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「鹿島茂のちょっとフシギなクロスレビュー」
アートの面白さの一つは解釈が自由にできることです。鑑賞者の知識や背景次第で、読み取るメッセージは変わります。異分野の専門家たちは、どこに注目し、何を読み取るでしょう。博覧強記のフランス文学者、鹿島茂さんをホストに、一つの展覧会を複眼で読み解きます。二人のゲスト評と、それを踏まえた鹿島の文明論的社会時評をお楽しみください。(ホストの評は、ゲストの約2週間後に掲載されます)

鹿島茂評「男のいない世界」フェミニズムズ/FEMINISMS展

Jan 31, 2022
STORY
鹿島茂
遠藤麻衣×百瀬文《Love Condition》2020

それぞれ異なる学問領域を専門とする研究者や批評家が、各々の立脚点から同じ美術展を鑑賞、批評するクロスレビュー。初回は、金沢21世紀美術館で3月まで開かれている、「フェミニズムズ / FEMINISMS」「ぎこちない会話への対応策̶第三波フェミニズムの視点で」の二つの展覧会を取り上げる。社会学者で、フェミニズム研究の第一人者である上野千鶴子氏と、経済学が専門で、事業家でもあるイェール大学助教授の成田悠輔氏による批評を踏まえて、フランス文学者の鹿島茂氏が読み解く。

「一元論、二元論、三元論」を巡る思索
二項対立ではない「未分化の一元論的世界」

金沢21世紀美術館 鹿島茂(フランス文学者)評

展覧会場を一巡したときに頭に去来したのは、一元論、二元論、三元論を巡る漠とした想念だった。

このうちわかりやすいのは二元論だ。なにしろ展覧会のタイトルは「フェミニズムズ/FEMINISMS」だから、二元論が想起されるのは当然だ。男と女(女と男)というジェンダーの二項対立、および二項対立からの解放、ないしは二項対立の脱構築という発想が出てくるのはごく自然なことだろう。げんに、そうした二項対立の図式から抜け出ることを強くあるいは弱く訴えようとした作品もある。

二元論か一元論か、起源から考える

しかし、ここに「起源」という観点を導入すると問題は複雑になる。二元論は一元論の変形バージョンにすぎず、もとは一元論だったものが変容・進化して二元論になったのではないかという考えが出てくるからだ。

たとえば神と悪魔、天国と地獄。おそらく、原初は神でも悪魔でもない何か、天国でも地獄でもない何か、つまり未分化の一元論的世界だったはずなのだが、そこに変化があらわれて少し異質なものが出現したため、その異質なものに含まれていた差異が大きく拡大・膨張され、最初の均質なものと無理やり対立・拮抗させられてしまう。これにより二元論が成立したという考え方である。

このような「起源」の導入によって二元論を複雑化する試みを図式化すると「一元論→二元論」ということになるだろうが、しかし、こうした図式化に対しては、それはおかしいという反論が生まれてくるだろう。なぜなら、この議論における二元論の起源としての一元論的世界というものは、実体として過去にそういうものがあったという保証はどこにもないにもかかわらず、作業仮説として導入されてきたにすぎないからだ。眼前に二元論的世界があるから、その起源として未分化な世界を想像し、これを一元論的世界としたものでしかない、というわけだ。これを図式化すれば、「二元論→一元論→二元論」ということになる。

撮影:木奥 惠三

ところで、こうした一元論VS二元論の対立を前提とした議論に対し、三元論というものもアリではないかとする意見もある。A対Bではなく、A・B・Cという三つの項の関係からなる世界も存在しうるし、また存在していたはずだ、というのだ。

しかし、実際に存在していたという三元論的世界というものを詳しく吟味してみると、 AでもなくBでもない項として存在するはずのCの項の実体は、AとBの折衷であったり、あるいはアンチAとアンチBの折衷だったりで、結局のところ二元論が崩れたものとしての三元論でしかないことがほとんどなのだ。Cを分析して分類を施せばAB二元論に回収できてしまう場合が多い。

というように、関係ないことばかりが頭に浮かんできた展覧会だが、フェミニズムズという展覧会そのもののタイトルそれ自体が二項対立からの脱却法にはさまざまな方法が有り得ることを示唆している。

非対称性へのプロテスト

具体的に見るとどうだろう?

