世界最高額の古代コイン証明書に偽造の疑い。業界に突然現れた男の犯行の経緯
古代コインを扱うロンドンのオークションハウス、ローマ・ヌミズマティクスのオーナー兼経営者、リチャード・ビールが今年1月にニューヨークで逮捕された。日本円で億単位の超高額コイン販売に関する複数の容疑がかけられている。
イギリスのコイン市場に突然現れた男
US版ARTnewsが入手した逮捕令状と米移民・関税執行局 Homeland Security Investigations(HSI)の報告書によると、問題になっているのは、共和制ローマ末期の将軍カエサルの暗殺後、ブルータスがこの歴史的事件にちなんで鋳造した希少な金貨で、現存するコインの中で最も価値のあるものとされる。
イードゥース・マルティアエ(*1)というこのコインは、現在、世界で3枚しか確認されていない。2020年にビールがローマ・ヌミズマティクスのオークションに出品した際の落札額は約420万ドル(当時のレートで約4億5000万円)で、古代コインの世界記録を樹立した。しかし、実は偽の証明書を使って販売されたのではないかという疑惑が浮上したのだ。
*1 ラテン語で3月15日(ローマ暦の中央の日)を意味する。カエサルは紀元前44年3月15日に暗殺された。
美術品密輸の捜査で知られるHSI特別捜査官、ブレントン・イースターによる報告書では、ビールは司法取引と思われる形で不正な販売計画を認めたとされている。捜査が継続中であるため、これ以上のコメントは出せないものの、計画は何年もかけて準備されたという。
イギリス陸軍に所属していたビールは、40代だった2009年に突然ロンドンでコインディーラーに転身。古代コイン商の狭い世界に入った。
イギリス貨幣商協会のクリストファー・マーティン会長は、US版ARTnewsの取材に応じ、ビールは「まるで稲妻のようだった」と語った。「まったく未経験のままマーケットに現れ、すぐに名が知られるようになった。1年も経たないうちに数百万ポンドの価値のあるコインを売るようになったが、そんなことは普通あり得ない。だが、彼に限ってはそうだった。一体どこから来たのか、誰も見当がつかなかった」
当時のビールは、高級感のあるカタログとスタイリッシュな写真を存分に活用し、現代的なコイン・オークションハウスを一夜にして築き上げた。同業者とは違い、コイン販売業の家に生まれたわけでも、若くしてこの業界に入り、コツコツと専門家としての評判を高めていったわけでもないと、マーティン会長は説明する。他のディーラーたちは、経験がないのにも関わらず、超高額のコインを取引するようになった彼を畏敬の念を持って見ていた。どういうわけか、ビールは非常に価値の高いコインを手に入れることができたのだ。
共謀者は名うての老コインディーラー
2014年にビールは、当時市場で販売されていた中で最も希少価値のある古代コインを手にした。イギリス育ちのイタリア人コインディーラー、イタロ・ヴェッキから譲り受けたとされている。ヴェッキは、最初は独立系ディーラーとして、その後いくつかの大手コイン取引会社で数十年のキャリアを重ねた人物で、業界ではよく知られた存在だった。
1990年代初頭にはアメリカのコイン取引会社、CNGに勤務していたが、1992年にギリシャのコインを申告せずにアメリカに持ち込もうとして捕まり、ヴェッキ自身とCNG社双方が罰則を受けている。同じ頃、ヴェッキは大英博物館とも協力関係にあり、同博物館のオンライン記録によると、所蔵品の中に彼が調達したと見られるコインが10枚含まれているという。
70代になったヴェッキは、ローマ・ヌミズマティクスにコンサルタントとして勤務するようになる。イースター捜査官の報告書によると、ヴェッキは2013年にイードゥース・マルティアエ・コインとシチリア・ナクソス・コインをビールに譲ったとされる。シチリア・ナクソス・コインは、片面に酒神ディオニュソス、もう片面にはその酒飲み仲間のシーレーノスを彫ったもので、やはり2020年のオークションで29万1682ドル(当時のレートで約3億1000万円)の値を付けた。
ただ、ビールはヴェッキから入手したコインを自分のオークションハウスで売りに出す前に、ニューヨークのウォルドーフ・アストリア・ホテルで開催された2015年のニューヨーク国際コインコンベンションで、ある人物に直接売ろうとしたと報告書に記されている。情報提供者1番と呼ばれるこの人物は、コインは「古いスイスのコレクション」から出たものだとビールが言ったと証言した。
イースターはこの言葉が、出所の怪しい品物を表す古物商の符牒だと主張している。報告書によると、コンベンションでは買い手がつかなかったため、ビールとヴェッキはその後数年にわたり、オークションで売れるようにするための偽造文書を準備したという。
文化財返還の気運とコイン取引の闇
古美術品やコインの販売に関する規制は、2000年代から実施されている。イタリアやギリシャなどは各国に古代コインの輸入制限を課しており、自国で出土したことが判明したコインについては返還を求める場合がある。特に最近は文化財返還の機運が高まっているため、一般的なコインディーラーがこうした規制をかいくぐって取引をするのは容易ではない。
イギリスを拠点とするコイン専門オークション会社、ヌーナンズのナイジェル・ミルズは、US版ARTnewsにこう説明した。「イードゥース・マルティアエ・コインの場合、デナリウス銀貨ならイギリスでも見つかることがあります。このコインは、ヨーロッパ各地や北アフリカからインドまで国際的に広く流通し、数多くの国で見つかっているので出所を特定するのは困難です」
ヴェッキがどうやって問題のコインを調達し、何をごまかそうとしていたかは明らかになっていない。
イースターの報告書によれば、ヴェッキとビールは最終的に、2枚のコインはドミニク・ド・シャンブリエ男爵のコレクションから出たとする文書を、金を払って取得したされる。イースターの捜査に協力した別の情報提供者は、2人から「コインの出所を示す偽造書類に署名してくれれば10万7000ドル払う」と持ちかけられたが、拒否したと証言。ビールは、2022年秋のオークション開催前にコインをニューヨークに送って第三者鑑定サービス大手のNGCによる鑑定を受け、本物である認証を得たという。
NGCの広報担当者はUS版ARTnewsの取材に、書面で次のように回答した。「2020年にNGCは、ロンドンに拠点を置くオークション会社から評価のためにイードゥース・マルティアエ・コインを受け取り、広範囲にわたる調査の後、それが本物であると判断しました。コインの真贋、およびグレードは、出所とはまったく別の問題です。NGCがコインの出所について見解を述べることは一般的ではなく、本件でもそのようなことはしていません」
イードゥース・マルティアエ・コインとシチリア・ナクソス・コインは、ともに当局が押収した。US版ARTnewsが入手した逮捕令状によると、シチリア・ナクソス・コインは今年1月下旬にニューヨークのジョン・F・ケネディ空港の敷地内で、イードゥース・マルティアエ・コインは2月上旬にマンハッタンの某所で押収されたが、正確な場所は伏せられている。マンハッタン地区検察局の広報担当者によると、コインは2点とも母国への送還が予定されている。
ビールは、第一級および第二級の重窃盗罪、第一級および第二級の盗品保管罪、第四級の共謀罪、第一級の詐欺計画罪で起訴されている。一方のヴェッキは、捜査継続中でまだ起訴はされていない。ビールの裏工作は、2022年にガザで略奪された5枚のコインを販売しようとしたのがきっかけで発覚したと見られている。(翻訳:清水玲奈)
from ARTnews