對木裕里 Yuri Tsuiki

《あこがれる#1》(2020) Photo: 加藤健《あこがれる#1》(2020) Photo: 加藤健

對木裕里は石膏(せっこう)を中心に、さまざまな素材を取り入れた立体作品を制作している彫刻家。粘土をこねた手指の感触が残るような素朴な造形と、パステルカラーの彩色を特徴とする。抽象的な形の作品を野菜や果物と組み合わせて構成することもある。壁面に掛けて展示する浮き彫りのような作品も。時折登場するジャガイモのモチーフは、自然界に存在する、天地や表裏のない形状の象徴として用いている。對木の彫刻の基本的な制作方法は、水粘土で原型を作り石膏で型取りをするもの。もともとデザインの分野に興味があり、インテリアデザインから彫刻まで幅広い仕事をこなしたイサム・ノグチの作品に触れたことをきっかけに、武蔵野美術大学の彫刻科に入学。素材の選択によって制作方法が全く異なる彫塑(ちょうそ)表現に面白さを見いだした。物理的な制約をむしろ表現の可能性ととらえ、新しい彫刻を模索しているという。

對木裕里 Yuri Tsuiki

1987年神奈川県生まれ、東京都在住。2011年京都市立芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。主な個展に、21年「あざみ野コンテンポラリーvol.12 對木裕里 ばらばらの速度」(横浜市民ギャラリーあざみ野)、「對木裕里展 手のたび では いっておいで」(神奈川県民ホールギャラリー)。16年第11回大黒屋現代アート公募展大賞受賞。 Photo: 東間嶺
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「じゃがいもが無重力な形だと気付いたとき、その周囲の物事の意味まで転換した」

10代の頃にランドスケープデザインに興味を持ったという彫刻家・對木裕里は、敢えて複雑な工程を要する型取りの技法を選択して素朴な造形を石膏で表し、空間の床・壁・天井を自由に使って作品を展示する。彫刻が持つ歴史やイメージを軽やかに飛び越える作家に、創作の源泉などについて聞いた。

日常と非日常のあわいに暮らす

──對木さんはどういうものから影響を受けて、創作活動に興味を持ったのでしょうか。

「私は神奈川県の箱根町の出身なのですが、観光地で生まれ育ったという環境や、そこで培われた感覚が、現在の作家活動に与えている影響は大きいと感じています。日常と非日常のあわいに生活する、その曖昧さ、ちぐはぐさの中に幼少期から身を置いていたことは、作品の中にも表れ出ているのではないかと思います」

──彫刻の分野にはいつ頃から興味を持ったのでしょうか。

「私が通学した高校は小田原の高台にあり、目の前に海が広がり城郭を擁する街並みが、下校時に一望できました。美しい景観の中に商業的な看板などが雑然と紛れている小田原の街を眺めているうちに、街並みを整えること、ランドスケープデザインに興味を持つようになりました。

個展「あざみ野コンテンポラリー vol.12 對木裕里 ばらばらの速度」(2021年10月9日〜10月31日・横浜市民ギャラリーあざみ野)より。 写真:Ken Kato

そうして大学で空間デザインが学びたいと思っていた受験生のときに、彫刻から公園のデザインまで幅広い仕事を手がけたイサム・ノグチの存在を知ったんです。ちょうど生誕100年にあたる年で展覧会などが開催されていました。こういう活動の仕方もあるんだ、と武蔵野美術大学の彫刻科を受験しました。

そうやって大学に入ったものの、彫刻科における評価や価値基準がなかなか理解できず、『彫刻ってなんだろう』という難しい考えに、どんどんはまっていってしまいました。ふわっとしたイメージで彫刻科に入ってしまったので、負い目のようなものを感じていたのかも知れません。『彫刻を作らなきゃ』『もっと彫刻について勉強しなきゃ』という気持ちばかり強くなっていきました。

学部4年間を通じて、特定の具体的なイメージに向かって彫塑することに自分が向いていないことは分かりましたが、素材を扱ってものを作ること、物質に形を与えること自体は楽しかったので、環境を変えてもう少し彫刻を続けてみたいと思い、京都市立芸術大学の大学院に進みました。

