝倉文夫に弟子入りを認められた際、条件として突きつけられたのは、「結婚するまでの修行というなら教えてやろう」という言葉だった。女性が彫刻を学ぶためには、まず「そのような女とは違う」と宣言しなければならなかった時代の構造が、個人の証言から浮かび上がる。
研究の対象は、帝展・文展・院展の彫刻部門でそれぞれ女性として初めて入選した三人の彫刻家——木内輝(1918年、文展)、太田嘉女野(1925年、院展)、久原涛子(1931年、帝展)——へと広がる。なかでも久原の石膏原型「男の首」については現存が確認されており、小田原は美術館への収蔵実現を後押ししたいと表明し、「収蔵への後押しは私一人では決して成し得ないこと。このフェローシップに関わる皆さんのお力添えをどうかいただきたい」と語った。
写真史における「空白」の再検証
山田裕理は、東京都写真美術館の学芸員として近現代写真史を専門とするキュレーターだ。IZU PHOTO MUSEUMでの学芸員職を経て、2018年より現職。これまで「フィオナ・タン アセント」(2016年)、「記憶は地に沁み、風を越え 日本の新進作家 vol.18」(2021年)、「本橋成一とロベール・ドアノー 交差する物語」(2023年)、「ルイジ・ギッリ 終わらない風景」(2025年)などの展覧会を担当。笠原美智子とは「愛について アジアン・コンテンポラリー」(2018年)を、またナタリー・キングとは「リバーシブルな未来 日本・オーストラリアの現代写真」(2021年)を共同企画するなど、国際的なプロジェクトにも積極的だ。
フェローシップの研究課題は、明治期を中心に昭和前期までに活動した女性写真家の実践とその役割の解明だ。その問いの出発点には、山田が長年にわたって抱いてきた違和感がある。近年、日本女性写真家に焦点を当てた展覧会が国際的に相次いで開催され、2024年のアルル国際写真フェスティバルでの「I'm so happy you are here」展をはじめ、オーストラリア・ビクトリア国立美術館での「Women Photographers」展など、その評価の高まりは山田自身も「肌で感じている」という。ところが、それらの展覧会で「近代の記録に残る女性写真家」として一貫して紹介されるのは、1823年生まれの島隆(〜1890年)に限られている。
「このことはもちろん、この間日本女性写真家が存在しなかったということではない」
山田はこう指摘し、島隆から1940年代に活動した報道写真家・笹本恒子へと、女性写真家の歴史が展覧会のなかで飛躍してしまう——その空白は、不在ではなく不可視化の問題だと述べた。写真が日本に導入された明治期以降、写真産業・写真芸術において多くの女性が重要な役割を担ってきたことは、アーカイブ資料からも確認されている。1878年には、当時著名な女性写真家・塙芳埜がカメラを構える姿が浮世絵に描かれているほどだ。
こうした背景から山田が一次資料として調査する三人の写真家は、前述の島隆と塙芳埜、そして変装写真で知られながら生没年も作品所在も未解明の山本古登女の3名。展覧会・文献調査と一次資料研究を組み合わせることで、写真史のみならず近現代日本社会をジェンダーの観点から捉え直し、文化史の再構築に寄与することを目指す。
両フェローによる研究成果は、2027年夏以降にNCARおよびAWAREの公式ウェブサイトで公開される予定だ。日仏双方のプラットフォームでの公開は、研究を日本語圏のみに閉じず、国際的なフェミニスト美術史の言説とつなぐことを意味する。
選考委員長の仲町は、「次回は近現代以前を対象とする研究の応募も歓迎する」と述べており、対象時代の拡大も視野に入れた制度の発展が期待される。まずは彫刻と写真という二つの視点から、忘れられた女性たちの実践が光の当たる場所へと引き出されることを待ちたい。

