メディアアートの可能性を切り開いた、知られざる女性たちの歴史
1960年代以降、写真、ビデオ、コンピュータなど新しいメディアを駆使して革新的な表現を生み出してきた女性アーティストたち。その知られざる足跡を辿り、テクノロジーとアートの関係性を問い直すリサーチプログラムが、フランスの非営利団体AWAREによって進められている。日本でのシンポジウム開催に先がけ、AWAREディレクターのカミーユ・モリノ―らに話を聞いた。
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「ふたつの脳で生きる」──そんな刺激的な言葉で、1980年代初頭にビデオアートを表現した女性アーティストが日本にいた。1960年代から映像を使った実験的なインスタレーションを発表していたアーティスト、久保田成子である。
映像と彫刻を組み合わせた「ビデオ彫刻」で知られ、ビデオの黎明期にこのメディアの可能性を探索していた彼女は、いわゆるニューメディアアート(1980年代後半から使われるようになった用語。従来の美術とは違った新しい媒体を使った芸術的表現を指す。メディアアートと同義)の実践者であった。
そんな彼女の言葉を冠したリサーチプログラムが、フランスの非営利団体「Archives of Women Artists, Research & Exhibitions(AWARE)」によって2023年末から進められている。
ニューメディアを探究した女性たちに光を
AWAREは、あまり知られていない過去と現在の女性アーティストに光を当てることを目的に活動している団体だ。地理的な多様性も重視し、北アメリカと西ヨーロッパに偏りがちな美術史を書き換える試みを続けている。10周年を迎えた2024年には、ウェブサイトに日本語セクションを設け、日本チームを発足させた。
そんなAWAREが3年計画で進めている「ふたつの脳で生きる:ニュー・メディア・アートにおける女性たち、1960-1990年代(Living with two brains: Women in New Media Art, 1960s-1990s)」は、テクノロジーの発展に対応して新しいメディアを取り入れ、革新的なアートを制作し、新たな視点をもたらした女性とノンバイナリーのアーティストの功績を振り返り、再評価することを目的に始動した。さらに、ジェンダーや女性の身体、社会での役割の認識がテクノロジーの影響によってどう変化してきたのかも、これらのアーティストの活動を通して検証している。
ソニーのカメラで広がった間口
リサーチは、それぞれの時代の新しいメディアに取り組んだ女性アーティストの系譜をたどることから始まった。
女性アーティストとテクノロジーとの関わりは、19世紀まで遡れる。AWAREのディレクター兼共同創設者であるカミーユ・モリノーは「写真の黎明期から初期にかけては、ジュリア・マーガレット・キャメロン(1815年〜1879年)、フランシス・ベンジャミン・ジョンストン(1864年~1952年)をはじめとする多くの女性写真家が優れた作品を制作し、アートとしての写真というジャンルの発展に貢献しました」と振り返る。
そして1960年代以降、さまざまな地域や文化圏で、女性やノンバイナリーを含むアーティストが、ニューメディアアートの分野で数多く活躍してきた。モリノーによると、ビデオアートの間口が大きく広がったきっかけは1967年のソニーによるビデオカメラの商品化だ。これに伴い、日本でも久保田をはじめとする多数の女性アーティストが活躍するようになる。
デジタルアートのパイオニアは女性だった
反対に、コンピュータアートは長い間、特別な研究機関へのアクセスがないと制作できないものだった。それでもコンピュータアートに多大な貢献を果たした女性アーティストもいる。
その筆頭が、アルゴリズムに基づいて作品を制作するデジタルアートのパイオニアのひとりであるハンガリー人アーティスト、ヴェラ・モルナールである。彼女の作品は2023年の「フリーズ・マスターズ」を始めとする最近のアートフェアでも脚光を浴び、近年、再評価の動きが高まっている。
こうした女性アーティストの認識を高める上で障壁となってきたのが、過去の女性アーティストは作品や情報が残っていないケースの多さだ。「ふたつの脳」のリサーチでは、特に1960年代のアフリカの女性アーティストについての情報収集が困難を極めたものの、成果を上げているという。モリノーは「AWAREのリサーチによって発掘された作品や情報を体系的に整理して公開することで、いいダイナミズムが生まれると信じています」と期待を語る。