まず、二項対立そのものは認めた上で、男と女という項が「二項」として扱えるほどに対等にも対称的にもなっていないじゃないかという、どちらかといえば旧派のフェミニズム路線に近い、非対称性へのプロテストのジャンルにまとめられる出典品から取り上げよう。

木村了子《Beauty of My Dish - 人魚達の宴図》2005 個人蔵

木村了子の《魔都の海 少年人魚》、《Beauty of My Dish―人魚たちの宴図》《Beauty of My Dish―桜花男体刺身盛り》《鰐(わに)虎図屏風(びょうぶ)》は、旧来の日本画では、いわゆる美人画として女性ばかりが描かれる対象として選ばれてきたことへの違和感から、「美人」を「美男(イケメン)」に置き換えるとどうなるのかという問題提起を行った作品群である。

これに対しては、オリジナルのテクストが前提としてあるからこそ成り立つハイコンテクスト性(コンテクスト依存性)が克服されていないという上野千鶴子氏の批判がある。たしかにそれはその通りなのだが、しかし、単なるポジ/ネガ逆転版なのかというと、そうともいいきれない。なにが違うのかといえば、それはコンテクストとなっているものがもう一つあることだ。少女マンガから出発してレディス・コミックを経てBL(ボーイズラブ)へと至る「女が心に描く幻想の男」あるいは「捏造(ねつぞう)された男」の系譜である。

「女体」盛りのかわりに置かれた「男体」盛りの男がリアルな男ではなく「捏造された男」であるならば、それはポジ/ネガ逆転版、つまりパロディにはならないのではないかという批判がありうるからだ。パロディではなくBLの別バージョンということになり、批評性にも疑問符がつく。

「異性による捏造」の見事な対称性

しかし、議論はこれで終わらない。なぜなら、男体盛りの男が女によって捏造されたBL的男であるという議論に対しては、コンテクストとなっている美人画というものもまた男によって「捏造された女」ではないかという反論が予想されるからである。

つまり、「美人画=男によって捏造された女の絵」に対して「男体盛り画=女によって捏造された男の絵」ということになり、見事な対称性をなしているのではないかということになるのだ。

なんだか自分でもよくわからなくなってきたが、それはパロディというものが論理学的な意味での「否定」(andとorで結ばれた二項の否定)なので、 思っているよりも複雑な構造を取り得るからである。ただし、作者がそこまで考えにいれていたかはわからない。

***

遠藤麻衣《アイ・アム・ノット・フェミニスト!》2017/2021 作家蔵 撮影:木奥 惠三

遠藤麻衣《アイ・アム・ノット・フェミニスト!》と遠藤麻衣×百瀬文《Love Condition》はパロディではなく、 婚姻制度や性器の形態という、いわば構造的に二項対立をはらむものを止揚する試みであり、 男と女のあるいは女と女の「ああでもない、こうでもない」というディスカッションそのものの過程を、 「これもまた見方によっては芸術となりうる」というモダン・アート文法にしたがって、メタレベルに一段「格上げした」作品だが、この「格上げ」はメタであるという本質により、無限遡行への可能性を断ち切れないうらみがある。

気付かれないフェミニズムまで含める

いっぽう、青木千絵の「BODY」シリーズ、 碓井ゆい《shadow of a coin》、 風間サチコの《虎の衣》 「肺の森」は、いずれも二項対立のアウフヘーベン的統合に分類される作品だが、本展の「フェミニズムズ」すなわち「あれもフェミニズム、これもフェミニズム」という汎フェミニズム的観点からのくくりで集めなければ、その原点にフェミニズムが意識されていたとは気づかない作品であり、その分、作家性が立っているといえる。これらをフェミニズムに含めて展示するというキュレーターの意志をつよく感じるセクションである。

とはいえ、 二項対立のアウフヘーベン的統合と簡単にくくっても、 そこから新たな生が誕生するのか、あるいは二項対立成立以前の未分化性を意識に入れるかという点で大きく方向が別れる。「BODY」シリーズは前者、「肺の森」は後者、《shadow of a coin》は両者の間での揺れ動きといったところか?

青木千絵《BODY 19-1》2019 作家蔵 撮影:木奥 惠三

「見てはいけないものを見た」、この感覚はなんだろう

さて、いま未分化性という言葉が出たが、これは冒頭で触れたように、「一元論→二元論」ないしは「二元論→一元論→二元論」というように、未分化性というものをどう捉えるかによって考え方がちがってくる。ただし、いずれも原初に未分化ありきと考える点では一致している。

こうした観点から見てとりわけ目を引くのが、ユゥキユキ《「あなたのために、」》である。この作品が展示されている部屋に入ったとき、私はなんだか「見てはいけないものを見た」というか、居心地の悪さを感じた。決して歓迎されていないわけではない。だが、「見終わったらさっさと出ていってね」というメッセージが暗黙のうちに感じられたのである。この感覚はなんなのだろうというのが出発点である。

