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気候変動から考える美術館の社会的責任【WORLD ART REPORTS #1】

世界の様々な企業や研究機関が発表しているアートレポートは、アート業界の最新動向のみならず、私たちが生きる社会への理解を深めるインサイトに満ちている。世界のアートレポートを読み解く連載の第1回は、「気候変動と美術館」がテーマ。気候変動の存在は、アートや美術館にどんな影響を及ぼしているのだろうか?

Illustration: MACCIU

今回取り上げるのは、アメリカのアンドリュー・W・メロン財団とリサーチ&コンサルティング機関のIthaka S+Rが発表した「How Have Art Museums Been Impacted by Climate Change?」だ。2023年3月に発表された本レポートは、アメリカの美術館ディレクター190人へのアンケートをもとに、異常気象や温暖化、洪水といった気候変動へ美術館がどう対応しているか調査したもの。気候変動と美術館は一見あまり関係がないように思われるかもしれないが、実際には多くの美術館が気候変動を意識しているようだ。

35%の美術館が気候変動の被害を経験している

たとえば、全体の35%にあたる63名のディレクターが、実際に気候変動による被害を経験したことがあると答えている。最も多いのは暴風雨による被害で、次いで多く報告されているのが洪水とハリケーンだ。こうした自然災害はアメリカ北東部や中西部よりも西部や南部の美術館から多く報告されており、地域による気候や自然環境の差異が美術館運営にも影響を及ぼしていることがわかる。また、美術館のなかには、気温や湿度の変動による被害を報告しているものもある。

暴風雨や洪水といった災害は美術館の建物そのものや敷地に直接的な損害を与え、従業員や来場者の安全を脅かすのみならず、コレクションの保存を困難なものにする。従来よりも気温の変化が大きくなり自然災害の頻度が高まっていくにつれ、既存のインフラやシステムのメンテナンスとアップデートも行わなければいけないだろう。アメリカの場合は、雨や洪水など水に起因するトラブルが数多く報告されているが、そもそも高温多湿な日本においても異常気象(*1)は増えており、今後同種のリスクは高まっていくのかもしれない。

*1:気象庁は「異常気象」を、ある場所(地域)、ある時期(週、月、季節)において30年に1回以下の頻度で発生する現象と定義づけている。
出典:"How Have Art Museums Been Impacted by Climate Change?"

求められるインフラのアップデート

こうした気候変動に対し、美術館側の対応も進みはじめているようだ。アンケートに回答したディレクターの50%は自然災害への対策を講じていると回答しており、その多くは緊急事態や災害への対応計画を整備している。なかには暴風雨や雪といった気候の変化に対応すべく、実際に建築など物理的なインフラのアップデートに取り組んでいる美術館もあるという。

美術館の立地や性質によっても、気候変動への対応は変わっていく。南部では64%、北東部では54%、西部では53%のディレクターが対策に取り組んでいると答えているのに対し、中西部では25%と比較的少数に留まっている。他方で、市立美術館の59%が自ら災害対策に取り組んでいるのに対し、大学美術館の場合は40%にとどまるなど、美術館の運営形態によっても対策のあり方は変わるようだ。特に後者の場合は大学レベルで気候変動への対応に取り組んでいるため、美術館というより大学単位での施策が優先されるのだろう。

出典:"How Have Art Museums Been Impacted by Climate Change?"

地域コミュニティへのサポートも必要

また、気候変動による自然災害は美術館の施設だけでなく地域全体の問題にもなりうる。本レポートでは、災害に際して地域コミュニティへのサポートを行ったかどうかについてもアンケートを実施しているが、なんらかの施策を行ったと答えたのはわずか14人(8%)に留まった。その施策は、物資の収集・配布やシェルターとしての施設開放がメインだが、気温が高い日に空調の効いたスペースを無料で開放したり電力のバックアップを行ったりすることは取り入れやすい施策となるはずだ、との見解を本レポートは示している。

一方で、なかには環境の保全が芸術制作と直接的につながると答えたディレクターもいた。同ディレクターは気候変動が粘土や草木といった材料にも影響を与えうることを指摘し、とくに伝統的な工芸作品などをつくっている先住民コミュニティとの協力を進めているという。地域の自然を守り持続的な作品制作を行える環境をつくることもまた、現代における美術館のひとつの役割となっていくのかもしれない。

出典:"How Have Art Museums Been Impacted by Climate Change?"

気候変動への影響を意識する美術館は70%

気候変動を考えるうえでは、異常気象によって美術館が受ける被害だけでなく、美術館が気候変動へ与える影響についても考慮する必要があるだろう。本レポートによれば、実に70%以上の美術館が気候への影響を意識しはじめているという。64%の美術館は施設の運営による影響を評価し、18〜23%の美術館は、巡回展の実施やサーバーといった設備による環境負荷を減らす工夫や、寄付をはじめとする環境領域への投資などの必要性を考慮している。

もっとも、具体的に美術館と気候変動の関係を分析することは難しいのも事実だ。18%の美術館はどのように気候への影響を評価すべきかわからないと答えている。たとえば、都市部から離れた美術館の場合は作品の移動に伴う環境負荷を強く懸念しているなど、ひとくちに「美術館」といってもその運営母体や扱う作品、規模、地理的条件などによってその性格は大きく異なっている。あるいは自治体や大学が運営する美術館であれば運営母体の方針に沿う必要もあるため、環境負荷を低減するための汎用的なアプローチや基準を整備することは難しくもあるのだろう。

出典:"How Have Art Museums Been Impacted by Climate Change?"

気候変動が美術館の未来を左右する

本レポートは、多くの美術館が気候変動による/気候変動への影響を意識していることを明らかにしつつも、実際に美術館による取り組みの効果を測定するためにはさらなる調査が必要だと結論づけている。そして、持続可能な社会をつくるとともに気候変動への対処を戦略的に進める上では、分野横断的な協力が有用となるはずだと続ける。近年、環境活動団体「Just Stop Oil」がゴッホの《ひまわり》へトマトスープを投げつけるなどのアートアタックが日本でも大きな話題となったが、美術館の運営を考えるうえで気候変動は無視できないものになっていると言えそうだ。

今回行われた調査はアメリカの美術館を対象としたものだが、日本においても同様の問題は今後大きくなっていくだろう。美術館と気候変動の関係性を問うことは、社会における美術館の存在意義や社会とのつながり方を再構築することでもある。気候変動への対応なしに、これからの美術館を考えることは不可能なのかもしれない。


Text & Edit: Shunta Ishigami

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