ヨーゼフ・ボイスは「社会を変革する芸術の力」を信じた──その意思を継ぐプロジェクトがLAで始動
戦後ドイツで最も影響力のあるアーティストとして、政治や環境問題にも深く関わったヨーゼフ・ボイス。アートとエコロジーを結びつけた数多くの活動で知られるボイスの大規模企画展と、その一環として始まった植樹プロジェクトを紹介する。
20世紀後半に活躍した多才な現代アーティスト、ヨーゼフ・ボイスはかつて、こんな発言をしたことがある。
「私のマルチプル作品を全て所有しているとしたら、私の全てを持っているのと同じです」
マルチプル作品とは、ボイスが手がけるアートプロジェクトと同じ知的・感情的価値を持つエディション化されたオブジェのことだ。黒板消しから、蜜ろうに銅を混ぜたブロックまで、多岐にわたるオブジェは一つひとつのサイズが小さく、エディションの数が多い。ボイスは、この小さく、多いという特徴を持つマルチプル作品を使えば、「芸術は社会を変革する力になる」という急進的な概念を、たとえ自分がそのプロセスに立ち会わなくても広く普及させることができると信じていた。
現在、ロサンゼルスの現代美術館、ザ・ブロードで開催中の展覧会「Joseph Beuys: In Defense of Nature(ヨーゼフ・ボイス:自然を守るために)」では、ボイスが制作した600点近いマルチプル作品のうち、約400点が展示されている(2025年3月23日まで)。ファウンドオブジェや彫刻、絵画、油彩スケッチから写真、ポスター、フィルム、そして政治活動に関連する資料やチラシまで、膨大な点数の作品が並ぶこの展覧会では、彼自身の言葉通り、「ボイスの全て」を一覧できる。
「ボイスにとっては、どんなものも重要でした」
そう語るのは、ボイス研究者のアンドレア・ジョロディだ。ザ・ブロードのキュレーター兼展覧会マネージャーのサラ・ロイヤーとともにこの展覧会を企画した彼女は、こう付け加えた。
「ボイスが特に力を注いだのは、ありふれた素材に価値を持たせ、アートとしてこの世に残していくことです」
彼のマルチプル作品は多種多様な形態を取りながらも、個人の心身の健康を回復し、社会の現状を変革するという一貫したコンセプトがある。ボイスは、芸術とは「病んだ世界の健康を取り戻すために、革命的な変化を起こせる唯一の純粋に人間的な媒体だ」と語っていた。こうした考えは、彼の大規模な立体作品やパフォーマンス、政治活動と同様に、マルチプル作品にも表れている。
ボイスのマルチプル作品で、最もよく知られているのは《カプリ・バッテリー》(1985)だろう。黄色い電球を差し込んだソケットを新鮮なレモンにつないだこの作品では、レモンの酸性成分が微弱な電流を発生させ,バッテリーとして電球に光が与えられる.しかし、レモンが腐っていくので定期的な交換が必要になる。レモンの交換は、ボイスが推し進めていた「社会参加」であるとともに、彼が重視していた再生の概念を示唆している。さらに、人工物と有機物を結びつけるこの作品は、人間と自然の間の和解を暗示してもいる。こうしたオブジェをボイスがどう捉えていたか、ジョロディはこう説明した。
「オブジェには、何らかの意味が蓄積されているとボイスは考えていました。その中にある永遠の可能性は、時を経てから復活させたり、あるいは人々が行動するきっかけを与えたりできるものであると捉えていたのです。自分の政治活動が忘れられてしまった未来にも、関連するオブジェが残っていれば、それを見た人々が思い出してくれるかもしれないと考えた彼は、それらを『記憶の小道具』と呼んだこともあります」
ボイスの自然環境保護の意思を継ぐプロジェクト
今回のザ・ブロードも含め、これまでロサンゼルスで展示されたことはないが、ボイスが実施した大規模プロジェクトは今も大きな影響力を保ち続けている。環境に介入し、それを変質させるプロジェクトの中でも最も有名なのが、1982年の《7000本の樫の木》だろう。このプロジェクトでは、ドイツのカッセル市内の各所に玄武岩の石碑が並べられ、その横に樫の木が植えられた。木々は成長し、今も市民に木陰と澄んだ空気、そして自然の活力に触れる機会を提供している。
