マドリードのソフィア王妃芸術センター、常設展を大胆リニューアル。美術史の時空を超えた構成に
最近、主要な美術館がこぞって常設展の展示方法を見直しているようだ。世界中の美術史家、キュレーター、アーティストらが、従来あまり評価されてこなかった作家、なかでも女性や有色人種の作家を取り上げ、より豊かでニュアンスのある美術の歴史を伝えようとする動きがある。
そうしたトレンドの最近の事例に、マドリードのソフィア王妃芸術センターがある。同センターは、スペインで最も重要な近現代美術館だ。2021年秋に常設展の見直しを行い、今年2月末に開かれたアートフェア、ARCOマドリードの開催期間中には世界各国から多くの人々が訪れていた。
展示タイトルには、このプロジェクトの柔軟性と学際的な精神を表すものとして、ディエゴ・リベラのシュルレアリスム絵画の作品名《The Communicating Vessels(連通管)》 (1939)が引用されている。その内容は、19世紀末のモダニズムの始まりから現在までを8つのパートに分け、6つのフロアに約2000点の作品を展示するものだ。展示スペースは、30年間展示に使用されていなかった旧倉庫を含むサバティーニ館の4フロアと、2005年にジャン・ヌーベルの設計で増築された建物の2フロアで、合計面積は約1万5000平方メートルにもなる。
また、見直し後の展示作品の7割は初公開という意欲的なものだ。その中には、これまで保管だけされていた作品や、マイアミ在住のコレクター、ホルヘ・M・ペレスが最近寄贈したマルタ・ミヌジンの《Amor a primera vista(一目惚れ)》(1943)などがある。アクリル絵の具で塗られたマットレスがカラフルに絡み合うミヌジンの作品は最近、ソフィア王妃芸術センターの広報によく使用されていて、この作品が同センターの重要な作品に位置づけられていることが分かる。
一方、これまで保管されていた作品には、ディエゴ・リベラの《Vendedora de flores(花を売る女)》(1949)、ヴィフレド・ラムの《Natividad(キリスト降誕)》(1947)、ジョアン・ミロの《Serie Negro y rojo(赤と黒シリーズ)》(1938)、サルバドール・ダリの《Cuatro mujeres de pescadores en Cadaqués(カダケスの4人の漁師の妻たち)》(1928)などがある。
スペインの文化スポーツ省は毎年、同センターがアートフェアのARCOマドリードで作品を購入するのを支援している。2021年7月には、18点(14人のアーティストと1組のアーティスト・コレクティブによる作品)を30万ユーロ(33万4000ドル)で取得。この18点には、後に抽象作品で高い評価を得るアナ・ピータースの1966年の具象画《Cuentoquilómetros(速度計)》(紙にアクリル絵の具)や、クララ・モントーヤの《Llorona I(ジョロナ Ⅰ)》(2021)などが含まれる。モントーヤの作品は、柱状の噴水に水が満たされ、時間の経過とともに成長する植物が組み込まれたものだ。
今年のARCOでは、スペインの画家・彫刻家のアウグスティン・イバロラが1976年のヴェネツィア・ビエンナーレのために制作した《Amnistía(恩赦)》(1976)など16点に37万ユーロ(約41万2000ドル)を投じている。イバロラの巨大な絵画は42年間姿を消していたが、2018年にソフィア王妃芸術センターで行われた展覧会「Poéticas de la democracía(デモクラシーの詩学)」に展示され、今回マドリードのギャラリー、José de la Mano(ホセ・デ・ラ・マノ)からARCOに出品された。
新たな常設展では、広々としたスペースに作品がゆとりをもって配置され、来場者がじっくり鑑賞できるようになっている。このように、展示されている作品と作品の関係が一見、はっきり分からないことが必要なのだ。作品を自分で発見し、考え、理解し、解釈しなければならない。それは一種の訓練のようなもの。そうすることで、来場者は連綿と続く美術史に貢献しているという感覚を得ることができる。