京都市立芸大の2年間は『これは何なの』『これはなぜこの色なの』『これはどこが面白いの』といったことを徹底的に聞かれました。彫刻としてどうか、ということの前の段階での姿勢を問われました。まさに学部時代の私に足りていなかった部分でした。私がそれまで何となく『彫刻っぽいもの』を選択していたことにも気づくことができました。

それと、彫刻という既存の概念から解放されるきっかけになったことが、もう一つあります。イギリスに行ったとき、テート・モダンの“sculpture”と名のついた展示室に、様々な立体作品が展示されていました。あ、これらはみんな彫刻で良いんだ、なにが彫刻かは自分で決めようって、少し気持ちが軽くなったんです」

じゃがいもの無重力な形が転換する物事の意味

──對木さんの立体作品は石膏で型取りをして作られているそうですね。制作方法をもう少し詳しく教えていただけますか。

「まず粘土で原型(雄型)を作ってその外側を石膏で固めて型(雌型)を取り、最初の粘土を全て取り除いたあと、雌型の内側にまた石膏を貼りこんで雌型を割る、という工程で作っています。最後に出てくる形は、最初に作った粘土の形になります。最終的に出来上がるものは本当の意味のオリジナルではないし、無駄な工程があるわけです。やきものであれば、こねた粘土をそのまま焼成することができるのですが、私には型取りによって生まれる作品との距離感がちょうど良いんです。

個展「あざみ野コンテンポラリー vol.12 對木裕里 ばらばらの速度」(2021年10月9日〜10月31日・横浜市民ギャラリーあざみ野)より。 写真:Ken Kato

私の制作の方法は、旅に似ていると思います。どれだけ遠くに行っても、みんな最後には家に帰ってきます。でも『どうせ帰ってくるのなら、旅なんて行かずに最初から家にいれば良いのに』という風には考えないですよね。巡り巡って、最初の形に戻ってくるという制作方法は、旅のようで、今の私には合っていると思っています」

──観光地に生まれ育ったという先ほどのお話にもつながってきそうですね。立体以外の作品はどのようなタイミングで生まれてくるのですか。

「私の制作方法はいくつかの工程を踏むため、ある程度計画的に作業を進めていく必要があります。けれど作品を制作する上では、ふわふわ遊ばせておく部分も必要だと思っていて、彫刻の制作と並行して、ドローイングも行っています。私はふだんノートを3冊持っていて、スケジュール、メモ、日記とで使い分けています。そうやって考える場所を複数持ったり、表現の手段を変えることで、視点や思考を切り替えて気持ちが楽になることがあります」

個展「あざみ野コンテンポラリー vol.12 對木裕里 ばらばらの速度」(2021年10月9日〜10月31日・横浜市民ギャラリーあざみ野)より。 写真:Ken Kato

──型取りという間接的な表現方法をあえて選択することに、どのような可能性があると感じていますか。

「展示を見に来てくださった方が、ぽつりぽつりとご自身のことを話し出されることが多々あるんです。私の作品を見て思ったことや、ふと思い出したことなんかを。型取りの工程を踏むことで、私の彫刻作品の中には空洞ができます。その空洞、『無駄なことをしてるなぁ』という、私の作品がまとう虚無感と言えば良いのでしょうか、それが鑑賞者の入り込みやすい隙間になっているのではないかと思います。

『表現する』ということは、作家がしゃべることだけではなく、鑑賞者の言葉を聴いたり、受け止めたりするようなこともできないだろうかと最近思うんです。それで何かが解決するわけではないと思うのですが。相手の言葉を聴くための空洞をつくること、それが私なりにアートを通じて社会にできることなんじゃないかと思っています」

──對木さんの作品が、話しやすい場の雰囲気を作り出しているということでもあると思います。

「作品を制作する際、最終的なゴールとしては、その作品を展示する空間をイメージしています。展示空間がどのような空気で満たされたら良いか、ということを意識しながら制作しています。それが作用しているなら、とても嬉しいですね」

