ヴォイニッチ手稿は誤った順序で製本されていた? 「謎めいた写本」の成り立ちに迫る新研究

いまだ解読されていないヴォイニッチ手稿をめぐり、ページが本来とは異なる順番で製本されていた可能性を指摘する新研究が発表された。研究チームは、テキストの類似性や図像の配置から、手稿が複数の小冊子をもとに構成されていた可能性も示している。

ヴォイニッチ手稿の1ページ。Photo: Universal History Archive/UIG via Getty images
ヴォイニッチ手稿の1ページ。Photo: Universal History Archive/UIG via Getty images

「世界で最も謎めいた写本」と呼ばれるヴォイニッチ手稿は、ページが本来とは異なる順番でとじられていた──。そんな研究結果がこのほど発表された。2026年7月に学術メディア「Digital Medievalist」で公開された論文によれば、手稿を構成する二つ折りの羊皮紙は、もともとそれぞれ独立した状態で重ねられていた可能性があるという。だが、その後、15世紀の一般的な書物と同じように入れ子状に製本されたことで、本来のページ順が崩れたと研究チームはみている。

論文の著者であるコリン・レイフィールドとリサ・ファギン・デイヴィスは、テキストのまとまり同士がどれほど似ているかを数値化して分析した。その結果、同じ1枚の羊皮紙に記されたページ同士は、現在の製本では何ページも離れているにもかかわらず、内容の類似度が高いことが分かった。正しい順序でとじられた中世写本では、離れたページ同士にこれほど高い類似性が見られることは少ないという。

図像にも手がかりがある。現在のとじ方では、川や管を描いた図の一部がページ中央のとじ目付近まで伸びているものの、向かいのページの絵には続いていない。「ページが現在とは異なる組み合わせだったと考えれば、こうした図像の不自然さも説明できます」と、レイフィールドはガーディアン紙に話す。

今回の研究によって、「ヴォイニッチ語」と呼ばれる手稿の文字がすぐに解読されるわけではない。ただ、手稿が何のために作られ、どのように使われていたのかについては、見方が大きく変わる可能性があるとデイヴィスは言い、こう続ける。

「中世ロンドンの屋根裏部屋かどこかで、狂気の天才が一人で作り上げたものだと考えたい人は大勢いました。けれど実際には、世代を超えて情報を伝えるための小冊子の束のように、共同体の中で使われていたものだったのかもしれません」

デイヴィスが知る限り、同じような形態で残る中世写本は、北アフリカのクルアーンだけだという。これらは教育用の小冊子として配られていたとみられる。手稿が最大5人の書き手によって書かれたとする古書体学的な分析も、複数の人々が制作に関わったという仮説を裏づけている。

手稿には女性の生殖器を思わせる図のほか、薬草や占星術に関する知識を示すような図も描かれている。デイヴィスは、こうした内容を踏まえると、女性たちのあいだで受け継がれてきた知識を書き留めた本だった可能性もあるとみている。ただし、現時点ではそれを裏づける証拠はないという。

手稿の名は、1912年にこれを購入したポーランド出身の革命家で古書商のウィルフリッド・ヴォイニッチに由来する。13世紀の博学者ロジャー・ベーコンやレオナルド・ダ・ヴィンチの作とする説もあったが、2009年の放射性炭素年代測定で羊皮紙は1404年から1438年の間のものとされ、こうした説は否定された。現在はイェール大学バイネッケ稀覯本・手稿図書館が所蔵している。

手稿の文章については、いたずらや偽造のために作られた無意味な文字列だとする説がある一方、近年の言語学的な分析では、何語かは特定されていないものの、自然言語で書かれている可能性が高いとされる。2019年にはブリストル大学の研究者が、ロマンス諸語の祖先にあたる言語で書かれていると主張したが、異論が相次ぎ、大学はウェブサイトから関連する記述を削除した。

ヴォイニッチ語の解読にはいまだ至っていないが、デイヴィスは、この文字で書かれた写本がかつてほかにも存在していた可能性を指摘する。

「こうした未製本の中世写本は、ほとんど残っていません。皮肉なことに、誰かがこの手稿を誤った順序でとじたからこそ、ヴォイニッチ手稿は現在まで残ったのかもしれません」

あわせて読みたい