マシュー・バーニーとアレックス・カッツ、異色の「The Bitch」展をレビュー。会場はレストラン廃墟
身近な人々や風景をシンプルな色彩で描く、平面的な具象画で知られるアレックス・カッツ。1990年代に頭角を現し、今ではアメリカの現代アートを代表するカリスマ作家となったマシュー・バーニー。一見、接点のなさそうな2人の大物による展覧会が、ニューヨークの異色ギャラリーで開かれた。そのレビューをお届けする。
今年ギャラリーで開かれた展覧会で、マシュー・バーニーとアレックス・カッツの「The Bitch(ザ・ビッチ)」ほど、二度見してしまうタイトルはないだろう。会場も、これまた奇異な場所だ。異色のギャラリー、オフラハティーズが現在拠点を置いているそのスペースは、元はレストランだった物件で、老朽化した内装がどことなく不気味な雰囲気を漂わせている。
3年前、画家のジャミアン・ジュリアーノ=ヴィラーニがニューヨークで設立したオフラハティーズは、サイコな幼児の彫刻からワセリンを体に塗りたくるパフォーマンスまで、いくつもの過激な展覧会を開いてきた。そして、当初の予定を数日延長し、12月19日まで開かれていた「The Bitch」も、おそらく今後二度と見られない、歴史に残る展覧会と言える。
カッツの動きを題材にした「拘束のドローイング」
ギャラリーに入るとすぐ、この2人展の核となる作品が目に入る。バーニーが長年取り組んできた「Drawing Restraint(拘束のドローイング)」シリーズ(*1)に連なるもので、97歳のカッツが脚立を上り下りしながら大きな絵を描いている様子を撮影した映像作品だ。
*1 身体に拘束、制限を与えてドローイングを行う行為自体を作品とし、そこから生まれる未知の形に挑戦するもの。
カッツは驚くほど機敏で、その素早い動きと内省的なまなざしが、1時間近くにわたって観客の心を奪う。その展示方法も独特で、薄暗いスポーツバーのような部屋の天井から吊るされた3台のモニターに、3分割された映像が流れている。この作品について、先日オフラハティーズで取材したバーニーはこう語った。
「アレックスの動作と身体、特に脚立を上り下りする動きに注目し、スポーツイベントのように見せたいと考えました。彼は日頃から体を鍛えていて、厳しいトレーニングを欠かしません。アレックスが日々絵を描くことと向き合っている様子を見ると、彼がそれを非常に身体的な仕事として捉えていると分かります。まさしく身体的な実践で、そのために体を鍛えているのです。アレックスを題材に『拘束のドローイング』が作れると感じた理由の1つはそこにあります」
モニターを眺めていると、時折カッツの映像が中断する。そして、映像と映像の合間には、オレンジとブルーの画面が閃光のように点滅して目を眩ませる。重々しい電子音を伴う光は、スポーツイベント的な雰囲気を増幅させる。
「スポーツ中継がコマーシャルで中断される時、視聴者は突如としてまったく別の文脈に放り込まれますが、あの感じを出したいと考えました。今まで見ていたものとは全然違うものが大音量で割り込んできます」
《DRAWING RESTRAINT 28(拘束のドローイング 28)》(2024)と題されたこの作品では、さりげないサウンドデザインが重要な役割を果たしている。その大部分は、筆の運びや部屋の環境音、脚立がきしむ音などで、特に変わったところはない。しかし、ところどころで音階やスピードに細工が施され、音と映像がずれたり、音量が上がって前面に出てきたりする。
それは、サウンドトラックというより、サイケデリックで共感覚的な体験に近いものだ。長年バーニーの作品で音響を手がけているジョナサン・ベプラーが作った効果音には、街頭の音やそれらが発するノイズも取り入れられている。バーニーはこう続けた。
「アレックスが大昔から、ソーホーの中心にある同じスタジオで仕事をしていることも念頭にありました。ソーホーがどんどん商業化していき、周りの世界が移り変わっていく中、彼はずっとそこで活動を続けてきた。その実践には時代に流されない修行僧のような姿勢を感じます」
映像の中でカッツが描いているオレンジと白の絵《Road 25(道路25)》(2024)は、約2.4 × 3メートルの巨大な抽象画で、ギャラリーの2階に展示されている。そこに登る手前、レストランの厨房だった1階のスペースには、バーニーの《Water Cast 10(水鋳造 10)》(2015)が展示されている。これは水とベントナイト粘土を混ぜた液体に、溶かしたブロンズを流し込んで作られた大きな彫刻だ。バーニーはこう説明する。
