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渋谷駅から始まるアートと人の新たなつながり──東急「Art Valley」が目指す「アートのある生活」

2023年1月6日に東急がローンチした「Art Valley」は、オンラインでのアート販売・管理をはじめとするアートプラットフォーム事業だ。そんな「Art Valley」の最新のプロジェクトとして、渋谷駅を舞台に、生活者とアートをつなげる試みがスタートした。

原田郁《Inner space》2023 ©Iku Harada

通勤や散歩といった日常の合間に、芸術作品が目に飛び込んでくる。1970年代に日本中を席巻した「パブリックアート」と呼ばれるムーブメントは、美術館という限定された空間からアートの力を解放するための試みだった。渋谷駅に設置された岡本太郎による壁画「明日の神話」は、そんなムーブメントの代表作として知られている。「明日の神話」の完成から50年近くたったいま、同じ渋谷駅からアートと日常をつなぐ新しい試みがスタートした。

2023年1月6日に東急がローンチした「Art Valley」は、オンラインでのアート販売・管理を中核としながら、沿線情報誌「SALUS」など同社がもつメディアやSNSを中心とした新しいコミュニケーションに取り組むアートプラットフォーム事業だ。そんな「Art Valley」の最新のプロジェクトとして、2023年1月23日から4月22日まで、東急線渋谷駅のヒカリエ改札口にある壁面に、若手アーティストの作品が掲示される。

この取り組みが一般的な「パブリックアート」と異なるのは、展示されたアート作品の横に添えられたQRコードを読み込むとECサイトに遷移し、このアートに関連するNFT付きデジタル作品を「購入」できる点だ。

原田郁は1982年山形県生まれ。東京造形大学大学院美術専攻領域絵画科修了。コンピューター上で原田が「理想郷」と呼ぶ架空の世界を作り、その架空の空間の中に立って見える風景を描き続けている。Photo: You Ishii

公共空間でのアート展示がもつ意味

スタートから2月22日(水)までは、現代美術家の原田郁がフィーチャーされる。今回掲出されるのは、彼女がデジタル空間のなかで15年にわたり3Dモデリングソフトでつくりあげてきた仮想の理想郷「インナースペース」の一部の風景を切り取って出力した作品。同時に「Art Valley」のECサイトでは、スタートバーン社が発行するNFTを付与した原田による24種類のデジタル作品が販売されている。デジタル上の仮想空間をフィジカルな絵画として描いてきた原田にとっては、今回のプロジェクトがデジタル作品を販売する初の機会となったという。

さて、東急の「社内起業家育成制度」第7号案件としてスタートした「Art Valley」は、美術教育を受けた経歴をもつ高木寛子(たかぎひろこ)と現代音楽や文化政策を学んだ水上颯葵(みずかみさつき)によって運営されている。高木は、同プロジェクトの目的を「アート購入に対するハードルの解消」と、「アーティスト活動を応援する場の創出」と語る。デジタルの力を借りながら、東急がもつ交通機関や不動産といったリソースを活用して、これらの目的を達成することが「Art Valley」のミッションだ。

原田郁の作品《Inner space》の展示風景。Photo: ©Iku Harada/ Courtesy Tokyu

「駅」を生活とアートのタッチポイントとして活用するのは、インクルージョンという視点で大きなメリットがあると言える。というのも、駅は子どもからお年寄まで、さまざまな世代・背景・アイデンティティをもつ人々が日々往来する場所であり、美術館やギャラリーとは全く異なる鑑賞者へのアプローチが期待できるからだ。

ただし、駅という公共空間をつかって展示を行う以上、さらには「鑑賞」と「購入」という2つの行動を目指すプロジェクトだけに、様々な観点から細心の注意を払う必要がある。たとえば、その展示が人流を阻害しないかどうかは、交通機関を運営する東急にとって重要な問題だ。今回はできるだけ人の流れを止めないように、時間をかけずに鑑賞できることと、立ち止まっても影響が出ない場所であることのバランスを心がけたという。改札前という人流が多い空間ではイレギュラーな状況も想定しうる。交通機関だけでなく管轄の行政機関である渋谷区との調整も欠かせなかったという。

東急「Art Valley Vision」。Photo: Courtesy Tokyu

アーティストが街に溶け込んでいく未来を目指して

また、Art ValleyのECサイトでは、作品を出品している東急沿線に住むアーティストに対するインタビューを掲載し、その地元コミュニティと作家活動のつながりなどについても見識を深めることができる。さらに同プロジェクトがかかげる長期ビジョンのなかには、「Life with Art」と題されたフェーズがある。ここでは、アーティストインレジデンスといった取り組みも構想されているという。水上は、「Art Valleyを通じて、アーティストが街の生活に溶け込んでいくような状況を実現したい」と意気込みを見せる。

パブリックアートという文脈から一歩踏み出し、日常の都市空間のなかにアートを見て買える場所をつくる──今回の試みは、アートという営みにおけるデジタルとリアルの境目をなくし、アートをより多くの人に開いていくための第一歩といえるだろう。今後は、原田郁に次ぐ第二弾として曼陀羅作家の田内万里夫(2月23日〜3月22日まで)、第三弾として書家の万美(3月23日〜4月22日まで)の展示が予定されている。日本のアート界を盛り上げる新しい才能との「渋谷駅」での出会いを楽しみにしたい。

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