磯村暖 Dan Isomura

《Ghosts》(2020) Photo: Ujin Matsuo  Courtesy the artist《Ghosts》(2020) Photo: Ujin Matsuo Courtesy the artist

磯村暖は、絵画、彫刻、映像、インスタレーションなど多彩な手法で表現を行ってきた。その中でも自身のバックグラウンドや身近な人達と繋がる社会問題を反映させた作品たちが注目される。象徴的なのは、いくつかの作品に見られる地獄や亡者などのモチーフだ。悪しき者が落ちる場所である地獄を、ときにユーモラスにときに皮肉交じりに表現し、画一的に「悪」のレッテルを貼りがちな現実社会への批判を込める。タイのワットパイロンウア寺院や、2017年当時アジアで初めて同性婚を合法化する動きがあった台湾での滞在制作、またニューヨークで触れたクィア文化も、社会課題への関心を深めさせた。21年からは美術作家の海野林太郎とインスタレーション作品《Agitators’ Dreams or Floating Signages》を共同で制作するなど、新たな制作手法や表現にも挑戦する。

磯村暖
Dan Isomura

1992年東京都生まれ。東京都在住。2016年東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。主な展覧会に、21年「アジア・アート・ビエンナーレ2021」(国立台湾美術館)、「ストレンジャーによろしく」(金沢市内各地)、19年「TOKYO2021―un/real engine―慰霊のエンジニアリング―」(TODA BUILDING)、18年「LOVE NOW」(EUKARYOTE)、17年「Good Neighbors」(ワタリウム美術館)。 Photo: Nong Rak

「僕自身が作品をラベリングしないことが大切だと思う」

本来、社会を秩序立て、人の権利を守るためにある法や規律が、差別や生きづらさを生み出すこともある。磯村暖は、そういったジレンマに目を向けながら、「居場所」について問いを投げかけてきた。目の前の世界、社会が、固定された不変的なものではなく、常に更新可能であることを提示する彼の一連の作品は、すべての人の生を等しく後押しする。

──LGBTQ、移民・難民、宗教など社会的テーマが作品のベースにあります。創作の動機になっているもの、またご自身が思う作品の意義について教えてください。

「日々、僕自身の考えも更新されますし、たとえばLGBTQに関する作品でもそれぞれアプローチが異なるので、一概に答えづらい部分があります。実際にこれまで作品や展覧会の解説で『LGBTQ』といったワードが強く前に出ることも多くありましたが、いまは、そういった言葉によるラベリングについても慎重に考えていきたいと思っています。個別の作品を具体的に例に出すと、2017年に台湾で滞在制作した《恋人たちの為の紙紮(しじゃ)》。これは婚姻届を模した版画とそれを燃やす映像の作品で、『死者があの世で困らないように、紙紮と呼ばれるお金や生活用品を模した紙を死者の魂のもとへ燃やして届ける』という台湾の伝統的なお焚き上げがヒントになっています。その習わしは近年、進化していて、マンションや高級車、なかにはiPhoneの最新モデルを模した紙紮も売られています。数十年前に亡くなった人は、おそらくiPhoneの存在を知らない。だけどそれをお焚き上げすることでその人のもとへ届けることができるーーそれが面白いな、と」


《恋人たちの為の紙紮(しじゃ)》(2017) Photo: 松尾宇人

「また同時に関心を持ったのが、当時台湾で進められていた同性婚に関する法整備でした。制作にあたって法案についての議論、その前に起こった運動などもリサーチしています。実際にパートナーを亡くしたことで、一緒に築いた財産が没収されるなど不遇な扱いを受けたカップルもいて、そういったことが国民の心を動かし、法整備を後押ししたそうです。《恋人たちの為の紙紮》は、まだ同性婚が認められていなかった時代の死者たちへ婚姻届をお焚き上げして届けるという作品。この意味では、同性婚についての関心が動機と言えますが、僕としては、本来、人の権利を守るための法律や社会規範が、逆に生きにくさを生むことがあること、一方、法律は適宜更新されるものであり、それによってより生きやすい世の中にすることができることーーそういったことをあぶり出す作品だと考えています。また法整備によって救われた人たちもいるけれど、まだ生きにくさを感じている人もいるかもしれない。僕の思想とは関係なく、複婚や婚姻制度がなくなることを望んでいる人もいるかもしれない。LGBTQの生きづらさだけでなく、この作品からさまざまな解釈が生まれるかもしれない。そういう意味でも、作者である僕自身が『これは同性婚についての作品です』とラベリングしないことが大切だと思うのです」

地獄の亡者も天国の亡者も等しく彫刻にしたい

──「日々、考えが更新される」という点では、「地獄の亡者」シリーズも年代によって作風が変わっています。タイの現代仏教美術が着想源になっているそうですが、このシリーズについて、改めて解説をお願いできますか。

「このシリーズは、2016年、18年、19年、20年と発表していて、それぞれ意識していることが異なります。16年は、先ほどの話と重複しますが、法やモラルといったものが、結果として人々を地獄行きと天国行きに振り分けていること──そもそも法やモラルは、国や時代によって異なるものですが、たまたまその時代、その場所に生まれたことで同じように生きていたとしても、『善/悪』とジャッジされてしまうことへの疑問が出発点にありました。ただ、このときはラベリングしていたというか、タイの地獄〜餓鬼道を表す彫刻にも『民衆を扇動した亡者』などと責め苦を受ける理由が書かれているように『不法入国した亡者』などの文字を彫刻に記して造形化しています。それは反語的、アイロニーとして記していたのですが、『滞在許可が認められない移民たちを地獄に落ちるべき人たちとして描いた』と作品を解釈する人もいました。そのように負のイメージ、スティグマが再生産されてしまう危機感を感じたのもあり、以降は表現を変えています」