「金属から出るガスに水が反応して水蒸気となり、爆発を起こします。金属は吹き飛び、空洞の鋳造物が残ります。一瞬にしてできるこの彫刻の成型方法は、とてもエキサイティングです。通常は型に流し込んで成型しますが、この方法では型はなく、使うのは流体だけ。つまり、ネガティブスペース(余白・空白)を直接鋳造しているのです」
バーニーは、映像の中でカッツが描いている絵画のネガティブスペースの使い方に共感したと言った。その絵は、よく知られているカッツの作風よりも抽象的でミニマルなものだ。
「彼の具象作品とは、これほどのつながりを見い出せなかったでしょう。単色で、直接的なこのシリーズには強く惹かれるものがあります。要素を最小限に切り詰めているところに、『拘束のドローイング』と通じるものを感じるのです」
《Road 25》を含め、この展覧会に並ぶカッツの作品で使われている色について、バーニーはこう続けた。
「オレンジは残像のようなもので、何かを見た後に残る色です。その何かとは空ではないかと私は考えています。オレンジは青の補色です。青い空を見た後に何か白いものに目を向けると、オレンジが見える。だから、映像の合間にオレンジの補色である青を使いました」
カッツの抽象画にバーニーと同じ「身体性」を見出し、2人展を発案
バーニーとカッツという、まったく違うタイプの2人の大物作家を組み合わせた展覧会は、このギャラリーの創設者であるジュリアーノ=ヴィラーニの発案で実現した。会期が終了してしまうのが辛いという彼女は、こんなショートメッセージを送ってくれた。
「このまま展示を残しておきたい気持ちでいっぱいです。アレクサンドリア図書館が焼け落ちるのを見過ごせないのと同じように(*2)。この展覧会には、私たちのような取るに足らないギャラリーを遥かに超えた大きな意義があるのです」
*2 古代エジプトのアレクサンドリアにあった大図書館。火災で破壊されたという言い伝えがあるが、その消滅については諸説ある。
ジュリアーノ=ヴィラーニがこのアイデアを思いついたのは、2022年から23年にかけてグッゲンハイム美術館で開催されたカッツの大回顧展を見たときだったという。
「らせん状のスロープを上っていった上の方に抽象画が展示されていたんです。その作品から、マシューを思わせる身体性を感じました。間抜けなことに、私はマシューもグッゲンハイムで2003年に個展を開いたことがあるのを知らなかったのですが、2人ともイメージを編集することに優れていて、ある種の映画的ビジョンを発揮します。私が思うに、彼らはそれぞれまったく違うやり方で、とても似たことをしている。この2人は一緒に展覧会をやるべきだ。そうひらめいたんです。結果的として、とても禅的でバランスの取れた展示になりました」
「面白いアイデアの種だったものが、だんだんと発展していったんです」
そう語るのは、ジュリアーノ=ヴィラーニと共にオフラハティーズを運営しているビリー・グラントだ。
「最初は突拍子もない思いつきで、いつから具体的な企画として走り出したかはっきり思い出せません。正直、実現することになって驚きました。引っ張ってくれたのはマシューです。私たちが投げかけた問題を独自の方法で解決してくれました」
2人の組み合わせをどう思うか、カッツにメールで尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「素晴らしいアイデアだ。とんでもなく奇抜だと思ったよ」
バーニーとカッツの2人展の会場となった廃墟レストランは、この展覧会の期間中だけ確保された場所だ。創設から3年のオフラハティーズにとってここは3つめのスペースで、次はどこに移るのか分からない。
常識はずれの展覧会タイトルが何を意味するかについては、グラントとジュリアーノ=ヴィラーニが書いたプレスリリースに、暗号のようなヒントが散りばめられているだけだ。
「終わることのない恐怖、サバイバルと回復力、そして人類が死と対峙する方法についての心を揺さぶられる物語『The Bitch』は、壮大なスケールで練り上げられ、抑制によって雄弁に語る展覧会だ」
さらに、「仕事を実行に移す前に入念に計画を立てることで知られる」バーニーとカッツについて、「彼らは光と影のように、互いに形を与え合うことができるだろうか?」と問いかけたうえで、こう結んでいる。
「最終的に全ての栄光を手にするのは作品だ。『The bitch』は計画に過ぎない。そして、ほぼ全ての責任を負う」(翻訳:野澤朋代)
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