天才か偏執狂か。アート界を揺るがした大泥棒の華麗なる神技と奇妙な執着

フランスドイツスイスで膨大な量の美術品を盗んだ希代の大泥棒がいる。しかしこの大泥棒、盗んだ美術品を売るでもなく、屋根裏部屋に溜め込んでいた。この男の奇妙な執着を描いた書籍のレビューをお届けする。

ステファン・ブライトヴィザーがフランスのシャルトル美術館から盗んだフランソワ・ブーシェの《Sleeping Shepherd》(1750年頃)。Photo: Public Domain

数えきれない美術館から作品を盗んだ「神技」

ジャーナリストのマイケル・フィンケルの新著『The Art Thief: A True Story of Love, Crime, and a Dangerous Obsession』(クノップフ)は、「美術品泥棒」というタイトルから、窃盗について書いたものと思うかもしれない。だが、その内容は美術品犯罪だけにとどまらない。これは依存症、つまり自分にとって悪いと分かっている行為をやめられない強迫観念についての本でもある。同書によると、アートを集めることも依存症の1つらしい。

この本の主人公、ステファン・ブライトヴィザーが病みつきになっていたのは、祖国フランススイスの地方美術館巡りだった。しかし彼は、ギフトショップでお土産を買う代わりに、アクリルケースや壁面、陳列台などから美術品を掠め取っていた。戦利品は、数百年前のタペストリーからヤン・ブリューゲル(父)の絵画まで多岐にわたり、そのほとんどを白昼堂々と盗んでいたというから驚きだ。

1996年に恋人のアンヌ=カトリーヌ・クラインクラウスと、スイスのモルジュにあるアレクシス・フォレル博物館を訪れたときには、シャルル=フランソワ・アノンが300年前に作った大皿を盗んでいる。ブライトヴィザーは、展示ケースを解体するのが得意で、スイス製のアーミーナイフを使い、見る見るうちに30本のネジを外したという。著者のフィンケルは、それを「神技」と表現している。

この本では窃盗の様子が現在形で説明されているので、読者はまるでその場にいるかのように盗みのスリルを味わえる。たとえば、ネジを外す場面では「26、27、28、29…神様…30!」という手に汗握る描写のおかげで、ケースが開く音が聞こえてきそうだ。その数ページ後には、別の窃盗の様子が書かれている。アレクシス・フォレル博物館の一件の1年後、ブライトヴィザーはやはりアンヌ=カトリーヌとともにアンジェ美術館を訪れた。ブリューゲル作とされる《Allegory of Autumn》の前に立った彼は、豊満な女性と子どもに囲まれた筋肉質の男が、木から果物をもぎ取っているこの絵を盗むことにする。

「アンヌ=カトリーヌは階段の側で見張に立っている」とフィンケルは書いている。これは、本の中では自分の名前は姓で、ガールフレンドの名前はファーストネームで表記してほしいというブライトヴィザーの求めに応じたものだ。

「警備員がレジ係から目を離したら、彼女は咳をする手はずになっている。ブライトヴィザーは椅子に登って手袋をはめ、絵を取り外す。残った額を陳列台の下に滑り込ませると、アンヌ=カトリーヌが戻って来て椅子についた靴跡をハンカチで拭き取る。帰り際、2人は警備員とレジ係に別れを告げ、キスを交わす」

普通の美術品泥棒とは違う「特異性」

ブライトヴィザーは結局、200点以上の美術品を盗んだとして逮捕された。そして、それに懲りず窃盗を繰り返し、何度も捕まっている。

2度の服役(1つは90年代の窃盗、もう1つは2000年代半ばの窃盗によるもの)を経て、ブライトヴィザーは出所後に盗みを再開した。2015年から2016年にかけて、彼はストラスブールの考古学博物館からローマ時代のコインを、近隣の別の博物館から文鎮を盗み、その後ドイツに移動して盗みを続けた。「彼が気に入ったものは1つもない」とフィンケルは書いている。そして2019年、ブライトヴィザーは再び逮捕された。

彼はどのようにして怪盗から間抜けな盗人に成り下がったのか。『The Art Thief』はブライトヴィザーの泥棒としての盛衰を描きながら、彼の内にある強迫観念に迫ろうと試みている。ただし、書かれているのは「盛」がほとんどで、「衰」については軽く触れているだけだ。おそらく著者のフィンケルがブライトヴィザーに惚れ込んでいるため、そうなったのだろう。唯一、過去形が使われている後書きの中で、フィンケルはこの本を書くために行った調査を振り返りながらこう書いている。

「ブライトヴィザーとアンヌ=カトリーヌに匹敵するような美術品泥棒はいない。美術品泥棒はたいがい金目当てで、それも1点しか盗んでいないことがほとんどだ。その中で、このカップルは特異な存在だ。少数ではあるが、長期にわたって美的欲求のために盗みを繰り返す犯罪者は確かに存在する」

フィンケルによると、ブライトヴィザーの美的欲求の源泉は、子どもの頃に訪れたストラスブールの考古学博物館での出来事にあるという。それは彼が長じてローマ時代のコインを盗んだのと同じ博物館だ。「ローマ時代の棺から突き出ていた金属片を掴んだとき、コイン大の鉛の破片が手のひらの中で折れ、彼はそれを反射的にポケットに入れた」と、フィンケルは書いている。果たして本当に起きたことなのか証明が難しいこのエピソードは、いかにも作り話に聞こえるが、フィンケルはこれを真実として紹介している。だが、たとえ嘘だったとしても、この話をしたこと自体がブライトヴィザーの本質を雄弁に物語っている。