──横浜市民ギャラリーあざみ野での個展(「あざみ野コンテンポラリー vol.12「對木裕里 ばらばらの速度」2021年10月9日〜31日)は、まさに会場の空間全体を意識された展示でした。

「私は、床に置くだけが彫刻の展示の仕方ではないと思っています。壁に立て掛けたり、つるしたり、どこも自分の地面だと思っています。特に台座は作品が形式的になるので、あまり使いたくないと思っているんです。台座を使わず床に直に作品を置くことで、鑑賞者は足元に注意して歩かなければならなくなります。それは決して快適な状況ではないですが、その空間に意識が向いて、視点も変わりますよね。

そうやって自然と鑑賞者の身体を呼び起こすことができるのは、彫刻の力だと思います。鑑賞者がぽつぽつ話し出すというのも、その空間で身体を使っているから引き起こされることなのかも知れません。身体に蓄積されたものがポロッと落っこちるというか。覚えていることって限られますけれど、身体に残っていることってあると思うんです。

個展「あざみ野コンテンポラリー vol.12 對木裕里 ばらばらの速度」(2021年10月9日〜10月31日・横浜市民ギャラリーあざみ野)より。 写真:Ken Kato

制作に行き詰まっていた一時期、ふとじゃがいもを手にして、無重力な形だと思いました。じゃがいもには上下左右がありません。そうしてそのじゃがいもを持っている自分自身の上下左右も揺らぐような感覚を覚えました。ひとつの物の価値が変わったときに、その周囲の物事の意味まで転換することがある。その時から、そうした瞬間に興味を持って制作をするようになりました」

分からなさを抱え続けること

──對木さんが作品を制作するきっかけや動機はどこにあるのでしょうか。

私の場合、制作の動機に、これというわかりやすいものがあるわけではないんです。ふだん生活をしている中で、ニュースを見たり人と話したりして分からなかったことや判断がつかなかったものが蓄積していき、それが自分を制作に向かわせていると言えば良いでしょうか」

──作家活動を続けていく上で大切にしていることを教えてください。

「違和感や曖昧さ、煮え切らないことに耐えて続けること。分からなさを抱え続けることは大切なことだし、美術にできることの一つだと思っています。分からないから考えるのを止めたり、安易に結論を出したりするのではなく、疑問を持ち続ける、ずっと気にかけ続けるということも大事なのではないかなと思うんです。

私は制作の記録として、作品の写真を一定の大きさにプリントアウトしてファイリングしています。カードには作品の情報を書き込み、時折見返して思いついたこと等を追記していっています。作品を発表した後も、それが何だったかをスケッチし直して、自分なりに評価する作業と言えば良いでしょうか。そうやって、もう一度自分の作品に立ち返ることを時々行っています。過去の作品で取りこぼしてしまったものを拾いながら、螺旋を描くように制作を続けています」

<共通質問>
好きな食べ物は?
「なんでも好きです。嫌いな食べ物が思い浮かばないです」

影響を受けた本は?
「F・カプラの『タオ自然学』です。現代物理学と東洋思想の類似性を指摘した内容で、1970年代にアメリカでベストセラーになっています。まったく異なる領域の学問を横断して論じる著者の視点の置き方やダイナミックな発想には、学びが大きかったです」

行ってみたい国は?
「インド。以前10日ほど行ったのですが、すごく面白くて、理解しきれないところもたくさんあったので、今度はもっと長期滞在して、現地で制作もしてみたいです」

好きな色は?
「なんでも好きです。嫌いな色が思いつかないです」

座右の銘は?
「座右の銘とは異なるのですが、大学院のときに指導教諭が『迷ったら、ややこしい方を選ぶ』というお話をしていました。以来、悩んだときは『ややこしい方』を選ぶということを実践しています。ややこしい、簡単に答えが出ないことを選ぶということは、責任を持って抱えていくということにもなると思います」

(聞き手・文:松崎未来)