訃報:ゲオルク・バゼリッツ、88歳で死去。戦後ドイツ美術を揺さぶった「逆さまの絵画」の革新者

ネオ・エクスプレッショニズムを牽引し、上下反転の絵画で知られるドイツの画家、ゲオルク・バゼリッツが死去した。戦後ドイツの記憶と暴力、男性性をめぐる表現で美術史に深い痕跡を残す一方、その発言でもたびたび論争を呼んだ。

Georg Baselitz in 1964. Photo by Czechatz/ullstein bild via Getty Images
1964年に撮影されたゲオルク・バゼリッツ。Photo: Czechatz/ullstein bild via Getty Images

戦後ドイツを代表する画家であり、ミニマリズムコンセプチュアル・アートに対抗した1980年代のネオ・エクスプレッショニズムの牽引役を担ったゲオルク・バゼリッツが、88歳で死去した。死去は、彼を代表するギャラリーのひとつであるタデウス・ロパックが発表したプレスリリースで初めて明らかにされた。遺族には、アートディーラーの息子アントン・ケルン(Anton Kern)がいる。

逆さまの世界を描いた画家

ヴェネチアのアカデミア美術館で開催されたゲオルク・バゼリッツの展覧会「バゼリッツ・アカデミー」の展示風景。2019年5月7日撮影。Photo: Roberto Serra - Iguana Press/Getty Images
ヴェネチアのアカデミア美術館で開催されたゲオルク・バゼリッツの展覧会「バゼリッツ・アカデミー」の展示風景。2019年5月7日撮影。Photo: Roberto Serra - Iguana Press/Getty Images

バゼリッツは1960年代、形式的な粗さと苦悩に満ちた主題によってドイツ美術界に衝撃を与えた。代表的な「ヒーロー」シリーズ(1965–66)では、廃墟となった建物や倒れた旗の上でバランスを取る、肥大化し角張った人物像が描かれる。彼の眼には、戦後ドイツ社会はむき出しの筋肉のように生々しく緊張したものとして映っていた。続く「フラクチャー」シリーズでは、斧を持つ人物や獲物が引き裂かれ、神話的なゲルマンの森の中で再構成される──彼自身の言葉でいえば「傷ついた風景」だ。

バゼリッツは、具象を認識可能な形態の限界を超えて抽象へと押し広げ、最終的には媒体そのものを反転させたことで知られる。上下逆さまの肖像や風景という彼の代名詞的手法は、男性性を独自に解体するうえで格好の両ジャンルとなった。この視覚的語彙は《The Man at the Tree》(1968)や《The Wood on Its Head》(1969)において確立され、その後、主題はどろどろに溶けるほどに抽象化されていった。

2016年、批評家のジョナサン・ジョーンズはガーディアン紙で、バゼリッツについて「死の遍在と腐敗の不可避性という、ドイツ美術最古の主題のひとつに接続している」と評し、こう続けた。「ルネサンスの芸術家が鏡の中に頭蓋骨を見たように、この現代の巨匠は人間の衰退に向き合い、そこに奇妙な美を見出している」

1980年代には活動の場をドイツ国外へ広げ、イタリアのサンドロ・キアやフランチェスコ・クレメンテら表現主義的な傾向を共有する具象画家たちとともに展示されるようになる。同時に、アンゼルム・キーファーら同時代のドイツ作家と並び、前の十年間に流行したミニマリズムやコンセプチュアル・アートといった潮流を拒絶する存在として、現代美術史における彼の位置づけはより複雑さを増していった。

廃墟の中で生まれた反骨

ドイツ・フランクフルトのシュテーデル美術館で開催された展覧会の展示風景。2016年6月29日撮影。Photo: Hans-Georg Roth/Corbis via Getty Images
ドイツ・フランクフルトのシュテーデル美術館で開催された展覧会の展示風景。2016年6月29日撮影。Photo: Hans-Georg Roth/Corbis via Getty Images

