プロサッカー選手によるムンク《叫び》盗難事件はなぜ起こったのか。新作ドキュメンタリーから紐解く

オスロ国立美術館所蔵のエドヴァルド・ムンク《叫び》は、これまで1994年と2004年の2度盗難に遭っている。1回目の実行犯は、プロのサッカー選手だった。

1994年に盗まれた、エドヴァルド・ムンク《叫び》。Photo: NTB/AFP Via Getty Images

実行犯のパル・エンガーはオスロのサッカークラブ、ヴァーレンガに所属しており、1985年、18歳の時にイングランドのプレミアリーグのノルウェー版であるエリテセリエンでプロデビューを飾った。しかしその後、繰り返し犯罪を犯して実刑判決を受け、サッカー界の伝説になるチャンスを失うことになる。

エンガーは子どもの頃から2つのものに夢中だった。ひとつはフランシス・フォード・コッポラの映画『ゴッドファーザー』。15歳のとき、彼は不正に手に入れたお金でニューヨークへ飛び、この映画の撮影現場を見に行ったほどだ。もうひとつは、エドヴァルド・ムンクの《叫び》。1994年、彼はそれを盗むことになる。

最近公開されたドキュメンタリー『The Man Who Stole The Scream』によると、エンガーはノルウェー屈指の犯罪地帯、オスロのトヴェイタ地区で育った。ここは、強盗から殺人まで行う犯罪組織ヴェイタゲンゲンの本拠地でも知られる。

ザ・サン紙によれば、エンガーは少年時代に地元の商店でスナック菓子を万引きしたことに始まり、宝石店の襲撃、夜間の金庫破り、ATM爆破など、段々と犯罪をエスカレートさせていった。彼の元チームメイトであるエリック・フォッセはアスレチック紙に、彼は地下鉄を利用することはなく、代わりに盗んだポルシェやメルセデス、BMWを乗り回していたと語っている。

エンガーが《叫び》と出合ったのは学生時代だ。彼にとっては、絵の中の叫ぶ人物が、暴力的な継父と近隣地域の荒くれ者に与えられたトラウマに苦しむ自分と重なって見えた。以来、この作品を盗むことは、彼の犯罪人生の大きな目標となった。

1988年、エンガーはサッカーのピッチで頭角を現していた。当時ヴァーレンガのマネージャーだったダグ・ヴェストルンドは、アスレチック紙にこう語っている。

「彼は小柄だったが機敏でタフでした。そして、いつも礼儀正しく謙虚な彼を、私はとても好きでした」

そのような評価を得ていながらも彼は、犯罪仲間のビョルン・グリッタルとともにオスロ国立美術館から《叫び》を盗み出す計画を実行に移したのだ。

2008年10月3日、ロンドンのオークションハウス、サザビーズに展示されたエドヴァルド・ムンクの《吸血鬼》。Photo: AFP Via Getty Images

しかし、計画には穴があった。最大の誤算だったのは、侵入した場所にムンクの《吸血鬼》が展示されていたこと。そこで彼らは、代わりにその絵を盗んだ。

エンガーはそのことについて、「何日も落ち込んだが、そのうちだんだん楽しくなってきた」と振り返っている。盗んだ絵はしばらくの間、地元の警察官の溜まり場になっていたエンガー所有のビリヤード場の天井に隠されていた。彼はこう語る。

「警官たちは、たった1メートルしか離れていない場所に絵がぶら下がっていることを知らずにいる。それは最高の気分だった。だから、ビリヤード場に来てもらうためにプレー代をタダにした」

彼にとって不運だったのは、共犯のグリッタルが隣人に盗みの話をしてしまったことだ。隣人の密告を受けた警察は、エンガーの自宅に飾られていた《吸血鬼》を押収。彼は4年の実刑判決を受け、サッカー選手としてのキャリアを棒に振った。しかし、その執念は消えず、1992年に釈放されたときも、彼の頭の中には《叫び》に描かれたオレンジ、赤、青の空が渦巻いていた。

1994年2月12日、オスロから北へ車で2時間ほどのところにあるリレハンメルで開催された冬季オリンピックの開会式に、世界の注目が集まっていた。数多くの警察官がオリンピックに動員され、オスロの警備が手薄になったチャンスをエンガーは逃さなかった。

エンガーが協力を求めたのは、ホームレスのウィリアム・オスハイム。2人は《吸血鬼》のときと同じように、はしごを使って国立美術館の窓を破り、美術館内に侵入。わずか90秒の間に《叫び》を持ち去った。

オスロ警察主任捜査官のライフ・リエは、アスレチック紙にこう語っている。

「国立美術館には警備員がいませんでした。窓ガラスを割って絵を盗むのは難しくなかったでしょう。監視カメラはいくつかあったものの、1994年のことで画質は非常に劣悪でした」

エンガーは容疑者とされたものの、警察が確固たる証拠を掴めずにいることを嘲笑うような行動に出ている。盗みに入って数週間後、エンガーは初めての子を授かった。その誕生を知らせるため彼が出した新聞広告には、息子のオスカーが「叫び」とともに生まれたと書かれていた。また、自分の車の中に絵があるという匿名の通報を何度もしている。警察がエンガーを停車させて車内を捜索しても、当然何も出てこない。それを彼は楽しんでいた。

しかし、その状況は長くは続かなかった。エンガーは画商のアイナー=トーレ・ウルヴィングを通じて《叫び》を売ろうとし、ウルヴィングはオスロのホテルでアメリカのJ・ポール・ゲティ美術館の職員を名乗る男と会った。しかしこの男、実際はチャーリー・ヒルというロンドン警視庁のおとり捜査官だったのだ。

ウルヴィングは1億5千万ドル(現在の為替レートで約218億円、以下同)の絵画に対して、約40万ドル(約5800万円)を要求。ヒルは同意し、2人はオスロの南にある小さな村に車を走らせた。地下室から《叫び》を取り戻すと、警察はウルヴィングを逮捕。すぐにオスハイムも捕まった。

エンガーは幼い息子を胸に抱え、銃を手に車で逃走を図ったが、ガソリンスタンドで待ち伏せされて激しく抵抗することなく逮捕に至る。結局、「銃犯罪」で起訴されたのち《叫び》の窃盗でも起訴された。そして言い渡された刑期は、こうした犯罪ではノルウェー史上最長となる6年だった。

獄中で絵を学んだエンガーは、今では彼の作品を買い求める人々が列をなしているとうそぶく。一方、《叫び》(ムンクは4つのバリエーションを制作)は現在、6億3000万ドル(約914億円)をかけて2022年に完成した新しい国立美術館に展示されている。エンガーは、この新しい美術館は「自分がきっかけ」で建てられたのだと主張している。

エンガーは自分の人生を振り返り、ほかの道もあったかもしれないと述懐した。しかし、彼は《叫び》を盗んだことを後悔していない。

「歴史を作ったし、映画に描かれるようなクールな話だ。でも、これは映画じゃなく現実だったんだ」

(翻訳:編集部)

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