二元論的世界は仮象、未分化性が前面に

成田悠輔氏は、「こわくないフェミニズム」と全体をくくっているが、私はむしろ、ユゥキユキ《「あなたのために、」》の中にベンヤミンのいうアルカイックな不気味なものを感じた。展覧会のキュレーター解説によると「《「あなたのために、」》は、内面で支配し続けるインナーマザーの表象としての人形が幾重にも構造化されている。(中略)背後にはインナーマザーと決別できない『母殺し』の映像、胎内には毛糸をほどきあうボーイズラブ(BL)の映像が流れる」とあるが、私の心に浮かんだのは、この母系の無限反復は進化の果てに出てきたものなのか、それとも過去の未分化性の残存なのかという疑問だった。すなわち、男女の二項対立と正面から対峙するのを家庭で回避しているうちに二項(男女)がいつしか一項(女)になって母系が固定され、それが無限反復されてついには一元論の世界が現出したのか、それとも、遠い過去において未分化ゆえの一元論的世界があり、 それがその後の進化で二元論的世界になったか、というものである。後者の場合、現在の二元論的世界は仮象にすぎず、実際には二元論的世界など現れていなくて、原初の未分化性がにわかに前面に現れてきたと考えるのが普通だ。

ユゥキユキ《「あなたのために、」》2020 撮影:木奥惠三

二項対立を回避するアナザー・フェミニズム

こうした二つの観点から《「あなたのために、」》を再検討してみると、この作品にあるのは、どうやら後者の世界観のように見える。ひとことでいえば、未分化の一元論的世界の先祖返りなのである。

もし、これが前者なら、上野千鶴子氏の指摘するように「フェミニズムのクリシェと化した『母・娘』関係」ということで片付けられるが、しかし、作品から、ある種のアルカイックな不気味さを感じ取った私としては、後者の立場から批評すべきだと感じる。この意味で、「未分化の一元論的世界」を無意識のうちに表出した作者の力量を高く評価したいと思うし、本作品をメインの展示室にもってきたキュレーターの英断を買いたい。

とはいえ、この作品が二項対立の鋭敏化ないしは止揚を目指すフェミニズムからは、二項対立性を回避していると批判されるアナザー・フェミニズムであることは確かなのだ。

ユゥキユキ《「あなたのために、」》2020 撮影:木奥惠三

しかし、ではなにゆえに二項対立の回避なる批判が当てはまるのか、その理由を考えてみると、私のいう「未分化の一元論的世界」の論理そのものに突き当たらざるをえなくなる。つまり、この作品の無意識は二項対立の前提となる「男と女」という「対」のうち、「男」という項がもともと存在しない環境世界からやってきたからだと想像したくなるのである。歴史的にいうと、それは『源氏物語』に描かれた妻問い婚よりももっと遠くに溯った純粋母系社会である。純粋母系社会においては、そもそも、家庭に父親は最初からいないかたちに制度設計されているからだ。子供の父親となる男性は、あるときセックスの必要からその家を訪れ、子作りが終われば家庭を去っていく存在でしかない。

歓迎されるが歓迎されない男性

では、この永遠の母子家庭に男の存在は皆無かといえば、それは母の兄弟というかたちで存在するが、その兄弟と子供たちの母親のセックスは絶対的タブーであり、兄弟はセックスの必要があれば別の家庭に入って、母親の臨時の夫と同じように種付け要員として行動するから、二項対立の「対」とはなりえない。

というわけで、この「未分化の一元論的世界」において、男性はセックスのために常に歓迎されるが、しかし、家庭に居着くことは永遠に禁じられている存在なのである。

さて、私がユゥキユキ《「あなたのために、」》の展示室に入ったときの居心地の悪さは、こうした「未分化の一元論的世界」という視点を導入すると説明がつく。その居心地の悪さは、原始の純粋母系世界にセックスという誘導因子によって紛れこんだ男性のそれと一脈通じるものがある。歓迎されているように見えるが歓迎されていない。「終わったらさっさと出ていけよ」というメッセージが放たれているからだ。

このような意味において、本作品はフェミニズムという枠組みを超えて、強く訴えるものがある。

西山美なコ《TELEPHONE PROJECT ’95 もしもしピンク~でんわのむこう側~[アーカイヴ展示]》1995/2021 作家蔵 撮影:木奥 惠三

では、こうした未分化性という観点から西山美なコ《♡ときめきエリカのテレポンクラブ♡》「TELEPHON  PRJECT'95 《もしもしピんク》 ~でんわのむこう側~」をどう見たらいいだろう。