展示見直しの検討を始めたのは2010年にさかのぼる。その頃、ソフィア王妃芸術センターではすでに所蔵作品の入れ替えを行っていた。「展示見直しの準備を始めるとすぐ、フェミニズムやエコロジー面の課題に取り組まねばならないと考えるようになった」と、同センターのマヌエル・ボルハ=ビジェル館長はインタビューで答えている。新しい常設展に織り込まれたテーマは、気候変動、ジェンダーに関する柔軟性、そして感染症の世界的大流行だ。特にコロナ禍は、同センターが美術館での体験を、「visitar(訪れる)」から「vivir(生きる)」へと考え直すきっかけとなった。つまり、美術館を単に訪問する場所ではなく、人生を体験する場所にすることが重要だとボルハ=ビジェルは説明する。
これは、彼の言葉を借りれば「認識論的なパラダイムの変化」ということになる。なにやら小難しいこの言葉の裏には、できるかぎり来場者の幅を広げたいという意図がある。ボルハ=ビジェルは、「私たちの常設展は、ただ受動的に通り過ぎるだけのスペクタクルではない。来場者は自分なりの意見を持ち、展示されたものに反応してほしいと思っている」と語る。
彼の展示見直しのアイデアには3つのポイントがある。一つ目は、歴史、あるいは「過去と現在の間にある緊張関係の探求」。二つ目は、人々の最大の関心事である「ここ、そして今」。最後は、「一つの考え方だけには収まらない作品そのもの」だ。
キュレーターチームが作品と鑑賞者の緊張関係をどう構築するかを考える上で、1982年にドイツのカッセルで行われたドクメンタ7のように、美術の歴史を示す展示を再構築するのも一つのやり方だ。1階に展示されているダラ・バーンバウムの《PM Magazine(PMマガジン)》(1982)は、プライムタイムに放送されていたテレビ番組「PMマガジン」の静止画を、アメリカの家庭の映像とともに編集したもので、マスメディアや1980年代の社会における性差別を指摘するものだ。この作品は、ミケル・バルセロの絵画《Nu pujant escales(階段を上る裸体)》(1981)と向き合って展示されている。
紙にチョークでベッドを描いたミリアム・カーンの《k-bette(k-ベッド)》(1982)は、フランツ・エアハルト・ヴァルターの後期の作品で、彩色された8つのカンバスが木枠に縫い付けられた《Doppelte Antwort Rot(ダブル・アンサー・レッド)》(1986)と対話するかのように展示されている。オランダの美術史家、ルディ・フックスがキュレーターを務めた1982年のドクメンタ7は、アルテ・ポーヴェラやポスト・ミニマリズムといった前衛的なアート運動を超えた絵画の勝利として記憶されている。しかし、ここでは、フックスが集めた幅広い素材、ジャンル、世代の作品が再び集結し、美術史を概観する際に見落されがちな折衷主義を見て取ることができる。これこそが、ボルハ=ビジェルが復活させたかったことなのだ。
しかし、キュレーターたちにとって重要な問題は、どんな歴史を伝えるかではなく、歴史をどう伝えるかだった。新たな常設展は8つの「エピソード」で構成されており、それぞれ1話完結のテレビドラマのように独立したものになっている。そのため、様々な素材や異なる時代の作品が展示されている各セクションは、どういう順番で見ても楽しめる。こうしてエピソードに分けた展示を行ったのには、時代とともに歩むという意図がある(各エピソードの紹介はソフィア王妃芸術センターのウェブサイトで見ることができる)。
「19世紀が小説の世界なら、20世紀は映画で世界を理解し、現代の人々はテレビ番組という断片的な構成に反応する」とボルハ=ビジェルは語り、新しい展示を、いくつもの断片が重なり合う映画やテレビの「モンタージュ」にたとえている。来場者は、花粉を集めるハチのように行ったり来たりし情報を集め、ソフィア王妃芸術センターのキュレーションを楽しむことができる。当面、キュレーターたちは展示の入れ替えをするつもりはないようだ。
新しい常設展のもう一つの大きなポイントは、展示されている作品に関連する文書や印刷物などの資料だ。ボルハ=ビジェルによると、こうした資料により、様々な視点と向き合いながら、さらなる文脈を提供することができるという。エピソード1「Avant-garde Territories. City, Architecture and Magazines(アヴァンギャルドな領域、都市、建築および雑誌)」の展示では、シュルレアリスムの作家アンドレ・ブルトンを取り上げ、彼の芸術に対する考え方が、同時代のフランスの哲学者、ジョルジュ・バタイユの考え方といかに異なっていたかを探っている。
