ゲルハルト・リヒターの絵画が55億円で落札──故マリアン・グッドマンが40年近く所蔵した作品

1月に逝去したマリアン・グッドマン旧蔵のゲルハルト・リヒター《Kerze》(1982)がクリスティーズのイブニングセールに出品され、約55億円で落札された。予想落札価格の上限はリヒター作品の過去最高額を上回っていたが、記録更新には届かなかった。

ゲルハルト・リヒター《Kerze》(1982) Photo: Courtesy of Christie's Images LTD 2016
ゲルハルト・リヒター《Kerze》(1982) Photo: Courtesy of Christie's Images LTD 2016

5月20日、クリスティーズで開催されたオークションで、今年1月に97歳で逝去したマリアン・グッドマンの遺産から、ゲルハルト・リヒターの絵画《Kerze》(1982)が出品され、手数料込み3510万ドル(約55億8000万円)で落札された。落札額は、10年以上前にリヒター作品が記録した過去最高額4630万ドル(現在の為替で約73億6500万円)には届かなかった。

出品された《Kerze》(1982)の予想落札価格は3500万ドル〜5000万ドル(約55億7000万〜79億5500万円)に設定されており、その予想最高落札価格は現在の最高記録を370万ドル(約5億9000万円)上回っていた。入札に先立ち、競売人は同作をリヒターの「最高傑作のシリーズ」の一部であり、「希望の静かなメッセージ」を宿す作品だと紹介した。入札は2200万ドル(約35億円)から始まり、200万ドル(約3億2000万円)刻みで進んだものの、勢いは早い段階で鈍った。第三者保証が付いていた同作は、2分に満たない入札の末、3000万ドル(約47億7000万円)で落札された。

クリスティーズのカタログによれば、リヒターの「Kerze」シリーズは、彼がその年の「ドクメンタ7」で「Abstraktes Bild」シリーズの最初の作品群を発表した後に制作が始まった連作だという。また、「過去と現在、記憶と現実を結びつける控えめなシリーズ」とクリスティーズは評し、第二次世界大戦の惨禍とその余波を生き抜いた作家の、極めて個人的な体験を反映したものだと位置づけている。また、《Kerze》は美術史における静物画の伝統にも連なる。消されたばかりのロウソクは、時の経過や人生の儚さを示唆するモチーフとしてたびたび描かれてきた一方で、信仰や希望、悟り、神の存在、知識の象徴としても用いられてきた。リヒターは数十年後、このシリーズについて次のように振り返っている。

「最初はただ美しく見せることだけを意図していましたが、後になって、この絵の中に政治的に有用なメッセージが見出されるようになりました。旧東ドイツにおいて、ロウソクは体制に対する静かな抗議を示す重要なシンボルであり続けてきました。小さなロウソクの絵が、私の意図を離れてまったく別の意味を帯びていくのを見るのは、不思議な感覚でした」

リヒターは2022年にデイヴィッド・ツヴィルナー移るまで、数十年にわたりグッドマンのギャラリーに所属していた。グッドマンは1989年に《Kerze》をアーティスト本人から直接購入し、40年近く手元に置き続けた。同作には、リヒターのアトリエの窓辺に置かれた白い燭台と、そこに立てられたシンプルな白いロウソクが描かれている。炎は微風を受け、左へかすかに揺らいでいるように見える。この作品は、1982年にドイツ・シュトゥットガルトのマックス・ヘッツラー・ギャラリーで開催された展覧会で初公開された。2002年、ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで、リヒターは「Kerze」シリーズを展示した初期の展覧会について次のように語っている

「かなり安価で販売されていましたが、発表当時は誰も買おうとしませんでした。今では信じられないほどの高値で売れていますがね。でも、当時の基準では時代遅れで、異質な作品として扱われていました。人々は私の抽象画や風景画には馴染みがありましたが、そこに突然ロウソクが現れたわけです。だからこそ、それらが必要だったのかもしれません。同時に、それは私なりの反論でもありました。宗教的なシンボルを描くべきではないとされる中で、人々があまりにもそれを攻撃すると、私は反発したくなるのです」

初期の買い手たちは、リヒターのロウソクの絵の魅力に気づかなかったかもしれない。しかし、グッドマンは違った。彼女はかつてガーディアン紙に対し、新表現主義が隆盛を極めていた当時の状況に触れながら、リヒターが「声高に主張する表現主義者たちの中に少し埋もれてしまっていた」と語っている。そして彼に手紙を書き、作品をどれほど高く評価しているか、自分なら状況を変えられるかもしれないと伝えたという。その後、1984年にデュッセルドルフでリヒターと面会し、そこから長い関係が始まった。ただし、最初から打ち解けたわけではなかったようだ。リヒターは2004年、ニューヨーカー誌に対し、初対面はあまりに気まずく、最後には「申し訳ないが、仕事に戻らなければならない」と言って切り上げたと振り返っている

ゲルハルト・リヒター《18. Juni 2009》(2009)。マリアン・グッドマン(写真左)とともにリヒターが写っている。Photo: Courtesy of Christie's
ゲルハルト・リヒター《18. Juni 2009》(2009)。マリアン・グッドマン(写真左)とともにリヒターが写っている。Photo: Courtesy of Christie's

今回落札された《Kerze》は、クリスティーズの「Marian’s Richters & 21st Century Evening Sale」に出品された、グッドマン旧蔵のリヒター作品8点のうちの1点だった。なお同オークションハウスはこの日、US版ARTnewsが毎年発表する「TOP 200 COLLECTORS」に名を連ねた故ヘンリー・S・マクニール・ジュニアの遺産から、ミニマリズム作品12点を出品するセールで夕方のプログラムを開始している。

リヒターのオークション記録は、、2015年にサザビーズ・ロンドンで《Abstraktes Bild (599)》(1986)が4630万ドル(現在の為替で約73億6700万円)で落札された際に樹立された。リヒター作品のオークション市場では「Abstraktes Bild」シリーズが高額落札の大部分を占めており、上位10点のうち9点を同シリーズが占める。また、オークションで2000万ドル(約32億円)を超えたリヒター作品は約37点に上る。

リヒター作品として2番目に高い落札額を記録した《Domplatz, Mailand》(1968)は、彼がアーティストとして成熟し始めた初期の作品群に含まれる。この時期のリヒターは、見つけてきたさまざまな画像を白黒写真のように再現しながら、キャンバスにわずかなブレを加え、不安定な感覚を生み出していた。同作は2013年5月、サザビーズ・ニューヨークで3710万ドル(現在の為替で約59億円)で落札され、リヒター自身のオークション記録を更新するとともに、存命アーティストのオークション記録も一時的に塗り替えた。この記録は同年11月、ジェフ・クーンズの《Balloon Dog (Orange)》が5840万ドル(同約93億円)で落札されたことで破られている。

一方、「Kerze」シリーズのオークション価格は、これらの代表的な高額落札作に比べるとはるかに低い。同シリーズで最も高額だった2点でさえ、リヒター作品の高額落札上位50点に辛うじて入る程度にとどまる。1982年制作の《Kerze》は2011年に1650万ドル(現在の為替で約26億2500万円)で、1983年版は2008年に1580万ドル(同25億1000万円)で落札された。前者はクリスティーズ・ロンドン、後者はサザビーズ・ロンドンに出品された作品だった。(翻訳:編集部)

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