「地獄の亡者」シリーズから Photo: 海野林太郎

「18年に発表した作品も、タイのワットパイローンウア寺院(編注:国内に複数存在する地獄を表現した寺のひとつ)でお坊さんと話し合いながら制作したもので、善/悪とジャッジの不確かさ、揺らぎにフォーカスしようと、地獄の亡者になるための仮面を作り、自分自身が地獄の亡者になるというパフォーマンスを記録した映像作品。19年は、地獄の亡者を作る亡者の彫刻。規範のもとで生きる側と、規範を作る側が反転するようなものを作りたいと考えました。2020年は2度発表していますが、『地獄の亡者』という言葉を使っていません。ひとつは、『んがんたんぱ』展(銀座 蔦屋書店)で見せた、車輪や取手がついたボックスの中に彫刻が収められている可動式の作品。いま見えている世界や規範が、ひとつの固定のものではないこと、しかし同時に人々を取り巻く閉塞感のようなものを考えながら作ったインスタレーションです。もうひとつは、《Ghost from Heaven》とタイトルをつけていて、地獄の亡者ではなく、天国の亡者。規範から外れて地獄に落ちた人だけでなく、規範に自らを押し込めるように生きている人、外的な評価としては極楽に行ける人たちも、等しく彫刻にしたい、と。それがその人が生きたかった世界なのか、生きたかった人生なのかと考えると、もしかしたら地獄行きとされる人と同様に辛い生き方をしているのかもしれないと思ったのです」

我々が生きている世界は可変的

──近作についてお伺いします。『アジア・アート・ビエンナーレ2021』(国立台湾美術館)にも出展された、海野林太郎さんとの共作《硬化剤の夢 浮動するサイネージ》。この制作で印象に残っているエピソードを教えてください。

「僕は人体の彫刻、海野さんはホログラムディスプレイを作品に用いていることもあって、それらを組み合わせたら面白いものができるのでは、と話していました。実際にそれぞれスケッチをしながら共有できたのが、作品にあるような、人体から、その人の記憶やまったく関係のない映像が浮かび上がり、人体がトランスフォームして見えるようなイメージでした。『アジア・アート・ビエンネーレ2021』に出展したのは、ちょうどその時期に展覧会の企画者から依頼があったからです。提案されたのは『Queer Sci Fi(クィア・サイファイ)』(クィアは既存の性のカテゴリに当てはまらない人々のこと、サイファイはサイエンス・フィクションの略語)というセクション。ただテーマにわかりやすく応答するような表面的な作品を出展したくないというのもあり、キュレーターとも海野さんともクィアに関する議論を重ねました。僕たちは、クィアというものを、いま当たり前とされている社会の捉え方や考え方に揺さぶりをかけるもの、社会構造に疑問を投げかけ、更新し続ける固定されていない概念であると考え、作品をつくり上げています」

──固定されていない可変的なものの象徴として、彫刻の素材に、木や石ではなく、砂のような粒子を水性の樹脂で固めたジェスモナイトと呼ばれる素材を使っています。また海野さんもこの作品についての資料で、「数千年前からある陶器は安定した物質かと誤解されがちだが実は違う。不安定な状態を中和する動きをし続けている」というティム・インゴルドの『メイキング 人類学・考古学・芸術・建築』の一節を引いています。動き続けている、トランスフォーメーションするものという点もこの作品のポイントでしょうか。

「一見、固定化されたものである彫刻も、光の集合である映像も、本来あらゆるものが流動的であって可変であるという考えは、ふたりのあいだで共通してあるものでした。彫刻も、人間の一生のあいだではその形をとどめているのかもしれませんが、何千年とタイムスケールを大きくしてみれば、ボロボロと崩れていく。ホログラムのディスプレイについても、そこで発せられる光の残像を、人間は動体視力によって映像として捉えていますが、他の動物だったら光の点がゆっくり動いているようにしか見えないかもしれない。世界というものが固定されきった揺るぎないものではない、自分たちの見方や時間軸で捉えられるひとつだけのものではないというビジョンを、この作品を通じて提示することにも、クィア的な意義があると思います」

──今後の予定、いま、思い描いているビジョンがあれば教えてください。

「最近、知人と、生きながらえるためには何をどこまで秘密にするかも大切だと話していて、個人的に明言したくないという気持ちがあります。コロナ禍でいろいろと変化があり、それに対応するのが少しストレスだったこともあります。来年に向けての予定やビジョンはありますが、いまはそれを文字に残すよりも内緒にしていたいと思います」

<共通の質問>
好きな食べ物は?
「生肉。いろいろな国に行って、各地の生肉を食べるのが好きです。さまざまな肉の種類、調理法がある。それを試すのが趣味です」

影響を受けた本は?
「パッと思い浮かびません」

行ってみたい国は?
「全ての国に行きたいです」

好きな色は?
「青。こういった質問に対して、子どものころからずっと「全色」と答えていました。あまり綺麗でないと思っていた色も、組み合わせによって美しく見えたりしますし、色を単色で捉えることがあまりなかったので。ただ、去年の12月くらいに青が好きだなって気付きました。浅葱(あさぎ)色とか、青緑。その色を見たとき、すごく落ち着いたので、青が好きなんだと気付きました」

座右の銘は?
「ないです」

アート活動を続けるうえで一番大事にしていることは?
「踊る余裕は確保すること」

(聞き手・文:松本雅延)