「ふたつの脳」という表現が突きつける問題意識
プログラムのタイトルに久保田成子の言葉が引用されている理由はどこにあるのだろうか。
ドイツで開催された久保田の個展「Shigeko Kubota, Video Sculpture」のアーティスト・ステイトメントに記された一節はこうだ。「ビデオテープは脳の記憶細胞の延長として作用する。したがって、ビデオのある人生は、可塑的な脳と有機的な脳の二つの脳を持つ人生のようなものだ」
AWAREがこの発言に着目した理由について、AWAREアーカイブ・インターナショナル・デベロップメント部門ヘッドとしてプログラムを統括するニーナ・ヴォルツは、こう説明する。
「1960年代から90年代に急速に発展したニューメディアアートの潮流のエッセンスを凝縮したような象徴的な発言です。テクノロジー的な脳/身体の脳という二項対立を提示しています。ここには、AIと人間との関わりが、アートや社会の文脈で取り沙汰される中で、非常に今日的な問題意識が表れています」
「ふたつの脳」はさらに、さまざまな要素を表すメタファーとしても捉えられるとモリノ―は語る。「久保田は日本人でありながら世界で活躍したアーティストでした。『ふたつの脳』という表現には、日本的/世界的な脳という対立、あるいは女性性/男性性の対立を見ることも可能だと思います」
加えて「女性は頭脳的ではなく感情的」などという言説が今も聞かれる中、男女差への思い込みに挑戦する意味合いも込められているという。
モリノーは「ステレオタイプを打ち破りたいという思いは、このリサーチプログラムに限らず、AWAREの活動全体の大きなモチベーションになっています」と、熱を込める。「前衛芸術、テクノロジー、科学など、多くの分野において女性が活躍してきた事実はあまり知られておらず、現在でも科学の分野で働く女性はまだ男性に比べて少数です。しかし、古くは写真の黎明期、そして今回のプログラムで扱っているコンピュータアートやビデオアートといったニューメディアアートにおいても、女性アーティストが重要な貢献を果たしてきました。このことを、広く知ってもらいたいと思います」
「サイバーフェミニズム」の今日的な意義
ヴォルツが着目しているのが、1990年代に始まったサイバーフェミニズムだ。テクノロジーが文化・社会・政治に与える恩恵と影響をフェミニズムの立場から批判的に捉え、ジェンダー、身体、アイデンティティの問題に新たな視点を持ち込んだ。
「サイバーフェミニズムは、インターネットとデジタルメディアの興隆を受けて、テクノロジーとフェミニズムの問題意識が融合し、男性/女性という二項対立とそれによって生み出される抑圧やジェンダー規範のない世界を目指す動きでした。A Iがもたらす脅威が大きな問題になっている今日、このサイバーフェミニズムの視点を振り返ることに意義があります」と語る。「テクノロジー対身体という問題意識や、産む機械とみなされることもあった女性の身体やセクシュアリティ、ひいては女性が生きる条件について考えることが、プログラムの究極の狙いです」
なお、 AWAREはこのプログラムの一環として、2月15日と16日に東京で国際シンポジウム「ふたつの脳で生きる:AIとニュー・メディア・アートの女性たち」を開催する。これは、森美術館で2月13日から開催される「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」展の関連企画でもあり、AWAREのメンバーや、AWAREアドバイザリーボードメンバーの一人でもある森美術館館長の片岡真実をはじめとする世界各地の美術史家やキュレーターに加え、アーティストのスプツニ子!、藤倉麻子、ディームートらが登壇する。
テクノロジーとアートの現代史を再考し、女性アーティストの実験的な活動と貢献、そして幅広い問題提起を改めて振り返ることを、「ふたつの脳」は目指している。ニューメディアアートに取り組んできた女性アーティストならではの批判的な視点は、ジェンダーの問題やテクノロジーが社会に与える幅広い影響と今後の課題、そしてA Iとの関わり方を探る上でも、大きな示唆を与えてくれるはずだ。