バタイユは1929年に「私は、ほとんど前置きなしに言うが、ピカソの絵にはぞっとする、ダリの絵はすさまじく醜い」と書いている。当時、ブルトンはまだダリをシュルレアリスムの同士だと考えており、その10年後までダリをグループから排除することはなかった。このほかにも、最近入手した『Dictionnaire abrégé du Surréalisme(シュルレアリスム簡易辞典)』(1938)や各種のマニフェスト、招待状、そして大きなイベントの発表資料なども合わせて展示されている。
「文書や記録、手紙には、今までの考え方を揺り動かし、アート作品の見方を変える力がある」とボルハ=ビジェル館長は付け加えている。
ソフィア王妃芸術センターの、分野を超えた新しいアプローチで重要なのは建築だ。アルフレッド・バーがニューヨーク近代美術館(MoMA)の初代館長を務めていた時に映画を所蔵品に加えたように、ボルハ=ビジェルは、作品が展示される場である建築についてもこのプロジェクトの大きな要素と考えた。たとえば、ピカソの代表作である《ゲルニカ》は、高さが約3.5メートル、幅が約7.8メートルあるが、こうした巨大な作品は美術館内の新しい場所への移動は困難で、保存修復士たちも破損の恐れがあると指摘していた。その代わり、今回の展示では照明を改善し、ピカソがこの作品のために描いた女性や馬の頭部の習作、ピカソの制作風景を撮影したドラ・マールの有名な写真作品と並んで展示されている。
4階には、ルイーズ・ブルジョワの鉄でできた巨大なクモの彫刻《Spider(スパイダー)》(1994)が、制作のためのドローイング数点とともに展示されている。近くには彼女の彫刻《ピラー》(1947-49)と《QUARANTANIA III(クアランタニアIII)》(1949)もある。また、たいていの来場者が最初に見るであろうエピソード1の展示は、スペインの都市計画家、アルトゥーロ・ソリア・イ・マータの計画書、スケッチ、設計図で始まり、近代都市が変革のための肥沃な基盤であることが紹介されている。
「美術史は具体的な空間、都市、展示室で実体化し、それが現代のアーティストの活動を決めていく。だから、建築のための展示室を設けることは重要だ」とボルハ=ビジェルは言う。2階にあるエピソード1では、ベレニス・アボットとアルフレッド・スティーグリッツがニューヨークを捉えた写真が展示され、都市景観における高層ビルの台頭を伝えている。
また、ラファエル・アルベルティのカラフルなドローイング、サルバドール・ダリのキュビスム的な自画像、スペインにおけるメキシコ型の革命を熱望したガブリエル・ガルシア・マロトのグアッシュによる風景画や、ダニエル・バスケス・ディアスが1925年にキュビズムの影響を受けてマドリッドの工場を描いた《La fabrica dormida(眠れる工場)》などの作品がぶつかり合い、ユートピアと対立が混在する都市、マドリードの様々な側面を見せている。
新しい常設展は、美術史の年表に沿ったものではない。そのため、セクションの順番やつながりがランダムに選ばれているように感じられ、時に戸惑うかもしれない。たとえば、「Exodus and Communal Life(集団脱出と共同生活)」と題されたエピソード8は、カルダーやミロの彫刻がある屋外の中庭を通り抜けて入るサバティーニ館1階のフランセスク・ルイスによるニューススタンドのインスタレーション「La Settimana Enigmistica(週刊クロスワードパズル)」(2015)で始まる。エピソード8の大部分はこの1階のスペースに収められているが、3階にも一つの展示室があり、ヌーベル館の1階にも二つ展示室がある。
サバティーニ館の2階にはエピソード1が、4階にはエピソード2、3、4があり、それぞれが見事に融合している。途中、道に迷ったり、廊下の途中で曲がったり、企画展示室に入ったり、マン・レイの巨大なメトロノームに出くわすかもしれないが、心配無用。この巨大な迷路に迷い込んでこそ、唯一無二の体験が味わえ、この美術館に何度も足を運びたくなるのだ。(翻訳:平林まき)
※本記事は、米国版ARTnewsに2022年3月7日に掲載されました。元記事はこちら。