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アートは地域社会のウェルビーイングを底上げする──英ARTificationの活動に学ぶ【エンパワーするアート Vol.10】

これまでとは異なる物事の見方を教えてくれるアートの力を借り、社会をより良い方向に進めようとする取り組みが生まれている。ロンドン在住の清水玲奈が伝える連載「エンパワーするアート」の第十回は、多様なコミュニティをつなぐ媒介になるべく生まれた地域密着型のアートチャリティ団体について。

Photo: ARTification

ロンドン西部の街・アクトンの目抜き通りに、ジョージ・アンド・ドラゴンという名のパブがある。1759年から続く老舗で、古くから人々が集う地域の交流の拠点となってきた。

その隣にあるのが「W3ギャラリー」だ。ギャラリーが入居している建物はもともとジョージ・アンド・ドラゴンの一部で、アクトンの郵便番号である「W3」にちなんで命名された。ここでは地元アーティストの展示や誰でも自作の詩や音楽を発表できるオープン・マイク・ナイトなど多数の地域密着型イベントが開催され、「みんなのための“敷居の低い”アートギャラリー」として愛されている。

W3での展覧会オープニングのあとはパブで打ち上げ、というのがお決まりコースだ。パブでライブ出演をしたバンドがギャラリーに流れて演奏を行うなど、ゆるやかな交流の場としての古き良きパブの姿を現代に受け継いでいる。

コミュニティをアートでつなぐ

W3ギャラリーを運営するのは、アクトンでアートを通じた慈善活動を行っている非政府組織(NGO)、ARTification(アーティフィケーション)だ。同団体がアクトンに特化して活動する背景には、この地区特有の事情がある。

アクトンは多様な人種や民族が集まる地域だ。第二次世界大戦中にポーランド人のコミュニティができ、その後は大きなモスクが建設されイスラム教徒が集まるようになった。アルメニア人や日本人のコミュニティもある。

さらに、この地区は貧富の差も大きい。南アクトンはかつて公営住宅が立ち並ぶ地区だっが、近年再開発が進んだことで高所得者層向けの集団住宅が増え、新しい住民も増えていった。

多様な住民の間には分断が起きかねない。そこで、ARTificationは「アートを通じて人と場所をつなぎ、コミュニティが一体となって変化を起こし、地域のコミュニティの活性化と住民のウェルビーイングを促す」ことを目指し、20年余りにわたって活動を続けてきた。

多様な子どもたちに創作講座を行うチャリティー、WAPPYの創設者グレース・クアンサ(左)は、詩の朗読会を主催した。
トリニダード・トバゴ出身のアーティスト、カール・ガブリエルによるトークでは、故郷のカーニバルで大型人形に使われる針金細工の手法を用いたカーニバル・アートと、それにインスピレーションを受けた自身の制作が紹介された。
オルガ・クチェレンコはウクライナ出身のアーティスト。アクトンにはウクライナ教会があり、ウクライナからの避難民も多く受け入れている。

批判を込めた作品も

そんなARTificationのプロジェクトのなかでも特に有名なのが、アクトンの公営住宅「チャールズ・ホッキング・ハウス」の壁に制作された高さ38メートルの壁画《Big Mother》(2014)だ。元ホームレスのストリートアーティスト、STIK(スティック)とのコラボレーションによる伝説的なプロジェクトであり、再開発が進む街で不安げな表情で立ちすくむ母親と、母親にしがみつくようにして向かいに建設中の高級マンションを眺める子どもを描いている。

画一的な開発とジェントリフィケーションへの批判を込めたこの作品は、国内最大級のストリートアートとしても大きな話題になった。古い公営住宅が立ち並んでいたサウス・アクトン地区の住民の間では街が明るく楽しくなったと好評で、犯罪率を下げる効果もあったという。

さらに建物が2018年、マンション建設のために取り壊された際には、STIKが壁画を縮小した作品《Little Big Mother》(2018)を制作してチャリティー・オークションに出品した。落札額は5万2500ポンド(現在の為替で約1000万円)に達し、STIKは収益をARTificationを含むふたつのアートチャリティー団体に寄付した。

クリスティーズの公式サイトでは、元の壁画をドローン撮影した動画とSTIKの談話が紹介されている。STIKは「コミュニティの永続性と脆弱さの双方」を表現した作品と説明。さらに自分のアートは「疎外されたコミュニティに声を与える手助けをする」ためのものだと述べている。

STIKの壁画《Big Mother》(2014)

ARTificationの創設者・代表のレイチェル・ペッパーは、1980年代の終わりからアクトンに暮らしている。ロンドン大学ゴールドスミスカレッジでグローバル化と文化に関する都市学を研究しながら、1990年代からアートによるコミュニティ活性化のための活動を続けてきた。2010年には、こうした活動を批判的に論じる博士論文「コミュニティの力:ロンドン西部アクトンの関係者が認識する問題、可能性、ポテンシャル」を発表している。

論文の結論として、ペッパーはこう述べている。「人々が共通の懸念を共有しているという私の見解は裏付けられた。相反する価値観の適切なバランスを見つけるのは難しいが、違いを受け入れ、共通の問題に対する解決策を模索する共通の基盤は存在する」

ペッパーが注目したのは、多様な地域の中で疎外感を持つ人たちが存在しているという「懸念」だった。全ての人を当事者として巻き込み、市民主導型で持続性のある変革を進める上で、地域に住む全ての人たちの共通の関心を探求し、自己表現とエンパワーメントの機会を支援するための組織が希求されていると感じるようになった。

ペッパーは、過去の活動に基づいて行なったこの研究を踏まえて、活動の焦点を、アートを活用して多様なコミュニティを結びつけるための「草の根の実践」に集中させることに決めた。

W3ギャラリーを開設した2016年、それまでのコミュニティでの活動を集約させ、チャリティー団体ARTificationとして体制を整えた。この名称は「アート化する」という意味合いの造語で、「子どもも大人も、アマチュアもプロのアーティストも対象にするとともに、ビジュアルアートから、パフォーマンス、ビデオ、ダンスまで、すべての人のためのありとあらゆるメディアのアートを扱うという気持ちを込めた」とペッパーは説明する。

オープン・マイク・ナイトに参加したアマチュア詩人たち。右端がレイチェル・ペッパー。

ギャラリーの運営のほか、アクトンに19世紀から続く夏のカーニバルの伝統を引き継ぐ形で、アートイベントとしてのアクトン・カーニバルも、ARTificationが主催している。地元の区の支援を受けながら、ギャラリーをイベントスペースとして貸し出す賃貸料、カーニバルの入場料などを運営資金とし、ボランティアの協力を得て活動を続けてきた。

「アートとは、何よりも人から人へのコミュニケーションの手段として有効です」と、ペッパーは力説する。コミュニティが一体となってアートに親しむ場を作ることは、すべての人のウェルビーイングと幸福を底上げし、住民同士の交流と理解を深めることにつながる。「アートと創造性は地域社会を変えることができる」というビジョンをARTificationは確実に実現している。

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