ドクメンタ7で《7000本の樫の木》を発表した数年後の1986年に死去したボイスは、この作品をきっかけに、自然環境を守る取り組みがたくさん生まれることを望んでいた。そして実際に、ロンドンのテート・モダンからミネアポリスのウォーカー・アート・センターまで、さまざまな展示施設で彼の意思を継いだプロジェクトが行われたが、それがついに西海岸でも実現する。ロサンゼルスのエリシアン公園で、ボイスが手がけたような植樹が初めて実施されることになったのだ。ザ・ブロードのサラ・ロイヤーはその背景をこう語る。
「これが最初で最後にならないことを願っています。私たちは、植樹を続けてほしいというボイスの言葉に刺激を受けてプロジェクトを企画しました。40年前に彼が抱いていた環境破壊に対する懸念は、残念ながら今日にもあてはまるからです」
ザ・ブロードはボイス展の会期に合わせ、地域密着型の環境保護団体ノース・イースト・ツリーズ、先住民トングバ族の考古学者デジレ・レネー・マルティネス、そしてアーティストのラザロ・アルヴィズ・ジュニアとの協力関係を構築。トヴァンガル(トングバの言葉で彼らの土地を指す言葉。現在のロサンゼルス郡とその周辺地域)で、ボイスの「社会彫刻」(*1)を再現するプロジェクトを進める。
*1 人間は全て、創造性と行動によってより良い社会の構築に貢献できる。すなわち、社会を彫刻できるという考え。
ザ・ブロード初の常設オフサイト展示プロジェクト「Social Forest: Oaks of Tovaangar(ソーシャル・フォレスト:トヴァンガルのオーク)」では、エリシアン公園のチャベスリッジに100本の海岸性オーク(カリフォルニア州の海沿いの自生種)を植え、その横に砂岩を置くほか、トングバ族の聖地であるクルヴングナ・ヴィレッジ・スプリングスにも同じ木を5本植える。さらに、先住民の知識を広めるためのレクチャーやパフォーマンス、ワークショップなど、一般の人々が参加できるイベントも多数企画されている。ロイヤーはその意図をこう語った。
「『ソーシャル・フォレスト』は、環境保護や生態系の修復を目的としているのはもちろんですが、社会的な側面もあるプロジェクトです。ロサンゼルスというこの土地に住む人々が今必要としている、集合的な気づきと和解をもたらしたいという意図があります」
ボイスが1982年のプロジェクトで修復しようとしたのは、戦後ドイツの癒えることのないトラウマだった。「ソーシャル・フォレスト」もそれと同じく、アメリカ先住民の強制移住や、彼らから収奪した土地の破壊など、植民地主義が長きにわたって先住民に与えた影響を認識し、修復することを意図しているという。
ボイスは、自分は「幾多のカタストロフィーを生き抜いてきた」が、それらのカタストロフィーによる影響は完結していないと書いている。共同制作者として「ソーシャル・フォレスト」に関わっているトングバ族の考古学者マルティネスは、自分の属する民族が耐えてきた悲劇もそれと同じで、現在もまだ続いていると感じるという。
「私たちはいまだに、先祖の土地に自由にアクセスできません。その結果、伝統的な食料を食べたり、薬草を採取したり、マクサクス(自然と人間の間で相互に行われる贈与と交換)を実践して知識を得たりすることができないのです。
ですから、ボイスのプロジェクトのように、まずは恐ろしい歴史を認識することから始めなければなりません。そこから癒しを得るための方法、バラバラになった民族と土地を修復する方法、そしてコミュニティを活性化させ、活気を取り戻すための方法を考えていけるでしょう。そうすれば、トングバの人々だけでなく、今この土地を故郷だと感じている全ての人が自然と共生しながら、単に生き残るだけでなく、繁栄できるはずです」
ボイスの「社会彫刻」の概念を実践
「ソーシャル・フォレスト」は、トングバの教育者クレイグ・トーレスが言うところの「3つのR」を満たしているとマルティネスは説明を続けた。