本名ハンス=ゲオルク・ブルーノ・ケルン(Hans-Georg Bruno Kern)は1938年、ナチス政権の絶頂期にドレスデン近郊の村ドイチュバゼリッツに生まれた。小学校の教師だった父ヨハネス・ケルンはナチ党への加入を義務付けられ、戦後はその経歴により東ドイツ政府から教職を禁じられる。母リーゼロッテは父に代わって学校の職務を引き継ぎ、若きハンス=ゲオルクは東ベルリンで社会主義リアリズムを学んだ。1961年、東ドイツを離れた後、故郷の名にちなみ「バゼリッツ」を名乗るようになる。

同時代の証言は、彼を魅力的で才能ある学生として描く一方、権威に反発する気質も伝えている。1957年に美術学校を放校された後、西ベルリンの国立造形芸術高等学校(Staatliche Hochschule für Bildende Künste)で学んだ。1950年代半ば、共産主義体制下の東ドイツでは「写実的に描くか抽象的に描くか」という選択が政治的意味を帯びており、「リアリズムは社会主義、抽象は資本主義を支持することを意味していた」と彼は回想している。

1958年、西ドイツで学んでいたバゼリッツは、MoMAによるジャクソン・ポロック展が国立造形芸術高等学校に巡回してきたことで、抽象表現主義との決定的な出会いを果たす。ポロック展と同時に、MoMAのもう一つの画期的な巡回展「New American Painting」も開催されていた。彼はこの時の衝撃を、「信じられないほど素晴らしかった。手で触れられそうなほどだった」と語っている。ポロック、クリフォード・スティル、フィリップ・ガストンウィレム・デ・クーニングらの作品を目の当たりにし、「彼らより優れたことはできない」と感じた彼は、あえて具象にとどまる道を選んだ。「私はこのモダンなスタイルには加わらなかった。それは実存的な決断だった。私はアウトサイダーであり続けた」と語っている。

「臆病な戦後抽象」への反抗

初期には、同世代のオイゲン・シェーネベックとの二人展で注目を集め、そのポスターは「Pandamonisches Manifest I, 1. Version(パンデモニウム宣言第一版)」と題されたマニフェストとして機能した。バゼリッツが執筆した一節には、「私の中には前思春期の飛び地がある(生まれたときの匂いがする)……若さの萌芽がある、装飾への愛がある、塔を建てるという思想がある」とある。

アーティストのキャロル・ダナムは2018年、ハーシュホーン美術館でのバゼリッツ展に際して『アートフォーラム』誌に寄稿し、彼の初期作品を成熟期の作品と比べれば「地方的」と評しながらも、「共産主義下の美術教育における政治的・学術的制約への反抗として、また、深刻なトラウマを抱えたままのドイツで生み出されていた臆病な戦後抽象への反抗として理解されなければならない」と論じた。

1963年、ベルリンのガレリー・ヴェルナー&カッツでの初個展は大きな論争を呼んだ。観客から「不穏」と評されたこの展覧会は、彼独自の腐敗の色調を初めて示すものとなった。同年制作の《Die große Nacht im Eimer》には、年齢不詳の人物が死体のような青白い肌と黄色い染みを持ち、すす黒いヴェールの下で巨大な男性器を誇示するように掲げた姿が描かれている。美術史家のクラウス・ガルヴィッツはこの作品について、「顔の輪郭は、インフォルメル的な筆致で覆われた上半身と同様、眼と大きな耳以外の顔面的特徴を持たない」と述べ、このモチーフを「不安に満ちた男性性の演技」の表れとして解釈した。

スイス・リーヘンのバイエラー財団美術館で開催された自身の展覧会を巡るゲオルク・バゼリッツ、2018年1月19日撮影。Photo: Christiane Oelrich/picture alliance via Getty Images
スイス・リーヘンのバイエラー財団美術館で開催された自身の展覧会を巡るゲオルク・バゼリッツ、2018年1月19日撮影。Photo: Christiane Oelrich/picture alliance via Getty Images