ブライトヴィザーは、ごく普通の常識人のふりをして人に取り入るのが得意だった。美術館通いが趣味の、平凡な無職の男だと見せかけていたが、これは彼の策略だ。ある裁判では、自分が盗んだ17世紀の剣の制作年代について、学芸員の見立てを訂正したこともあるという。バーゼル美術館の図書館で昔の武器についての本を読み、詳細な知識を得たのだそうだ。

少なくとも、ブライトヴィザーには審美眼があった。普通の人ならサザビーズに入っていって、ルーカス・クラーナハ(子)の絵を手に入れようとは思わないだろうが、ブライトヴィザーはまさにそれをやってのけた。自らの24歳の誕生日を記念するため、この小さな絵が収められていたプレキシガラスのドームを持ち上げて、カタログのページの間に絵を挟み、誰にも咎められずに営業時間中のオークションハウスから持ち出すことに成功した。その絵は、ブライトヴィザーが盗んだほかの作品に混じって母親の家の屋根裏部屋に保管されていた。

2001年11月20日、スイスのルツェルンにあるリヒャルト・ワーグナー記念館で、ブライトヴィザーは400年前のラッパをヒューゴ・ボスのトレンチコートの下に隠し持っていたところを逮捕された。スイス警察が美術品窃盗の容疑で彼を拘束したのは初めのことではなかったが、前回は罪に問われなかった。しかしこの時はそれほど幸運ではなく、最終的に3年の刑期を言い渡された。

少しばかり眉に唾をつけた方がいいときでさえ、ブライトヴィザーの言うことを信じているように見えるフィンケルだが、アンヌ=カトリーヌについてはその限りではない。彼女はブライトヴィザーが精神的にも肉体的にも自分を虐待し、無理やり窃盗に協力させられたと主張した。フィンケルは、ブライトヴィザーがアンヌ=カトリーヌを殴ったことが1度だけあったと書いているが、彼女が2004年の裁判の証言台で「彼が美術品を盗んでいたことさえ知らなかった」と言い立てたことについては、「一切を否定することで、彼女は真実を捻じ曲げている」と強調している。

精神分析にかけられた行動の「謎」

この本に書いてあることは、何がどこまで本当なのか判然としない。事実を突き止めるのがさほど難しくなさそうな箇所ですらそうなのだ。ブライトヴィザーによる盗難劇をロマンたっぷりに描いている反面、盗まれた作品の価値などについてはかなりいい加減だ。たとえば、当局はブライトヴィザーが盗んだ美術品の価値を10億ドル(約1450億円)超としているが、不思議なことに『The Art Thief』の中ではこれが20億ドル(約2900億円)に膨れ上がっている。これはどう見ても信じがたい。個々の作品の評価額も示されていないのでなおさらだ。ケースを固定しているネジを描写したのと同じような熱心さで、フィンケルが具体的な数字を提示していたなら、と思ってしまう。

もっと基本的な間違いもある。たとえば、1911年にモナリザが盗まれた際、パブロ・ピカソがフランス警察に拘束されたと書かれているが、実際に拘束されたのは詩人のギヨーム・アポリネールで、後に潔白が証明されている。フィンケルは2002年にニューヨーク・タイムズ紙を解雇されているが、その理由は複数の人物へのインタビューを組み合わせて1人の人物の話として記事の中で提示したためだと言われている。彼のそうした過去も、この本の信憑性を怪しくしている。

とはいえ、そもそも『The Art Thief』は、綿密な調査に裏打ちされたノンフィクションというよりも、スリル満点の実話小説としての性格が強い本だ。200ページ強の本書は、ビーチに寝そべりながら読むのに最適であるだけでなく、よくできたミステリーがそうであるように、読み進む中で読者にいくつもの疑問を抱かせる。

たとえば、ブライトヴィザーの動機は何か、という疑問がある。通常の美術品窃盗犯と違い、ブライトヴィザーは作品を売ろうと試みたことはあまりなく、ほとんどの盗品を手元に取っておいた。また、盗みを働く際、周囲に最小限の損傷しか与えなかった。ただし、作品それ自体は例外で、窓から放り投げられたものもあれば、後からブライトヴィザーの母親(彼女も実刑判決を受けている)に破壊されたものもある。盗品の中には回収されなかったものも多い。

ほかの多くの美術品窃盗犯とは性質が違うブライトヴィザーの事例は、確かに興味深い。事件の担当者たちはその謎に迫るため、何度か精神分析の専門家を呼び、彼とアンヌ=カトリーヌと面談させている。ある分析医によると、ブライトヴィザーは「衝動的」で、別の分析医はアンヌ=カトリーヌには「断る勇気」が欠けていたと述べている。一方、ある心理セラピストは、犯罪に結びつくような精神病ではないため、ブライトヴィザーを助けることは難しいと述べたという。ちなみに、アンヌ=カトリーヌも盗品を扱った罪で6カ月間服役した。しかし、フィンケルはこれには触れず、代わりに「刑務所には一晩入っただけ」で、「ブライトヴィザーと過ごした10年間に何事もなかったかのように」有罪判決が抹消されたと書いている。

いずれにせよ、ブライトヴィザーは、フランス、ドイツ、スイスの美術館に与えた被害について、わずかではあるが赦しを乞おうという態度を取っている。裁判では学芸員たちに謝罪し、有り金も尽きてきたこの本の最後の方では、ようやく少しだけ反省の色を見せている。「私はかつて宇宙の支配者だったが、今は何者でもない」と。(翻訳:野澤朋代)

from ARTnews

あわせて読みたい

  • ARTnews
  • CULTURE
  • 天才か偏執狂か。アート界を揺るがした大泥棒の華麗なる神技と奇妙な執着