「私たちは、ずっと前からこの土地を大切にしてきた先住民の長く深い歴史を認識(Recognize)し、私たちが支配するのではなく共に生きる親族、動物、植物、石、空気、水を尊重(Respect)し、それら全て、自然の全てを保護する責任(Responsibility)を負っているのです」
「ソーシャル・フォレスト」で行われる植樹は、トングバ族と彼らが重要な食料源としていた木の実とのつながりを回復させるものでもある。オークの根元に置かれる砂岩は、収穫時に木の実の殼を砕き、実を挽いて加工するために使うことができる。マルティネスはそのことへの期待をこう語った。
「植樹した木の横に置く石は単なる象徴ではなく、トングバの人々の伝統的な生活様式や食料の採集・加工方法と関係があり、未来の世代が実際に使えるものにしたいと考えました。これは、木々が成長するまで責任を持って育てるという約束であるとともに、私たちの伝統を未来へとつないでいくという意思表示でもあります。20年、30年と時が経ち、たくさんの実が収穫できるようになったとき、伝統的な加工方法に使える石がすぐそばにあるようにしたいのです」
環境保護NPOのノース・イースト・ツリーで都市林業ディレクターを務めるアーロン・トーマスによれば、この植樹プロジェクトを構成するあらゆる要素には実用性があり、象徴的な目的を主とするものではないという。
「オークの1本1本について、実際に環境に及ぼすことができるプラスの影響を算出できます。たとえば、二酸化炭素やメタン、オゾンなどの温室効果ガスがどれだけ吸収されるのか、あるいは根や幹、樹冠を通してどれだけの雨水が吸収されるのかなどです」
さらに、ボイスの《7000本の樫の木》では玄武岩の標柱が用いられたが、それを自然のままの砂岩に置き換えたことにも重要な意味があるという。
「南カリフォルニア原産のオークは、ここの土壌が生み出した植物です。同じくこの砂岩もこの地に特有なものです。時とともに石は浸食され、木を養う土壌の一部になります」
公園内の岩場から採取した砂岩はすでに設置済みだが、苗木を植える作業は冬の終わりから初春に予定されている。その間、トーマスと彼のチームは公園管理局と周辺コミュニティに働きかけ、協力体制の構築と知識の共有に力を注ぐ。オークはこの地域に自生しているものだが、若木の成長期には特に手入れが必要になるからだ。トーマスは植樹への思いをこう語った。
「森林管理の仕事に携わってきた私は、これまで何千本もの木を植えてきました。こんなふうに理解している人は少ないかもしれませんが、私は植樹には一種の芸術性があると思っています。このプロジェクトでは、配置された砂岩がボードレール的な文脈を伝える枠組みとなり、私が見ている世界を他の人にも見てもらうことができます」
この感覚は、日々の何でもない行為をアート制作と捉えるボイスの「社会彫刻」の概念と通じるものがある。そして、こうした活動を意識的に行うことで人々の中にあった創造的で知的な潜在能力が活性化され、全ての人がアーティストとなり、前向きな社会を形成していくことが可能になる。その過程をジョロディはこう説明した。
「ボイスは、私たちの全ての行動は神聖なものだと考えていました。彼は全ての行動、全ての決断が私たちを取り巻く世界を形づくり、再構築しているのだという信念を持ち、最期までそれに従って生きました。それは、わずかな蝶の羽ばたきが巡り巡って地球の裏側の天候を変えるほどになるという、バタフライエフェクトを思わせます」
マルティネスによる「ソーシャル・フォレスト」の説明も、バタフライエフェクトを想起させる。
「みんなが蝶のために一輪の花を植えたら、何が起こるでしょう? 革命は小さなことから始まります。全ては互いにつながっています。あなたから私へ、そしてオークの木へと、いかに早く広がっていくのかがわかるでしょう」(翻訳:野澤朋代)
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