「女性は上手に絵を描かない」発言

こうした権力、男性性、芸術をめぐる問題系は、2013年の発言によって新たな批判を招いた。バゼリッツは『シュピーゲル』誌に対し「女性はあまり上手に絵を描かない」と語り、2年後にはガーディアン紙のインタビューでも同様の見解を繰り返した。女性画家の才能と作品の売値について「市場は嘘をつかない」と述べ、その差を個人の問題として説明したのだ。「美術アカデミーの絵画クラスは90パーセント以上が女性で構成されているにもかかわらず、成功する女性がごくわずかであることは事実だ」とし、「それは教育や機会や男性ギャラリーオーナーとは無関係だ。別の何かによるものだが、なぜそうなのかを答えるのは私の仕事ではない」と続けた。さらに男性芸術家への構造的な偏袒という見方を退け、「女性たちが成功を望むほど野心的であれば、成功できる。しかしこれまでのところ、彼女たちはそれを望んでいるという証明に失敗してきた」と述べた。これらの発言は2019年に、あらゆる分野で権力を持つ男性による性的不正行為を告発した#MeToo運動の広がりのなかで、批評家の間で再び批判の的となった。

同年、ニューヨークガゴシアンで開催された展覧会「Georg Baselitz: Devotion」では、「New American Painting」展で出会った画家たちや同時代の作家へのオマージュとなる肖像が多数展示された。US版ARTnewsが当時指摘したように、展覧会に登場する存命作家のほぼ全員が女性であり(セシリー・ブラウントレイシー・エミンを含む)、その多くは、バゼリッツの1963年初個展の前後数年に生まれた世代だった。

「私は遠い先を見つめない」

コロナ禍においてもバゼリッツは論争の中心にいた。彼は、1週間に100件以上の感染者が発生した地区や市町村に閉鎖を命じることのできる感染症予防法をはじめとする、ドイツ政府の感染拡大防止措置を批判した一人であり、2021年には、ヴェルト・アム・ゾンターク紙のインタビューで、プライムタイムのニュースにおけるコロナの「恐怖話」を「でたらめだ」と一蹴した。

その後バゼリッツは、ミュンヘンのバイエルン美術アカデミーの役職を辞した。当時の会長ヴィンフリート・ネルディンガーがロックダウン批判をめぐる論争に巻き込まれたことが背景にある。ネルディンガーは、芸術空間の一時閉鎖を理由に「芸術家を完全に重要視していない」とドイツ政府を批判したが、バゼリッツが辞任したのはネルディンガーの発言自体への賛否ではなく、その発言に抗議した人々の振る舞いを「嫌悪すべきものだ」と感じたためだと述べた。

それでも評価は揺るがず、近年はマンク美術館、モルガン・ライブラリー&ミュージアム、メトロポリタン美術館、ピナコテーク・デア・モデルネ、ポンピドゥー・センターをはじめとする世界各地の主要美術館で個展が開催された。フランスのレジオン・ドヌール勲章および芸術文化勲章シュヴァリエ、オーストリアの科学芸術名誉勲章、クラクフ美術大学の名誉教授職をはじめとする数々の栄誉を受け、1980年代以降はヴェネチア・ビエンナーレ関連の展覧会にも繰り返し参加した。

オーストリア・ザルツブルクのタデウス・ロパック・ホールで開催された個展「アドラー・バルフス」のオープニングに出席したゲオルク・バゼリッツ、2024年5月18日撮影。Photo: Kerstin Joensson/Getty Images
オーストリア・ザルツブルクのタデウス・ロパック・ホールで開催された個展「アドラー・バルフス」のオープニングに出席したゲオルク・バゼリッツ、2024年5月18日撮影。Photo: Kerstin Joensson/Getty Images

晩年のインタビューで彼はしばしば過去を振り返り、自身の芸術的出発点を1945年初頭の連合軍によるドレスデン空襲に見出していた。

「私の作品は現実のメランコリーだと思っている。ディストピア的であるとは、ひどい未来を発明することにほかならない。ユートピアが楽園を発明し、ディストピアが地獄を発明する。しかしどちらも未来だ。私の立場はそこから遠く離れている。私は遠い先を見つめない」

(翻訳:編集部)

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