ここには一見、未分化性はないように思える。なぜなら、テレクラという男性固有のプロト売春で客引きとして使用されたピンクチラシを女性が大量に集め、そのコレクション性自体に含まれる異化効果によって、「これも見方を変えれば芸術になる」とばかりドサッと提示されるのだから、男と女が未分化であった一元論的世界とは無縁のように思える。

しかし、それはピンクチラシが公衆電話ボックスに実際に飾られていたときのことで、「これもまた芸術になりうる」というメタ意識によって展示室に運ばれた瞬間、二元論は崩壊し、潜在的な未分化の一元論が姿をあらわす。なぜなら、収集されたピンクチラシで埋め尽くされた展示室は、男性を誘うというよりも、歓迎はするが歓迎しない一元論的世界に化しているからである。

***

森栄喜《Untitled》「Family Regained」シリーズから 2017

というようなわけで、会場を一巡しながら、原始的な未分化性というものに思いを馳せていたが、この意味で、森栄喜《Untitled》のシリーズは私の夢想にぴったりの「家族」がテーマの写真である。解説によると、同性愛者であるゆえ、家族をつくることのできない作者がある家族の中に入り込んで撮影した疑似的家族写真ということだが、その方法はかなり家族の本質を衝(つ)いている。というのも、ヴィトゲンシュタインいうところの「家族的類似」というものの哲学的意味を、一人だけ家族的類似を持たない他者が闖入(ちんにゅう)することで、あきらかにしているからだ。

***

長島有里枝《Self-Portrait (Brother #32A) From the series Self-Portrait》1993 作家蔵 ©️Yurie Nagashima

「対幻想」問題へのアプローチか

枚数に余裕がなくなったので、「ぎこちない会話への対応策――第三波フェミニズムの視点で」と題して別会場で展示されている長島有里枝がキュレーションした作品から、一つだけ挙げておけば、やはり長島有里枝の「Self-Portrait」シリーズが圧倒的な迫力で迫ってくる。 なぜなら、 この作品は、ヴィトゲンシュタインの「家族的類似」ばかりか、吉本隆明の「対幻想」という観念をも連想させるからである。

「人間を《性》としてみるかぎり《家族》は夫婦ばかりではなく、親子や兄弟や姉妹の関係でも大なり小なり《性》的である」(吉本隆明『共同幻想論』角川ソフィア文庫)

あるいは、「フェミニズムズ/FEMINISMS」に展示された作品もみなこの問題に意識的・無意識的にアプローチしようとしたものなのかもしれない。

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アートとジェンダー

鹿島茂(かしま・しげる)

フランス文学者。元明治大学教授。専門は19世紀フランス文学。1949年横浜市生まれ。1973年東京大学仏文科卒業。1978年同大学大学院人文科学研究科博士課程単位習得満期退学。元明治大学国際日本学部教授。1991年『馬車が買いたい!』(白水社)でサントリー学芸賞、2000年『職業別パリ風俗』で読売文学賞評論・伝記賞。膨大な古書コレクションを持つ古書マニア。東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。書評アーカイブサイト「ALL REVIEWS」主宰。『渋沢栄一 上下』(文藝春秋)、『渋沢栄一「青淵論叢」 道徳経済合一説』(講談社)、『渋沢栄一: 天命を楽しんで事を成す』(平凡社)など渋沢栄一に関連する著作も多い。近著に『日本が生んだ偉大なる経営イノベーター 小林一三』(中央公論新社)、『フランス史』(講談社)『失われたパリの復元-バルザックの時代の街を歩く-』(新潮社)など。著書一覧はこちら
顔写真は鈴木愛子氏撮影)

展覧会情報

展覧会名:フェミニズムズ / FEMINISMS
会場:金沢21世紀美術館 展示室11・12・14

展覧会名:ぎこちない会話への対応策̶第三波フェミニズムの視点で
会場:金沢21世紀美術館 展示室7~10、交流ゾーン

※両展は、会期、休場日、開場時間、料金は共通。観覧券は共通観覧券。
会期:2021年10月16日(土)~2022年3月13日(日)
休場日:月曜日
開場時間:10:00~18:00(金・土曜日は20:00まで)  ※観覧券販売は閉場の30分前まで
料金:一般 1,200円(1,000円)/ 大学生 800円(600円) 小中高生 400円(300円)/ 65歳以上の方 1,000円 ※( )内は団体料金(20名以上)及びウェブチケット料金

Index
1
Jan 17, 2022
上野千鶴子評「ムズムズする」フェミニズムズ/FEMINISMS展
2
Jan 17, 2022
成田悠輔評「タコになりたい」 フェミニズムズ/FEMINISMS展
3
Jan 31, 2022
鹿島茂評「男のいない世界」フェミニズムズ/FEMINISMS展
4
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